なんじゃコレ 中村嘉葎雄の器展
■会期:平成17年4月13日〜19日 ■会場:日本橋高島屋6階美術工芸サロン 自宅の郵便受に一通の封書が届いた。 封を開けると壷と茶碗の作品写真の載った二つ折りの案内状だけが入っていた。 幾度も嘉葎雄さんは個展を開いているが拙宅にこうした案内状が届いたのはこれが初めてである。 (こんな言葉が書かれていた) 瀬戸の陶芸家鈴木清々先生のもとで陶芸づくりの手ほどきを受け何年かのち加藤唐九郎先生がぼくのつくった器を手にするや「なんじゃコレ」と云われたことがあります。 しかしその言葉に臆することなくまた尊敬する日本画家の奥村土牛先生から常にわらべの心を続けるようにと「童心」という一語もいただきやきものづくりを続けてきました。 楽しみながら作った器です。お手に取り、なんじゃコレ、と云っていただけたら幸いです。 2005年春 中村嘉葎雄 <原文のまま> 左半分に壁面に“童心”の言葉と“土牛”と揮毫の入った銘板が掛けられた壁を背に嘉葎雄さんが左手にグラス右手の人差し指で何かを指し示し誰かと話をしている模様の写真が載っている。 この陶芸との出会いは、昭和47年10月、鈴木清々先生との出会いから始まった。 新派の阿部洋子さんの紹介だった。鵠沼自宅の駐車場に陶房まで作ってしまった熱の入れようだった。数年後に初めて名古屋丸栄百貨店で個展を開いた。鈴木清々先生の口利きだったと思う。 この時、業界最高峰の巨匠、加藤唐九郎先生がご覧になって「なんじゃコレ」とおっしゃったということか。たしか2月8日〜12日まで「土との出逢い」中村賀津雄展 だった。 この時、お祝いの言葉を作家の水上勉先生が述べられていた。 ちょうど『雁の寺』が名古屋の中日劇場で公演中だった頃であろうか。私も付き添ってこの個展会場に行ったことを記憶している。 あれから今日まで、ずっと陶芸に勤しんで来られたということである。 さすが一芸に秀でる人は陶芸のものづくりでも本物である。 ■大安吉日 うまかないけどいい器 中村嘉葎雄 4月14日(木)開催2日目、今日は朝から忙しい。5時過ぎに大崎の本社を出て、 新橋で銀座線に乗り換え高島屋に着いたのが6時前だった。 私は初日は行かなかった。初日は人も多いし私ごときがやあやあとお邪魔する立場でもない。それにご本人が居られるだろうと思ったからだ。 エスカレーターを昇って6階。場所はすぐ分かった。大体こうした画廊などは隔離されたコーナーで静かなものだ。が、結構この時間でも人がいた。 コーナーに足を踏み入れた途端、展示コーナーの向こう側椅子で中年の女性の方と話をしていた初老の男性がこちらを見た。いやあ、早速、目が合ってしまった。 「中村嘉葎雄」ご本人だった。いや、予想外であった。こんな時間に居られたとは・・ 目を逸らす訳にもいくまい。こうなれば観念したようなもの。嘉葎雄さんの傍まで行きご挨拶。 ご本人にお目にかかるのは錦之介の密葬のあったあの日以来。だから8年振りだろうか。 トレードマークの「髭面」だったが老け役ドラマのお姿より(思ったより)若々しかった。 暫らくお話をした。 開口一番「お前偉くなったんだって?」 「偉くなんてないですよ」 何処に住んでいる、会社は、結婚しているか、子供はいるか、 そんな質問を矢継ぎ早に受けた。 私がコンビニに勤めていることを「最初からそうだったか?」 「以前うちの会社のCMに出ていただいたですよ。小錦と。」 「おうあれか、本当はもっとあったけどカットされてたな」 「まあゆっくり見ていけ」 かなりの作品数だった。大体こうした個展を開くためには相当の作品が必要となる。 その為にはその幾倍もの作品を焼かなくてはならない。 ひとつの窯で焼いても気に入る作品がどれだけあるだろう。 そう考えると本当にここまで継続されて来られたことに敬服である。 嘉葎雄さんの作品は特徴がある。決して形が綺麗に整っていない。 ロクロを早く回すと綺麗に仕上がるが冷たい器になるそうだ。 ゆっくりゆっくり『温もり』のある作品が・・それが特徴だ。 だからすべてに異なった「顔と表情」がある。 磁器の冷たい端正さと異なり陶器の温もり暖かさが好きだ。 作品を見ている間、次々と人が嘉葎雄さんとお話をされていた。 展示コーナーの一角に嘉葎雄さんの本があった。 表題が 「大安吉日 中村嘉葎雄 うまかないけどいい器」1800円 これを買おうとその本を手に持っていたら、後ろから 「おい、サインしてやろうか」と嘉葎雄さんに声を掛けられた。 「え、本当ですか。いやあ、初めてですね。嬉しいですね」 そう言った矢先別の方とご挨拶。 みのもんたのTVに出ている人なのか、そんな話をしておられた。 暫らく話をされていたので離れた処で待っていたら 「おい何してる。早くこっちへ来い」と呼ばれた。 「はい」 まるで気分はすっかり内弟子に戻ってしまった。 嘉葎雄さんは筆で本の表紙を開いた処に私の名前を書いた。 『様』付けである。「君」じゃなく「様」である。 そして言った。 「ここ、まだ墨が乾いていないから」 招待ハガキが届いたのもこんなことも初めてのこと。 それが何故か怖いような気もする。考え過ぎであることを願うばかり。 そうこうしていると中年の女性が親しげに嘉葎雄さんに近づいてきて数人で話をしていた。