「…カノン、こんな所で何をしている?」
ミロの言葉にカノンはびくっと顔を上げた。
『こんな所』とはミロが守護し、住んでいる天蠍宮…のすぐ前にある階段。
カノンは何をするわけでもなく、小一時間程ここに座っていた。
太陽はもう高く上がっていたが、つい先程眠りから覚めたミロは動かぬカノンの気配を感じて出てきたのであった。
「あ、ああ、ミロ。いや、何と言うこともないのだが…」
「俺に何か用か?」
「いや、特に用があるわけでもなかったんだがちょっとな。…ここに居たかったんだ」
「まぁ…別に構わないが折角だから入ったらどうだ?朝食でもつき合え」
カノンが深い意味を込めて告げた言葉もミロには純粋な言葉通りの意味でしか通じなかったようだ。
それに少し苦笑を漏らしたカノンだったが、ミロが自分を誘う言葉をくれたことが嬉しくて、すぐに幸せそうな笑顔に変わった。
勿論、艶っぽい誘惑なんかではなく、ただの食事のお誘いだったのだが。
「では、お言葉に甘えよう。しかし、朝食と言うよりは昼食だな」
「両方食べるからいいさ」
そう笑って、ミロはゆっくりと天蠍宮の中へと戻っていく。カノンは立ち上がると、急ぎ足でミロの後を追った。
中に入るとダイニングキッチンでミロはカノンに席を勧めてから紅茶の用意を始めた。
旨い紅茶の葉を貰ったんだ、と穏やかに微笑みながら。
カノンは誰に貰ったのかということが気になって仕方ない。
「そ、そうか…誰に貰ったんだ?紅茶好きな奴なんていたか?」
「カミュがな。あいつはロシアンティーが好きで…普通の紅茶もよく飲んでる。俺が飲むようになったのはカミュの影響だな」
おのれ、カミュめ。カノンがそう思ったのは言うまでもない。
しかし、どう足掻いてもカノンとミロの付き合いの長さより、カミュとミロの付き合いのが長いことを変えることは出来ない。
付き合いが長く、それに比例してミロがカノンよりカミュと親しいことも。
そう思うと、カノンの表情は自然と曇っていった。
「どうした?カノン、紅茶嫌いだったか?コーヒーもあるぞ?」
どこまでもこういうことには鈍い男・蠍座スコーピオンのミロ。
カノンは脱力を通り越して、最早笑うしかないといった風だ。
「いや…大丈夫だ。頂こう」
「そうか、良かったっ。本当に旨いんだ。お前にもいつか飲ませてやろうと思って…っあー…いや、何でもない」
口が滑ったらしいミロは照れたように俯いてしまった。カノンは呆然とする。
ミロが自分を意識してくれた。こんな嬉しいことはない。思わず口元が緩む。
「有り難く頂くよ」
「何、笑ってるんだよ…全く」
ミロは軽くカノンを睨むが、カノンは笑顔が絶えなかった。ついにはミロもつられるように笑ってしまう。
3分後には本当に美味しい紅茶が二人の前に置かれていた。
他には皿に盛られたクロワッサン。バスケットに積まれたリンゴ。大雑把ながら鮮やかなサラダ。
ありふれた朝食ではあったが、カノンは今まで食べた食事の中で最高に美味しく、楽しく感じられた。
太陽の光が溢れ、目の前には愛おしい人。まるで、楽園のようだった。
「…ご馳走様。本当に旨かった」
「良かった。ま、紅茶以外は大したものじゃないけどな」
「いや、旨かった。お前と…一緒だったからなのかもな」
「え…」
向かい合って、一瞬の沈黙。カノンは意を決して口を開いた。
「ミロ」
「な、何だ?」
「俺は…お前が好きだ。愛している」
カノンの冷静な声。けれど、それは深くて真っ直ぐな声で。ちゃんとミロの心に響くように。
「カ、ノン…」
「…すまない。こんなこと言って…困らせると分かっているが、どうしても伝えたかったんだ…」
カノンは本当に済まなそうに薄く笑って、立ち上がる。ミロはその様をぼうっと見続けていた。
そのまま去ろうとするカノンに気付いて、ミロも席を立った。
「カノン!」
ミロに名を呼ばれ、カノンは振り返りこそしなかったが一度足を止めた。
「あ…そ、その…あの、な…俺…あー…」
妙にしどろもどろになるミロの珍しい声にカノンは驚いたように振り向いた。そして、もっと驚く。
ミロの端正でいつもクールな顔が赤くなって、とても可愛く見える。
「ミロ…?」
「っ…見るな…っ」
ミロはバッと顔をカノンから背けて右手で顔を覆った。自分でも顔の熱さに気付いたのだろう。
カノンは誘われるようにゆっくりミロに近づいた。
「ミロ…俺は…期待しても良いのか?」
「…このミロがこの様だ。気付いてくれてもいいだろう?」
ミロは未だ顔を背けたまま話す。顔を覆っていた右手は照れ隠しに髪をかき上げる仕草を見せて。
カノンはミロの正面に立って、ミロの頬に触れるとその顔を自分の方に優しく向かせた。
「聞かせてくれないか…ミロ…お前の気持ちを」
「……………好き…だ、よ…」
真っ赤な顔を伏せながらのたどたどしい告白。初めて見るミロの姿と嬉しい言葉にカノンの顔も赤く染まる。
「ミロ…」
カノンがゆっくりミロに顔を近づけるとミロは一度ビクッと身体を震わせてからそっと目を閉じた。
初めてのキスは何だか、爽やかなアップルティーの味がした。
しかも、極上の。
END