中に駆け込むと、そこには若い侍が倒れてうめいていた。腹が血に染まっている。
長野が急いで抱き起こした。
「長野でござる。どうなされた」
相手は目を開けた。
「貴殿が長野殿か」
「日光奉行の遣わされた方か」
相手は首を振った。
「もう誰も来ないはず。貴殿の企てはかなわない……」
「どういうことだ」
「我らは、貴殿の企てを阻止するために働いておったが、もう必要はない。将軍はすでに大政を奉還した」
「なにっ」
長野は目を見張った。
「もはや、幕府は何の力もないのだ。実権は我らのものに……」
「我ら、とは。貴殿は何者なのだ」
「拙者は……」
長野が男から話を聞き出そうとしているあいだ、昌行は、小屋の中にあるものを調べていた。蓑が五着ある。しかし、小屋から出てきたのは四人。
「仲間割れなすったんですね」
昌行が、男のそばに膝をついてそう言うと、男は頷いた。
「もはや、阻止する必要はない。無駄に命を奪うことはないのだ。しかし、中居は聞き入れなかった」
また昌行が尋ねた。
「草薙様も、お仲間だったんですね」
男は頷いた。
「死んだそうだな。仇を討つと言って中居は……」
そう言いながら肩で息をしている。肩の動きは見る間に弱くなっていくようだった。
「お名前をお聞かせ願えまいか」
長野が尋ねると、男は、
「拙者は、き、木村……」
と言うと、目を閉じた。まだ息はあるようだったが、もはや口をきく力はないようだった。
昌行は立ち上がった。
「急ぎやしょう」
長野が昌行の顔を見上げる。
「今の連中、お連れのお二人を狙ってるんでござんしょう」
長野は戸口に目を向けた。今来た道が見える。
「直接狙うことはないはずだが」
長野は、そう言いながら、木村と名乗った男の体を横たえ、外に飛び出した。急ぎ足に道を戻る。
「先に参ります」
昌行はそう言って長野を追い抜き、走った。
走り出してまもなく、銃声が聞こえた。もう一発。
長野も走り出した。
四人を残してきた河原が見えた。道が崖の上にあるので、様子を見渡すことができた。
小舟が河原と川の中の岩の間に挟まって止まっていた。侍が一人、その側の河原に倒れ伏している。
下流の方で、井ノ原が刀を構え、中居と対峙していた。
剛毅とケインは、三度笠を脱ぎ捨て、長野が来た道を走って来るところだった。その後ろから男が一人、追ってくる。剛毅は走りながら撃鉄を起こし、振り向きざま、引き金を引いた。
銃声が響いた。しかし、相手はさっと身をかわしていた。傷を受けていない。それでも、拳銃を見て立ち止まった。
剛毅も立ち止まった。銃を相手に向ける。ゆっくりと撃鉄を起こした。相手の顔がこわばる。剛毅はケインに向かって、何事か言った。ケインは頷き、懐から鞭を出して剛毅に渡した。剛毅は銃を左手に持ち替え、右手で受け取る。
長野が剛毅たちのすぐ側まで来た。敵が増えたのを見て、相手は覚悟を決めた。
大きく振りかぶり、剛毅とケインに迫る。ケインの手から斧が飛んだ。鈍い音がして斧はたたき落とされた。鞭がうなった。斧をたたき落としたばかりの相手の手をしたたかに打つ。
相手はひるんだが、それでも突き進んでくる。鞭は続いて顔を襲った。刀をあげ、それを防ぐ。
その時。長野がケインの横をすり抜け、体当たりをするようにして刀を突きだした。完全に腰が引けていたが、切っ先は届いた。相手はそれをかわそうとして体勢を崩し、足を一歩引いた。しかし、引いた先には地面がなかった。崖の端に立っていたのだ。相手は仰向けに倒れ、崖にぶつかりながら鬼怒川に落ちていった。水しぶきが上がり、落ちた侍が飲み込まれ、すぐに姿が見えなくなった。
落ちていく相手を見ていて、昌行はやっと准を発見した。
准は、少し先の崖の下にいた。滅茶苦茶に脇差しを振り回しながら後退している。
その前には、刀をどっしりと構えた侍がいた。間合いをはかりながら、進んでくる。相手が進んだ分、准は退いていたが、河原はもうほとんど尽きようとしていた。
昌行は走った。
腰を落としている長野を飛び越えるようにして、急いだ。
