胡瓜

(前編)

「弁当持ってきたよ」
 剛太が声をかけると、達也と智也が振り向いた。
「おお、ありがとよ」
 そう言いながら智也が手を伸ばす。剛太は風呂敷包みを渡しながら尋ねた。
「どうだい、河岸は」
 達也が答える。
「だいぶ水が出てるが、流されるようなことはねえようだ」
 二日続いた雨に、利根川は水かさを増し、泥を含んだ流れが河岸を隠していた。
「それじゃ、帰るから」
「ああ、足元が濡れてるから気をつけろ。すべって川にはまりこんだら助からねえぞ」
 からかうように達也が言った。
「餓鬼じゃねえやい」
 剛太が、河岸を見守っている二人に背を向けて歩き出したとき、土手に立っている娘の姿が目に入った。
 帰り道なので、剛太は、その娘の横を通ることになる。娘が身につけているのは、薄い藍色の木綿のかすりだったが、顔立ちは、その身なりにそぐわないものを感じさせた。
 娘は、剛太が歩み寄るのを見て身を固くした。剛太は、苦笑し、
「足元が濡れてるから気をつけな」
と言いながら横を抜けた。その時、娘の足元を見ると、身なりに不釣り合いな塗り下駄を履いているのが目に入った。
 しばらく行って振り向くと、娘はその場に立ったまま利根の流れを見下ろしていた。

 立秋を過ぎて半月ほどたっていた。
 朝顔も、蔓ばかりが目に立つようになってきたが、それでも、朝には、紫や赤の花を開いてみせる。
 雨が上がり、朝顔が開いている朝のうちは、秋の気配が感じられたが、日が高く昇るとその気配はどこかへ消えてしまい、夏が居座っているのが憎らしいような天気になった。
 秋が近づいていても、近藤屋の裏庭には、シゲの植えた遅蒔きの胡瓜(きゅうり)が、毎日花を付け、何本もぶら下がっていた。
 シゲは、二十年以上も近藤屋の賄いをあずかっている女で、もう五十を越えていおり、庭の一角を自分の畑として、毎年、茄子や胡瓜を作っていた。
「腹減ったぁ、何かねえかい」
 戻ってきた剛太が、流しに顔を見せてシゲにねだった。
 シゲは、竈で火の具合を見ていたが、手にした火吹き竹で庭の胡瓜を指差した。
「昼飯まで待てんのか。ほれ、立派なのがあろうが。味噌でもつけて食え」
「また胡瓜かよ」
 不満そうにつぶやきながらも、剛太は一番太そうなのを選んで蔓をねじ切り、手でしごいていぼを取った。へたの所をもぎ取って胡瓜の根元に投げ捨て、一口かじった。
 生ぬるかった。
「うへぇ、胡瓜の煮物みてえだ」
 思わず声に出してそう言うと、かすかな笑い声がした。振り返ると、離れの障子が開いていて、浴衣姿の佐知が剛太を見ていた。
 剛太は気恥ずかしそうに頭を下げ、母屋へ引っ込んだ。
 ちょうどそこへ昌行が帰ってきた。
 算盤(そろばん)をはじいていた博が声をかける。
「お帰りなさい。どうでした」
「厄介な話だ」
 昌行は、雪駄を脱ぐと、シゲに足を拭いて貰いながら答えた。
 その背中へ博が重ねて尋ねた。
「おおごとですか」
「おおごとというか、簡単には手を出さねえほうがいいような話だ」
「お武家がらみですか」
「お武家もお武家、お大名がらみだ」
「お大名とは……」
 博は、そろばんを脇へやって昌行の方へ向き直った。
 流しでは、剛太が、胡瓜に、掌にのせた味噌をつけて食べながら聞いていた。
 昌行は、長火鉢の前に腰を下ろすと、
「シゲさん、水を一杯、くんねえ」
と言って、団扇を使い始めた。
「俺が持ってくよ」
 シゲの代わりに、胡瓜を食べ終えた剛太が、ざっと手を洗い、湯飲みに水桶の水を汲んで、そのまま手で持っていった。湯飲みを渡し、剛太はそのまま下手(しもて)に腰を下ろす。
「なんだか味噌くせえな」
 そう言いながらも、昌行は一気に飲み干した。
「暑いなあ、まったく」
