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◆Silver Birch Column(人生の真実を探求するためのコラム) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人を超えた存在について考える 雨水の一滴は大海からの使者であるとその一滴(ひとしずく)に摂理を観るのが私たち人という存在ではないでしょうか。その大海は地球環境を経綸する摂理の働きにより、さらにその地球は宇宙を経綸(けいりん=治める)する摂理の働きによりと永遠に連関してゆくもののように思えます。たった一滴の雨水にも人智を超えた真理が内在しているようです。 私たち人間も宇宙の大摂理の視点で見れば、一滴の雨水と大差ない存在なのかもしれません。逆に一滴の雨水でさえ存在できないのであれば大宇宙も存在しないくらいなことも言えるのかもしれません。それが摂理というものではないでしょうか。 一滴の雨水が地下水となり泉の源泉となり、その泉が池となり川となって、生きとし生けるものを育み生かす。一滴の雨水がこの地球環境にとってかけがえがないように、人間という存在もこの宇宙にとってかけがえのない存在であるのかもしれません。 私たちが心というものを持ち自然を観察し宇宙を観測し科学技術、学問を発達せしめ、摂理とは何か真理とは何かを探究し思慮することにやまずそれだけでなく慈悲、慈愛の心をもって命あるものにも命なきものにも接することができるのは全てそれが摂理だからでしょうか。 真理に近づくことができたと実感したとき、慈悲、慈愛の心を持って他の存在に接することができたと実感したとき、そして美の感情を実感できたときはじめて人は幸福というものが何かを知ることになる存在なのかもしれません。 人の心を一滴の雨水に例えるならば、心の故郷とは同様、広大な海のように雄大でどこまでも深い世界なのかもしれません。創造と英知と愛の種子を宿らされた人の心はその花を開花すべき摂理のもとにこの世に生を授かる存在なのかもしれません。 翻り現実世界に目を移しますと戦争、犯罪などあらゆる非道な行為、環境破壊が地球上いたるところに散見いたします。これら看過しがたい事象は私たち人類の宿命と受け取るべきなのでしょうか。いやそうではないと思います。端的に言えばそのほとんどは創造と英知と愛の誤用そして何より心の貧しさからくるものだと思います。よって人類は自分の力で持って解決にあたらなければならない立場にあるのではないでしょうか。 然しそうは言っても非道な行為による犠牲者とその遺族、いやそれだけではありません私たちの身近にも多くの不幸な人達が存在します。不慮の災難や不治の病、障害に苦しむ人達、幼子を失った若い母親、短い生涯を閉じた子供達そして若者達、その人達に明日という日はないのでしょうか、なかったのでしょうか。耐えがたきを耐えそれでも生きよと言うのでしょうか。その怒りや憎しみ悲しみ無念の感情は捨てよ諦めよと言うのでしょうか。 いや私はそうは思いません。「全ては良きにはからわれる」これが私たち人類を経綸する摂理の要諦(ようてい=大切なところ)であるはずです。波立つ水面はやがて静まります。人生も同じことだと思います。私たちは人生を考えるとき母親の胎内から生まれ死ぬまでの経歴を全てと考えますが私はそれは狭すぎる視点だと思います。しかし、このことでこれ以上申しあげることは私の分をこえますのでスピリチュアリズムの書籍より参考になると思われる記述を引用することで真理究明の一助とさせていただければと思います。 (以上、超意識について) ◆「シルバーバーチの霊訓」が伝える人生訓 このコラムでは潮文社から刊行されているスピリチュアリズムの書籍「シルバー・バーチの霊訓」集(近藤千雄訳)より前コラムの内容に深く関わる個所を一部抜粋して、ご紹介させていただきます。 「神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智(えいち=英知)です。」(シルバー・バーチの霊訓(十二)第八章「神」p108)※著者補足説明、神とは人格を含み、それを且つ、はるかに超越した存在であるという解釈をしても差し支えないかもしれません。(私たち人は自らの人格により神と呼ばれる存在を自覚できる存在である。その意味で人格とは神とのつながりを意味する。人格を高めることでそのつながりを深めることができるのではないかと思います) 「ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第一章「あなたとは何か」p26)※著者補足説明、シルバーバーチは一般に人体とか肉体と呼ばれている物的身体(この場合は脳のこと)を通して表現されているIndividuality(個性)をPersonality(人としての存在)と呼んでいます。