2001.1.3 2001新春矢作川マラソン (なべりんさん)
とにかく、”風”との戦いでした。走る前に、女子更衣室で
常連さんと思われる人が、「帽子をかぶると風がものすごいので、
飛ばされるよ〜」と言っていましたが、ほんと、堤防での風は
半端じゃなかったです。
前を向いて走ると、進まないどころか、息ができないので、
顔だけ斜め右後ろを向いて走りました。
でも、少し方向を間違えるとただでさえ風で吹き飛ばされそう
なのに河原へ転落しそうで、怖かったです。
とにかく長い長〜い堤防が延々と続きます。
視界を遮るものなんてなにもない!田園風景です。
さすが「日本のデンマーク・安城」だと思いました。
さて、自分の結果ですが、21世紀最初のマラソンということで、
気合いだけは十分でしたが、暮れの忘年会続きで全然走っておらず、
自信は全くなかったです。
でも走り始めると意外にスムーズで、1q毎に表示があるのですが、
キロ5分ペースで走っていました。
これなら、50分のカベが破れるカモ・・・。
と残り1qでラストスパートをかけましたが、ものすごい向かい風で、
前に進むのがやっと。結果は50分07秒でした。
でも、12月の鈴鹿のアップダウン、今回の風を経験して、
ちょっとやそっとじゃ驚かない、たくましさが身に
付いたような気がします。
各部上位3位と特別賞(遠方から来た人・・・大阪とか、
最高年齢参加者・・・82歳だって)にお米等の商品が
用意されていました。意外にレベルは高そうでした。
ちなみに女子の10q優勝者は34分台、2位3位は42分台でした。
(ごめんなさい!男子は忘れました)
なかなか、過酷なレースでしたが、風がなければ、平坦で
比較的走りやすいコースだと思います。
来年のお正月、走り初めを考えている人におすすめのレースです。
ちなみに私は次もエントリーする予定です。
2001.1.13 2001年宮古島100qウルトラ遠足 (madukaさん)
「21世紀、世界で最初に開催されるウルトラマラソン」との
キャッチコピーに誘われて、日本のはるか南の宮古島へと
1月12日(金)厳寒の名古屋から那覇を経て宮古島空港へ着くと、
そこはまさに初夏の装いを伴った南の楽園だった。
空港ロビーには、今回の主催者であるウルトラランナーには
お馴染みの海宝さんが、僕たちをあたたかく迎え宿泊先の東急リゾート
まで案内をしてくれた。
ホテルのうらは宮古島トライアスロンのスイムのスタート会場となる
前浜ビーチがあり、さっそく散歩がてら浜を歩いてみた。
天気がよく青い空とエメラルドグリーンの海に白いヨットが一隻。
まさに、絵はがきの世界だ。
浜では泳いでいる人もありこれが同じ日本なのかとまたびっくり。
本当に日本は、北から南までいろいろな風景と豊かな自然に
育まれている国なのだとあらためて実感した。
夕方から、東急リゾートから歩いて15分くらいの所のコミュニティー
会場での前夜祭に参加し、ビンゴ大会や宮古島の民謡や踊りを楽しみ、
部屋に戻って眠りについたのは21時近くだった。
1月13日(土)3時起床。いよいよウルトラ当日だ。
東急リゾートのレストランで豪華な朝食バイキングのあと
スタート地点に向かう。
スタート地点では、海宝さんから宮古島にはいろいろな坂があるが、
「ま」さかという「さか」には気をつけなさいという話に大いにうなずく。
5時ちょうどに370名ほどのランナーがいろいろな思いを胸に走り始めた。
まだ、日の出には程遠く真っ暗な道をひたすら前の人を追いかけ走っていく。
5〜10kmは平良市内に入り宮古島の中心部の商店街を抜けていった。
途中コンビニが数軒あり、全国どこにでもコンビニは進出しているの
だとあらためて実感した。
市内をぬけさとうきび畑の間を走るころから、ポツポツ雨が降り始め
15〜20km付近では強風を伴ったスコールのような雨に全身ずぶぬれとなる。
濡れたシャツに強い風があたりおなかが一気に冷えてくるのを感じた。
海宝さんが言っていた「ま」さかになるのではと、ひそかに不安を感じていた。
しかし、その先に不安をぬぐう強力な助け舟があった。
スタートを見送ってくれた海宝さんをはじめとするスタッフの人たちが、
雨よけのビニール袋を配っていてくれたのだ。
まさに、痒いところに手が届くとはこのことだ。
ビニール袋をかぶせてもらうと全身が温まり、これで雨なんか平気という
気持ちが湧いてきた。
なんと、あとでこの間のラップを見ると一番早かったのだ。
25kmからは池間島へ渡る池間大橋を走る。
ちょうどこのあたりは池間島を折り返してきたランナーとすれ違うところ
でありランナーどうしの挨拶がさかんにおこなわれていた。
これもウルトラならではの光景。
みんなこれからの長い道のりを互いに称え励ますという気持ちから
すなおに挨拶できるのだろう。
