(第2回)

「井ノ原殿のお知り合いか」
 参道を歩きながら、長野が昌行に尋ねた。
「お知り合いっていえばそうですが、あっしらにとっちゃ、あんまりお知り合いになりたくない相手でございます」
 昌行は、油断無く回りの様子をうかがいながら歩を運んでいる。
「さっきの連中がまだいるかもしれませんぜ」
 長野もあたりを見回した。
「困ったことだ」
 参道は長い。しばらくは黙って歩いた。
「にぎやかな所に出ちまえば、大丈夫でしょう」
「そこまで一緒に行ってくれぬか」
「くれぬかもなにも、これしか道がねえんですから、行くよりほかにございません」
「かたじけない。何か、先ほどの礼がしたいが」
 昌行は笑顔を見せた。まだ若いようだったが、笑うと顔に皺が刻まれているのがわかる。
「実は、その言葉を待ってたんですよ。飯を食わしちゃあ、いただけませんか。さっきも、空きっ腹を水でごまかしてたところでして」
「それだけでよいのか」
「へえ。それで充分でございます」
「よし、食わしてやろう」
 昌行は後ろの連れに声をかけた。
「准、久しぶりに腹一杯食えそうだぞ」
「へへ。ありがてえ。腹が減っとんのだけはかなわん」
 参道を抜け、楼門を出た。
 下馬札のあたりには、武士や、馬の世話をしている中間がいたが、武家と渡世人という取り合わせを珍しそうに見ていた。
 その中に、鹿島へ来る途中、長野たちを追い抜いていった武士も混じっていた。やはり、長野たちをじっと見ている。昌行はその男と目があったが、長野は気づかなかった。
 門前の通りには、土産物屋や茶店が並んでいる。日は西に傾きかけていた。
 昌行は、座敷のある飯屋を見つけ、中をのぞき込んだ。
「こういう所の方が、外から見えなくてよろしいでしょう」
 そう言って長野を先に入れた。
 長野が、
「奥の席がよいのだが」
と言うと、女中は、
「空いております」
と言って案内しようとしたが、いかにも渡世人らしい昌行たちがそれに続いたのには首を傾げた。
 准と呼ばれた、昌行の連れは、期待に顔を輝かせている。
 五人は、ついたてで仕切られた座敷の一番奥に席を取った。鉤の手に曲がった奥で、外からは見えない。奇妙な取り合わせの客に、女中が興味深そうな目を向けていた。
 それぞれ草鞋を脱いで畳の上にあがったが、最後になった准は、土間に残された履き物を見て、声をあげた。
「珍しいもん穿いとんのやなあ」
 見ると、そこには革靴が二足置かれていた。
 幕末には、オランダとの交易のほかにも、黒船来航以来、欧米のものが少しずつ流入するようにはなっており、革靴もいくらかは流通していた。例えば、今日残っている坂本龍馬の写真では、龍馬は靴を履いて写っているが、それでも、まだまだ非常に珍しいものであった。
 昌行もそれを見て、
「これは隠しておきましょう」
と言って座敷に上げ、自分が脱いだ合羽の上に、底を上にして置いた。
 准も道中合羽をとって上がった。昌行も准も、合羽を脱ぐと、さすがに股引は穿いていたが、もう冬だというのに、単(ひとえ)の着物を着ていた。
 昌行と准が並んで座り、奥の席を長野たち三人が占めた。三度笠の二人は、相変わらず合羽も笠もとらない。
 准が不思議そうに笠の中をのぞき込んだ。昌行は准の不作法をたしなめ、長野に向かって、
「かえって目立ちます」
と言った。それを聞いて、長野は二人に何事かささやき、二人は笠をとった。
 二人とも二十そこそこのようだった。そろって日焼けした肌をしている。そして、二人とも、髷がなかった。
「江戸で見た異人みてえな頭でござんすね」
 昌行は、驚きを隠さずにそう言った。
 長野はちょっと頷いた。女中が注文を取りに来たので、飯を二人前と、団子を三皿頼んだ。女中も、断髪の二人に、物珍しそうな目を向けていた。
 アジの干物と漬け物をおかずに、昌行と准はいかにもうまそうに飯を食った。よほど腹が減っていたらしい。それでも昌行は、時折、戸口の方に気を配るのを忘れずにいた。
