上映作品:宮本武蔵 巌流島の決斗/真剣勝負 2003.09.13-19 9月13日 本日の"武蔵"は『宮本武蔵 巌流島の決斗』『真剣勝負』の二本立てだった。10作品続いた「錦之助映画祭」の最終週となった。 9月6日、先週土曜日の『宮本武蔵 二刀流開眼』『宮本武蔵 一乗寺の決斗』は残念ながらどうしても都合がつかず観ることはできなかった。しかもこの日は「鈴木尚之氏のトークショー」があり、以前から楽しみにしていたがよりによってである。 得てして現実とはこんなものである。 今日も、2本目の『真剣勝負』の上映から観ることになった。受付で「立見となるかも知れません」と断りのアナウンスがあった。立見、それは懐かしい言葉の響きだ。かつて、映画館はいつも立見だった。そんなことより入場待ちの間、炎天下の日差しで汗だくだった。9月に入ってから遅れてきた夏を取り戻すかのように、このところ残暑が続いている。 幸い、場内は立見になるほどでもなく空いていた席に腰掛けた。すると右隣りの女性から声をかけられた。「おたく、品川でお見かけしましたね」と。品川プリンスシネマの"想い出の錦之介映画展"でお会いした方のようだった。「ああ、そうですか」と私は答えた。はっきり覚えていないが、そういえばこの方と何か会話を交わしたような…そんな気がした。女性のご婦人三人連れであった。 『宮本武蔵』 私は、武蔵についてこれ以上述べるまでもないといっておきながら、ついついまた触れてしまいたくなった。 吉川英治作品は「大衆文学」と呼ばれている。 「純文学」とか「大衆文学」というジャンルの切り分けはどう違うのかそれは分からない。吉川英治の「宮本武蔵」は長編小説で幅広い読者の支持を受けたベストセラー作品だ。多くの登場人物が織り成す奥行きのある物語である。よって読者はそれぞれの思惑と各人の嗜好によっていろんな受け止め方や共感を得るのだろう。こんな処に大衆文学と呼ばれる所以があるのかも知れない。 この長編小説の「宮本武蔵」を枝葉の話をすべて削ぎ落として「武蔵の剣を通じての求道者たる生き方」に絞って纏め上げたのがこの東映・五部作である。 すべては錦之助扮する"武蔵"に特化したストーリー展開に仕立てた。 映画作品の描き方は多種多様である。武蔵とお通の関係に力点を置いた描き方もあるだろうし、武蔵・又八・お通・朱美等の群像劇として描くこともできただろう。 この作品では、武蔵がひたすら"駈け抜けてゆく物語"である。 武蔵に絡む登場人物は、お通も小次郎も又八も朱美も皆すべて「脇役」へ追いやった。宍戸梅軒や夢想権之助に至っては登場すらしなかった。武蔵一直線が成功した事例だ。NHKの武蔵がだらだらと締まりがないのは登場人物のあれこれの話が冗漫すぎるといえなくもない。 その中で、河原崎長一郎扮する吉岡道場門弟役の「林何某(はやしなにがし)」という登場人物は原作にない架空人物である。何故、ここに彼を登場させる必要があったのだろうか。内田吐夢監督の意図がどこにあったのだろう。 鈴木尚之氏のトークショーでお尋ねしたかった処であった。 彼は第二部からずっとこの作品の中に登場している。 そして、武蔵の勝負にこだわる姿勢に批判の眼を向けていた。 それはある意味では、監督である内田吐夢の「分身」としての眼だったのかも知れない。 完結篇で、武蔵が伊織と一乗寺下り松を訪れるシーンがある。 かつてここで吉岡一門と最後の決戦、立合い人である子供の源ニ郎を殺めた場所である。そこに武蔵に斬られて盲目となった林が地蔵を彫っている。 内田吐夢監督作品の「大菩薩峠」でもまったく同様なシーンがあった。(妻と我が子を手にかけた机竜之介が、我が子の名を呼びながら濁流に飲みこまれて行く幕切れ。 中里介山、未完の長篇小説である)ここに内田吐夢監督は一体何を訴えたかったのだろうか。 姫路の城下で武蔵は誓う。 孤剣! そうだ剣の天下これに生きよう。 これを魂と見て、常に磨き、どこまで人間として高めうるか。 たのむはただこの一腰。 青春、二十一、遅くはない。 この武蔵の姿勢を「精神主義」という。 凶器としての剣でなく「心(精神)の剣」だと。 原作では、小次郎を倒した後でこう記述されている。 −単なる闘士としては、小次郎は、自分より高い所にあった勇者に違いなかった。 そのために、自分が高い者を目標になし得たことは、恩である。 だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。 技か。天佑か。 否−とは直ぐいえるが、武蔵にも分からなかった。 漠とした言葉のままいえば、力や天佑以上のものである。 小次郎が信じていたのは技や力の剣であり、武蔵の信じていたのは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。 つまり(作者は)精神が技術に勝ったということを言っているわけだ。 当時の女・子供に至るまで"一億総玉砕"竹ヤリでB-29爆撃機を相手にすることを強いられたのだった。