倉庫の奥に眠っていた古いランプを磨きながら、そういえば館主はこんな事を仰られていたのを思い出しました。
館主 ウロボロス
「3部作の本筋を何一つ知らないのに、『アサシンクリード・リベレーション』を買ってしまいました。昨年の東京ゲームショーにおける試遊台でのプレイでぞっこんほれ込んでしまったためですな。このゲームは中世の暗殺者ギルドの長になって、十字軍の悪い連中を暗殺するといった西洋風仕事人のようなゲームであり、ストーリーモードのほうは初プレイであるところの我輩の手にかかれば、シリーズ百戦錬磨のはずの暗殺ギルド長殿もやたらと挙動不審とミスと転落死が多かったという残念プレイだったのですが、先日ようようそのストーリーモードも落着し、一人前(?)の暗殺者になったことを幸いにマルチプレイなる対戦モードに入ったのであり、これがなかなかどうしてよくできている。遊ぶルールはいくつかあるのですが、今は基本ルールである『ウォンテッド(賞金首)』というルールで対戦に入っております。これはある街を舞台に多数のNPCとプレイヤー8名が放り込まれ、1人のプレイヤーには1名のプレイヤーが賞金首的なターゲットとして提示されるというものです。自分を追う暗殺者プレイヤーに見つからないように時に屋根を移動し時に群衆のNPCにまぎれ、自分のターゲットをその接近を気づかれないように暗殺、暗殺を美しく完遂したかによってボーナスポイントを獲得しながら時間内(10分)にどれだけのポイントを稼ぐかというルールです。様々な美点を備えて総合的に面白いのですが、我輩があえてそこでルールデザインの特に強調して素晴らしいと思う点は以下のようなところでした。
▼A.参加者8名のうち、ビリを除く7名は勝者であること 対戦もののゲームのネックは、敗者のモチベーション低下です。別段ゆとり世代とかそういうの関係なしに、敗者がモチベーションを維持するというのは高度な思考的技術を要します。悔しい気持ちをバネに頑張っても、50連敗くらいすればさすがに多少は心が折れることでしょう。『ストリートファイター4』の勝敗で増減しながらプレイヤーの実力を数値化したBPシステムは適正な実力者同士の対戦マッチングルールとしては有効でしたが、敗者の傷ついた心に、BP減少という「勝利成果の減産」はいよいよ塩をなでこむようなものだったように思えます。このモチベーション低下は1vs1で、片方の勝利が=もう片方の敗北であるという対戦形式が最も強く作用すると我輩は考えます。その上で『アサシンクリード』の対戦ルールでは8人が対戦し、しかもその標的がランダムに決定されることによって、上位7名は自身を勝者と考えられるようになります。まぁ少なくとも敗者とは考えにくくなります。
▼B.対戦でのリソース減算がない 『ストリートファイター4』に限らず、1vs1対戦アクションゲームでのそれまで最も主流であったルールでは、ライフゲージのようなものがあり、このゲージを削りあっていきます。一方、海外FPSの流れを汲んでいるのか、『アサシンクリード』は暗殺にあたる攻撃を1回でも命中させればダイナミックな演出とともに即死させます。暗殺というテーマとその期待するカタルシスに即してのデザインと思われますが、ライフというリソースが減算しないということは1つの対戦スパンの中での優位と不利の間の格差が分からないということであり、徐々にHPの間に開きができて試合勝敗の趨勢が決まりつつある中で戦わないといけない従来の対戦プレイに比して、敗北におけるモチベーション低下を緩和させる働きがあると考えます(ある意味、徹底して『アサシンクリード』の対戦ルール上のリソースから減るという要素をつぶしているように見えます。敵リソースが増えて相対的に負けているのと、実際に減っているのとでは感覚的に大きな違いがあるのではないでしょうか)。また、この一撃必殺のあっけなさ感も『ブシドーブレード』のような“一瞬で殺されて噴いた”に通じる、感情の短時間での振幅として対戦におけるマンネリの抑制に繋がっていると思います。
思えば『アサシンクリード』のゲームルールは(操作自体の難しさに比べれば)シンプルなもので、いうなれば鬼が分からない鬼ごっこのようなものです。子供の頃でも把握できたシンプルなルールを見事にネットワークの対戦ゲームとして構築できたその手腕を尊敬するとともに(ローディングなしに街中グラフィックや群集表示、対戦者の動きなどのネットワーク同期といった技術的な裏づけがないととてもできそうにありませんが…)、その頃から構築できていたルール感覚をきちんと覚えておかないと、リソースを足したり引いたりするゲームしか思いつかなくなってしまうなぁ、と自身の感覚を省みたりする今日この頃如何お過ごしでしょうか。」
それまでに目が釘付けだったかたな様が唐突に話しはじめます。
放浪者 かたな 2012年04月02日月曜日 02時05分
「面白そうねえ、アサシンクリード。
「人生と違って、『最後まで逆転の可能性があったほうが良い』とは、鈴木銀一郎先生の著書の一文であって。 コツコツと序盤からポイントを溜めるのと、一発逆転に賭けるのと。 2タイプのプレイングのバランスが取れたゲームって、今でもなかなか思いつかないのよねー。
傑作と言われた海外ボドゲ……『モノポリー』とか『カタン』とか結構やったけども、やっぱり中盤以降(プレイ時間の半分くらい?)で差を付けられると巻き返しが難しいし、 一位を諦めた人が荒らしにかかると、どうにも「ゲーム」出来ない展開になっちゃったり……。
『麻雀』と『マジック・ザ・ギャザリング』が個人的には「コツコツ型」VS「逆転型」プレイヤのバランスが取れたゲームだなあと思ったり。 サークル内で「序盤の特攻火の玉野郎」と呼ばれた自分としてはどうでもいいけどねー!
