三度目の恋







どのくらい好きかと聞かれると困る。
三回セックスするくらい、と、答えると、あのひとはどうするだろうか。怒るかな。……怒ると良い。
それ以上は好きにならない。
だから、そのあとは疎まれたり恨まれたりするのがいい。
彼を見るたび、彼の思い通りにならない自分を、オレは悔やむだろう。
そういうのが良い。





三度目の恋




いつの間にか彼を好きだと思うようになっていた。彼はオレの気持ちを承知しているようだった。
初めて彼をオレのアパートへ招いた日、思わず
「好きです」
と言ったら、笑われた。
彼にしてみればそれは分かりきったことであって、わざわざ言葉にして打ち明けるオレの律儀さが滑稽に思えたらしかった。
「イルカ先生、可愛いね」
ひとしきり笑ったあとで彼がそんなことを言った。
それからその晩のうちにあっさり身体を許してくれた。
初めて彼の素顔を眺めながら、こんなに簡単に他人に気を許す人だったのかと意外に思った。口許が表れると、表情が読みやすくなることも、案外のことで。
わけても彼の提案したことは、オレの予想の範疇には決してありえないことだった。
「三度だけにしましょう」
彼はそう言った。
「三度だけ、寝ましょう。その後はそういうことは無しです」
カカシ先生は変な人だ。
と、その時のオレは思った。
彼が言うには、一人の人間に対して彼が抱き得る愛情の量には限度があり、それは三度の情交で消費しきられるものであるのだそうだ。それ以上は、彼にとっては強引な搾取であると。
「四度だって五度だってしますけれどね、それはオレの気持ちの上では強姦と一緒ですよ。……そういうのも嫌いじゃないけどね、でもね」
彼がふふふ、と笑うと目の下に笑い皺が寄って、何だか良かった。
オレは久し振りでまだキス一つしないうちからその気になって、もどかしく彼を抱いた。



彼を抱いた翌日、朝まだきの寝床の中に、彼の姿が跡形もないのを見つけるにつけ、オレは早速彼を恨んだ。
彼はオレをどう考えているのだろうかと。



遅番で昼過ぎに出勤し、任務受付で彼を見かけた。常と変わらず飄々として猫背。気持ちが乱れた。
三度の約束は、あれはどういう意味だったのだろう。よもや馬鹿にされただけではあるまいか。
彼の本意が見えなかった。
楽しんでいるのだろうか。オレが彼を抱きたがり、抱けば別離が近づくというジレンマに苦しんだりするのを見れば、楽しいとでも思っているのだろうか。
そうだったら嫌だ。
それなら彼を抱くまいと思った。
抱かずにいれば彼は永遠にオレに縛られるだろうか。そうはならないだろうな。今現在のこの状況が続いたって、彼がオレに束縛されているとは思えない。
そもそも三度、というのはどういうことだろう。三度までなら、いつでも、相手の望むようになるということなのだろうか。
無理やりにでも?
彼が嫌がるようなセックスをしたとしても?
オレは様々に彼の嫌がるようなセックスについて考えた。だが想像上の彼は、オレの思いつくような、いかな倒錯的な行為にも平然と応じるような気がして、何だかオレはオレの想像の中でもあっさり彼に敗北してしまったのだった。



好きだと言ったのは、別に、セックスするためじゃなかった。
なのに、三度の条件は、彼への愛着を単に褥の契約にすりかえてしまった。
あのひとは結局、何も分かっていないのだ。
オレをからかって遊んでいる。