 ほかの三人は茶を啜りながら団子を食べた。
 長野は食べながら何か思案していたが、思い切ったように、昌行に尋ねた。
「二人は、旅の途中か」
 昌行は箸を止めて答えた。
「まあ、旅と言えば旅ですが……。あてがあるわけじゃござんせん」
「どこかへ行く途中ではないのか」
「とりあえず、利根川をのぼってみようと思っております」
「どこまで」
「関宿あたりまで行って、そこから江戸にでも……」
 長野が黙ったので、昌行は干物を箸でむしって口に運んだ。
「稼業は何だ」
 再び長野が尋ねた。
「稼業と言われましても……。ただの無宿人でござんすから。まあ、腕にはちっとばかり覚えがありますんで、人に頼まれていろいろと……」
「警護の仕事もやったことがあるのか」
「警護とおっしゃいますと、用心棒でございますね。はい、何度か」
「今夜はどこに泊まる」
「宿に泊まる金などござんせん。その辺で藁小屋でも見つけてもぐりこむつもりでございます」
「よかったら、一緒に潮来まで行かんか。宿も世話しよう」
 昌行は目を剥いた。
「正気でござんすか」
「正気だ」
「用心棒ですかい」
「そんなところだ」
 二人の話を聞いていた准が割りこんだ。
「兄貴、行こ。ええ話やんか」
 昌行は、准に厳しい表情を見せた。
「簡単に言うんじゃねえ。さっきの連中みてえのを相手することになるかもしれねえんだぞ」
「兄貴なら負けんやろ。それに、こっちには短筒(たんづつ)もあるんやし」
 そう言いながら、准は横に座っている二人を見た。二人はただ無言で茶を飲んでいる。
「でかい声出すんじゃねえ」
 昌行はあたりの様子をうかがった。しかし、客は皆、それぞれ自分たちの話に夢中になっているようだった。
 しばらく思案していたが、昌行は頷いて、
「お供いたしやしょう」
と、返答した。
「ありがたい」
 長野は笑顔を見せた。
 昌行は箸を置くと、やや改まって挨拶した。
「相手が渡世人仲間なら、仁義を切るところでございますが、お武家様ですのでかえって失礼になるかと存じます。あっしは、武州無宿、昌行と申します」
 准も続いて頭を下げた。
「あっしは、河内の准と申します」
 それに対して長野も軽く頭を下げた。
「拙者は長野博。よろしく頼む」
 昌行は頭を下げて挨拶を返し、断髪の二人を見た。
「差し支えなければ、お名前をお聞かせ願えねえでしょうか」
 二人は無言で長野を見た。長野が、
「仔細あって、それは教えられん」
と言ったが、なにやら慌てた様子だった。
 飯屋から出ると、だいぶ影が長くなっていた。
「潮来に着く頃には日が暮れちまいますね」
 昌行はそう言うと先頭に立って歩き始めた。准がしんがりを務める。
 神栖までもどることはせず、北浦の南端を渡って潮来へ向かった。
 冬の日は短い。日は暮れていき、夕焼けを背景に、二つの峰を持つ筑波の姿が彼方に影のように見えた。
 水気を含みながら霞ヶ浦を吹き渡ってきた風が冷たかった。
 潮来に着いたときには、すっかり日が暮れていた。
 昌行は、宿場の真ん中にある宿を選び、長野に先頭に立って貰って中に入った。
 渡世人が先に立っては、断られるおそれがあったからである。
 宿のものは、長野が入ってくると、愛想笑いをして見せたが、続いて入ってきた昌行たちには顔をしかめた。
「五人だ。部屋はあるか」
 長野が尋ねると、女中と番頭は、不思議そうに顔を見合わせていたが、断りはしなかった。
 長野と昌行、准はすぐに上がり框に腰を下ろし、すすぎが運ばれてくると、足を洗って貰ったが、三度笠の二人は立ったままでいた。
「どうぞおかけくださいまし」
 女中に促されて腰掛けはしたが、どうすればいいのか分からない様子だった。女中は意に介せず、たらいを足下に置いてしゃがみ込んだが、
「あら」
と驚いていた。靴を見たのは初めてのようだった。
 長野が二人に何かささやくと、二人は自分で裸足になった。女中は時折笠の中の顔をのぞきながら足を洗った。
