二十三夜

(第二回)

 翌日、昼の弁当を取りに来た剛太は、シゲとキミが小声で話しているのを耳にした。
「もうあかんようかね」
「うん」
 キミは泣いているようだった。佐知の話であることは明らかだった。
 剛太は、佐知のことも気がかりだったが、他にも気がかりなことがあった。
 河岸に戻り、小屋で弁当を出しながら、
「姐さん、危ないらしいよ」
と言うと、
「冷えてきたからなあ。こたえるだろう」
と、達也も沈んだ声で言った。
「もし、姐さんが亡くなったら、おキミちゃんはどうなるんだろう」
 剛太は、自分が心配していたことを口に出して言ってみた。
「里に帰るのかな」
「それは無理だろう」
 達也が首を振った。
「うちにいられるくらいなら、あんな命がけの奉公には出ないだろう」
「そうだよな」
 智也が、飯を掻き込みながら、口を挟んだ。
「親もきついらしいしな」
「ほう、きつい親なのか」
 黙っていた快彦が、話に加わった。
「うん。怒鳴ってばっかりいるらしいよ」
「じゃあさ」
 剛太は少し気が軽くなってこう言った。
「ずっとうちにいるのかな」
「それはどうだろうな。おシゲさんもいるしな」
 達也は剛太の期待を知らず、冷静だった。
「植草の隠居のところはどうだろう」
 智也が言うと、達也はそれに賛成した。
「そうだな。もう年だし、年寄りの世話なんざ、だれもやりたがらねえだろうしな」
「だめだよ、あそこは」
 剛太はむきになった。
「何でだよ」
 達也は、剛太の勢いに驚いた。
「だって、健吉がいるし」
「ああ、そりゃあ健吉はいるが、健吉だって店の仕事も覚えなくちゃならないだろうしな」
 そこで、快彦は、剛太の考えていることに気づいてこう言った。
「健吉と二人で隠居の世話をするというのもあるな」
「だめだよ、そんなの」
 快彦が笑って何か言いかけたとき、小屋の入口に人が立った。見ると、岡田だった。その後ろには小者が控えている。
 快彦以外の三人は、すぐに立ち上がり、手近な棒に手を伸ばした。
 快彦はそれを手で制し、箸を置くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、
「外で話そう」
と言って、外に出た。
 岡田と小者は、黙って快彦と一緒に小屋から離れた。
 快彦は、土手の下へ岡田を連れて行った。
 岡田は、快彦の横に並び、歩きながら、
「先ほど、近藤屋へ行きました」
と言った。
「ああ、昨日、着物を乾かしてもらったそうだな」
「それもあります。それから、井ノ原殿が死んでいたことにすることについて話しました」
「何と言われたか知らんが、俺は、そんな気はない。俺を切りたいというのであれば、堂々と立ちあうだけだ」
「はい。そのお気持ちもうかがいました。それで疑いが晴れました」
「疑いが晴れた?」
「はい」
 岡田の顔には笑みがあった。
 達也たち三人は、戸口から様子をうかがっていた。
 土手の下で、小者が何か説明しているようだった。快彦は時々それに頷いている。
 話が終わると、快彦は笑顔で小屋に戻り、
「すまんが、しばらく頼む」
と言うと、岡田たちを連れて土手を上っていった。
 快彦は、そのまま三人で近藤屋へ戻った。
 三人を迎えた昌行と博は、詳しいことを知りたがっていた。
 座敷にはいると、まず、快彦がこう言った。
「急なことで申し訳ないが、暇をいただきたい」
 昌行と博は顔を見合わせた。
「実は、江戸へ戻らねばならぬことになったのだ」
「江戸へ?」
 昌行は、快彦と岡田の顔を見比べた。
「わたしから話すことにしましょう」
 岡田がそう言って、説明し始めた。
「実は、私の父の死については、藩の中でもいろいろ噂があり、目付(めつけ)殿も内偵を始めておりました。その矢先、ご家老が、密かに私に井ノ原殿を討つように命じられました。もし、ほんとうに井ノ原殿が何かしていたのであれば、殿のご意向で討つことになるはずです。私は、ご家老の命に従うふりをして、そのことを目付殿に伝えました。そして、目付殿と相談の上、井ノ原殿を探すことにしました。もちろん、ご家老には、井ノ原殿を討つための旅に出る、と言ってあります。しかし、井ノ原殿を見つけ、真実を知ることが私の目的でした」
「じゃあ、濡れ衣は晴れたんでございますね」
 博が身を乗り出した。
「晴れました。先日井ノ原殿にお話を伺い、すぐに、この和吉を江戸にやりました」
 そう言って、岡田は後ろに控えた小者を示した。和吉は少し頭を下げた。
「和吉が、目付殿に井ノ原殿のお話になったことを伝えたところ、目付殿の調べ上げたこととぴたりと符合しておりました。目付殿はすでに殿のご内意を受けております。まず、井ノ原殿を呼び戻し、その上でご家老と蔵奉行の吟味にかかることになっております」
「呼び戻すってことは、お侍に戻る、ということでしょうか」
 昌行の質問に、岡田は頷いた。
「帰参がかないます。井ノ原殿はお望みではないようですが、帰参して頂かないことには、私の父に着せられた濡れ衣は消えません。ぜひ、暇をくださるよう、お願い申す」
 そう言って、岡田は軽く頭を下げた。
「そういうわけなのだ」
 快彦の声は明るかった。
「ここでの暮らしの方が気楽でよいのだが、悪党をのさばらせておくわけにはいかん。俺はできるだけのことをやってみる。勝手に雇ってもらっておいて申し訳ないが、暇をくれんか」
「いつ、お発ちですか」
 博が尋ねると、岡田が答えた。
「了承いただければ、すぐに和吉を江戸にやり、目付殿に知らせます。私と井ノ原殿は、明後日ここを立ち、ゆるゆると進んで、千住で目付殿と落ち合います」
「そうですかい」
 昌行はため息をついた。問題は思いがけないところで決着がついたが、快彦が去るのは寂しかった。
 博が昌行の顔を見た。昌行は頷くと、座り直し、手をついた。
「井ノ原さん、おめでとうございます」
 その横で、博も手をついた。
「いや、そのようなあらたまったことを」
 快彦は驚いて自分も座り直し、
「かたじけない」
と、頭を下げた。