40kmを越えたころから前後のランナーがまばらになってくる。
まわりは、どこまでも続くさとうきび畑。
さとうきびを農家の人にもらい、かじって走っている人もちらほら。
僕も少しかじってみるが結構固い。
52.8kmの比嘉ロードパークで少し長めの休憩を取る。
ここのエードにはおにぎりやふかしたジャガイモがあり宮古島の雪塩を
つけて食べるととてもうまいのだ。
62kmをすぎると東平安名崎の折り返しコースに入る。
ここが、今回もっともきつかったところ。
海に飛び出た細長い地形であるため遮るものが何もなく、風速20m/s
近い強風にあおられ息もできないほど。
まっすぐ前を見て走ることもできず、帽子をおさえながら下を
向いて必死に走る。
天気がよく風もなければ素晴らしい景色を楽しめるところだ。
灯台を折り返すと、すれ違う後続のランナーが喘ぎながら風に苦しんで
いるのがわかる。
お互い苦笑いをうかべ挨拶を交わす。
なんとか、強風の区域を抜けると小刻みなアップダウンの続く
七又海岸付近を走る。
ここではウルトラマラソンのセオリーどおり上りはしっかり歩き、
下りはすり足で膝に負担をかけないよう走る。
今までは、上りを歩くことが恥のように思っていたが、ベテランランナー
ほど歩いているのがよくわかった。
ウルトラマラソンを走るということは、記録に挑戦することだけではなく、
その土地の風景、人との交わり、そして100kmを無事に走りとおすこと。
これらのことを楽しめることによって健康であることのありがたさを
実感できることはないかと思う。(ちょっとえらそうかなー)
83km付近でドイツ文化村の前を通る。
ドイツ文化村の前には翌日のワイドーマラソンに参加する選手たちが
大勢集まってきており遠足のランナーを応援してくれている。
中には、「明日も一緒に走りましょう」と声をかけてくる人がいたが、
内心「明日は勘弁してよー」と思いながら笑って応援に応えていった。
90kmのエイドを過ぎると最後の難関。
来間島へ続く来間大橋の往復だ。
ここでも、吹き飛ばされそうな強風の洗礼。
大橋を渡り来間島をぐるっと一周して再び大橋を渡るのだ。
自分が来間島を走ったときは、まだ明るかったので問題なかったのだが、
あとで聞いた話では暗くなってからのランナーたちは、
曲がるところがわからず逆方向に走ったり、島を2周してしまったとか、
一時迷子になった人たちもいたようだ。
来年走る方は、ライトを持参することが必要かも。
さて、大橋を渡りきると残り数km。
あと1kmの表示を見つけると力が沸いてくるのがわかる。
両手を上げて笑顔でゴールテープをきると主催者の海宝さんからの
あたたかい祝福。
がっちり握手をかわし、一緒に写真を撮らせてもらう。
タイムは12時間08分。今までの自己ベストのタイムだった。
今回、海宝さんのウルトラマラソンは初めての参加だったが、
その人柄がわかるような大会だったと思う。
完走率は85%もあり、最終ランナーがゴールテープを切るまで主催者は、
待っていてくれたそうだ。
エードステーションでは水、スポーツドリンク、果物、クッキー、カステラ、
おにぎり等十分あり満足できる内容だった。
後半では、ビールを用意したエードもあり何本も飲んで走った
ランナーもいたとか。
こんな感じでウルトラを満喫した自分は、翌日もランナーは全員無料という
水中観光船にのってさんご礁の海底を見学したり、レンタサイクルで
サイクリングしたりして三日間の短い宮古島の旅を終わったのです。
ウルトラマラソンを楽しむということは、お金、時間、健康といったことが
全て満足できる人の最高の贅沢だと誰かが言っていたが、
まさにそのとおりだ。
こんな贅沢をさせてくれたまわりの人たち全員に感謝、感謝。さて、
次のウルトラはどこにしようかなー。
2001.1.14 第11回宮古島100qワイドーマンマラソン (ボクシ〜さん)
−前日−
羽田発7:25、直行便で宮古島へ約3時間。
やはり宮古島は暖かく(気温15〜20度)、風邪が強い。
お昼頃、大会会場の上野村ドイツ文化村に着くと、本日開催の
海宝さん主催の「100Kmウルトラ遠足」のランナーが、
ちょうどこの前を通過している
(会場は別で、ここは既に80Kを過ぎたくらいの地点)。
ぶらぶらしながらみんなで応援。
2日間連続出場の人もいるらしい。
昼食のため平良市まで車で行き、今のうちということで、みんなで
(ボクだけビールつき)郷土料理をパクパク。
さらに別の店で沖縄そばをツルツル。
夜はホテルのレストランで、ダチョウのハンバーグに
大盛りごはんをムシャムシャ。
みんな食欲旺盛。20Kの方々には多すぎたかも。
その後、地元の友人(ちかちゃん)宅で軽く乾杯。
明日の大会の次は4月のトライアスロンというアイアンマン
(APEさん、ぷろさん、くやまさん、おさるさんなど)もいた。