 部屋に案内されると、昌行はまず障子を細く開けて外の様子をかがった。
 通りとは反対側の二階の部屋で、離れたところに流れが見える。庭が南側になっていて、板塀が巡らしてあった。
 准も隣へ来て外を見た。
「こっちが危ねえようだな」
「どないする」
「俺がこっちに寝る。お前は廊下側に寝ろ」
 准は頷いた。
 二人が障子を閉め、振り返ると、終始無言だった二人は、笠をとり、道中合羽を脱いでいた。
 その服装に二人は目を見張った。
 神宮の木立の中で少し目にしてはいたが、完全な洋装で、ズボンを穿いている。
 一人はシャツの上に革のベスト。左腰に鞭をさげ、右には小振りのまさかりのようなものをさげていた。もう一人はジャケットを着ていた。拳銃は、内ポケットに入れてあるらしい。
「まるっきり異人のようでございますね」
 昌行が感心してそう言ったが、長野は何も答えなかった。
 飯が運ばれてきた。小鮒の煮付けが皿に載っている。飯を運んできた女中も、洋装の二人に目を見張ったが、れっきとした武家らしい長野が一緒なので、何かわけがあるものと思ったらしく、特に何も聞かなかった。
 鹿島で食べてからそれほどたっていなかったが、昌行と准はきれいに平らげた。長野も食べたが、洋装の二人はほとんど食べなかった。
「そちらのお二人は」
 食べながら准が言った。
「口がきけんのでっか」
 長野は少し困惑の表情を浮かべ、
「そういうわけではない」
と、答えた。
 昌行は准をにらんだ。
「人様のことをあれこれ詮索するんじゃねえ」
「そやかて、名前ぐらい……」
 准は、二人が口をきかないのが不思議でたまらないらしい。
 名前、という言葉を聞いて、鞭を持っていた方が顔を上げて、長野に話しかけた。
「My name?」
 長野が頷くと、その男は、准に向かって、
「Kane(ケイン)」
と言った。長野は少し慌てたようだったが、准は、
「はあ、ケインさんでっか」
とだけ言って、隣の男の顔を見た。そちらの男は黙っている。
「やっぱり、しゃべれんのやろか」
 長野は、少し間をおいて言った。
「剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)は仁に近し、というではないか。むやみにしゃべらぬ人間の方が、仁を持っていると言えるのだ。お前のようによくしゃべるのは、巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すくな)し仁、というのだ」
 准には、長野の言葉の意味は分からないようだった。
「はあ、剛毅でっか。ほな、剛毅さんでいかせてもらいます」
 それからは、准は何かと、剛毅はん、ケンはんと話しかけたが、二人は全く相手をしなかった。
 食べてしまうと、准と昌行は交代で風呂へ行き、すぐに横になった。
 打ち合わせ通り、准が廊下側、昌行が窓側に寝たが、その夜は何事も起こらなかった。
 翌朝、朝食をとりながら、長野が言った。
「どうだ、昌行。一緒に香取まで行かんか」
「香取神宮でございますか」
「そうだ。一緒に参拝しようではないか」
「それは構いませんが……」
「行こ、兄貴。行こ」
 准は簡単に同意する。
「では、お供いたします」
 昌行がそう答えると、長野は笑顔で頷いた。
「ただ……」
 昌行は洋装の二人をちらりと見て言った。
「何かわけはおありでございましょうが、こちらのお二人の格好は変えられませんか。目立ちます」
「そうだなあ」
 長野も二人を見た。二人は不器用に箸を操っている。
「この宿場なら、すぐ手に入ると思います」
 昌行がそう言うと、長野は手を打った。
「そうか、そういう手があるのだな。頼む。二人分整えてくれんか」
「よろしゅうございます」
「とりあえず、これで足りるだろうか」
 長野は懐に手を入れて小判を一枚取り出した。それを見て准は目を剥いた。
「充分でございます」
 昌行は苦笑を隠しながら言った。