それから数日、オレと彼とは会わなかった。三度の約束が、これまで通りの気安い交流まで規制してしまったようで、憂鬱だ。まるで、三度目までは彼を抱くためだけの時間しかない、みたいに。
だから、その日ひょっこりとアカデミーの廊下で彼を見かけた時、オレは少し不機嫌な顔をしてしまった。
「こんにちは、イルカ先生」
彼はまるでこちらの不機嫌など気にもとめないふうに、話し掛けてきた。
「オレね、明日っから任務なんですよ」
そう言われても、返事の仕様がなくて、少し応えるのが遅れた。
「……あ、ああ、そうですか。気をつけて」
「一ヶ月ほど戻りません」
そこで言葉を切ってから、彼はしばらくこちらをじっと眺めていた。
「……あの……」
夕暮れの西日が、一列に廊下の果てまで続いてゆく窓から差し込んで、窓枠の四角い升目のような影を、深緑色の床へまっすぐと並べていた。その一つ一つを、コマ送りのように、下校時刻すれすれまで居残りしていた数人の生徒達が渡り歩いてゆく。校舎内は施錠しない。いくつかの窓は開いたままになっている。この里では、施錠は、入らないで欲しいという、相手の礼儀に期待する意味合いでの意思表示に過ぎない。従ってこんな公共の場にはそぐわない。
彼は何か言いかけたまま、口篭もって突っ立っていた。
オレは丁度アカデミーの校舎から任務受付のある建物へ向かう途中だったので、彼を促がして二人で歩いた。途中何人かの同僚とすれ違った。アカデミーの中には図書室や資料室もあるので、ここを使用するのは子供らばかりではない。
等間隔で続く、廊下の床の窓枠の黒い影。
何とはなしに、それを踏まないようにして跳ねて歩いた子供の頃のことを、思い出した。
「ねえ、こうやって」
影で出来た、一つ一つの四角い升目を一歩一歩で飛ぶように渡って見せながら、「こうやって、遊びませんでしたか?子供の頃に」と彼に尋ねてみようとした時に、ふいに脈絡も無くオレは理解した。彼が先刻、何を言おうとしかけたのかを。
「明日から……」
瞬間呆けたようにぼんやりして、彼の顔を眺めた。
明日から一ヶ月も留守にする。
彼は催促しに来たのだ。
約束の、二度目を。
酷い男だ。そうやって、オレとのことは何でも自分の好き勝手にしていいと思っているんだろう。
彼の思い通りになりたくなかった。
彼を好きだと言った。彼を一度抱いた。しかし、だからと言って、オレがいつまででも彼に優しくする保証など、どこにもないのだ。彼はそれを知らない。
「そうなんです。明日からしばらく会えないから、……イルカ先生の」
「明後日の晩にと思っていたのに」
彼の話の終わりを待たず、かぶせるようにそう言った。
「明後日の晩に、あなたに……泊まっていってもらおうと思っていたのに。その次の日が、非番だったから。残念ですね、今日は残業なんです」
明後日なら良かったんですけどね、残念です、とオレは繰り返して言葉を重ねた。
「オレにも仕事がありますから」
素っ気無い口調と、わざとらしく手元の書類を掻き合わせる仕草で彼を制すと、足を速めて廊下を進んだ。曲がり角で別れるまで、彼は無言だった。
「それじゃ、さよなら」
短く挨拶して彼と別れたその直後。
さっさと仕事に行こうと思っていたはずなのに、唐突に訳の分からない衝動が込み上げて、オレは思わず振り向き、彼の背を追った。
「あの!」
この人を、大嫌いだと思った。
「任務、どうか、気をつけて」
しかし何故か口をついて出たのは裏腹な台詞だった。
彼はいつも通りに肩を竦めただけだった。



その翌日から、彼は予告通り長期任務に出たようだった。
ナルトが朝がた任務受付に顔を出して、今日から暫くシカマルんとこの班と一緒に任務なんだってば、と話して行った。
今回の共同の任務は、丁度一月程かかるものらしい。
うまい具合に、奴らの上司の留守中を埋める仕事があったものだ。彼は一ヶ月、単独の任務に。スリーマンセルの子供らは、別の班との共同任務に。久し振りでやりがいのある仕事らしく、ナルトはやたらに張り切っていた。アスマ先生も大変だ。
さらにその翌日。
たまたま早めの時刻に帰れたオレは、ここのところ疲れが溜まっていたこともあって早々に寝床に入ってしまった。アカデミーの仕事もあるし、もうちょっと任務受付のシフト、減らして欲しいなあ。
眠りが浅かったのか、あやふやな、どうということもない夢を見ていたような気がする。
それがふっつりと途切れて意識が浮上すると、月明かりの窓の外から、彼が呼びかけるのを聞いた。
「イルカ先生」
ささやかな声だった。非常識な、この現状とは不似合いに。
「来ちゃいました」
思わず跳ね起きるのと、彼が窓ガラスを開けて入ってくるのは、ほぼ同時だった。
「ど、どうし、あなた、どう……任務は」
動転して言葉がつかえる。
「だって約束したから」
何を、とは言わない。彼は笑っていた。
「大丈夫、そんなに遠くない場所なんです。明日の昼までに戻れば」

