(第6回)

「いいか、相手が刀を持っていたら、できるだけたたき落とせ。上から叩くんだ」
 昌行がそう教えると、准は緊張した顔つきで頷いた。昌行は言葉を続ける。
「刀を叩こうとしたんじゃだめなんだ。地面を叩くつもりで叩け。そうしねえと効き目はねえ」
 准は言葉の通り、地面を叩いて見せた。それを見て昌行は頷き、次に、突き方を教え始めた。
「突く時はな、相手が振りかぶってから突いたんじゃ遅い。突く時に切られちまう。振りかぶろうとした時に突くんだ。両手でしっかり握って突くんだぞ」
 准は両手で握って突いて見せた。
「よし、そうだ。頭の中で何度も練習するんだ。相手が振りかぶるのに合わせて突くんだ。突くのもな、相手の腹を突こうとしたんじゃだめなんだ。相手の後ろにもう一人いて、そいつの背骨を突くくらいの気持ちで突くんだ。それぐらいの気持ちでねえと相手に届かねえ」
 准はこわばった顔で頷いた。
 昌行は時折後ろを振り返りながら足を進めた。
 道の脇には、水の干上がった田圃が広がっている。
 谷和原で小貝川を渡り、水海道に入った。水海道は、六斎市と呼ばれる、月に六度の定期市が開かれる町である。
 宿場に入ると、人通りが多く、飯屋や宿が目についた。
 簡単に食べられるもの、ということで、長野は街道脇のうどん屋を選んだ。
 床几に腰掛け、丼が運ばれてくると、准は、
「あー、これも醤油や」
と、悲鳴を上げた。
「だし汁のうどんはないんかいな」
 文句を言いながらも箸をとる。
 六人が湯気の立つ丼を抱えて食べていると、馬の一団が通り過ぎる音がした。
「にぎやかな土地でござるな」
 草薙が穏やかに言う。
 准は、つゆを飛ばしながらすすり込んでいたが、草薙は穏やかに口に運んでいた。剛毅とケインは相変わらず笠をとらず、不器用な箸使いである。しかし、草薙はそれを怪しむ風もなかった。
 食べ終えて外に出ると、短い時間のうちに空が晴れ上がっていた。
 水海道からは鬼怒川沿いに進むことができる。しかし、草薙は、川沿いの道と平行に通じている道を選んだ。追っ手がいた場合、川沿いの道ではすぐに足取りが分かる、というのである。
 長野はそれに同意し、道の選択を草薙に任せた。
 筑波は相変わらず北東にある。
 草薙の選んだ道は、あまり人通りはなく、畑や田圃ばかりで見通しはよかった。
 畑には、葱や大根の葉が見えた。
 途中に、切り通しになっているところがあった。その向こうは十字路になっている。
 草薙は、切り通しの前で足を止めた。無言で十字路を指差す。
 道が交差しているところに地蔵堂があった。その前に浪人が三人腰を下ろしている。
 しかし、草薙の表情はさほど変わっていなかった。あくまでも冷静である。
 昌行もそれを見た。念のため後ろも振り返ってみたが、後ろには怪しい人影はない。
「どうします」
 昌行が尋ねると、草薙は、
「様子を見てこよう。一緒に行ってくれ」
と答え、長野には、
「ここでお待ちください。万一の場合は、とにかく逃げることです」
と言い残して歩き出した。昌行もついていく。草薙は、切り通しが終わったところに昌行を待たせ、一人、地蔵堂に歩み寄った。
 長野の所からは、草薙が浪人に何事か話しかけているのが見えた。突然、浪人の一人が刀を抜いて切りつけた。
 草薙は予期していたらしく、身を引いてかわし、刀の柄に手を掛けた。それを見て昌行が加勢に駆け出す。
 その時。
 切り通しの崖の上から黒い影が飛び降りた。
「兄貴の仇だ」
 抜き身を手にしている。身の丈は六尺以上はあった。短い髪を逆立て、大きな目を見開いている。
 長野は剛毅とケインをかばいながら後退した。入れ替わりに准が前に出る。准は歯を食いしばり、竹槍を握って身構えた。
「どけ。そこの侍に用がある。兄貴の仇討ちだ」
「どこの兄貴やねん」
 准が震え声で言い返す。
「香取で俺の兄貴を切ったろう。神宮の裏山で」
「違う。俺らやない」
「嘘だ。その侍が切ったんだ」
 香取神宮の裏山で切られた猟師の弟だった。
 剛毅が拳銃を出したのを見て、長野は慌てて手で押さえた。
