ボリス×ロビン
小説Rai様
祈り
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彼がいたのは闇に閉ざされた空間だった。
周囲に光などない。しかし、自分の姿はだけはハッキリとわかった。
彼は周囲を見まわしてみる。何もない。果てしない闇だけで。
彼は何故こんなところにいるのか分からなかった。
しかし、こんな所にいつまでもいるわけにはいかず、彼は腰から剣を抜いて道なき闇を歩いていった。
どのくらい歩いてきたのか彼には分からなかった。気がつくと、そこは甘い匂いを漂わせるお菓子の城の中だった。
悪寒が全身を駆け巡った。
首を激しく振ると、彼はお菓子の城の中を走り出した。
やがて、彼は屋上へ上がる階段を見つけた。そしてその階段の横には、実寸大の少年をかたどった、青いゼリーが転がっていた。
そのゼリーが握っているのは本物の剣で、その片腕は食い千切られたのか、大きな歯型を残しているだけで存在しない。
それを見て、彼の心臓は破裂しそうなほど大きくはね上がった。
この先のものを見たくない。信じたくない。行きたくない。
しかし、他に道はなかった。退路は既に闇によって閉ざされていた。
彼は意を決した。その階段に足をつける。一段、また一段、と登るたび彼の心臓はそれに合わせて大きく一回ずつ脈打つ。あたかも、死刑囚の執行前のようで。
やっとの思いで屋上へ着くと、そこは大きなデコレーションケーキがそのスペースを占領していた。
そして、そのケーキにはまた階段が設けられている。「登れ」と命令するかのように。
彼は見たくなかった。この先にあるものを漠然と分かっていたから。
退路は闇だが、この先を見るくらいならば後退した方が幾分かマシだった。例え、永遠の闇に閉じ込められるとしても。
しかし、踵を返そうとする彼の鼻腔に、突如甘い匂いとは別種の芳香が擽った。鉄の錆びたような匂いが。血の匂いが。
それを感じ取るや否や、彼は今までの躊躇を忘れてケーキの階段を駆け登った。登るにつれて、濃密になっていく血の匂い。
分かっているから見たくはない。しかし、どうしても登らざるを得ない。
そして、階段を登りきって、彼はその光景を見た。
それは、やはり予想通りで。
「……ロビン?」
彼の目に入ったのは、無残な恋人の骸。若葉色だった服は、流れ出た血によって赤黒く染まってしまい、所々に原色を留めるのみ。生気に溢れていたその瞳は、今では安物のプラスチックのようで、その焦点は宙をさ迷う。
そして、大型の肉食獣に襲われたかのような噛み跡がその身体に幾つもあり、その右腕と左足は噛み千切られた形跡がある。失われた部位からは紅い雫が、ぽたり、ぽたりと僅かに落ちるのみ。出血してから大分経ったようである。もう、出る血も殆どない。
そう、恋人は玩具同様に扱われたのだ。あの、ネコの化け物によって。
再び全てを失ってしまった。
あの時と同様に。
気付いた時にはあまりに遅すぎて。
何も出来ないままに。
終わってしまった。
何もかも。
「……嘘だ!!」
彼は激しく首を横に振って、その骸へと慌てて駆け寄る。跪いて恋人だった身体を抱き起こしたが、実感したのは相手の「死」のみ。土気色の肌に、弛緩した筋肉、そして、消え失せた温もり。
「……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」
彼はその身体を抱き締めたまま、俯いた。
やがて、恋人の身体が消え失せ、お菓子の城から先ほどの暗闇の空間に戻る。しかし、それでも彼は顔を上げられず頭を抱えて目をきつく閉じる。
「やめてくれ……! もう、何も僕から奪わないでくれ!!」
彼は頭を抱えたまま叫んだ。
きつく閉じられた目から、透明な雫が、ぱたり、ぱたりと落ちていく。
そして、突如として耳に、いや、頭の中に直接入る声が。
――分かっているかい? みんなキミが悪いんだよ。キミが記憶なんか無くすから。
クスクスと嘲るような笑い声。
彼は強く耳を塞いでその場にうずくまるが、それでも声を知覚してしまう。
――記憶を失ったばっかりに、アイツの恐ろしさを伝えられないからさ。
「………っ!」
彼は激しく頭を振る。しかし、頭はその声を知覚する。
――そして返り討ち。みんな死ぬ。あの王子様も、キミの恋人も。
彼の身体が小刻みに震える。彼は否定できなかった。その事実を彼は身体で知っていた。
――記憶があったら、「勝てないから諦めて」って言えたかもしれないのにさ。……それとも、キミは愛しい愛しい恋人をそんなにも殺したいのかい?