 昌行は手ぬぐいを出して首筋を拭った。
「で、どんなお話だったんです」
 剛太が続きを催促した。
「これはお上の御用だ。おめえなんぞにゃ、話せねえ」
「そんな」
 剛太は口をとがらせた。それを見て、横から博が口を挟んだ。
「よほどのことなんでしょうね」
 昌行は、浅黄の単衣の胸元をくつろげ、団扇で風を送りながら苦笑した。
「まあな。人の口に戸は立てられねえからな」
 そう言いながら外に目をやると、街道を行き来する人の姿が目に付いた。
 いつもより侍の姿が多い。
 顔をつきあわせては小声で何か話し合ってる侍たちもいた。

 昌行は、若いながら、関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)、いわゆる関八州、八州廻りの道案内となっていた。
 道案内というのは、本来、その名のごとく、地理に明るい者が捜査の補佐をし、道を案内したものであったが、後には、探索を任されるようにもなっていた。江戸で言えば目明かしのようなものである。
 昌行が取り仕切っている近藤屋は、ここ下総取手で、利根の河岸の人足口入れ屋を営みながら、代々、道案内の役目を引き受けていた。
 元はといえば、先代の真彦の弟分として働いていただけだったのだが、子の無かった真彦の遺言により跡目を継いだのだった。
 もっとも、八州廻りが常に取手にいるわけではなく、ふだんは、代官所配下の東山の手助けをしていた。

 昌行は、もう一杯水を貰い、それから離れへ向かった。
 剛太が庭にいたときには、中が見えたが、今は縁側の奥の障子の桟の所に簾(すだれ)が下ろしてある。
 身の回りの世話をしているキミが、あごの先から汗をしたたらせながら、七輪で粥を炊いていた。渋団扇で、炭火をおこしたり自分の顔をあおいだりしている。
「姐(あね)さんはどうなさってる」
「起きておいでですよ」
 キミは顔も上げずに答えた。まだ十五で、どうにか炊事ができるだけだ。
 昌行は板張りの縁側に腰を下ろして声をかけた。
「姐さん、おかげんはいかがです」
「今日はだいぶいいよ」
 そう言いながら、佐知は、座敷の簾をかかげて白い顔を見せた。白地に笹の葉を染め抜いた浴衣を身につけている。死んだ真彦の女房で、病(やまい)があるので、離れで暮らしていた。
「朝から忙しかったようだね。こんな日に呼び出されて、暑くて大変だったろう」
「ご機嫌うかがいに参りませんで、申し訳ありません」
 昌行がそう言うと、佐知は団扇を手に取り、昌行に風を送ってやりながら言った。
「いいんだよ。そんなに毎日心配してくれなくたって。大切な御用があるんだから。それにしても、雨が止んだと思ったら、また暑くなったね。いつもなら一雨ごとに涼しくなるもんなのに」
「全くで。利根も溢れそうで随分心配させられました。どうにか持ちこたえましたが、今日は渡れねえようです」
「そうかい。旅の人は難儀してるだろうねえ」
 佐知は手では昌行に風を送りながら、空を見上げた。入道雲でも出そうな空だった。
 昌行も空を見上げた。
 本当は、佐知には横になって貰っていた方がいいのだが、もう少し一緒に空を見上げていたかった。
 そこに、母屋から博の声がした。
「兄貴、東山様がお見えです」
 昌行は、物足りないような、救われたような気持ちで腰を上げた。
「御免なすって」
 佐知に頭を下げ、昌行は母屋へ戻った。
 母屋では、上がりがまちに腰をかけた東山が、扇子をつかいながら待っていた。
 シゲが気をきかせ、手拭いを冷たい水で濡らして絞り、盆に載せて差し出したところだった。
 東山は笑顔で頷くと、それを受け取り、首の後ろに当て、目を閉じて大きく息を吐いた。
 役目のためとはいえ、どんなに暑くとも羽織を脱ぐわけにはいかないのが、気の毒なような暑さだった。