然しながら私たちの脳は表現媒体としてはお粗末で(つまり進化の途上にある)、私たちの個性の一部しか表現できていないと説明しています。 「地上に生をうける時、地上で何をなすべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するには”こういう環境”で”こういう身体”に宿るのがもっとも効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第二章「なぜ生まれてきたのか」p38)※著者補足説明、一人一人の人生の道筋は予め細かく定められているという意味ではありません。与えられた遺伝的性格や気質、才能、身体の健康状態、家族、人間関係、社会、環境、時代等々の様々な制約を受ける中で過ごしてゆく定めにあるという意味です。(予め定められたパターンがある)その時々の対処は各人の自由意志に委ねられています。 「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意味を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。」(シルバー・バーチの霊訓(四)第二章「”苦”の哲学」p41) 「苦難が人生とは何かを分からせる手段となることがよくあります。苦難、悲哀、病気、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が開くのです。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります。」(シルバー・バーチの霊訓(八)第五章「質問に答える(三)」p141) 「苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないような苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第三章「なぜ苦しみがあるのか」p52) 「魂が完全に打ちのめされるほどの出来事は決して生じません。一つ一つの出来事は、いかに困難をきわめるものであっても、魂をいっそう成長させるための手段と心得てください。」(シルバー・バーチの霊訓(十二)第五章「向上進化の原理」p74) 「霊性が開発され進歩するにつれて、自動的に他人へ対して寛大になり憐れみを覚えるようになります。これは、悪や残忍さ不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという一種の我慢です。」(シルバー・バーチの霊訓(八)第五章「質問に答える(三)」p125) 「人生に偶然はありません。偶発事故というものはありません。偶然の一致もありません。存在のどの側面を分析しても、そこには必ず自然法則が働いております。」(シルバー・バーチの霊訓(八)第二章「自由意志」p32)※著者補足説明、全ての事象の背景には因果関係(因果律=原因と結果の法則)があることを説明している記述です。シルバーバーチは私たちの住むこの世界には偶然も奇跡も存在しないと説いています。 「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより多く発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。家庭的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等なものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第八章「愛の力」p145) 「神の摂理に逆らった生き方をする人は、みずから酷しい収穫を刈り取らねばなりません。」(シルバー・バーチの霊訓(十二)第四章「宇宙の根本原理-因果律」p59)※著者補足説明、遅かれ早かれいつかは報いを受けることになります。逆に摂理にかなう生き方ができればそれ相応の収穫がもたらされます。故に摂理は全ての存在に対して公平に働いていると解釈できます。(シルバーバーチは、自分が言う「摂理」とは「因果律」のことであると説明しています。因果律は物質界と霊界の別なく、次元を超えて働く自然法則だということです) 「摂理は完全であり、自動的に作動します。誰一人それから逃れられる人はいません。自由意志も摂理の中に組み込まれております。その働きは一定の進化の段階まで到達すると分かるようになります。」(シルバー・バーチの霊訓(十二)第四章「宇宙の根本原理-因果律」p62)※著者補足説明、自由意志を理性に反して働かせればそれ相応の結果を招きます。その償いのためには内省とその実践が求められてきます。シルバーバーチは神を信じ懺悔すれば罪があがなわれるなどということはありえないと言明しています。 「”死んだ人”たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活に入っていくだけです。