二十三夜

(第二回)

 次の日は、風は弱かったが、寒さはさらに増していた。
 上りの船も下りの船もあり、体を動かすことができるのが幸いだった。
 暇なときには、小屋で七輪を囲んでいるしかない。
 達也は、竹ひごを糸で結んで骨組みを作り、新たな凧作りに余念がなかった。
 智也は、一人では凧を揚げる気はしないらしく、皆と一緒に小屋にいて、達也の凧作りを見ていた。
 上りの荷を積んだ客が、干し芋をくれたので、少しずつあぶって皆で食べた。
 蒸したサツマイモを薄切りにして、天日で干した物である。白い粉を吹き、硬くなっているが、あぶると軟らかくなる。
 軟らかくすると、歯にくっついて食べにくいのだが、あたためた方が、素朴な甘みが増す。
 かじかんだ指を熱くなった干し芋であたためるようにして食べていると、上りの船が着いた。
 男達が河岸に駆け寄ると、まず、若い侍が降りてきた。
「世話になった」
 そう礼を言ったところを見ると、荷を運ぶついでに乗せて貰ったものらしい。
 侍の後ろには、四十ぐらいの小者(こもの)が、風呂敷包みを背負ってしたがっている。
「お気をつけて」
 船頭はそう言うと、あとは顔なじみの達也たちに、積み替える荷を指示し始めた。
 男達が手際よく荷を積み替えている間、先ほどの侍は、その様子を興味深げに見ていた。
 それほど時間がかかったわけではないが、寒い中、風を遮る物のないところに立っているのはただの物好きとは思えなかった。綿入れの胴着をきているらしく、やや着ぶくれしていた。
 その侍は、手甲をつけ脚絆(きゃはん)を巻き、足袋に草鞋履きで、完全な旅姿だった。
 荷を積み終え、小屋に戻ろうとした男達は、先頭の快彦が立ち止まったので、みな、足を止めた。
「どうしたい、いのさん」
 智也が声をかけると、反応したのは、快彦の視線の先に立っていた侍だった。
 その侍は、大きく息を吸って吐き、残った息を絞り出すようにしてこう言った。
「井ノ原殿」
 快彦は黙って立っている。
「探しました」
 快彦は無言のまま腕を組んだ。
「ええっ、いのさんの知り合いかい」
 達也は思わず大きな声をあげた。そして、達也、智也、剛太の三人が、若い侍を囲むようにして立った。侍の顔に緊張が走り、供の小者は、脇差しに手をかけた。
「いやあ、よかった」
 剛太が嬉しそうにそう言うと、相手は、大きな目に戸惑いの色を浮かべた。
「よかった……?」

 昌行は、干し柿を提げて帰って来た。
 昼過ぎに、離れに顔を出したとき、佐知の顔色はますます白くなっていた。
 キミが何か言いたげだったので、あとで母屋の流しに呼んで聞くと、今朝は、粥を碗に半分ほどすすっただけだと言う。
「困ったな。何か、姐さんの食が進むようなものがあるといいんだが」
「それが……」
 キミは遠慮がちに言った。
「干し柿が食べたいそうです」
「柿はあかんやろ」
 そばで聞いていたシゲが首を振った。
「柿は、体が冷えるっちゅうし、腹のこなれもよくないそうや」
 昌行は腕を組み、考え込んだが、
「とにかく、医者に聞いてみる」
と言って立ち上がった。
 それから医者のところへ行き、体に障らないかと尋ねると、佐知の容態を知っている医者は、
「食べたいなら食べさせたがよかろう」
と言った。
「気の毒だが、思い残すことがないようにしてやるしかない」
「何とか……」
 医者は、そういう昌行の視線を避けるように、横に積んである書物を引っ張り出しながら言った。
「力が足りず、申し訳ない。しかし、今のところ、治すすべはないのだ。それにだな」
 そう言って、書物を開いて見せた。
「ここに書いてあるのだが、干し柿は白い粉を吹くだろう。その粉を集めたもの柿霜餅(しそうへい)といってな、鎮咳(ちんがい)、すなわち咳止め、それから去痰(きょたん)、つまり痰を切るのに効き目があるということだ。干し柿で少しは楽になるかもしれん」
 そう言われて昌行は書物をのぞき込んだが、何が書いてあるのかは解らなかった。
「効くでしょうか」
「あるいは……。しかし、あまり望みは持たぬほうがいいだろう。食わせてやるときは、細かく裂いてから食わせるようにな。喉に詰まってはことだ」
 医者のところを辞してから、昌行は、町を出て歩き回り、干し柿を作っている家を見て回った。
 渋柿を、付け根の枝を少し残して落とし、皮を剥き、枝を縄に差し込んで日なたにぶら下げる。いわゆるつるし柿である。できあがった干し柿は、数少ない甘い食べ物だった。
 多くは、土蔵の壁に掛けられ、冬の日差しを受けている。
 昌行は、ある家のものが、そろって粉を吹いているのを見て、分けてもらった。
 相手は、昌行を知っていて、銭などいらないといったが、無理に押しつけた。
 すると相手は、縄一本分でいいというのに二本よこした。
 それを提げて帰って来たのである。
 帰ってくると、一本は、離れの軒下につるし、キミに、小さく切ってから佐知に食べさせるよう言いつけた。
 もう一本は、母屋の軒下につるした。
 明日、剛太たちに持たせてやれば、河岸で食べるだろう。
 昌行は、つるし終えると、長火鉢の前に腰を下ろして煙管を手にした。
 煙草の葉を詰め、炭火に顔を寄せて吸い付けたところへ、快彦が戻ってきた。
 仕事が終わるにはまだ早い。
「どうしたい、いのさん。具合でも悪いか」
 帳場にいた博が先に気づいて声をかけた。確かに快彦は青い顔をしていた。
「奥の座敷を借りたいのだが」
 そう言う快彦の声には、緊張の響きがあった。
「ちと、客があってな」
 昌行も出てきて、戸口を見ると、若い侍と供の小者が立っていた。
「わけありかい」
 昌行が尋ねると、快彦は、
「うむ」
と、頷いた。
「そうか。使ってくれ」
 昌行の許しがでたので、快彦は、外に向かって、
「入ってくれ」
と声をかけた。
「御免」
 入ってきた侍は、それだけ言うと、あとは無言のまま、草鞋を脱ぎ、足袋のほこりを払って上がり、快彦に連れられて奥へ行った。小者も後に随う。
 昌行と博が二人の背中を見送ると、シゲが顔を出した。
「お客さんかね」
「そうらしいが」
 昌行は流しの方へ顔を向けて言った。
「茶は出さなくていいだろう。誰も寄らねえほうがいいようだ」