准の上に来た。准は気づいていない。道は、准の背丈よりも高い崖の上にあった。しかし、准の相手は昌行に気がついた。
一瞬目があった。
昌行はさらに道を下り、相手の背が見えるところで立ち止まった。
「兄貴」
今度は准にも昌行の姿が見えた。しかし、敵は目の前にいる。准の前の男は、すぐに片付けることにしたらしく、一歩踏み出しながら刀を振りかぶった。准は脇差しをかざして受けようとしたが、恐怖に目を閉じた。
男が刀を振り下ろすのに合わせて昌行が飛んだ。
水音がした。
准が目を開けると、目の前には、昌行が立っていた。昌行は、冷たい水の中でもがいている男を見ている。昌行が、飛び降りながら、男を蹴り倒したのだ。昌行の蹴りは首筋にあたり、一瞬気を失った相手は川に倒れたのだった。
相手は少し流されたが、立ち上がり、岸にはい上がった。しかし、濡れた綿入れが体の自由を奪う。昌行は、その男に駆け寄ると、苦もなくその胸に脇差しを突き立てた。
「兄貴」
准はほとんど泣き声になっている。しかし、昌行は准を振り向きもせずに川下へ走った。
井ノ原が中居と切り結んでいるのが見えた。
井ノ原の目には緊張が、中居の目には怒りがあった。
「井ノ原の旦那」
昌行が声をかけると、井ノ原は中居から目をそらさずに頷いた。
「うおおおおおっ」
わざと叫び声をあげながら昌行は走った。その声に中居が一瞬振り向いた。
そこに隙が生じた。
井ノ原は左下から切り上げた。中居は右手を離し、それをやり過ごす。井ノ原はそのまま振り上げると見せかけ、踏み込みながら突きこんだ。
突かれながらも中居は左手で切り下ろす。井ノ原は突いた刀でその左手を払いあげた。中居が大きく手を開く。そこへ、払いあげた刀を振り下ろした。
中居は一歩退いたが、井ノ原が充分に踏み込んでいたので、胸を縦に裂かれた。
胸から腹にかけて赤黒く染まる。
「くそっ」
中居は左手の刀を杖にし、右手で胸を押さえながら立っていた。目はまだ怒りに燃えている。
そこに長野が駆けつけて怒鳴った。
「なぜお二人を狙った」
「わけなどあるものか」
中居の声はかすれている。
「お二人のご身分は承知のはず」
「それがどうした。俺は、倒幕に命をかけてきたのだ。俺も、同志も」
「しかし、もうその必要はなくなったのだろう」
「いや、幕府は倒す。大政を奉還したぐらいのことではだまされんぞ。何としても、倒幕を果たすのだ」
井ノ原は刀を振って血を落とし、鞘に納めた。昌行も脇差しを鞘に戻し、准のいた方を振り返った。准は、剛毅、ケインと一緒に早足に歩いてくる。
長野は穏やかな口調で言った。
「拙者の負けだったのだ。世の流れを変えることはできなかった。これ以上の争いは無益と承知のはずだ」
中居は声を立てずに笑った。
「俺が死んだとて、倒幕の軍は起こる。それに、俺は、同志の仇を討ちたかったのだ」 昌行が口を挟んだ。
「それでお仲間を切りなすったんですかい」
「そうだ」
中居は、今度は昌行をにらみながら言った。
「木村は、これ以上は無駄だと……。それでは、今までにお前らに殺された連中は犬死にだ」
「あっしらに殺されたんじゃねえ。あんたが、あっしらの手にかかるように仕向けたんだ」
昌行の声は厳しかった。
「あの慎吾って男も、稲垣って浪人も、あんたが殺したんだ」
「いや、そうではない」
否定したのは中居ではなかった。その声は、沈んだ表情の長野のものだった。昌行は長野を見た。剛毅たち三人もそこに来て長野たちに並んだ。長野は言葉を続けた。
「私も責を負わねばならん。無謀だったのだ。ただ世の流れに逆らっただけだった。違う道を選べばこんなことにはならなかった。私も無駄に人の命を奪ってしまったのだ」
中居は不思議そうに長野を見ていたが、力が尽きて腰を下ろした。
胸を押さえている手は、朱色に染まっている。指の間から血が流れ出ていた。
「くっ、くそう」
中居は何とか立ち上がろうとするが、もう足は言うことを聞かないようだった。
昌行たちは無言で中居を見下ろした。中居は六人をにらみ回し、
「これまでか」
とつぶやくと、刀を右手に持ち替え、自分の腹に突き立てた。中居の体は一瞬硬直し、そして力を失った。