「どうせなら、昌行たちも綿入れぐらいあった方がいいだろう。一緒に買うがいい」
「ありがとうございます」
 昌行が長野に頭を下げ、准に目顔で合図をすると、准が長野の前に進み出て、小判を押し頂いた。
「二人分ひとそろいと、俺らの綿入れでんな」
と、言うと、飯の残りを掻き込み、飛び出していった。
 飯が済むと、昌行は、准が戻ってくるまで、障子の隙間から外を見ていた。
 水郷と呼ばれるだけあって、水路がすぐそばにあり、サッパと呼ばれる小舟が行き来していた。潮来は、霞ヶ浦からの船も利根川の船も利用する中継地であり、仙台藩や南部藩の蔵屋敷もあった。宿場も規模が大きい。
 准は、まもなく、風呂敷包みを抱えて戻ってきた。
「さすが大きな宿場やな。すぐ見つかったで」
 そう言いながら、包みを広げる。中には、四着の綿入れと股引が二人分、足袋が四足入っていた。
 綿入れは、だいぶ着古したものではあるようだが、洗い張りはしてあった。
「なんだ、古着か」
 長野が拍子抜けしたような声を出した。
「この方が怪しまれずに済みます」
 昌行はそう答えると、綿の具合を確かめ、少しでもしっかりしている方を二着選んで洋装の二人の方へ押しやった。
 准は、長野に釣りを渡そうとしたが、長野が、
「取っておけ」
と、言ったので、畳に額をこすりつけんばかりに頭を下げて礼を言った。
 昌行もそれを見て笑顔を見せ、
「遠慮なく頂戴いたします」
と言うと、すぐに着替えた。薄くとも、綿が入っているのといないのとではだいぶ違う。
 准もすぐに着替えた。
 しかし、洋装の二人は何もしない。長野が二人に何かささやくと、ジャケットとベストは脱いだが、それ以上は脱ごうとしなかった。
 長野はその二人に綿入れを着せてやる。二人は帯の締め方も知らぬらしい。見かねた准が手伝ってやった。
「こうやるんや。赤ん坊やないんやから、覚えなあかんよ」
 革のベストを着ていた男は、帯を結んで貰うと、鞭を懐に入れ、斧を腰の後ろに挟んだ。もう一人は拳銃を懐に入れた。准は、それをじっと見ていた。
 二人とも、綿入れの裾からは、ズボンの裾が見えている。
「なんやしらんけど、その股引よりこっちがええんやないか」
 准は自分が買ってきた股引を見せたが、二人は首を振った。それぞれが脱いだ着物と股引が畳の上に残っている。
「風呂敷が要るな」
 そう言って准は出ていった。准がいなくなると、昌行は長野に尋ねた。
「どうも、お二人は異国の方のようですね」
 長野は無言で昌行を見つめた。
「別に、詮索しよういうわけじゃございません。このお二人を連れてでは、道中難儀でしょう」
 長野はあいまいに頷いた。
 綿入れを着せて貰った二人は、無言で、あぐらをかいて座っている。時折長野と何事か小声で話しはするが、昌行には何を言っているのか全くわからなかった。
 斧を腰に挟んだケインの方は、革紐に鳥の羽を結んだものを首に掛けていた。
 准が、風呂敷を二枚持って戻ってきた。
 古着を包んであったものには、自分と昌行が着ていた単衣(ひとえ)を包んだ。新しく持って着たものには、それぞれ、ジャケットとベストをつつみ、さらに土を落とした靴を、底を向き合わせて入れた。
「草鞋も用意したで」
「ありがたい」
 二人の代わりに長野が答えた。
 二人は見よう見まねで足袋を穿いたが、出立の時になってみると、草鞋の履き方は知らず、これも准の世話になった。
 潮来から香取まではさほどの距離はない。当時は、香取、息栖、香取の三社を舟を利用して巡る客が多かったので、香取への渡し場はにぎわっていた。
 舟を待っていると、離れたところから声を掛けられた。
「動くな、待て」
 五人が振り返ると、井ノ原だった。
「見つけたぞ」
 そう言いながら急ぎ足にやってくる。長野たちは黙って待った。

(続く)


「投奔怒流」目次

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