(あああと、せっかく鈴木先生と同席したのに、いきなり初日から吊るされた「人狼」も。)」
落ちつきを払って、館主はあえて明言を避けるように仰られています。
館主 ウロボロス 2012年04月08日日曜日 00時05分
「目下、暗殺を日々の糧として楽しんでおります。対戦ルールも様々ありますが上記で紹介する『ウォンテッド』以外にも、『秘宝強奪(ステージに1つしかない秘宝をもつ所持者を追いかけ奪いあう)』などもあって、どのルールも他のFPSゲームなどに搭載されているものと似たモードでありながらも、なかなか良く基盤となっている暗殺ゲームのスタイルと合致させてあるあたり、付け焼刃ではないゲームデザインが伺えます。多くのボードゲームは、限られたリソースを多数のプレイヤーが貯蓄しあう中でリソースの奪い合いを効率化させる戦略をゲームデザインとするもので、『モノポリー』などはその好例と言えるでしょう。『カタン』がその点で私として賞賛したいのは、資材という貯蓄リソース自体は奪い合いによる減算がない点であり、競争戦略の中での奪い合いは街と道路と盗賊の配置座標というきわめて間接的な点ですな。ほとんどのゲーム進行が合意性とランダム性の中で、どれだけの効率戦略を立てられるかを自分だけで考えるというこの図式は、『モノポリー』よりもプレイヤー間にネガティブ感情を生みにくいでしょう。まぁ一方で友人との間では『カタン』は“試合終盤がいやにあっさりと1名の勝利で終了し、それまでの熱狂に比べるとあっけない(カタルシスが少ない)”という評価が定番でもあります。また、大半のボードゲームは“勝利までの工程を全員が競い合う”ことが楽しさの本分のため、1位という勝者とそれ以外という図式も駄目なら、かたな氏が指摘するとおり1名のプレイヤーが荒らすことで情勢が破綻するというのもそのとおりですな。そういえば昔、アーケードでのカードゲームに『アヴァロンの鍵』というものがありましたが、興味深い仕組みがありました。あれはコイン投入のためのマネタイズとしてそういう仕組みをとっていたに過ぎないかもしれませんが、A〜Dの4名が1つのゲーム盤面で“鍵”を奪い合って長く保持しながら盤面を歩き回ってボーナスをかせぐゲームでしたが、Aが勝利条件となるボーナスを稼いだら盤面から外れ、新たにプレイヤーEがマッチングして途中から参入するという感じでした。各プレイヤーの盤面内にいる経過時間がマチマチで同期していないという構造は、ボードゲームではなかなか再現できない新たな形でのゲームプレイヤー同士の出会い方、およびプレイヤー間の戦略構造という感じがしたものです。あれを発展させることが一種の、1名による荒らしプレイの発生を軽減する方向性のような気がしています。 『人狼』はなかなか面白いゲームルールではあるのですが(大富豪も真っ青のものすごい量のハウスルールがあるようですね)、プレイ経過とともに参加プレイヤー自体を減算していくというあの図式が、一種の敷居の高さを思わせるのが難点というか欠陥なのではないかなどとと考えたりする次第で、あれもまた一同に会する類のボードゲーム向きではない、アヴァロンの鍵のような任意参加の任意退去が許された環境下でこそ有効性を発揮するゲームといえるでしょう。」
館主ウロボロスはある歴史家の言葉を引用してお答えしています。
館主 ウロボロス 2012年04月08日日曜日 00時42分
「久しぶりに長々と文章を書けて大変に満足。 ゲームの面白さのことを考えるのは実に楽しいものです。 面白さが売り物にならなくなりつつある昨今の世情であれ。」
|