ボクは彼の話を聞きながら、緒方さんのことを思い出していた。
ボクがプロ棋士になることを考え始めた頃、ボクにとって緒方さんは憧れの人物だった。ボクよりずっとお兄さんだったしね。
兄弟が居ないから、ボクは随分彼に甘えたし、我がままも言ったろう。
誰にも話したことが無い、そしてこれからも決して誰にも話さぬだろう、緒方さんと、初めてセックスしたときのことを、彼は覚えているだろうか。
怖かったし、反面、好奇心もあったし、混乱して取り乱して彼をてこずらせた。
いつも口では乱暴なことを言う緒方さんのセックスは、小心ものっぽくて可愛かった。そっと入り口に触れ、また離れ、ゆっくりと辺りを暖めて、何度も「平気か」と尋ねる。
終わったあとで、また普段通りニヒルにタバコなんぞをふかす彼を見て、ボクは内心くすぐったくて仕方なかったくらいだ。
どんな憎まれ口も可愛いものだった。
優しい、彼のふしくれだった指が、ボクの身体をそっと辿ることを知ったあとでは。



一人、手持ち無沙汰に携帯の画面を操作して、写真撮影の機能を呼び出す。
カメラを自分に向ける。
画面の中には、薄暗い部屋と、ボクが映っている。
そして画面には映っていないけれど、今、この同じ部屋に、進藤が眠っている。
そんなつもりじゃなかったのに、いつのまにか、そんな成り行きになってしまって、何というのか、彼と、寝てしまった。
目が覚めてから、弱ったなあ、と思った。
弱ったなあ、これからどうしよう。



進藤は全く初めてだったらしい。
恐々と、でも好奇心に満ちた目が、ボクを見据えた。まるであの頃のボクのように。
未知の物事を知らせようとするボクの手を、彼はしっかりと掴んだ。
ボクは緒方さんにかつて教わったように、ゆるゆると彼を抱いた。
彼が悲鳴のような声をあげたのは、固い入り口をこじ開けられる、最初の一瞬だけであった。あとは案外普通に話していた。溜め息のような話し声ではあったけれど。
すっかり彼の中へ入れてしまって、動き始めた頃に、
「塔矢」
と、彼はボクを呼んだ。
「塔矢、塔矢」
波打つように引きずられ、押し返されて揺すられながら、ボクを呼んだ。
か細いその声を聞くと、どうしようもなく気持ちが騒いだ。
ボクはこんなふうに呼んだことがあっただろうか。
ボクはこんなふうに緒方さんを呼んだだろうか。
彼の両腕はボクを掻き寄せようとしていた。
ボクは、他人から求められるということは、とても心細く寂しいことだと思った。
彼がボクを呼ぶたびに、ボクには彼に与えられるようなものが何もないのだという事実を知覚させられた。
緒方さん、ボクは緒方さんを、あんなふうに呼んでいただろうか。



ゆっくり夜が明けてゆく。
ボクは眠れなかった。
新しい携帯を買ったから、随分久し振りで緒方さんにメールを出そうと考えた。
彼はこまめに機種変更するタイプだし、アドレスなんかとっくに変更しているかも知れない。届くか届かないか分からない。でも、試しに、この一度だけ。
「新しい携帯にしました。番号は前と同じです。」
ほんの短い一文を打ち込む。
きしり、とベットがきしむ。
ボクはシャッターをきった。
カシャリ
人工的な音がして、画面の中にはボクの顔。
薄暗い室内なので不鮮明な映像になった。
ああ、この画面には映っていないけれど、今、この同じ部屋に、進藤が眠っている。
緒方さんに伝えたい、決して言えないことが、唇を引き結んだボクの顔に、映っているのだ。

END
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