 ここで銃声がしては人目を引く。木立の中と違ってごまかしようがない。
 准は声を励まして尋ねた。
「お前、慎吾やな」
「そうだ。俺が慎吾だ。どけ。どかねえと、おめえも切るぞ」
「切れるもんなら切ってみい」
 長野の位置からは、にらみ合っている二人の向こうに、昌行と草薙が浪人を追い散らしているのが見えた。
 浪人はみな走って逃げ出し、草薙が後を追い始めた。たが、昌行は、長野たちの身に危機が迫っているのに気づき、こちらへ走り出しながら、草薙に声を掛けた。草薙も気がついて浪人を追うのをやめ、走って引き返してくる。
 慎吾が准に向かって怒鳴った。
「どけ」
「どかん」
 慎吾は目を見開いて准をにらみつけると、刀を振り上げた。そのこめかみに、青い血管が浮き上がっている。
 その瞬間。
 准は大きく一歩踏み出した。それと同時に、槍を握った両手を前に突きだした。
 肉を貫く音がした。
 慎吾は、右手に刀を握ったまま、左手で、自分の腹に突き刺さった竹槍を握った。
「うわあああっ」
 声をあげたのは准の方だった。悲鳴のような声をあげながら、准はさらに手を突きだした。慎吾の背中から竹槍の先が表れた。
 慎吾は無言で准をにらみながら、一歩足を進めた。それに押されて、竹槍を握ったままが准は一歩下がる。
 すると慎吾は、左手で竹をたぐり寄せ始めた。
 たぐり寄せた分だけ槍先が背中から出てくる。
 准は竹槍を握ったまま引き寄せられていく。慎吾の体から流れ出した血が竹槍を伝い、節のところで滴となってぼたぼたと落ちた。
「放せ。准、放せ」
 昌行が、走りながら怒鳴ったが、准は硬直したまま慎吾に引き寄せられていく。
 先に戻った昌行が、後ろから慎吾に切りつけた。袈裟切りに背中を切り下ろす。慎吾は振り向こうとしたが、准が竹槍を握ったままなので、体の向きを変えることができない。それでも首だけねじ曲げて昌行と、その後ろの草薙をにらみつけた。
 その隙に、長野が准の襟首をつかんで後ろへ引いた。それでやっと准は竹槍から手を放し、尻餅をついたをついた。
 慎吾は完全に草薙の方へ向き直り、長野に背を向けた。竹槍の先が見えている。
「お前……」
 慎吾は方で息をしながら草薙をにらみ、一歩踏み出し、振りかぶった。草薙は正眼に構え、間合いを計っている。慎吾がさらに一歩踏み出して刀を振り下ろした瞬間、草薙は右へ歩を進めながら刀で横に払った。慎吾は左脇腹に手を当てた。血が噴き出している。
 それでもなお草薙の方へ体を向けようとしたが、ついに力つき、前のめりに倒れた。体を貫いたままの竹槍がつかえ、一度体が止まり、それから横倒しになった。
 昌行はそれを見届けてから准に駆け寄った。
「怪我はねえか」
 准は灰色の顔で小刻みに震えている。
「准、どうした、しっかりしろ」
 そう言いながら、昌行は准の体を調べた。傷はない。
「やられちゃいねえぜ」
 昌行の顔に少し安堵の色が浮かんだ。しかし、准はまだ立てない。
 それをよそに、草薙は長野に話しかけた。
「待ち伏せを食ったようですね」
「向こうにいた浪人も仲間だったのでしょうか」
 そう言いながら、長野は地蔵堂の方を見た。
「そうでしょう。浪人が私を引きつけている間に、この男に長野殿を切らせるつもりだったのでしょう。道理ですぐに逃げ出したわけだ」
「しかし、なぜ我々がこの道を通ることを知ったのか……」
「それですが」
 声を潜めてそう言いながら、草薙は昌行を見た。
「ああいう連中には、自分たちだけに通じる符丁のようなものがあるそうです。どこかで落ち合う時にそれを使う、と聞きました」
 長野は無言で昌行を見た。
 昌行は、准の頬を叩き、引き起こそうとしている。准はやっと、よろよろと立ち上がった。
「よくやった。准。まさかおめえにこんなことができるとは思わなかったぞ」
 そう言いながら、昌行は土を払ってやっている。
 一方長野は、慎吾の死体を指差し、草薙に向かって、
「この男の始末は……」
と言った。
「このままにしておくよりほかないでしょう。誰が見ても、やくざ者同士の喧嘩で死んだようにしか見えますまい」
 草薙の口調はあくまでも冷静である。