が、嘉葎雄さんは私を振り返って皆に言った。 「こいつは俺の処にいたんだ」 女性は「まあー」といって近づいてきた。 嘉葎雄は言った。 「おい、お前は偉くなったんだからこの中の一番大きいのを買って行け」 「偉くないですよ。歳とって体がエライだけですよ」周りの人は笑った。 嘉葎雄さんはトイレでも行ったのか席を外した。 その女性は「あなたとは以前にお会いしていますね」と言った。 申し訳ないけどハッキリ覚えていなかった。 最初の「丸栄での個展」のことも知って居られる方だった。 その方に鈴木清々先生の息子さんで『清次』さんのことを尋ねた。 「清次さんは亡くなられたんですよ。もう三年も前です」 「え、本当ですか!ああ嘉葎雄さんに聞かなくてよかった。聞こうかなと思っていた処です・・」 清々先生の息子の清次さんはよく嘉葎雄さんの陶芸についてずっと一緒にお手伝いしていただいた。 よく藤沢の嘉葎雄宅で一緒に泊まり話相手、いや飲み相手だった。 この会場で誰かにお会いするとしたら『清次』さんかと思った程だったが。まだ50歳代。 人の運命は計りかねないものだ。 いずれは陶芸家として大成される方だと思っていたが・・ 清次さんから頂いた桐箱に入った「ぐい飲みセット」が自宅に保管してある。 嘉葎雄さんから一番大きいのを買って行けと言われたが、マルの数が多くて手が出ないので徳利をひとつ選んだ。4万数千円だ。 まあ偉くない私にはこの程度が分相応かもとひとりで納得。 折角のご本人の声がかりだし思いもかけない再会の記念に、 日本酒を飲まない私にはこの徳利は1輪差しにも合うと思った。 10数個の表情の異なる徳利の中からこれだ!と選んだ。 この“釉薬”の出具合が千何百度の高温の「窯」の中から誕生する。 この魅力に執り付かれたんだね嘉葎雄さん。 徳利を1輪差し?馬鹿野郎!と叱られるかな。 でも器というものは何に使ってもいい筈だ。 桐の箱に入れて送って貰えるそうだ。 作品を選んでいる間、お店の人に話を聞いた。 嘉葎雄さんは今回の「個展」には気合が入っていて、前日の準備から初日、 二日目と終日会場に居られるそうだ。 『今日はお疲れですね。ずっとですから』お店の人はそう言った。 自宅からは遠いので近くのホテルに泊まっているとのこと。 こうした個展は本来もっと静かなものだが初日はかなりの人だったようだ。 嘉葎雄さんも応対に次々と追われ忙しかった模様。 お店の人は言った。「今日で良かったですよ」 「昨日は、多分、あまり忙しくて何方がお見えになったか覚えていらっしゃらない程でしたから」「昨日今日とかなり作品が売れました。こんなに隙間だらけになってしまいました。 さすが、嘉葎雄さんですね」百貨店の販売員は如才なくソフトな接客である。 嘉葎雄さんが不在の間、そっと会場を後にした。 無理せず、お体ご自愛をと。 何故かこうしてお会いできたことも「ご縁」だったような気がする。 ひとつの風貌・風格が備わったようにも感じた。 この方の前に立つとやはり頭が上がらない。齢(よわい)40、50は洟垂れ小僧。 そんな感じだ。この差は如何ともしがたい。 帰りの電車の中で『大安吉日』読んだ。薄い本で写真集に添え書きしてある。 すぐ読み終わった。 4月に日本橋高島屋で個展を開くことになったという。 …個展の準備で童心窯にこもった嘉葎雄さんを訪ねた。 そのときずっと気になっていたことをお聞きしてみた。 相当な点数をそろえなければならないし、舞台もメジャーだし、さぞかしプレッシャーが大きいでしょうね。 「そんなものはないよ。だって僕は陶芸家じゃないんだから。俳優ですから。 僕はうまくないし、うまいと言われたくもない。 僕のはうまい器じゃなくて、いい器。だからあたたかいの。 ふだんのまま、あるがままでいいんです」 <本文より一部抜粋> 味わいのある ぬくもりのある言葉だ。 いい人に仕えた。 中村嘉葎雄(中村賀津雄) 錦ちゃんを求めて、彼との出逢いに今更ながら感謝である。 ■後日談 2005.5.18(水)徳利が届く。 嘉葎雄さんの器展。購入の商品(徳利)が本日、宅急便で届いた。 今日は11時過ぎに帰宅。 会社の同僚と久しぶりに新橋で盛り上がって帰宅が遅かった。 自宅の郵便受けに嘉葎雄さんからの礼状ハガキが届いていた。 そして自宅には高島屋から宅急便で商品が届いていた。 ハガキと同時に配送されたようだ。 ダンボールには「美術品 特別お取扱品」の荷札と「VIPヤマト運輸株式会社」のシール。そして、お届け伝票には『徳利(中村嘉葎雄作)』高島屋東京店 美術部。 宅急便にもVIPというのがあるのだと初めて知った。 嘉葎雄さんのハガキの内容だけ披露しておこう。 「なんじゃコレの器展、たくさんの方から向けられたやさしい眼にも厳しい眼にも緊張する毎日でしたが無事終えることができました。あたたかい応援に感謝しています。 ありがとうございました」 二〇〇五年初夏 中村嘉葎雄 住所・・・・ (原文のまま) それに手書きで書き添えてあった。 “久しぶりに元気な顔を見て嬉しかった・・・。(写真は「若葉の城」を参照) ルポライター 松木修三 |
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