その二度目の晩以来、彼を抱いていない。
あれから程なくして彼は姿を消したのだ。
仕事上でのことだったので、この里のならいとして、誰もそのことについて言及しない。
一体いつ頃帰ってくるのかも分からない。
今どこでどうしているのかも。
そのうちに、あのひとの関わった仕事で何か異変があったらしいということが、ひそやかに伝わってきた。
詳しいことは何も分からなかった。
彼がいつ帰ってくるのか、それとも、もしかしたら、もう帰ってこないのか、それすらも。
彼の仕事は、そういう仕事だ。
いつでも覚悟をしなければいけなかったのに、オレは、こういう時どうすればいいのか、彼とちっとも話し合っておかなかった。
機密性の高い任務の場合、あれこれ結果について尋ねることはタブーだ。
けれど、本人と親密な関係にある人間に安否を知らせぬほど、この里は冷たくはない。
火影様に直接聞けば、彼がどうなったのか、いつ頃戻る見通しなのか、そのくらいのことは、現在の情報で判断出来る範囲内という括弧付きで、教えて貰えるはずだった。
だが、アカデミーの一介の教師が、然程の接点も無さそうな上忍の仕事の結果に関心を寄せる、ということは、少々不自然であった。
きっとオレは彼と親しかったのかどうかを尋ねられる。
ちょっとした知り合い程度では、無理だろう。友達だと言っても無理だろう。彼にはオレ以上に親しい友人がたくさんいるし、出会ってからの日が浅いので親友だと言い張るのはいかにも嘘くさい。
多分オレの立場では「そのうちはっきりしたら分かるから」というような返事くらいしか貰えないだろう。
彼の安否が知りたかったら、彼と恋人同士であったのだと、打ち明けるしかない。
絶対に、絶対に誰にも言ってはいけません。この先ずっと、何があっても。
もし誰か一人にでも話したら、二度と逢いません。
彼は、今現在のこんな状況を、あのころ予想していただろうか。
オレは悲しくて不安で仕方なかったが、彼との関係を誰にも言うことが出来ない以上、必要以上に心配することも嘆くことも出来ず、毎日仕事に行き、食事をし、休日を一人で過ごし、同僚と飲みに行き、常と変わらぬように生活するしかなかった。
胸がつぶれそうだと思うのに、オレが悲しむ理由がないと思っている人たちの前では、悲しそうな素振りを見せることなんか、出来ないではないか。だって、可笑しいことが何一つ無いのに突然笑い出す人間がいたら、ぎょっとするだろう?
悲しい顔をするタイミングを、周囲はまるきりオレに与えてはくれない。
だから、泣くに泣けない。
そんな日が続いた。
これは確信と言うにはあまりに頼りない予感ではあるが、サスケは既に彼の消息を火影様に尋ねたのではないかという気がする。
あの子とあのひとは、そういう関係であったらしい。
それが一時期のものであったのか、ずっと続いていたものだったのかは知らない。
あんな子供相手になんて不謹慎なひとだろう。
他にも多分、彼と情を重ねたらしきひとを、オレは幾人か知っていた。
けれど、そのひとたちにも、オレは尋ねることが出来ない。
誰にも言わない、ということが彼との約束であったからだ。
サスケは、あの子は、何て言われていたのだろう。
秘密にしろとは言われていなかったのだろうか。
それとも、覚悟を決めて、消息を尋ねたものなのか。
オレには、彼との約束を違える勇気は無かった。
そんなことをして彼を失うのはイヤだった。ずっと彼を手に入れていたかった。
悲しいと言わず、不安な素振りも見せず、当たり前のような生活を送っていた。
いつまでたっても涙を流すような場面を与えられないので、胸の奥に、なにかつかえてるみたいな気分がいつもしていた。
けれど、大声で泣き喚いたら、悲しいと、不安だと訴えたら、ますます絶望は深くなったのではないだろうか。
悲しいと言わないから、いつまでも、悲しいと思う感情は確定しない。
ふわふわと定まりなく、ただひたすら、胸がつかえる。
オレはまだ、微笑んで生活することを続けている。
楽しむことを投げ出す機会を、どこからも与えられていない。
そして、少し疲れた。
彼と出かけた小川のほとりを訪れた。
そこは変わらず柔らかな草が生え、ひかり輝くせせらぎが高い音を奏でていた。
木立が途切れ、里の見渡せるあたりまで歩いてみた。
足許には火影の顔岩へと続く岩壁がある。
このように、森の途切れるあたりには、背の低い木や、蔦が多く茂る。
岩壁の際の辺りに腰掛けて、里を見下ろした。
所々に煙があがり、通路を人が通るのが見える。
アカデミーの校舎も見えた。
オレの住むアパートは丁度この角度からだと物陰に入って見えない。
彼の住んでいたアパートは、灰色の屋根だけが覗いていた。
オレがいつかあの部屋を、訪ねることはあるのだろうか。
一体いつ、彼は戻るのだろう。
誰に聞くことも出来ないから、何も分からない。
彼との約束を、憎まない日はない。
どうして、こんな時のことを考えておかなかったんだ。
どうして彼は、考えておいてくれなかったんだ。
何一つ、伝言も残さず、居なくなってしまって。
でも、もしも。
もしもそれが、絶望的な結果を知らされることになるのだったら。
「ずっと好きでした」
あの日の彼は言ってくれた。
幸福は、まだこの手の中にある。
彼から貰った、金色に輝く、幸福の種。
この世の全ての物事は、優しく、絶望など知らず、ひかりに溢れている。
辛いことなど、まだ何一つ無い。
あの日も晴れていたが、今日も晴れている。
ひかりは、靄のように里を暖め、美しく、金色に染め上げていた。
ひかりは、全ての物事の上の、幸いだけを照らしていた。
end
04/05/21
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