朝早くどしゃぶりがあったとのことで、明日は降らないで欲しいと祈る。
夜はなかなか寝付かれず、寝不足気味で3時半頃起床。朝食。
−当日−
まだ空は真っ暗。
夜明けは7時頃だが、100Kコースの約300人が5時にスタート。
曇りで、日中はときどき晴れることになる絶好の天候。
道のでこぼこに気をつけながら、まずは来間島へ渡る来間大橋をめざす。
ところどころで、スタッフが車のライトを照らしてくれているが、
月もほとんど雲に隠れてて真っ暗に近い。
道路工事中の箇所が多く、すぐ横でマンホールのふたにつまづいて
転びそうになった人がいた。
来間大橋を渡るときも、海は暗いが、水は澄んでいてきれい。
この後、平良港を抜ける頃、空が明るくなってきた。
最近は、このあたりで(20K過ぎ)トイレに行きたくなる。
ちょうどタクシー会社があって、トイレを借りてすっきり。気分よく池間島
(島の北端)へ向かうが、ときどき強い向かい風が続く。
やっと池間大橋が見える地点に来たが、橋はまだ遠い。
なんと近くの風力発電所の羽根がくるくる回ってる〜風が強い〜。
橋の手前から遮るものがなく、強風にじゃまされて前進が大変。
しかし、海は珊瑚礁のエメラルドグリーンでめちゃ美しい。橋を進みながら
そばにいたランナーと、何度も「きれい〜」と感動。その方と一緒に、
エイドのスタッフに記念写真(「写ルンです」を持ってった)を撮ってもらう。
池間島の入口を上がったところが40K地点。
ここからは女子高生のボランティアがエイドにいてくれて、声援が明るくなる。
もちろんカメラで記念写真(走るだけではつまらないので…)。
池間島の中のさとうきび畑で収穫中のおじいや、おばあたちからも
声援がとんでくるので、「ありがとう〜(^^)〜」のお返事に忙しい。
島を回って橋を戻り始めるとき、うめちゃんとすれ違う。
彼は残念ながら50K地点でリタイアするとのこと。
橋の戻りは横風だけで、行きよりずっと楽。
さらに5K進んだ狩俣中学校が50K地点(50Kコースのスタート)。
ここには、なんと予定どおりの5時間と3分で到着。
おしるこや豚汁を食べて、休憩。
11時にここからスタートするあまPがバスで来たので、
後ろのお仲間たちの様子を伝えた。
数分休憩後、出発。
池間大橋からは、ほぼ追い風状態でなだらかに80K地点の
東平安名崎(東端)に向かう。
やはりさとうきび畑の続く道を淡々と進むが、70Kあたりはとても疲れてきて、
やめたい〜(T . T)〜、と何度も考える。
エイドで休憩する時間が長くなる。
このころ、なんとひでぽんたちから応援の〓(携帯)が入る。
彼らは東京の「谷川真理マラソン」を終えてこれから宴会。
やはり友達の応援はうれしいので、携帯は離せない。
それに、20Kコースのスタートのために80K地点にいるひろPたちとも、
お仲間の状況をやりとりしたりしてるうちに、少しづつ身体が回復。
あとで5Kスプリットタイムをチェックしたら、休憩時間を除くと、
70K地点からの5Kだけが40分超で43分かかっていた。
あまPには70K過ぎで抜かれた。
さらに歩いていくと、後ろから来たアップルパイさんは「楽しんで〜」と
お言葉を残して前へ。
すこしづつスピードが上がり、東平安名崎に到着。
またまた遮るものがなく強風に押し戻されそう。
なんと、アップルパイさんに追いつく。
お互いに写真を撮りっこ。
ちょうど20Kコースのスタート直後だったので、ちかちゃん、ひろP、いもPが
連れだって走ってるところも撮る。
見送った後、強風の中、ゆっくり着替え(黄色のアフロヘアをかぶる)と休憩、
それにおしるこをいただく。
20分くらい休んでいたら、imuimu現る。
先に出発したが、東平安名崎は海に突き出てるので、
入り口に戻るまでがものすごい強風。
岬の入り口でさらに、おさるの着ぐるみのらむかなさんとすれ違う。
休憩後、身体がずいぶん楽になった。
ここからはアップダウンがきつく、上り坂は歩いたりするが、
平坦または下り坂は走れるようになった。
50Kや20Kコースの人たちを抜き返すようになったが、ウルトラの楽しさは、
見ず知らずのランナーとたくさんお話できるところ。
滋賀県の年輩の方(50Kコース)は、100Kをやってみたいようだった。
90K過ぎにきれいな砂浜があって、地元の女子高生らしき3人が散歩中。
まだ時間があるからと、ここでも記念写真。
imuimuは、ボクの記念写真撮影中に知らない人のふりして
抜いていったらしい、と後で聞いた。
アフロヘアはわかりやすいし、変ではないと思うけど・・・?
その後、「あと5Km」地点に近づくにつれて12時間を切れる可能性で
頭がいっぱいに。結局、最後の上り坂もかなり早足で登った後、
ゴールをめざして走り続け、最後の下り坂の下に「Finish」のゲートが見えた。
名前のアナウンスとともに、たくさんのお仲間がゴールを祝ってくれた。