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ゾロが宿に戻ると、サンジはまだ眠っていた。
夕べは慣れない野宿で疲れたのかも知れないと思ったのだが、揺さぶって起こすとぱっちり目を開いて、出かけてたのかよ、どうして起こしてくれなかったんだと不貞腐れた。
「分かった、次は無理にでも起こす」
ゾロが適当に答えると、そうしてくれ、と真顔で応じる。余程置いていかれたのが悔しかったらしい。
宿の窓からは海が見えた。灰色に冷たく沈んだ色をして、空も曇天だった。吹き込む風もまだ冷たい。航海には少し早い時期なのだ。本来ならこの町で情報を集めたり物資を揃えるなどして滞在し、航海の季節になってから本国に渡る予定だった。
「じゃ、早速だが市場に買い物に出るぞ」
「え、今から」
「ああ、今からだ。まだ夕方だし、大体の店が開いてるんじゃねえか」
来ないんならオレだけで出かける、と言うとサンジは慌てて身支度する。寝癖のついた髪を撫でつけ、適当に顔を擦ると上着を羽織った。二人揃って、市場へ向かった。
港のすぐ横で開かれている市場は、大部分が屋根だけ帆布のような布を掛けた粗末な店構えをしていた。順に品物を見ながら歩くと、その品数に目が回るほどだ。木製の台の上に、にしんや鱈、鮭、鳥の腿、眠っているような青い瞼の羊の頭、リンゴやじゃがいも、中身が何なのか絵で描かれた缶詰、そうかと思うと布や絨毯、衣服の店もある。
老婆が背もたれのない椅子に腰掛けて、子供のための小さなセーターを編んでいた。鈎針一つをくるくると回しながら器用に毛糸を編む。花のようだな、とサンジは思った。
ゾロはさすがに旅慣れているようで、保存の出来る食料と地図、新しい鞄など、必要なものだけを選んでいくつか買った。
サンジは、自分に何が必要なのか分からない。海の上は寒いぞ、と脅されて靴下と下着を何枚か買った。
買い物の最中に、明日の朝出港する船に乗るぞ、と突然ゾロが言い出したので驚いた。まだ船が出る季節には若干早かったからだ。
「政府の臨時船に乗る。どうしても必要な物資などを本国に運ぶために出してる船だが、緊急の用件がある人間も乗る。つまり、わけありの奴らが乗る船だ」
「へえ……、でもなんで急ぐことにしたんだよ」
「てめえが寝てる間に人に会って来たんだが、ロビンを連れ戻せと言われた。一緒にビビもだ」
「……ロビンちゃん」
「そうだ、知ってるだろう、今は本国にいる」
大きな木箱を持った荷運びと擦れ違った。ゾロはひょいとかわす。夕暮れ時だが市場の人通りは途絶えない。
「ビビって、もしかして」
「覚えてるだろ、ずっと昔、雪の日に村を通りがかった……」
「覚えてるよ、ビビちゃんか」
サンジは目を丸くする。久し振りに耳にする名前だった。
「ビビちゃんって、本国に居るんだな」
「ああ……、一度はこっちに戻ってたんだが、最近またあっちに行った」
「ふうん」
「ロビンのとこの石があっただろ、二つで一対になってるやつ」
「うん、あの納屋にあった石ね」
そうだ、とゾロは答えた。
「あれはロビンに見せたほうがいいから、持って行けと言われた」
ふうん、とサンジは曖昧に返事する。石のことは良く分からない。
「ま、とにかく本国に渡って、ロビン達に会えばいいんだろ、後のことはオレには興味がないことだ」
ゾロは一軒の店の前で立ち止まり、革紐を物色し始めた。望みの長さのものがなかなか見つからないらしい。束になった紐を抜き出して順々に眺めている。
雑多な小間物を並べている店だった。斜めになった台の上に、装飾品から実用品まで、とにかく細かい道具が置いてある。マッチやカップなどは買っておいたらもしかしたら何かの役に立つかも知れない、あの羽飾りは何に使うのだろうか……。
一際目を引く、赤いガラス球がはめ込まれたカトラスを見つけ、サンジは「あっ」と声をあげた。
「なあゾロ、あれ格好良いと思わねえか」
「どれ」
「これだよ、こういうの持ってると、旅する若者って感じがするじゃねえか」
サンジの指差す先をゾロが見る。すぐに、あんなの駄目だ、と偉そうに言う。
「アホが、実用的じゃねえだろ。てめえが普段持ち歩いてる普通のナイフのほうがまだ切れる」
にべもない態度だ。サンジはムッとしてそっぽを向いた。
「なんだよ、ゾロのケチ、嫌いだ」
そう言われると今度はゾロの方がムッとした。押し黙り、それでなくとも悪人顔をますます険しくして店主にひとまず革紐を渡す。代金を支払い、受け取ると歩き出す。その後ろからサンジはくっついて歩いた。
暫く歩き、市場の出口に近いところでサンジはまた雑貨店を覗いた。首から下げられるような小物入れが欲しかったのだ。だが矢張り多くの物が並べてあることに目移りして、何の関係もない黒い指輪を手にとって、「格好いいなァ」と呟いた。黒いだけで殆ど装飾がないが、嵌めこまれた小さな石が白っぽく光り、蔦のように指輪をぐるりと囲んでいる縁取りがサンジの目には見栄え良く感じられた。
「……買ってやる」
ゾロが急に言い出したので、サンジは驚いて、はァ、と変な声を出した。
「買ってやる、それ」
「え、いいよ別にそんな」
それほど欲しいと思っていたわけではない。サンジは断ろうとしたのだが、ゾロはその場で指輪を買ってしまい、サンジに手渡す。
「ありがと」
小さな包みを受け取って、サンジはなんともくすぐったかった。
機嫌をとられたのだ。それが分かって、くすぐったい。
*
食事を外で済ませ、宿に戻るともう夜更けだった。買ってもらったばかりの指輪を左手に嵌めて、街灯に翳すとピカピカ光るのをサンジは楽しんだ。
部屋に入り、ドアを閉めるとすぐに腕を掴まれ、ベッドの上へ投げ出された。
「ん……」
驚いてもがいたが、ゾロは構わず唇を吸った。ぴりりと痺れが走って、またあのむず痒さで訳が分からなくなってしまう。
唇は深く合わさり、応え方も知らないサンジに噛み付いた。ぴりぴりと痺れは喉から胃まで飲み込まされて、爪先までがむず痒くなってきた。じっとしていられない。鼻から甘え声が出る。
やだ、とサンジはゾロを押し退けた。
「やめろよ……」
「やめろはねえだろ」
ゾロは何でもないことのようにサンジの手を払う。
「やだ」
サンジは強く主張した。
「だっておまえ、風呂入ってないじゃねえか、絶対いやだ」
「今更風呂かよ」
ゾロは聞かない。シャツのボタンは悠々と外されてしまう。肌蹴られた胸がひやりとして、次に熱い舌がそこをなぞった。
「ふ、ふろ、昨日も一昨日も入ってねえし、風呂に入っていないゾロなんて、嫌いだ、汗くせえし、嫌いだ」
必死に抵抗する。ゾロは黙り込んだ。
無理に押さえつけていた手が緩んだ。見上げると、ゾロは心底忌々しいという顔で起き上がった。
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