「参りましょう」
 そう言って草薙は歩き出した。やむなく長野も剛毅とケインを促して歩き出した。昌行が、准を引きずるようにしながらしんがりを勤める。
 浪人たちがいた地蔵堂のところまで来ると、一行は立ち止まった。あたりを見回す。浪人たちの影はなかった。
「逃げたようですな」
 草薙はそう言って歩き出した。長野も歩き出そうとしたが、剛毅は、突然、准のそばへ行って声をかけた。
「大事ないか」
 抑揚のない、ゆっくりとした口調だった。昌行が目を丸くした。
「ちゃんとしゃべれるんでござんすか」
 剛毅はそれには答えなかった。今度はケインが准に声をかけた。
「ありがたく思うぞ」
 まるで棒読みのせりふのようだった。
「なんや……。二人ともお殿様みたいやな」
 准はそう言って力無く笑った。
 剛毅とケインは黙って頷き、並んで歩き出した。長野は驚いて二人の顔を見たが、二人は何も言わなかった。草薙は何も気にせずに先へ行っている。
 北東に見えていた筑波が、東に移っていった。
 一行は、遅れがちな准を待ちながら進んだ。日はどんどん傾いていく。
 道沿いの土蔵の壁に、干し柿の並んだ縄が掛けてある。それが真横から日を受けるようになっていた。
 准は、自力で歩いてはいたが、顔に血の気は戻っていない。
 水海道から石下(いしげ)に入ると、桑畑が多くなった。石下から結城(ゆうき)にかけては、紬(つむぎ)の産地である。すっかり葉を落とし、枝ばかりになった桑の間を風が吹き抜けていく。
「結城まで行けるかと思いましたが、今日は下妻泊まりのようですな」
 草薙が言う。長野は頷いた。
 日が沈もうというときに下妻に着いた。
 宿をとると、昌行は、いつものように部屋の回りを確認したが、それよりも、准のことが気になるようだった。准の顔色は戻らない。
 すぐに飯が来た。
 長野、草薙、昌行の膳には徳利も載っている。昌行はこれまでとは違って黙って飲んだ。
 准は、焼き豆腐の煮物に少し箸を付けたが、後は食べる気がしないようだった。
「一風呂浴びたらどうだ」
 草薙が声をかけると、准は小さく首を横に振った。
 昌行は、
「先に休ませて貰え」
と言って、座敷の隅に布団を敷き、准を連れて行った。
 准はおとなしく横になった。
「誰だって初めての時はそうなるもんだ。おめえだけじゃねえ」
 昌行がそう言うと、准は頷いて目を閉じた。
 飯が済むと、草薙は、
「先に一風呂浴びて参る」
と言って出ていった。
 長野は、床の間を背に、茶を啜っていたが、准の顔をのぞき込んでいる昌行に声をかけた。
「おかげで助かった」
 すると昌行は、長野の方へ体の向きを変え、座り直すと、
「気になることがございます」
と言った。
「なんだ」
「どうしてあの慎吾の野郎、あっしたちがあそこを通ることを知っていたんでしょうか」
「待ち伏せをしていたようだな」
「へえ。そうとしか思えねえんで」
「誰かが知らせたのか……」
 そう言って長野は茶碗を置いた。昌行は膝を進めた。
「誰か、とは」
「わからん。知らぬうちにつけられておったのかもしれん」
 長野は腕を組んだ。すると、障子窓の前に座っていた剛毅が口を開いた。
「倒す」
 そう言って懐から拳銃を出した。
「負けまい」
 ケインも口を開いた。
 昌行は二人の顔を見比べ、長野に言った。
「何かわけはおありなんでしょうが、どうも、あっしなんかが一緒にいたんじゃ、かえって申し訳ねえんじゃねえでしょうか」
 長野は眉を寄せて言った。
「一緒にいるのがいやになったか」
「とんでもないこって。ただ、どうも、こちらのお二人は、そこいらの方とはご身分ってやつが違うようでござんすから」
「そうだな。本来なら、私がこちらの二人をさしおいてこんな所に座るわけにはいかんのだが、人目を欺かねばならんのでな」
「人目を欺く……」
「そうだ。そのためには、昌行たちにも一緒に行ってもらいたい。無理にとは言わんが」
「無理だなんて、そんなことは全くござんせん。喜んでお供いたしやす」
 昌行は体の向きを変えて准を見た。准は薄く白目をのぞかせて眠り込んでいる。