長野は天を仰ぎ、
「終わった」
とつぶやくと、ふらふらとその場を離れ、少し離れた所にあった岩に腰を下ろした。
「終わった。無駄だった」
剛毅とケインは長野のわきにあぐらをかいて座った。すると、長野は岩からおり、二人より低いところに正座した。
井ノ原は、河原に頭をのぞかせていた岩に腰掛けた。
昌行と准もそれぞれ腰を下ろす。
しばらくの間、鬼怒川が岩を打つ音ばかりが聞こえていた。
「どういうことだったのか、聞かせてはもらえまいか」
口を開いたのは井ノ原だった。
長野は天を仰ぎ、それから剛毅とケインを見た。
「この者らに話して聞かせても、よろしいでしょうか」
改まった口調だった。剛毅とケインは頷いた。
長野は、井ノ原たちの方へ向き直った。
「申し上げよう。まだ、本当の名を明かすわけには参らんが、こちらの方は、お一人は将軍家の血を引く方なのだ」
と言いながら、剛毅を示した。そして次にケインを手で示し
「そして、こちらの方は、帝(みかど)の血を引く方なのだ」
井ノ原が驚いて岩からずり落ちるようにして河原に正座した。
昌行と准も、井ノ原の様子を見て、河原に正座した。
「それはまことか」
井ノ原の問いに、長野は頷いた。
「まことでござる。お二人は、わけあってアメリカに行っておられた」
「アメリカに」
「さよう。渡られたのは、アメリカとの条約が結ばれた年、安政五年」
安政五年は、西暦では一八五八年にあたり、この年、日米修好通商条約が結ばれている。「それ以前から、幕府は、足元が危うくなっていることに気づいていた。そこで、いっそのこと開国し、外国の力を借りて建て直しを図ろうとしていたのだ」
長野の言うところは、こういうことだった。
オランダを通じ、幕府は、嘉永六年(一八五三)の黒船の来航はすでに前もって知っていた。しかし、幕府内の意見がまとまらず、何もできずにいた。
ペリーは翌年再来日し、日米和親条約が結ばれた。それがきっかけとなって鎖国はなし崩しになっていき、幕府も弱体化していった。
世には、尊王論、攘夷論、開国論などが興っていたが、朝廷と幕府の力を合わせることで時局を乗り切ろうとする公武合体を主張する者もいた。
しかし、国内の体制を立て直すだけでは、外国からの圧力をはね返すことはできない。それならば、外国を味方につけてその力を利用しようという主張も生まれた。
そして、ハリスとの間に条約が結ばれた安政五年に、ひそかに、将来、朝廷と幕府の代表となりうる者がアメリカに送られることになったのである。それが、剛毅とケインであった。
二人は、まだ子供だったが、アメリカで教育を受け、後には日本とアメリカを結ぶ役目を負うことになっていた。ハリスは、幕府の依頼を受け、秘密裏に二人と従者をアメリカへ渡らせることは成功した。
「しかし、アメリカに着いてから、ほかの船で移動中に、その船が難破したらしい。従者はそれで死んだようだ」
その時、二人の身分を証明するものは失われ、それぞれ、別々に、土地の者に救われ、それからはそこで過ごしていた。
「ご苦労なすったんですね」
昌行がそう言うと、剛毅とケインは頷いた。
その時には、長野は世の中で何が起こっているのか知らず、ただ、洋学の必要性を感じて英語の修得に志を立てていただけだった。
後に、番書調所(ばんしょしらべしょ)での成績と家柄とによって目を付けられ、その事実を知らされ、公武合体実現に身命を賭すことになったのである。
「しかし、今にして思えば、公武合体など、無理な話だったのだ」
文久二年(一八六二)には、皇女和宮と将軍徳川家茂との婚儀があったものの、朝廷は討幕派に与(くみ)するようになり状況は悪化し、アメリカに送られた二人のことは、ほとんど忘れられようとしていた。
しかし、一方では、万延元年(一八六〇)年から、幕府は外国へ使節を派遣するようになり、密かに二人の行方を探し求めてはいた。
そして、二人が渡米してからちょうど十年目のこの年。
やっと二人の所在が明らかになり、密かに帰国することになったのである。
