直江×高耶
『櫻咲く頃、吹く風は』
小説 【ひろぽ】様
「高耶さんっ」
春の風が、直江の声を運んでくる。
小高い丘の上で、恋人と待ち合わせをしていた高耶の耳元へ。
直江と同じように、同じだけの思いを込めて叫んだ他の声は高耶には届かない。
薄紅色に色づいた風は有能な配達人。
差出人が宛てた住所を決して間違うことはない。
正確に、迅速に、届ける。
返信も確実に。
「直江、俺を待たすンじゃねぇ」
直江の元へ届ける。
一本の古木。千年の昔からその場に立ち続けている枝垂れ桜に、高耶が寄り添う。
一枝手に取り、開いたばかりの花へと口づける。
「こうやって逢うんだ」
一枚の花弁を口唇で愛撫しながら、傍らに立つ直江へと瞳を向けた。
直江は恋人の紅玉に宿る恍惚の光を見逃さない。獰猛な獣の動作で高耶の正面に回り込む。鳶色の瞳で視界を遮る。訝しげに眇められた高耶の眼なんて、気にもならない。
直江は問う。
「誰と逢うっていうんです? 」
醜い嫉妬を隠しもせず、問う。いや問うなどと生易しいモノではなく詰問だ。
大人の分別なんてかなぐり捨てて問い詰める。
私以外の? 誰と逢おうとするんです? 私の隣に居るというのに?
正面に立つ恋人の顎を鷲掴みにする。
引き寄せる。
口付ける。
見せ付けるように。
高耶が逢おうとする相手に、見せ付けるように。
「そんな顔して、私以外の誰と逢う事を願っているんですっ」
猛る心が咆哮する。
腕の中の恋人が抗う素振りを見せぬ事に気付きもしない。
男の蛮行を面白そうに眺める視線に気付かない。
抱える体温が優しく動くまで。
絹糸のような髪が頬を撫で、背中に交差する温もりを感じ、首筋に鋭い痛みを感じ、満足そうな笑い声を聞くまで。
「違う」
高耶が困った奴だ、とクスクス笑う。
「櫻の話だ」
何を云い出すのかと直江は思う。高耶は誰かと逢おうとしているのではないのか?
何故、櫻が出てくる。
疑問はそのまま、質問となる。
「櫻……ですか? 」
「あぁ」
耳元で囁かれる吐息のような相づちに、直江は瞬間、別の時間を思い出し。苦笑しながら拘束している腕を弛める。
それでも高耶は直江に抱きつく姿勢のままで言葉を続ける。
「幾度散り落ち朽ちても、櫻の花はこうやって再会するんだ」
「幾度散り落ち朽ちても? こう……やって? 」
大人である事を思い出した男は、高耶の言葉を繰り返す。
「そうだ」
高耶は大きく頷き、男の背に回した腕を解く。
そして男がしたように、紅玉の瞳で、鳶色の瞳を覗き込む。
出来の悪い教え子に教え込む師の懸命さで。
「同じ樹、同じ枝に咲く。毎年毎年、樹の寿命が尽きるまで。逢いたい奴がいる限り」
理解を求めて。
「同じで……なければならないんですか? 」
こんな問いになら、いくらでも答えてやる。
「見つけて欲しいから」
「そんな必要はない」
教え子の式が違うなら、その数式に耳を傾けよう。
1+1だけが=2にする式ではないから。
「同じである必要が、か? 」
「逢いたいと願う相手ならば、逢おうと誓った相手ならば尚のこと、見つけられる」
揺らぎない自信を持って直江が云う。
問い返しても。
「何処に咲いてもか? 」
「何処にいても」
断言する。
「私は貴方を見つけられる」
「1年の間に心変わりしたとは思わないのか? 」
「それでも見つけ出す」
意地悪く問い返しても。
「見つけてどうする? 」
どれほど意地悪くても。
「心が移ったことを責めるのか? 」
「思い出させる」
戸惑いとか、逡巡だとかそんな言葉とは無縁の強さで。
「俺への思いを思い出させる」
答える。
高耶が揺さぶりをかけても。
「忘れたんじゃない。心が移ったんだ」
「そんなの認めない。移ろう筈がない」
鳶色は曇らない。
「こんなにも愛しているのに」
「それはお前の感情だ」
どれ程、冷たく返されようと。
「こんなにも愛されているのに」
「思い込みだ」
「思い込みの訳がない」
狂喜じみた笑みを浮かべはしても。
澱まない鳶色。
「どうしてそう云い切れる? 」
ふと高耶が不安を滲ませれば、直江は答える。
「こんなにも俺の心は、安らかなのですから」
心地よい春の眼差しで、高耶を包み込む。
「貴方に愛されているから、私の心はこんなにも安らぐ」
離れた温もりを腕の中に引き戻し、心音を聴かす。
高耶は聴く。
穏やかな心の音。
母の胎内で無条件に愛された昔を思い出す。
命の泉を揺蕩う自分。
羊水に守られながら聴いていた。
その音が『愛している』と、伝えてくるから、自分も返した。
自分も一生懸命、心音を響かせた。
『貴女を愛している』
すると直ぐに嬉しそうな音が返ってきて、それが嬉しくて伝え続けた。
優しい音が好きだった。自分の為だけにある音楽。
自分が『愛している』と伝え続ける限り、奏でて貰える至福の音。
今、直江から聞こえるのは、それと同じ。
全身全霊で愛され、全身全霊で愛した母と同じ、心の音。
直江は告げる。
「貴方に愛されている。私が愛している貴方に、愛されている」
繰り返し、繰り返し、高耶に告げる。
「愛している、高耶さん」
高耶は告げる。
「直江、お前を愛してる」
お前に。
見つけて貰える。
何処に咲いても。
お前に逢うため咲くならば。
高耶は、直江の奏でる音に聴き惚れ、恋人の首筋に咲かせた櫻花へ思いを馳せる。
離れていた日々、逢いたくて逢いたくて日毎夜毎に泣いて再会を願った櫻花。
今、逢えた。
こうして目の前にいる。
自分も。
見つけられる。
何処に咲いても。