ふられる妖精 sample
空島は、雲の海が美しい島だった。サンジは浜辺でナミのために綺麗な貝殻をせっせと探した。ちょっとでも点数を稼ぎたかったのだ。貝殻を拾って貰うだなんて、凄くロマンチックじゃないだろうか、そんなことされたら、相手を好きになっちゃうんじゃないだろうか、好きになるに違いない、とサンジは考えていた。
最初にメリー号が辿り着いた海岸はリゾートチックで夏っぽかったし、夏の恋の思い出と言えば、海で拾った貝殻に耳をあてて波の音を聞くとか、そういうものであるべきなのだ。夕暮れや、潮の香りや、見交わす目と目、なかなか繋げない指先……、伝えきれない気持ちの代わりに貝殻を渡して、「君のために拾ったんだよ」「まあ、危なくなかったのサンジ君、私心配だわ」「ちょっとした岩場なども乗り越えて、より美しい貝を探し求めたよ、君のためなら苦労ではないよ」「いやよ、私のためにそんな危険なことしないで、あなたにもしものことがあったら、どうしたらいいの」……というような雰囲気のものであるべきなのだ。夏の恋と言うものは。
そんなわけでひとしきり浜辺を彷徨い歩いてめぼしい貝殻を拾い、丁寧に砂を落としてからナミに持って行った。
きっと彼女は喜ぶだろう、ロマンチックな雰囲気になるだろうと信じていた。しかし、ナミは適当に返事をしただけで、貝殻を受け取ろうともしなかった。
サンジは大変へこんだ。へんこでもすぐ立ち直るのがサンジの良いところなので、五分後には立ち直った。そして今度はナミのために花を摘んだ。再びスルーされた。
折角のロマンチックな演出が今ひとつ効果を発揮できなかったのでそれなりにがっかりしたが、それでも大して落ち込んだりはしなかった。いつものことだからである。
気を取り直して、今度は空き瓶にナミへの思いをしたためた手紙を入れて、彼女の居る方角へ流れるよう海へ放流しようか、いやでもそんなにうまくむこうに向かって流れるかなァ、などと思案していたら、肩を叩かれた。
ふと、花の香りを感じたので咄嗟にロビンかと思って笑顔で振り向いた。彼女はいつでもフローラルな良い匂いがするのだ。しかしながら、そこに突っ立っていたのは、ゾロだった。少しも心ときめかない相手だったので、顰めツラになって、うんと感じ悪い態度をとってやったが、ゾロは気にも留めずにニヤリと笑った。
「おい、おまえのために花を摘んできてやったぞ、喜べ」
「……えッ」
甘い、それでいてどこか青い、涼やかな香りのする花だった。地上では見たこともないような、珍しい花びらの形をしていた。一枚一枚がくるりと巻いて貝殻のような形をしている。色は付け根にうすく黄緑のにおいのある白で、オシベが細々とした黄色い点々を花の真ん中に散らしていた。花の大きさが大人の手のひらほどもあるのに、茎はよく折れないものだと思うほど細く、うんと長い。
「てめえがこないだ作ってくれた、ケチャップっぽい汁に入ってたのと、似てるじゃねえか」
ゾロは花びらを指差して言った。確かに言われて見れば、パスタのコンキリエによく似ている。こないだトマト味のスープに入れた。いくらなんでも「ケチャップっぽい汁」という表現はないだろうと思った。
「これやるから、落ち込むな」
サンジの肩を何度も叩いて、ゾロはニヤニヤする。
「ちょっとォ、また喧嘩しないでよ、空の上まで来てあんた達は」
ナミが呆れたように腕を組む。
「そうだぞ、ゾロ、またサンジをからかって」
珍しくチョッパーも加勢した。
サンジは返事しなかった。普段ならナミの台詞という台詞にうざいほど絡みたい、いつでも積極的に相槌を打っていきたい、と思っているが、思いがけない衝撃的な出来事に、うっかり言葉を失っていたのだ。ゾロがトマトスープをケチャップの汁と言ったことについてではない。
花を貰ったことについてだった。
ゾロの顔をまっすぐ見上げる。
手渡された花は澄んだ香りでサンジの心を洗った。
「有難う」
受け取った花を大事に両手で持つと、よろよろした足取りでサンジはコニス達の待つテラスへ向かった。よろよろしたり、もつれたり、危なっかしい足取りのサンジを、ナミとゾロは怪訝な顔を見送った。
叫び出すのを堪えるだけで、サンジは精一杯だった。
生まれて初めて、ひとから花を貰ってしまったのだ。大変ロマンチックだった。こんなロマンチックなことをおれにするだなんて、一体ゾロはどういうつもりなのだろう。
それから色々あって、空島ではまた大変な事態に巻き込まれたりしたが、サンジの頭にはいつもゾロから貰った花のことがあった。コニスの家の花瓶に生けてきた一輪の白い花。回収することは結局出来なかったけれど、忘れられない。コンキリエのようにくるんと巻いて、洗濯したてのゾロの親父シャツのように白かった花びら。
青海に帰って来てからも、何だか変な気分だった。
大冒険のあとで空腹だろう仲間達のためにサンドイッチを作りながら、なんだろうな、この、やたらとむずむずした気持ち……と思ってぼんやりしていたら、いつの間にかキッチンの片隅に、見慣れた、小さな子供が突っ立っていた。
この船のクルーではないが、サンジはその姿を度々見かけていた。物言わず、いつもじっとサンジのことを見ている。この世のものでないことは、足音ひとつたてないこと、彼の足許に影がないことで知れた。
彼のことは、良く知っていた。キッチンの妖精だ。キッチン以外にも出没するが、一番最初に出会った場所がキッチンだったので、多分キッチンの妖精なんだろうと思っている。不思議と怖いと思ったことはなかった。
091103発行、1105up