その人達にとって死は大きな開放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一のつらさは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。」(シルバー・バーチの霊訓(四)第二章「”苦”の哲学」p44) 「死という身体上の別離には悲しみが伴うものであるという事実を軽視するのは、愚かでありましょう。……その死別という試練に直面した時に自分をどう慰めるかは、各自が考えるべきことです。それが容易でないことは私も理解しております。しかし死は愛によって結ばれたものを引き裂くことはできません。愛は、生命と同じく不滅です。また、愛は、生命と同じく、条件さえ整えば望み通りのことを叶えさせる強力な威力を秘めております。」(シルバー・バーチの霊訓(十)第四章「死ぬということはどういうことか」p63〜p64)※著者補足説明、愛で結ばれたもの同士は、いつかは必ず再会できることが約束されているとのことです。(愛が再会をもたらす)永遠の視点から見れば死別はつかの間の別れに過ぎないようです。 「死ぬということは物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるということに過ぎません。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第四章「物に惑わされない生き方」p74)※著者補足説明、霊的身体(霊体)も物的身体と同様、実体あるものです。私たちが日常認識している身体とは依って立つところの自然法則に違いがあるので、それとは区別するために便宜上、霊的身体と呼んでいるに過ぎないようです。 「人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第二章「なぜ生まれてきたのか」p45) 「自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬかぎり、何が起きようと意気消沈することはありません。霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第八章「愛の力」p148) 「絶対に誤ることのない霊的真理が幾つかありますが、そのうちから二つだけ紹介してみましょう。一つは動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害を被ることはないこと。もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。」(シルバー・バーチの霊訓(一)第三章「なぜ苦しみがあるのか」p59) 質問者:人類はいつかは戦争のない平和な暮らしができるようになるのでしょうか。 「小競り合い、大規模な戦争がいくつもありました。が、本当に戦っている相手は貪欲、怨念、利己主義という、地上を蝕んでいる物質中心主義の副産物です。」(シルバー・バーチの霊訓(十)第三章「生きがいある人生を送るには」p35) 「困難、戦争、貪欲、利己主義、こうした物質万能主義の副産物はすべて、人間が愛、情け、哀れみ、慈悲、好意といった霊的資質を発揮しないかぎり地上から無くなることはありません。」(シルバー・バーチの霊訓(八)第七章「愛すべき仲間たちー動物」p219) ・・・・・ ◆「シルバーバーチの霊訓」の解説 「シルバーバーチの霊訓」と呼ばれているものはロンドンにおいて1930年頃から1980年の50年余りにわたり開催されたハンネン・スワッハー・ホームサークルと呼ばれていたある交霊会の記録を綴ったものです。その真偽については各々の見識にもとづく他はありません。多少詳しく説明いたしますとその記録とは著名な心霊ジャーナリスト、モーリス・バーバネル氏(1902〜1981)が霊言霊媒となってシルバーバーチ(白樺)と通称されている霊界の高級霊から人類に伝えられたメッセージであるとのことです。シルバーバーチは今からおよそ三千年前に実在した人物で本人自身(霊)は本名を始め経歴については一切明らかにしておりません。その理由についてははっきりいたしませんがおそらくシルバーバーチ自身が先入観をもたれたり神格化されることを懸念したことも考えられるとのことです。関係者の推測によれば歴史上著名な人物であった可能性も高いとも言われています。詳しく知りたい方は関連書籍を読まれることをお薦めいたします。 ・・・・・ ◆「シルバーバーチの霊訓」関連書籍の紹介 精神世界の書籍は多数出版されておりますが、その中でもスピリチュアリズムの書籍に関しては近藤千雄氏翻訳によるものが最も読みやすく内容的にも信頼できるものであると思われます。(以下は全て近藤氏の訳本です)