 昌行が入ってきたのを見ると、東山はうれしそうに言った。
「さっきの話だがな、どうもすぐに片が付きそうだ」
「行方が分かったんでございますか」
 昌行は東山の脇に正座し、ほっとした表情を見せた。
「ああ、お姫様は見つかった。あとは腰元だけだ。龍ヶ崎あたりでまかりまちがうと、厄介なことになるところだったが、腰元の一人くらいなら、もし見つからんでも、大したことにはなるまい」
 龍ヶ崎は取手に隣接する土地ではあるが、遠く離れた仙台藩伊達家の飛び地になっていた。
 東山は、機嫌がよく、饒舌になっていた。
「なんでも、小貝川の渡しで、まごまごしているうちに見つかったそうだ。利根も随分水かさがましていたが、小貝川も渡れはせん。奥州へ戻ろうとしたんだろうな」
「なるほど。きっとそうでございましょうね」
「さっき、手がかりでもないかと土手を歩いておったら、牛が流されて来たなどという噂が耳に入ったくらいだ」
「牛ですか。そりゃあ大変でございますね」
「なあに、与太だろう。では、あとは腰元だけ頼む」
 東山は、昌行と博に見送られ、笑顔で出ていった。
 博が、
「お姫様、とおっしゃってましたね」
と言うと、昌行は笑顔で答えた。
「ああ。厄介なことだと思ってたんだが、無事に済みそうだ」
 シゲが剛太に手伝わせて膳を並べ始めた。南瓜(かぼちゃ)の煮物、それに、茄子と胡瓜のぬか漬けがのっている。
「さっきも胡瓜でまた胡瓜かよ」
 剛太が不満を漏らすと、博がにらみつけた。
「嫌なら食うな」
「すんません」
 剛太はおとなしく頭を下げ、自分の座に着いた。
 昌行と博が上座に座り、シゲの給仕で食べ始めた。
「一体何だったんです」
 食べながら博が尋ねた。
「実はな」
 昌行は、味噌汁を一口すすってから答えた。
「今朝、奥州のさる藩のお姫様と腰元が行方知れずになった」
「お姫様が」
「ああ。昨日までの雨で、利根川はまだ渡れねえ。今日中に見つけてくれ、という相談だった」
 剛太が身を乗り出す。
「どこの藩なんです」
「それは言っちゃならねえんだ」
「江戸へ上る途中だったんですね」
 そう博が尋ねると、昌行は頷いた。
「ああ。何でも奥州の殿様で、三万石だそうだ。利根が川留めなもんだから、一昨日からこの取手にお泊まりだったそうだ。昨日の夜までは宿においでだった。ところが、今朝になってみたら、お姿が見えねえ。お気に入りの腰元も一人いねえ、というわけだ」
「で、捜してくれ、というわけですか」
と、博。
「ああ。歳は十八だそうだ。お名前はうかがってねえ。ご家中の方がいたんだが、お大名のお姫様だ、見た目で分かるだろうっていうんだ。しつこく人相を聞くと、色白で丸顔だということだった」
「色白で丸顔……。それだけですかい」
 そう剛太が尋ねると、昌行は笑って頷き、こう言った。
「だいたいが、お姫様なんてのは、お天道様のあたらねえところにいるから色が白いに決まってる。それに、いいもん食ってるからぽっちゃりして丸顔なのが普通だろう。人相じゃわからねえ。身につけてるもので見分けるしかねえだろうと思ってた。探しに出る前に見つかってよかったぜ」
「しかし、腰元はまだ、という話でしたね」
「そうだな。ま、腰元なら見つからなくても大したことはねえだろう。俺は茶屋でも見回ってみる。剛太、飯を食ったら、お前もそこらをぶらついてみてくれ」
「へい」
 上る船も下る船もないので、仕事はない。河岸は達也と智也が見ているので、自分が出る幕はない。そこへ人捜しを頼まれて剛太は張り切った。
「腰元の身なりは分かってるんですかい」
「藤色の矢羽根文(やばねもん)だそうだ」
 飯を掻き込むと、剛太は土手に向かった。
