上映作品:浪花の恋の物語
2006.10.23
映画祭・チラシ、スナップ
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Nippon Cinema Classics
“Samurai Special” Legendary Stars
All Programs are Subtitled in English
Chikamatsu's“Love in Osaka”(Naniwa no Koi no Monogatari)
 Director:Tomu Uchida
 With:Kinnosuke Nakamura

雨の渋谷。劇場を出たのは午後9時20分を回っていた。東急本店のある文化村通りから渋谷駅まで向かった。雨足も強く足元の靴は水が沁みてきた。行き交う傘でなかなか進めない。この時間、渋谷の街はこれからだ。7時より開演となっていたが上映に先立ち解説とゲストの有馬稲子さんのトークショーで30分。上映は7時半からだった。

『浪花の恋の物語』
フィルムはニュープリントではなかったが綺麗な画面であった。英語の字幕付きも珍しい。
外国人もいたようだ。私は「字幕」についつい目が行ってしまって少し落ち着かなかったが、こうした国際映画祭で少しでも日本の映画が紹介されるのは嬉しいものだ。
上映に先立って「有馬稲子」をスペシャル・ゲストとして迎え、司会者及び映画評論家(お名前を聞きそびれた)を交えて3人の“トーク・ショー”があった。

冒頭、有馬稲子はこの作品についてこう述べた。
この『浪花の恋の物語』で内田吐夢監督作品に出て勉強になり良かった。またそれがきっかけで錦之助さんと結婚することにもなり自分にとっても大変想い出深い作品だった。
内田吐夢監督について
内田吐夢監督は中国から引き揚げて来られた方でこの撮影中もずっと中国服を着ておられた。印象に残っていることとして、映画ではセット入りしたらすぐフィルムが回る(撮影開始)が一般的なのだけど、この作品では「読み合わせ稽古から入った」それは珍しいことだった。

※それだけにこの作品に内田吐夢監督の意気込みが入っていたことを彼女の言葉から知る事ができた。なお、映画で読み合わせ稽古から入るのは黒澤明監督作品もそうであったと記憶している。

続いて、ゲスト有馬稲子の宝塚時代の質問から始まった。
宝塚に入ったきっかけはという問いかけに「それは生活のためだ」と言い切った。
私も朝鮮からの引揚者で生活のため、生きるために宝塚に入った。
そして宝塚をやめたのは、正直自分に合わなかったからだ。と言った。
女性が男性の格好して芝居するのは不自然だ。そうも言った。
※当時のエピソードでは、有馬稲子は宝塚時代・男役をやれと言われ「嫌だ」と拒否したこともあった模様。
そして、映画界では岸恵子さんと私は結構思っていることをズバズバ口にするためずいぶん「生意気な女」だと言われた。当時の女優さんは、なよなよと大人しく自分の意見言わないのが普通で、私などは本当に生意気だとマスコミにもそうとう叩かれた。
そんなことを言った。

共演の錦之助について話しが向けられた。
当時、私は近代映画のインタビュアーとして定期的にいろんな俳優との対談をしていた。
そして錦之助さんとの対談の前に錦之助さんの映画を観に行った。
何と言う作品だったか。彼女は暫く考えていたが思い出せない様子。
評論家が「太助・・」「そう一心太助、そうでした。映画館に入ったら超満員、いっぱいお客さんがいてびっくりしました。テンポが速く面白かった」そんなことを言った。
※実際は、当時の近代映画の対談ではインタビューに当たって『獅子丸一平』を観てきたと述べている。(錦銀幕館のトークアルバム「1956年 その日・そのとき」にも掲載されており参照ください)

錦之助と会う前は歌舞伎の御曹司のぼんぼんのような先入観を持っていたようである。
※当時の東映時代劇(お子様向けチャンバラ)を幾分軽視していた風潮もあったのは事実だったかも知れない。
映画の撮影に入って錦之助の芝居が上手いとか下手とか言える余裕はなかったと述べた。
彼女は遊女役として京都弁に苦労したことを披露した。関西出身で関西弁は上手だろうと言われるが京都弁は全く違うとも。京都弁の方言指導の方が厳しくてノイローゼになりそうだったことも。

錦之助の上手いなと思った処はと更に話しを向ける司会者、
流石に歌舞伎で鍛えられた人ですね、錦之助さんが傘を半開きにして歩く後ろ姿は決まっていて素敵でした。これから映画を観ていただくときは注目してご覧になって下さい。
そんなことを言った。
そして自分のことについても「踊りのシーンがあるが、撮影前のにわか仕込みの稽古ではなく以前から身に着けた舞踊である」と幾分自負を込めて披露した。
※こうした処が彼女の気の強さを垣間見る思いである。

錦之助との馴れ初めについて
撮影から10日目ぐらいに錦之助からプロポーズされたと述べた。
「結婚を前提に」「お袋に会って欲しい」‥そのとき私は結婚とか全くその気はなかった。
その後のことは皆さんよくご存知で。(会場、笑う)
錦之助は無駄な肉も付いていなくてとても綺麗で、それに話しも面白くて飽きさせなくて本当に素敵でしたよ。
そんな風な言い方をした。

映画出演は70本ほどです。結婚してから専業主婦でしたからと言った。
新婚生活だというのに1年365日、いつも10人以上誰かが家に泊まっていて、私は毎日ご飯を作っていました。それはもう信じられないくらい。それで離婚したんです。
そう言って会場を笑わせた。
※実際には専業主婦が務まらなく仕事をしたくうずうずしていたというのが本音だった筈であろう。彼女は根っからの女優だったと思う。
映画界には7年ほどしかいなかったという。
7年ほどで70本とは多いですね。解説者はそう応えた。

その間、名匠と呼ばれる監督の作品に出られ毎回しごかれたことを披露した。
それは、私は演技が下手だったんです。
幾日間も自分の撮影シーンのためワンカットも撮って貰えなく、自殺まで考えたことも披露した。3階の宿舎の部屋から飛び降りようさえしたと彼女が言ったら「3階からでは飛び降りても死にませんね」と解説者が混ぜ返した。
そういった監督達との出会いが財産だと述べた。
その後は映画に出ることはなく殆ど舞台で今日まで活躍中とのことである。
最後にPRさせて下さいと言って、彼女のライフワークとなっている一人芝居『はなれ瞽女おりん』水上勉さん原作の舞台があるので是非観に来て下さい。
そう述べてトーク・ショー終わった。

彼女は現在に生きているのである。
こうして4半世紀前以上前の思い出を語りながら、彼女は現在に生きているのである。

時間(とき)の流れは、こうして過去のできごとを赤裸々に語っても許される。
そんな言葉は、淡々とそして郷愁を持って人の心に入ってくるもののようだ。
今となっては有馬稲子の言葉も何の抵抗もなくただただ素直に聞く事ができるような気がする。
女優・有馬稲子
彼女の活躍を心からお祈りしたい。
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ルポライター:松木修三