 夕食の時に、快彦が侍に戻り、帰参することが皆に告げられた。
 話を聞いて、それぞれ祝いを述べはしたが、内心の寂しさは隠せなかった。
 快彦も、喜び半ば、済まなさ半ばという様子だった。

 翌日、快彦は昼間で河岸で仕事をし、達也たちと一緒に弁当を食ってから戻った。まず、髪結いで髷を武士風に直した。
 シゲは、快彦が流されてきた時の着物に手を入れ、袴に熨斗(のし)をかけて折り目を付けた。
 昌行は、快彦を連れて東山や植草の隠居に挨拶に行った。
 植草は、後で、健吉に上等の酒を持たせて寄越した。
 夜の膳には、シゲの心づくしが並んだ。
 銚子も並んだが、飲み始める前に、博は、昌行に向かって、
「今日は飲み過ぎないような」
と、釘を刺すことを忘れなかった。
 飯は油揚げの炊き込み飯で、皿には、銚子から運ばれたアジの開きのほかに、子供が売りに来た川エビの唐揚げがあった。朱色に揚げられたエビに白く塩がふってあり、酒が進んだ。
 霞ヶ浦でとれた蓮根のきんぴらの、シャリシャリという歯触りも快かった。
「うまいよ、おシゲさん」
 快彦は何度もそう言った。
「江戸に行ったら、うまいもんがたんとあろうが」
 シゲは、そう言いながらもうれしそうだった。
 小鉢の里芋の含め煮には、味噌がかけてあった。芋にからめて食べてみると、ほのかな酸味があった。
「おおっ、こりゃあ、柚子味噌(ゆずみそ)だね」
 快彦はそう言って、箸先に味噌だけつけ、それをなめて杯を干した。
 いつもは飲まない剛太も、今日だけは飲んだ。
 夜はしんみりと更けていった。