「違う違う!! あんなのはでたらめだ!」
例え、あの冷たさが腕に残っていたとしても。彼はそう思いたかった。
――確かにデタラメだよ。でもね、キミがこのままでいるなら……これは現実になる。
「なるものか!」
――おーじょーぎわがわるいなあ。いー加減に、大人しく僕の一部になりな。こんな絶望の未来よりよっぽどイイよ。そう思わないかい? 元・天空の……
「うああああああ!!」
相手の声を掻き消すかのように、彼は叫んだ。喉が潰れるのも構わずに。
これ以上、何も聞きたくなかった。嘘であれ、……例え真実であれ。
――ホーントに知らないよ。ふふっ。アーッハッハッハ……
そして、その笑い声を最後に、彼の意識は闇に呑み込まれていった。
◆ ◆ ◆
「っ!!」
突然、ボリスは慌てて起き上がった。その息は荒く、青い瞳は僅かに揺れている。
そして、彼は辺りを見まわすが、そこはなんの変哲もない宿屋の一室。カーテンの閉められていない窓から夜空が見える。月はまだ高く、星々も煌煌と輝く。夜明けまでは大分あった。
荒い息を押さえられず、ボリスは暫く起き上がったままの体勢でいた。寝巻きはイヤな汗を存分に吸ったためぐっしょりとなってしまい、シーツも僅かに湿っている。
彼には、自分が何故こんなにも汗をかいて荒い息になっているのか、分からなかった。ただ、凄まじいばかりの恐怖が心を覆っていて。
やがて、息がある程度治まってくると、彼は隣のベッドへ視線を移した。そこには、こちらに背を向けて眠っている若葉色の髪の恋人がいる。安らかに眠っているようだ。
しかし、その姿を何故か不安に感じてしまい、ボリスはベッドから出ると、彼の眠るベッドに腰掛けた。そして、その若葉色の髪を梳こうと手を伸ばすが、
「……どーした? 寝らんねえのか?」
その声に、伸ばす手をとめて降ろす。声の主は身体を反転させて、相手のほうを向いた。ニッと笑うと、上体を起こしてベッドの上に胡座をかく。
「一体なん……」
ロビンは言いかけた言葉を切って、じっとボリスの青い瞳を覗き込む。そして、ロビンは手を伸ばしてその頬に触れた。月光に照らされたその白い腕を、ボリスはそれ自体が光を放っているように感じた。
やがて、ロビンはスッと手を降ろした。そして、心配そうに恋人を見る。
「どうした? ……震えているぞ。」
「…………」
言われるがままに、何時の間にかシーツをきつく握り締めていた手を、ボリスはじっと見た。その手は小刻みに震えていた。いや、手だけではない。全身が小刻みに震えている。
ロビンは口を開きかけたが、言葉を発するよりも先に、
「ロビン……!」
ボリスに強く抱き着かれ……否、しがみつかれた。
「……すまない。」
ボリスはそう言うと、恋人の胸に強く顔をうずめ、背に回した手の力を強める。
「………っ」
ロビンは、しがみつかれる力の強さに思わず眉根を寄せる。
しかし、ふっと全身の力を抜くと、その頭を優しく包み込んだ。そして、心臓の鼓動に合わせるかのようにその背を、ぽん、ぽん、と叩く。
「何かヤな夢でも見たのか?」
苦しさを感じさせない、赤子をあやすような口調のロビン。
その力を緩められず、顔を上げられないまま口を開くボリス。
「分からない……。あれが夢なのか、それとも来たるべき未来なのか。」
何も覚えていないのに。
ボリスは続けた。
「僕は分からない。記憶を取り戻そうとしても良いのか。本当に取り戻せるのか。君とこんな関係のままでいて……君を失ったりしないか。失っても、僕は正気を保てるのか。この選択が本当に……正しかったのか。」
記憶という全てを失ったが、一つを手に入れた。しかし、いつの間にか一つが全てになってい
た。
そして、記憶を取り戻した時、一つは全てのままでいてくれるのか、記憶に乗っ取られるのか。あるいは、一つは記憶と引き換えになってしまうのか。そこまでしてでも、記憶というものは取り戻す価値があるのか。
わからなかった。
「…………」
ロビンは何も言わずにその背を優しく叩くだけである。
「……すまない。僕ばかりがこんな事を言って……。本当は、僕だって君を支えたいのに……なのに、こんなにも自分が不甲斐無いなんて!!」
ボリスは無意識にロビンの背に強く爪を立てた。その爪の色が白く変色する。
しかし、相手のさせたいがままにしにして、ロビンは口を開いた。
「今はいいって。お前にもすべき事がたくさんあるんだろ? だったら、今はこーしといてやるよ。けど、それが全部終わったら、今度はオレがもたれかかるから。だから、な?」
お前が気に病む必要は何処にもない。
暗にロビンは言っていた。
「………っ」
ボリスが微かな呻き声を漏らすと、ロビンは服越しで胸に暑い雫が染み込むのを感じた。
しかし、それに関しては何も言わず、ロビンは何度も何度もその震える背を鼓動に合わせて優しく叩く。
やがて、気持ちが落ち着いてきたのか、ボリスはしがみつく力を少しだけ緩めた。
「本当に……すまない……」
◆ ◆ ◆