多くの若者が戦場の藻屑となったが、彼等のバイブルは「葉隠」の"死ぬことは武士道と見つけたり"であり"武蔵の心の剣"だったのかも知れない。 吉川英治の「宮本武蔵」は、作者の意図がどうだったかは別として、当時、軍国主義に突き進む日本の中で、この武蔵の精神主義は戦争に駆り立てられる若者への心の拠り所として利用されたということであった。 多分に内田吐夢監督はその武蔵の「心の剣」を目指そうという精神主義を、大きく一歩踏み込んで「本当にそうだったのか?」と問いかけをして、ラストの武蔵の自問自答を「この空虚さはなんだ。所詮剣は武器か」と呟かせている。 あれから十年 己の一切を捨て剣にすべてを託してきた。 この空虚 所詮、剣は武器か。 ここが内田吐夢監督の狙いだったのではなかろうか。 ここに吉川英治の武蔵像を越える、内田吐夢の新たな"武蔵像"が誕生した。 コロ助さんのルポの通り、武蔵がラストシーンで櫂を投げ捨てるくだりの話は多いに意を得たりの気持ちだ。 以前に、内田吐夢監督と鈴木尚之氏のと間で脚本について幾多の葛藤があったやに聞いていたが、その内幕までは披露されなかったようだ。 その解決案として、前述の原作にない吉岡の門弟"林役"が誕生したような主旨のことを聞いた記憶もある。 (折も、こうして綴っていた本日、林役を演じた俳優の河原崎長一郎さんの訃報ニュ−スが伝えられた。河原崎長一郎さんといえば「真剣勝負」梅軒の妻お巻役で出演している沖山秀子さんについて、以前、彼女と共演されたことのある河原崎さんご本人からいろいろお話を伺った思い出がある。 享年64歳。まだまだ若すぎる。…ご冥福をお祈りしたい) ある意味でこの「宮本武蔵・五部作」は脚本の勝利である。 監督、内田吐夢の哲学の勝利であるとでもいえようか。 しかし、内田吐夢監督にとって東映の「宮本武蔵・五部作」は何処か不完全燃焼だったのだろうか。 東宝で「真剣勝負」が誕生したくだりの話に興味が湧く。 鈴木尚之氏なら何かご存知だったかも知れない。そんな期待もあった。 『真剣勝負』 当時の新聞では当初は「宮本武蔵 二刀流開眼」となっていた。 当時の東映では無理だったので、東宝でその念願を実現に漕ぎ着けたようだ。 また武蔵が対決したそれぞれの冒頭シーンを、東映・五部作のシーンを使いたかったが東映が許可しなかったようだ。当然ともいえるが、ある意味では残念でもある。 私の勝手な推測では、内田吐夢監督は東映・五部作での「二刀流開眼」が納得できなくて心残りだったのかも知れないと思った。 柳生四高弟と対峙するとき、突然聞こえてきたお通の笛の音で心乱れ咄嗟に二刀流を構えていたという解釈だったが、幾分こじつけ気味な設定と言えなくもなかった。 原作でも、そこで二刀流開眼したという話にはなっていなかったように記憶している。 武蔵が「二刀流開眼」したのは、恐らく鎖鎌の「宍戸梅軒」との勝負だった筈だという設定から内田吐夢監督、伊藤大輔脚本による両巨匠と錦之助が再び挑んだ意欲作だった。 この作品は、東映・五部作の求道者たる武蔵とは異なる。兵法者としての武蔵と梅軒の勝負の駆け引きをドキュメンタリー的に描いている。 全く「番外編・武蔵」として観るべき作品だ。 当時の映画評でも「短編小説的な味わい」と述べられていた。 ここでも梅軒にこう言わせている。 梅軒「で、それからずっと武者修業か」 武蔵「はい」 梅軒「修行して何とする。大名のお抱えにでもなるつもりか」 武蔵「いえ、仕官のつもりは毛頭ございません」 中略 武蔵「いえ、ただ剣を道と心得、その道一筋に生涯を託すつもりでおります」 梅軒「いや、剣は道なんかじゃねえ。技だ。人を殺す技よ」 武蔵「そうでしょうか。ただそれだけの」 梅軒「そうよ。そうに決まっているじゃねえか。殺さなければ殺される。殺したればこそ お主も生き残っておるんじゃ。お主の剣も、わしの鎖鎌も、結局同じことよ」 しかし、この作品は内田吐夢監督撮影中に倒れ"未完の遺作"となってしまったのは大変残念でならない。しかも、公開上映の目処も立たず1年もの間、お蔵入りのままだった。折角の入魂作品を見られずに終わるのかとハラハラした思い出がある。 せめてこうして上映作品として日の目を見たことだけでも救いだった。 一剣己の生命を譲り 一剣またよく他人の生命を生かす ニにして一(いつ) 一(いつ)にしてニ 殺人剣、即、活人剣 最後に「剣は畢竟暴力」などと字幕で補ったのは惜しい。未完作品をだれがどう編集したのか。このラストは内田吐夢監督の意向だったのか。梅軒との決着はどうつけるのか。武蔵はここからどういった立ち去り方をするのだろうか。 …概ね撮影は終わっていたといわれていたが…思いはつきない。 これもまた、幕切れは観客の各々の想いに委ねるとするか。である。 そしてひとつの錦之助映画祭は終わった。 今回は皆勤賞は取れなかったが、またどこかで"人込みの中にそを聞きに行く"ことにしよう。 |
||
|