 小貝川の渡しでお姫様が見つかったということは、取手から離れようとしたということだ。取手の東と北に横たわる小貝川と、南を遮る利根川も渡れないとなれば、ほかの土地へ行くには、西へ向かうしかない。
 渡れそうなところを見つけようとするならば、川沿いに歩くだろう。
 剛太は、濡れた草を踏みながら土手を川上へ向かって行った。
 歩くうちに、上からは照りつけられ、足元からは蒸気が立ち上り、木綿の単衣が汗で体に張り付いた。
 河岸では、船主や荷主が流れの様子を見ている。智也と達也の姿も見えた。
 しばらく行くと、土手の右側は畑、左側は葦原になった。春に、子供らが鮒釣りをするあたりだ。
 葦原に隠れて所々に水場や窪地がある。
 大水のあとで、窪地に魚が取り残されることがある。それを狙ってきた子供でも落ちてはいないかと、剛太は気を配りながら葦をかき分けて進んだ。
 すっかり着物が濡れてしまったが、暑い日なのでかえって心地よいくらいだった。
 ほどなく、葦を透かして屈んでいる人影が見えた。
「そのへんは気をつけたがいいぜ」
 子供だろうと思って気軽に声をかけたが、立ち上がった相手を見て驚いた。
 昼前に見た娘だった。
「なんだ、そんなところで」
 そうは言ったが、用でも足していたのかと、そこをそれて通り過ぎようとした。すると、娘が声を震わせながらこう言った。
「あなたは悪者ですか」
「悪者……」
 剛太は足を止めて相手を見た。娘は思い詰めたような表情をしている。
「悪者ですかって聞かれて、はい悪者でございって答えるやつはいねえだろう」
 娘は身を固くして剛太を見ている。
「何かあったのか」
 娘は黙っている。
「そんなところにいると、河童に尻子玉(しりこだま)抜かれるぞ」
「河童ですか」
 娘は声をあげた。
「河童がいるのですか」
「見たことはねえけど、そういう話だ」
「そうですか。尻子玉とは何ですか」
「なにって言われてもなあ。そういうのが尻にあるそうだ」
 剛太は相手をしきれないと思って歩き出した。しかし、娘が追ってくる。
「お待ちください」
「何だよ」
 振り向いて娘を見ると、娘は剛太に手を合わせた。
「あなたは悪者ではありませんよね」
「違うよ」
「では、何ですか」
「何ですかって……。近藤屋の人足だよ」
「人足とはなんですか」
 剛太はまじまじと娘を見た。
 身につけている絣は何度も水をくぐっているらしい。そんなものを着ているにしては、塗り下駄を履いているのが不釣り合いだ。妙に足が白いのも目についた。
「人足つったら、荷を運ぶんだよ。俺は、河岸で積み込んだり、積み替えたり。使い走りもするけどな」
「では、町の様子をご存知ですね」
「知ってるよ」
「わたしに町を見せてください」
「何言ってんだ」
 話をしながらも、剛太は頭を働かせていた。頭がおかしいのか。いや、目は正気のようだ。見た目はそこらの娘のようにも見えるが、言葉が違う。色も白すぎる。
「ははあ」
 剛太は一人で合点して頷いた。
「どうしました」
「いや、なんでもねえ。あんた、名前は何ていうんだ」
「わたくしは……わたくしは、み……、いえ、キタと申します」
「キタ? おキタさんか」
「はい、喜びが多いと書いて喜多です」
「そうかい。俺は剛太ってんだ」
「剛太殿」
「おいおい、殿なんていらねえよ。で、お喜多さんは、町が見たいんだな」
「はい」
「わかった、俺が案内してやるよ。ついて来な」
 剛太が先に立って歩き出すと、喜多はおとなしくついて来た。
 喜多が葦を踏み分ける音を背に聞きながら、剛太は尋ねた。
「町中(まちなか)で人に見られちゃ、まずいんじゃねえか」
「そうですね……」
 剛太は土手を登った。喜多も続く。土手の向こうは畑だった。