少しだけ月が傾いた頃、ボリスはロビンにしがみついたまま眠りについてしまった。規則正しい吐息を、ロビンは胸に感じる。
そして、このままでは息苦しいだろうと、ロビンはその身体を少し離してその頭を膝に乗せた。顔を覗き込むと、震えていた時よりもマシとは言え、まだ何処となく苦しそうに見える。
「…………」
その身体に毛布をかけて、髪を柔らかく梳く。
「……オレだって恐えんだ。」
誰にも聞かれる事のないその声は震えていた。若葉色の瞳が潤む。
「オレだって……わからねえんだ。本当にお前とこんな関係で良かったのか。記憶を取り戻しても、お前はオレの隣にいてくれんのか。……ホント、良くこんな関係を結ぼうと思えたぜ。」
ロビンとて、相手に離れられたら正気を保っていられるかどうかわからない。
そして、何故こんなにも想ってしまったのか、彼自身わからなかった。ただ、惹かれるまま惹かれて。今の関係になって。
しかし、今ではそれが恐かった。彼の記憶が戻った時、彼は再び愛してくれるのか。このまま
でいられるのか。
それがわからない。
「……今のお前もオレと似ているんだな。」
正直、似たような不安に陥っているボリスを支える事がロビンにとっては安心できた。似たような不安の彼を支える事によって、その時だけは自分が彼にとって必要な存在だと認識でき、この想いが一方通行ではないことを感じる事が出来るから。
そしてその結果、時折、恋人の記憶が戻るなと願う自分がいる始末。
彼を失う恐怖で気が狂いそうで……いや、既に狂っているのかもしれない。現に、今の彼を見て安心してしまっているのだから。
もし、彼がこのままならば。
「…………」
相手の不安を自身の安心材料としている今の自分に対して、ロビンはやや自嘲気味に笑った。少々ぎこちないように見えるのは、その笑い方に慣れていないのであろうか。
「…………」
やがて、ロビンは緩く首を横に振ると、ボリスの髪を梳く手をとめて、その額にキスを落とす。
「でも、お前まで狂う必要なんて何処にもない。」
狂うのは自分一人で充分。
不安が安心を生む事態など、続かない事はわかっている。自分の狂気に相手まで晒すわけにはいかない。
そして、だからこそ、ロビンは先ほどと相反する事を同時に願ってしまう。
全てが元に戻るようにと。
彼の記憶が早く戻って、彼が本当の彼で在れるようにと。記憶の事で自己嫌悪に陥らないようにと。必要以上に悩み、苦しみ、傷つかないようにと。
例えその結果が彼との離別を生んで、自分自身の正気を失うような事態になるとしても。それでもロビンは願わずにはいられなかった。先ほどとは全く違う、何ら見返りのないことを。
また、だからこそ、ロビンは支える側に立たなければならなかった。笑ってその隣にいなければならなかった。少しでも相手が安心して前に進めるように。余計な心配など掛けさせて、その歩みが止まらないように。
もし、今のこの不安定な情緒を相手に知られてしまったら、彼は進む事に戸惑い、下手をすれば引き帰してしまうかもしれない。その事態だけは避けたかった。
例え不安と狂気に苛まされても、いつかそれによって正気を取り殺される日が来るとしても、ただ相手を純粋に受け止めてやりたいという想いが、今のロビンにとっての支えであった。
いつまでもつかは分からないが、少なくともこの戦いまでは平気であるように思えた。そう考えるだけ充分だと、ロビンは思っている。
「……もし、お前が元に戻ってもオレの隣にいてくれるんなら……そん時に全部話してやる。」
如何ほど不安だったのか。如何ほど安心したのか。
出会えて良かったと。この選択をして良かったと。愛していると。
その時。あくまで、その時が来た時のことだが。
「だからさ……今は安心して眠っていろ、な? お前は前を見て進むだけでいいんだ。後は、何があってもオレが支えるから。何も心配するな。」
少なくとも、この戦いが終わるまで、この正気が危ういところでまさっている間は。
「…………」
ロビンは顔を上げて、窓越しに夜空を眺めた。
不意に、サア…と月の光が強くなって部屋に差し込む。
その光に彼は目を細め、ふっと柔らかく笑うと、目を閉じた。
そして、うっすらと口を開くと、月光の旋律に合わせるかのように歌を静かに歌う。
全てが元に戻るように。
やがて訪れる近い未来が、光に満ちているように。この不安と狂気によって、全ての正気を蝕まれる日が少しでも先であるように。
ただ、祈りを込めて。
―end―
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実際のお菓子のお城のダンジョンは凄く可愛らしくて
Kは生クリームにまみれるロビン萌え〜とか言ってたんですが
Raiさんがシリアスで色っぽいシーンにされていて、ドキドキしまくって
しまいました///
夢の中のボリスの悪夢。
悪夢が真実とならないとは言えない世界で
ロビンの包容力が…暖かくて甘くて(〃∇〃) 流石ロビンです〜///
そんな二人だからこれからも見守っていきたいですv