 翌朝、岡田が迎えに来た時には、快彦はすっかり用意がととのっていた。
 朝食の後、仕事へ行く達也たちに、武士としての姿を披露していた。
「いやあ、袴なぞ、久しぶりだ」
 そう言って笑った。
 脇差しはなくさずに持っていたが、大刀は川に流されたときに、亡くなっていたので、昌行が、何かに備えて持っていたものを餞別代わりに貰っていくことになった。
 博は、それまでの給金を精算して渡したが、多分な餞別も含まれていた。
 渡し場までは、昌行が送っていった。
 よく晴れた日で、寒くはあったが、日差しが柔らかかった。
「お達者で」
 昌行がそう言うと、快彦は、
「昌兄ぃも」
と言って、拳で目元をぬぐった。
 川下では、達也たちが荷を運んでいるのが見える。
 快彦はそちらへ向かって深々と一礼すると、舟に乗った。
 我孫子の方へ水面を滑っていく渡し舟を見送りながら、昌行は一つの別れが形になったことを感じた。そうして、まもなく、もう一つの別れが訪れることを予感していた。
 店に戻り、そのまま離れへ向かうと、障子が開いていて、佐知の白い顔が、日差しの中にとけこむように見えた。
「おかげんはいかがですか」
 佐知は無言で頷いた。
「いのさんは、江戸へ帰りました。見送って参りました」
 佐知は再び頷いた。
「江戸なら、姐さんの病を治すような薬だってあるでしょうから、いのさんが落ち着いたら、頼んでみます」
 今度は佐知は首を横に振った。そして、何か言おうと、口を動かした。
 声は出なかった。
 その唇の動きは、礼を言っているようにも、別れを告げているようにも、わびているようにも見えた。
「お体に障るといけません。障子はしめておきましょう」
 昌行はそう言って外から障子を閉め、唇を噛んで涙をこらえた。

 翌日は、二十三日だった。
 特にこの夜は二十三夜と呼ばれ、講(こう)という地域の集まりが開かれたりしていた。「大師(だいし)講」あるいは「たいし講」と呼ばれ、そろって月の出を待つ地域もあった。闇の中、月読神社に詣でるところもあった。
 近藤屋では、全員風呂でよく体を洗い、団子汁と小豆粥を供え、月の出を待つことにしていた。
 二十三夜の月は三日月で、夜中過ぎまで姿を現さない。
 達也たちの寝所が中二階で、見晴らしがいいので、そこに膳を運び、飲み食いしながら月の出を待った。
 障子窓を開けると、隣家の向こう、右手に利根川の土手が見え、あとは田圃が地平線まで続いている。
 酒は飲んだが、魚など生臭ものは食わなかった。この日は酒を飲まないという地域もある。
 昌行も、今日は酔うほど飲みたいという気もせず、静かに飲んでいるうちに、東の地平が明るくなった。
 二十三夜の月は船に乗って昇るという。
 円弧側を下に向け、糸底のない椀の断面のような月が昇るのだが、地表近くにある時には、右側が上に上がったかと思うと、左側が上がる。その弧の端を、交互に上に上げながら、ゆらゆらと揺れながら昇っていくのだった。
 男たちは、無言で、その細い三日月の昇るのをみつめていた。
 昌行には、月が船に乗って昇るのではなく、月そのものが船であるように思われた。
 そして、その船に、佐知の魂が乗っているような気がしてならなかった。
 その日は、一日中、佐知は穏やかに眠っていた。キミの話では、一昨日からほとんど何も食べていないという。
 佐知の魂は、月の船に乗り、天へ昇っていく。
 それを見続けることができず、昌行は目を閉じた。
 キミが母屋に駆け込んできて、夜の間に佐知が息を引き取ったと知らせたのは、翌朝のことだった。


 利根川を行き来する船は途絶えることなく、水運は盛んだった。
 明治になると、東京から銚子までの外輪蒸気船も就航した。
 しかし、鉄道と自動車の普及により、人と物の輸送は、陸路で行われるようになり、荷を積んだ高瀬船の姿は見られなくなった。
 また、洪水対策のため、利根川の川筋も大きく変えられた。
 今ではもう、河岸がどこにあったのかもわからない。

(終)


 ずいぶん長くあれこれ書いたような気がするのですが、全部で五話しかなかったのですね。
 書いてみて、いろいろと勉強になりました。
 ご愛読、ありがとうございました。


「利根の風」目次

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