朝廷と幕府が対立しようとしている中で、アメリカの事情を知る貴人の存在が知られると、討幕派と佐幕派双方で奪い合いになる恐れがあった。
幕府としては、二人を幕府の庇護下に置き、ケインの存在を利用して朝廷を再度味方につけるつもりでいた。
しかし、江戸への帰還は危険であり、選ばれたのが、家康ゆかりの日光であった。
京の都から遠いのも都合がよかった。また、山を越えた上野(こうずけ)を領地とする、小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)の力を借りることもできるはずだった。
そして、二人が幕府の手にあることを知られぬように、密かに日光へ案内するのが長野の役目であった。その仕事の性格上、英語に堪能であることが必要であったのだ。
警護の者をつけると目立つので、目立たぬよう警護を工夫することも長野一人に任されていた。
「それであっしらを……」
昌行の問いに長野は頷いた。
「拙者も、警護の役には立ったようですな」
井ノ原の顔にはいくらかの満足感があった。
秘密は漏れるもの。
長野が受けた使命の内容は、すぐに討幕派の知るところとなった。そこで長野の仕事の妨害のために中居が送られてきたのである。
「刺客ですな」
井ノ原がそう言うと、長野は、
「刺客といえば刺客でしょうが、やつらは、直接手は出せなかったのです」
と言った。
敵にしてみれば、将軍の血を引くほうを抹殺し、帝の血を引く方を勢力下におく必要があったのだが、ことは簡単ではなかった。
剛毅とケインのどちらが帝の血を引いているのか、それを知ることができなかったのだ。
朝廷を味方に引き込みたい討幕派としては、帝の血を引く方に危害を加えることはできない。
かといって、将軍家の者とともにおいたのでは、公武合体に利用されてしまう。
そこで、二人のどちらが帝の血を引いているのか探る一方で、自らは手を下さず、人を使って長野を狙わせることにしたのである。万一、帝の血を引く方を殺害してしまったとしても、自分たちは知らぬ顔をしていればいいと考えていたようだった。
草薙が、同じ座敷に寝起きしながら、二人に手を出さずにいたのは、そこに理由があった。
慎吾は中居にそそのかされて一行を狙い、稲垣は金のために狙ったのである。
「しかし」
そう言って長野はため息をついた。
「無駄だった。私がお二人をお迎えした時には、すでに大政の奉還は決まっていたのだろう。いずれにせよ、ここに迎えの者は来るはずはなかったのだ」
井ノ原は、腕を組んで考え込んでいた。
准にはよく理解できず、きょとんとして聞いていた。
しばしの沈黙のあと、
「あの中居って侍は」
と、昌行が口を開いた。
「さっきはお二人の命もねらっていたようですが、やけになったということでしょうか」
「そういうことだろう」
長野は暗い口調で答えた。
「あの男にとっても、今までの苦心は無駄だったのだ。私と同じだ。無駄に同志を死なせたと知って、自暴自棄になったのだろう」
再び沈黙が流れた。
剛毅とケインは端然と座っていたが、剛毅が口を開いた。
「皆の者には、世話になった。ありがたく思うぞ」
その言葉に、長野と井ノ原は深く頭を下げた。昌行と准もそれをまねて頭を下げた。
ケインは、長野に向かって、
「I shall be grateful to you all my life.(恩は生涯忘れない)」
と、声をかけた。
「恐れ入ります」
そう言いながら、長野は再度頭を下げた。
風が吹きすぎ、木々がざわめいた。綿入れを通して冷気が肌を刺した。
「これから……」
井ノ原が長野に尋ねた。
「これからいかがなさるお積りか」
長野は首を振った。
「何も……何も考えつかぬ」
「しかし、このままここにいるわけにも参りますまい」
「それはそうだが……」
昌行が立ち上がった。
「とにかく、ここから離れた方がよろしいでしょう。また剣呑なのが来ないとも限りやせん」
「そうだな」
井ノ原も立ち上がった。
「江戸へでも参りましょう」
「江戸へ行ったところで、どうにもなりますまい」