「あっしも、初めて人を切ったときにはこうでした」
 昌行が小声で言った。
 長野も准の顔に目をやった。
「上方の者が、なにゆえこんな所に」
 そう長野が言うと、昌行は答えた。
「さあ、そいつはあっしにもわからねえんで。何かわけがあるんでございましょう」
「知らんのか」
「はい。聞いてみたこともござんせん。誰だって、好きこのんで無宿人になるわけじゃあござんせんし。ただ気の合うもん同士、一緒に流れ歩いているだけです」
「どうして知り合った」
「こいつが、金もねえのに賭場にもぐり込んで、簀巻きにされそうになったところに居合わせただけでして。名前を聞いたら准だなんていいやがって」
「名前に何か意味があるのか」
「え……。いいや、たいしたことじゃござんせん」
 剛毅とケインも寄ってきて准の寝顔をのぞき込んだ。
「味方」
 剛毅がつぶやいた。それを聞いてケインが頷いた。
 草薙が風呂から戻ってきたのは、だいぶたってからだった。草薙は、
「宿の者に道を聞いているうちに、すっかり湯冷めしてしまいました」
と言って笑った。
 翌日は朝から晴れていた。
 道ばたの枯れ草を霜が白く飾っていた。空気は澄み切っている。
 五人は、千住と喜連川を結ぶ下妻街道を進んだ。左は鬼怒川、右には桑畑が続いている。
 草薙が、先頭に立って歩きながら、
「日光へおいでになるのなら、どこかで鬼怒川を渡らねばなりません。結城のあたりで渡りましょうか」
と言った。それを聞いた長野が、
「なぜ日光へ参ると思われた」
と尋ねると、
「鬼怒川を遡るとなれば、行き着く先はほかにございますまい。拙者も、一度は、東照神君の廟に詣でたいと思っておりました」
と、答え、立ち止まって川の向こうへ目をやった。
 東照神君とは、徳川家康のことである。家康は、死後、神格化され、東照神君、あるいは東照大権現と呼ばれるようになっていた。
「少し高いところに立てば、富士も見えるということです」
 草薙がそう言ったので、一行は立ち止まって西へ目をやったが、そこからは見えなかった。
 しばらく進むと、准が、川の中の舟に興味を示した。
「何やっとんのやろ」
 見ると、裸の男が水の中に入るところだった。
「寒そうやなあ」
 男は網を広げ、仲間らしい舟の男と言葉を交わしている。舟には、火鉢があり、そのそばにどてらが脱ぎ捨ててあった。
「この寒いのになあ」
 昌行も驚きの声を上げた。
 足を止めて見ていると、裸の男は網を手にし、それを広げているところだった。
 すでに収穫はあったらしく、舟の上には大きな魚が銀色に鱗を光らせている。
「salmon」
 ケインがつぶやいた。
「たしかに、鮭でございますな」
 長野が相づちを打った。それを聞いて、草薙が少し笑った。
「まるで、主人に対するような口調ですね」
 長野はちらっと草薙を見たが、それ以上何もいわなかった。
「冷たいやろなあ」
 准は感心して見ている。
「あそこまでせな、稼げんのかいな」
「金のためばかりじゃねえだろう」
 昌行が言った。
「ああいう仕事をしているやつはな、この仕事は俺にしかできねえ、っていう意気込みがあってやってるんだろう」
「なるほどなあ。偉いもんや」
 裸の男は、網を広げながら位置を変え、鮭を網にかけようとしているらしい。
「参りましょう」
 草薙がそう言って歩き出そうとしたとき、後ろから、
「やっとみつけました」
と、声がした。見ると、二人の侍が走ってくる。その一人が井ノ原であることはすぐに分かった。
 草薙は、腕を組んで、二人がすぐそばへ来るのを待った。
「井ノ原殿」
 長野が笑顔で声をかけると、井ノ原は、不審そうに草薙を見た。
「こちらの方は」
 井ノ原の言葉に、長野は不思議そうに聞き返した。
「井ノ原殿が紹介くださった方ではないか」
 井ノ原は刀の柄に手をかけ、
「私が紹介しようとしたのは、この松岡です」
と、隣の男を目で示しながら言った。松岡と呼ばれた男は、長野に軽く黙礼をした。

(続く)


「投奔怒流」目次

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