・・・・・ ◆スピリチュアリズム全般の概要が理解できる書籍の紹介 「スピリチュアリズム」の邦訳としては「心霊学」が一般に使われています。スピリチュアリズムを私なりに要約させていただければ生命の問題に関わる超常現象(霊媒を介した死後世界からのメッセージ、心霊治療、物質的ないし物理的現象など)に客観的分析を加え且つ科学的(つまり知性的に)に検証可能なものはできるだけそのようにし、疑いのないもの、つまり現在の科学レベルでの解明は困難であるが一つの客観的事象として認知せざるおえないものを事例研究の成果として記録収集し公開したものではないかと思います。 これに関連してシルバーバーチ自身の言葉を引用し、まとめるのであれば、「あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいるものは霊的真理のことであり、それは大自然の法則のことである」とのことです。そして、その真理は知識として我々人類に現にもたらされているわけなのですが、「そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能であり、どうしても知り得ないことは信仰で補うほかはない。それは、盲目的な信仰ではなく、知識を土台とした信仰である」と、その知識の受け止め方についても説明しています。 ●コナン・ドイルの心霊学 近藤千雄訳 潮文社 ・・・・・ ◆スピリチュアリズムをどのように理解し受け止めればよいか 充分得心するには、やはり関連書籍を読まれ自分の見識に照らしたうえで判断する以外に手段はないと思います。私見を述べさせていただければこの際、超常現象の真偽を問うのはあまり意味があるようには思えません。所詮、私たち個人が、どう探求したところで、その原理は解明できるものではないのですから。大事なことは私たちがよりよい生き方を求めてゆくうえでスピリチュアリズム(心霊学)が参考になる指針を示してくれているかどうかにあると思います。 「シルバーバーチの霊訓」に関して言及させていただければ、その高い倫理性、始めから最後まで理路整然と人生の命題とは何か、人が人として生きる意味とは何かを簡易平明に説き、私たち自身が抱いている様々な苦悩に対しても合理的な処方を説いているのをみれば人生訓として活用できるだけの充分な価値はあると判断いたします。
・・・・・ ◆「神 (God)」・「霊 (Spirit)」・「魂 (Soul)」について※ シルバーバーチの霊訓では「神」と「霊」はほぼ同義の言葉として使用されています。シルバーバーチは「神とは何ですか?」と問われると「神は法則です。万物を支配する法則です。法則が万物を支配しているのです。」と答えています。この事から宗教が説いているところの神の定義(所謂、人格神)とは明らかに一線を画していることが理解できるところです。 この「法則」という言葉自体もシルバーバーチの霊訓全体を見渡してみますと前後の話しの内容の関係から「摂理」、「理法」、「霊的真理」などの言葉に置き換えられて使用されていることが分かります。また「神性」とか「霊性」という言葉も良く出てきます。これは私たち一人一人に等しく潜在している創造的進化の可能性と理解すればよろしいと思います。その霊性発現の所産が私たち各々が人生の中で開発すべき高いレベルの人格ということになると思います。 次に「霊」と「魂」ですが、私見的解釈にはなりますが、これは法則と現象の関係と理解すればよろしいと思います。法則は絶対的なものですが、現象は様々な形、レベルで自然界に顕現されます。シルバーバーチの霊訓では私たち一人一人が神の分霊であると説いています。しかしそれは不完全な形であるとも説いています。(生命現象の内、人や動物など明確な自我があると認められるものは「魂」、それ以外のものは「霊」と呼んでいるようです。(その意味では魂は自我意識(個性)そのものを意味していると理解して良いと思います)また、「霊」は広義には法則を意味していますが、しばしば生命という意味でも使用されていますので、例えば「霊力」が「生命力」を意味していると理解するのが適当な例なども文書中には多く見受けられます) 「霊力」という言葉も良く使われています。”直訳”すれば、法則の力ということになりますが、これは私たちが日常生活の中で身近に感じることができる例えば、心臓の鼓動や体温、息吹、意識に象徴されるような生命力だけでなく、重力や動力などに代表される力学的エネルギー、分子レベル以下のスケールで観察できる現象、例えば化学反応から天体スケール、宇宙スケールで観察できる宇宙現象まで、森羅万象の背景にある自然力、全てを意味していると理解すればよろしいと思います。この森羅万象には現在の科学レベルでは認識できない領域も全て含まれていますので、私たちから見れば神秘的な力と言っても差し支えないでしょう。 シルバーバーチは「神 (God)」を「大霊 (Great Spirit)」、「真白き大霊 (Great White Spirit)」とも呼んでいますが、この三つの名称は全て同じ意味で使われています。