「かといって、ここにいたのでは、それこそどうにもなりますまい」
准は周りを見回し、小舟に目を留めた。
「あれつこうたらええやん」
そう言って小舟に駆け寄った。河原と岩の間に挟まっているだけで、押すと簡単に動いた。
「これなら楽に下れるで」
准が、艫(とも)をつかんで小舟を少し引き上げながら言った。それを聞いて剛毅が立ち上がった。
「乗ろう」
長野が顔を上げて剛毅を見た。
「行くしかあるまい」
そう言って剛毅が歩き出す。ケインがそれに続いた。
それを見て、昌行は、自分が先に乗り、剛毅とケインが乗るのを手助けした。井ノ原も乗った。
「参りましょう」
井ノ原に促され、長野も乗り込んだ。
准は艫を勢いよく押し、自分も飛び乗った。手には竹竿を持っている。
「准、竿は使えるのか」
昌行が声をかけると、
「見よう見まねでできるわい」
と答え、川底を突く。
たちまち小舟は鬼怒川の流れに乗った。
思った以上に流れは急で、両岸の景色がどんどん後ろへ飛んでいく。
渦巻いているところで、小舟は笹舟のように回った。
「おいっ、大丈夫なんだろうな」
井ノ原がたまりかねて怒鳴った。
「見よう見まねやから……」
准の声はすでに頼りなくなっている。
前に岩が見えた。小舟はどうにかそれをかわした。
しかし、前方にはさらにいくつもの岩が見えている。
「どないしょ」
「何とかしろ」
井ノ原が怒鳴りつけたが、小舟を操ることは、准の手に余ることは誰の目にも明らかだった。
長野は剛毅とケインを抱きかかえるようにして前方を見つめている。
「貸せっ」
昌行がそう怒鳴って准に手を伸ばした。准はおとなしく竿を渡してうずくまった。
昌行は舳先(へさき)に立ち、迫り来る岩を見つめた。流れを見極めて竿を突く。
小舟は揺れたが、岩を避けることができた。すぐに次の岩が迫る。昌行は目を見開き、竿を突いた。
寒風が吹き付け、しぶきが昌行の着物を濡らす。
また一つ岩をかわした。
座っている五人の顔にしぶきがかかる。
まだまだ岩場は続くようだった。
流れは速い。
昌行は歯を食いしばって竿を操っていた。
この鬼怒川は、このまま下れば、守谷で利根川に合流することになる。
そして利根川は、長野が剛毅とケインを出迎えた銚子で海へ通じている
激しい流れに翻弄され、六人の乗った小舟は、しぶきをあげながら川を下っていく。
この先、六人の行く手に何が待ち受けているのか、それは誰にも分からない。
(終わり)
日本では「望郷」という題で公開された香港映画があります。1983年に製作されたもので、監督は許鞍華という女性でした。日本では1984年に公開されました。
1978年のベトナムを舞台にしたもので、歌手の林子祥が日本人カメラマン芥川を演じていました。
英語題は「Boat Peaple」で、その名の通り、芥川の知り合ったベトナム人が、最後には、故郷を棄て、ボートでベトナムから脱出を図ります。
ベトナム戦争が終わり、いわゆる「解放後」のベトナムで何があったかという内容ではあるのですが、たまたま、そういう国、そういう時代に生まれてしまったばかりに、自分には責任のないことでつらい目や悲しい目に遭いながらも生きていく、という、普遍的なテーマを描いた映画でした。
その映画の中国語題が「投奔怒海」でした。
「荒れ狂う海に乗り出す」という意味のようです。
この小説の「投奔怒流」というのは、この映画が頭にあってつけた題なのです。
一応、最後は、題に合わせた終わり方になっていますが、実は、このラストシーンが先に浮かび、題を考えているうちに「投奔怒海」を思い出して、「投奔怒流」という題にしたわけです。
直接V6とは関係のない、単なる時代小説としても読めるものを書けないかなあ、という気持ちがあって書いてみたのですが、どうだったでしょうか。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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