社地甚だ広潤にして,

千年杉麓蒼として枝を支え,

殊に長い参道の両側,

大杉が立ち並び神々しさ極まりなし,

賽路を爪先上りに上りつめ,

石段を登り,随神門をくぐれば

五百坪ばかりの清浄の地に輪煩たる社殿は,

老杉を背景として社頭の森厳さは,

覚えず襟を正さしめる。





安田誌」に上記のように記載され,北谷の自慢でもある安田八幡宮について,最近の若いもんは(拙者を筆頭に・・・)あまりよく知
らないので,ここで一緒にちょっと勉強してみましょう!                                                     

なお,初めにお断りしておきますが,今回掲載する内容は拙者が各種資料等を参考にして勝手に掲載しておりますので,公式的な
ものではありません。従って正確でない部分があることも考えられますが,あくまでも拙者だけの判断で記載していますので,『その
程度の資料』と考えていただき,誤りにお気づきの場合は,やさしくお教えください・・・。                                               

§1 安田八幡宮の概要 

 初めに安田八幡宮の概要,歴史等について,Q&Aで見てみましょう。

Q A 独り言
所在地はどこか? 島根県安来市伯太町安田武雄山896
          ・・・というのが正確のようです。  地図
北谷のヤンマーの倉庫のところから,ヨコヤ谷の横の坂を上がったとこ・・・・も正解でしょうが。
創建時期はいつか? 大宝元年(西暦701年)に,大分県の宇佐神宮(全国に4万社あまりある八幡さまの総本宮)から勧請されたという記録が残っており,極めて歴史の深い神社です。 驚きダァー
どなたを
お祀りしてあるのか?
【主祭神】
 ◇誉田別尊(ほんだわけのみこと)
        ・・・15代 応神天皇のことです。
八幡大神(はちまんおおがみ)とも呼ばれ,東大寺の大仏建立や道鏡の神託事件の時など,数々のご神威をあらわし皇室を護られたことで朝廷から厚く信仰されました。また皇室だけでなく,清和源氏をはじめ全国の武士も武運の神「弓矢八幡」として崇敬を寄せ,一般の人々にも鎮守の神として親しまれました。6世紀,菱形池のほとりに初めてご顕現された八幡大神は「誉田天皇広幡八幡麿」また「護国霊験威力神通大自在王菩薩」 と名乗られたと伝えられています。仏教の世界でも八幡大菩薩として崇められ,元寇の時に神風を吹かせた神は八幡様であるとされています。

【配祭神】
 ◇足仲彦尊(あしなかひこのみこと)
        ・・・16代 仁徳天皇(応神天皇の子)のことです。
 ◇気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
        ・・・神功皇后(応神天皇の母)のことです。
拙者にはこれ以上詳しいことは説明できかねます。以下の名前をクリックして勉強してください。

応神天皇
仁徳天皇
神功皇后
神紋は? 三つ巴 だそうです。          これです
       
お祭りは? 【例祭】  9月15日
【祈年祭】 2月27日
【新嘗祭】 1月29日
例祭宵祭は9月14日です。
 ・・・北谷の,いや安田地区の常識
どんな歴史が? 鎌倉時代の建久3年(1192年),源頼朝が出雲地方に八社を選んで八幡宮を勧請した「出雲八社八幡宮」のうちの『第二位の社』とされ,領主武将の信仰がとても篤かったようです。

出雲八社八幡宮に対しては,鎌倉山の朴の木を8段に切って,8躰の神像を作り,これを8社に配布したと伝えられています。
出雲の国にあって,頼朝の人社幡という意味合いは,信仰や格式という面でとても大きな名誉であったようです。
明治5年 村社(村から幣帛を奉った神社)に列せらました。
現在の氏子の数は? 数え中・・・

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