 振り返ると、茶色に濁った利根の流れが、照りつける日にきらめていた。
 喜多も立ち止まり、振り向いた。
「大きな川ですね」
「ああ、特に今は川幅が広くなってる。水かさがましてるからな」
「雨のせいですか」
「ああ、そうだよ」
「この土手が壊れることはありませんか」
「たまにある」
「どうなります」
「水が溢れる。下手すると、うちが流されちまう」
「まあ。人はどうなります」
「運が悪けりゃ、流される」
「流されてどうなります」
「たいていは助からねえ」
 喜多は黙った。手をかざして土手から四方を見回している。
「もっと高いところにいけばよく見えるぜ」
 剛太は土手をおり始めた。喜多も続く。
 おり始めてすぐ、剛太はふと気づいて尋ねた。
「あんた、昼飯はどうした」
 喜多は答えない。
「昼前にも会ったよな。あれからずっと土手にいたんじゃ、何も食ってねえんじゃねえか」
「はい……」
 剛太は素早く懐を探り銭を手で数えた。これだけあれば、蕎麦ぐらい食わしてやれる。何か食わしてやって、無事に連れて帰ればたんまり礼がもらえるだろう。
「蕎麦でもおごってやろうか」
「おあしならあります」
 喜多が足を早めて剛太に並び、懐に手を入れた。そして、足を止め、手を出したときには小判を握っていた。
「お、おい」
 剛太は、立ち止まり、慌てて周りを見回した。
「これは使えませぬのか」
「そうじゃねえけど……。しまえ、早くしまえったら」
 蕎麦屋で小判など出そうものなら人目につく。褒美を手にするためには、自分が連れていかなくてはならない。
「いいよ。俺がおごってやるよ」
「見も知らぬ方のお世話になるわけにはまいりません」
 見知らぬ自分に町を見せろと言っておきながら、勝手な言いぐさだとは思ったが、逆らって逃げられても困る。
「しょうがねえなあ」
 剛太が周りを見回すと、畑に胡瓜がなっていた。シゲのよりも早いうちに植えたものらしく、寸が短く太くなっているのが多かった。
「これでも食おう」
 剛太は、長いのを選んで二本もぎ取った。
「勝手にとってもよろしいのですか」
 喜多は不安そうに見ている。
「後で俺が代を払っとくよ」
 川で働く剛太には、川沿いの畑の持ち主は、たいてい顔見知りだった。
 剛太は、手でしごいていぼを落とし、へたの所を折り取って喜多に渡した。
「食ってみな、うまいぜ」
 そう言うと、自分でまずかじりついて見せた。こきっと音がして、みずみずしい胡瓜の味がした。
 喜多もまねをしてかじりついた。
 よほど腹が減っていたのか、たちまち食べ尽くした。剛太は笑ってもう一本とり、さっきと同じようにして喜多に渡した。
「味噌でもありゃあいいんだがな」
「いえ、このままでも美味です」
 喜多は、胡瓜が蔓にぶら下がっているのが珍しいらしく、そばによって検分しながらかじっている。
「お喜多さんはさ」
「はい」
「お喜多さんは、お腰元だろ」
 喜多が剛太を見つめた。
「腰元……わたしがですか」
「お姫様と一緒にどっか行こうとしたんだろ」
 喜多の手が震えている。
「怖がらなくていいよ。俺は悪者じゃねえ。あんたを捜してたんだ。町は見せてやるから、俺と一緒に帰ろう。何があったかしらねえけど、あんた一人じゃどこにも行けやしねえだろう」
「そう……そうですね。どこへも……」
 喜多が頷いた。
「着物は、誰かと替えたのかい。藤色の矢羽根文だっていう話だったけど」
「はい、町の娘さんに替えていただきました」
「そうかい。その方が目立たなくていいやな。さ、行こう」
 剛太は歩き出した。喜多は、残っていた胡瓜を急いで口に入れると、その後についていった。

(続く)


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