(英語原書ではGodはあまり使用されていないようです)ちなみに真白きとは純白に光り輝く存在を意味しているそうです。この「真白き大霊」とは古来より北米ネイティブアメリカンの人々が使用していた神を指す名称とのことです。そう言えば霊訓の中にシルバーバーチが西洋文明に比較しネイティブアメリカンの文化を評価している場面が出てきますがユニークな印象を受けました。 ※以下の記述(神・霊・魂について)はわたくし著者の個人的見解を超えるものではありません。いずれの対象も人間の有限な認識を超えたものであると言われています。然るに言語によって定義づけるにはおのずと限界があることになります。(神・霊・魂とは特定の対象を指す名称としてではなく、自然界に存在するある未知の概念を示す用語として理解した方がよいかと思われます) ◆シルバーバーチが語る死後世界観 シルバーバーチの霊訓は全般に私たちに新たな死生観を提供してくれるものです。それを知識としてどう活用するかは私たち一人一人の見識にかかっていると言えます。(言い換えれば、どう受け入れるかでその人の人格と資質が試されてくるわけです)シルバーバーチ自身が自分の語る内容について、「日常生活で活用すべき教訓をできるだけ簡素に述べようと苦労している」と言ってます。その教訓の中には私たちの既成観念や概念を決定的に覆してしまう情報も含まれています。死後世界観もその内の一つです。これについて私なりに少し記述させていただければと思います。 結論から簡単に言えば、私たち人は死を迎えてもどこにも行かないということです。シルバーバーチは私たち人は今、現在も霊界にいる存在であると言っています。確かに霊界と私たちが住む物質世界は別次元どうしの世界ではありますが空間的にも時間的にも距離があるような関係にはないとのことです。 私たちの霊(生命)は今、現在も霊界(生命界と呼ぶ方が適当かもしれません)に存在し、人とはその自我意識(個性)の一部を物的身体(肉体)を媒介にして表現している存在であるのだそうです。つまり魂とは肉体に宿っているようなことはなく、死んだらその肉体を離れて霊界へと旅立つような事実もないということになります。そして私たち人は今、現在も霊界の住人であり、自分が所有する物的身体を別次元からコントロールしながら自己表現している存在であるとも言えることができるようです。(「自己表現」ではなく「自我を表現する」と言う場合は身体機能の発現を含みます。然るに「自我」とは意識(個性)と身体(身体機能=本能と行動)の両方を指していると理解するのが適当だと思われます) 確かに私たちの現在の意識はこの物質世界(この世)に在るわけですが、これも正確に言えば、意識の焦点がどこにあるかだけの問題のようです。(高次の領域にあるか、低次の領域にあるか)睡眠レベルのどこからどこまでかは分かりませんが睡眠中は私たちの意識の焦点は霊界に戻っているそうです。ただ情報の質と量の問題と言えばよいのでしょうか、睡眠中の霊界での記憶を蘇らせることはできないそうです。それは普通のテレビでハイビジョン映像を再生することができないのに似ているのかもしれません。(霊界は波長の高い領域にある世界で、物質界との間に境界と言えるものはないとのことです) また霊界の視点から見れば、私たちが住む、この世界は波長が低く光の乏しい陰鬱な世界に見えるそうです。霊界と物質世界は宇宙開闢(かいびゃく)のころから深い関係があるようです。物質世界のあらゆる現象や進化は霊界との関係により成立しているみたいです。(相互依存の関係、一体不可分な関係にある)これらは確固たる科学的事実として受け止めるべきもののようにも思えてきます。また物質世界は霊界が反映した世界だとも説明しています。簡単に言えば、この世は霊界の拙いコピーのようなものみたいです。 この物質世界※はホログラフィック(三次元立体画像)のような形で霊界が投影された仮想現実の世界だとも言えるのかもしれません。シルバーバーチは霊界こそ実在感のある世界だとも説明しています。シルバーバーチはまた、「物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた表現の一つに過ぎない」とも説明しています。 ※物質世界とは人が言語的に知覚(記述)できるレベル(範囲)の現実世界(宇宙)をそのまま意味しています。その知覚能力の限界が即ち知性の限界、科学の限界でもあるわけですが、しかし科学の及ばない領域は例えば文芸活動のように理性と感性をベースにした創造力で探求できる可能性は残されているはずです。そして、それは私たち一人一人の心の豊かさが深く関わってくる課題であることを意味しているのだと思います。
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(2006.6.22 増補乃至改訂) |