手を差し伸べて、彼の身体や顔に触れ、現状に対する実感が湧くにつれ、オレはうろたえて、わけもなく少し泣いた。彼は今この瞬間、オレとのことを全てに優先してくれている。
怖いし、分からない。
何が何だか分からなかった。



物慣れたふうだった最初の夜とは違って、その晩、お互いの服をすっかり脱がせ合うまでの間、彼はとてもぎこちなかった。
「すみませんね」
と何度も言われた。全身から、解けない緊張が伝わってきて、オレは彼を可哀そうだと思った。
勿論彼はオレに会いに来るために緊張していたのではない。
ここへ来る前に居た、殺伐としていたのだろう、彼の任務地の緊張感を引き摺って来たのだ。
「どうして、こんな……」
裸になって彼の身体を抱き込むと、さらっとした肌の感触がした。何故こういう時でも汗一つかかないのだろうか、このひとは。
「こんな、あなた、無理して……」
情けない。唇が震えて上手く話せない。それを誤魔化そうとして、押し付けるように唇を重ねる。何度も。息ばかり乱れてなかなか勃たないオレに焦れたのか、彼はオレの股間をまさぐって、殆ど引っ張るみたいに乱暴にそこを扱かれた。恥ずかしいことだが、それがあんまり良かったものだから、オレはそのまま一度彼の手の中に射精してしまった。



長い時間をかけて、しつこいくらい彼を抱いた。彼の基準では、一夜の出来事は「一度」と換算してくれているらしかった。有難かった。或いは彼なりにオレとの情交を惜しんでくれているのではないかとも。



夜が白みかけていた。
彼の寝顔を一晩中見守るのだという決意もどこへやら、いつのまにか眠りこんでいた。
腕枕にした腕がすっかり痺れていたが、それで良かった。
手足の力の萎えてゆくような不安感と、何か大きな出来事を予感したときにも似た高揚とが、ないまぜに胸を押し上げて、体の節々が痛んでどうしようもなかった。こういう感情は、実際に身体を痛ませるのだ。しかも歳をとればとるほど、痛む気がする。それが鈍ったからなのか過敏になるからかは、知らない。
彼が身動ぎする。
「起きましたか?」と笑っていた。
「起きてたんですか」
失態を見られたみたいに感じてオレがそう言うと、
「いいえ、オレも今起きたとこ」
彼は気まぐれに一つ伸びをして、臥所の腕の中から逃れようとした。
じわじわと滲むように、窓の外が仄明るくなってゆく。それがぼんやりとした光源となって、彼の背中に窓枠の影を落とし、四角い枠線が、彼の背の曲線に合わせてたわむ。どこかでこれと似たような光景を見た気がする。軽い既視感に混乱する。
半身を起こした彼の腰を引き寄せて、彼が身支度しようとするのを咎めた。
振り向いた彼は、意味ありげにニヤッとした。
「三度目に数えますよ」
オレは頷いた。
「いいんです」
オレの答えに彼は首を傾げた。オレはオレの言うことの意味が伝わっていないと感じた。
「いいんです、待ちたくないんです」

……あなたのなかの愛情が、目減りしてゆくのを。
あんな答えかたを、されたあとで。



三度の情交で、愛情は消費しきられると、あなたは言っていた。
だとしたら、オレの身の内に溜まった愛着は、あなたの中から流れて来たものだろう。それが心地良いからと言って、余分に欲すれば、あなたの中がからっぽになってしまう。あなたの中から、オレを好ましく思う情が無くなってしまう。そういうことなんだろう。
オレはあとどのくらい、あなたの中に情があるかを考える。

「ん……も少しそっとしましょうよ……」
だるそうな声で、彼の性器を摩擦していた手を宥められる。二度の間に知ったことだが、彼は挿入されるとき、前に触られることも求める。オレの気がきかなければ、自分で手を伸ばす。それがオレにとってみれば、物慣れたふうに映った。
他にも、何故かコトの最初に背中を掻いたりする変なクセもある。痒いのかと思って摩ってあげたらイヤな顔をされた。良く分からない。もう、その理由を尋ねることは無いのだろうけれど。
「そっと」と言われたので、手を緩め、また不安になり、こちらにしたほうが良いかと考えて、下から手を外して胸の突起に指を這わせた。

どうして彼は三度と言ったのだろう。

右往左往するオレの手に、彼が堪らず含み笑いする。
「何してんですか」
焦れったそうな、けれど楽しそうな声音。

いつの間にか、夜は明けきっていた。
はっきりとした陽光に照らされれば、夕べ大した片付けもしなかった部屋の中は、衣服が散らばっていたり、投げ出した荷物やプリント類が放置してあったりといった具合で、あまり麗しいとは言えない様相を呈していた。
コトの最中だというのに、真っ裸のままで、彼が窓を開けた。
「外に声とか聞こえたら……」
心配するオレに、彼は「だってなんか臭いですよ」と、嫌なことを言う。
それはそうだろうなあ、と考えて、オレは少し可笑しくなる。
そんなふうに、短い朝に、三度目を過ごした。
彼の愛情を消費しきらないように、オレは早めに、彼を離してやった。そうでなければ不安で仕方なかった。

目減りする愛情。もしくは移動する愛情量。
それは、とても分かりやすく開示されたルールなのだ。規則にしたがって、一つの結末と感情が、生まれようとしていた。



風が吹く。
すっかりいつもの忍装束に身繕いして、彼が窓から身を乗り出した。
外は良く晴れていた。
彼は出かけるための呼吸を、幾らか時間をかけて整える。
彼から離した手を、オレは早くも悔い始めた。彼の言うことの理不尽に遅れて気付いた、最初の朝を思い出す。
……それでいい。
「カカシさん」
もしかしたら、この部屋で彼の名前を呼ぶのは初めてだったかも知れない。
「カカシさん」
「何ですよ」
彼は何故か困ったように唇を尖らせた。もう、何笑ってるんですか、と、僅かに赤くなって俯いた。その横顔を見ているうちに、また、身体中が痛む。
でも楽しかった。なんとなく。今ようやくオレは恋におちたのかも知れなかった。



彼が立ち去ったあとの部屋で、オレは後悔するだろう。二度と彼を抱けないことを思い、寂しく思うかもしれない。
職場で、街中で、人の噂で、彼のことを見かけるたびに、気が塞ぐだろう。そして、彼と二人で話すときには、きっと後悔を態度にも滲ませてしまうかも知れない。

たくさん後悔する。



それが、彼が残した、三度目の恋。








どのくらい好きかと聞かれると困る。
三回セックスするくらい、と、答えると、あのひとはどうするだろうか。怒るかな。……怒ると良い。
それ以上は好きにならない。
だから、そのあとは疎まれたり恨まれたりするのがいい。
彼を見るたび、彼の思い通りにならない自分を、オレは悔やむだろう。その罪悪感にむかって、いつまでも情が流れ続ける。いずれ後悔は未練になり、愛着に摩り替わるだろう。そういうのが良い。
ずっと続くから。






三度目の恋






基本的な恋愛モノを書きたいなあ、と思っていたのですが・・・。
当初、カカシ視点とイルカ視点が交互に進んでゆく形式をとっていたのですが、違和感があってやめにして、カカシ視点の話を消してしまいました。そしたら毒気が抜けました。とほほ。