 奥の座敷で、快彦は、侍を座らせると、火鉢の埋(うず)み火を掘り出し、炭を足し、それを侍の側に置き、自分も座った。
 三人はしばらくの間、無言で座っていた。
 侍は、太刀を右に置き、殺気はない。小者はその斜め後ろに控えている。快彦はただ腕を組んでいた。
 新たに足した炭に火がうつり、パチパチとかすかな音を立てた。その音がきっかけになったのか、快彦が先に口を開いた。
「切れ、と言われたか」
「はい」
「切るか」
「……」
「切ったとしても、上意討ちではないな」
「はい」
「なあ、岡田」
 快彦は少し声を和らげた。
「からくりは察しがつくだろう」
 岡田と呼ばれた侍の表情は変わらない。
 快彦は言葉を続けた。
「あの時は、あれが最善の策と思ったのだ。今でもそう思っている」
 そう言って快彦は天井を仰いだ。
 初めてここ来た時に寝かされたのがこの座敷だった。
 その時、寝たまま、この天井を見上げていた。天井板の木目はあの時のままだった。
「井ノ原殿の知っていることを」
 侍は、やっとのことで口を開いたようだった。
「ご存知のことを、お聞かせ願いたい」 
 快彦は、あごに手をあて、じっと相手の目を見つめた。

 岡田という侍が去ると、入れ替わるように、剛太たちが帰ってきた。
「いのさん、ありゃあ、誰だい」
「昔のことを、思い出したのかい」
 達也も智也も、気になってならないようだったが、快彦は、ただ、
「うむ」
と言うだけだった。
 夕食の時も、快彦はずっと黙っていた。
 剛太が、たまりかね、怒鳴るように言った。
「何だよ。昔のことを思い出せねえなんて、俺たちのことをだましてたのかよ」
 これに、快彦は静かに答えた。
「思い出せなかったのは本当だ。川から引き揚げられてしばらくは、何も思い出せなかったのだ」
「でも、すぐに思い出したんだろう」
「次の日の朝には、思い出していた」
 そこで、昌行が口をはさんだ。
「それなら、何も、わざわざ町人の仲間入りなどせずともよかったはず」
「いや」 
 快彦は首を振った。
「思い出したからこそ、武士をやめようと思ったのだ」
 後は、何を聞かれても答えず、さっさと一人だけ自分たちの寝所に引っ込んでしまった。
 残った男達は、それぞれの想像で話し合うしかなかった。
 達也が言った。
「誰かの仇なのかなあ」
「いのさんがか。仇持ちって感じじゃねえけどな」
 そう智也が言うと、達也は苦笑した。
「逆だよ。いのさんが、仇で、追われてたんじゃねえかって言ってるんだよ」
「もしそうなら」
と、昌行が言った。
「なぜわざわざ連れてきたんだろう」
「いのさんは、逃げ隠れしたくないんだよ。尋常に立ちあうつもりなんだ」
 達也はあくまでも仇説である。
 昌行は、快彦が侍を連れてきた時の様子から、仇と追っ手という関係だとは思えなかった。
 二人が顔を合わせたときの様子を、達也たちから聞き出し、仇として追われているのではないという思いを強くした。
「仇討ちなら、そん時に切りつけてるだろう」
「それは……。いのさんが、町人のかっこうだったから、やめといたんだよ。お互い侍として堂々と勝負しようってわけだ」
「もし、仇討ちならさあ」
 剛太も口を出した。
「俺たちで助太刀しようぜ。きっと、相手の方が逆恨みしてるんだよ」
「そうだな。俺らでやっちまおう」
 智也もそれに同意した。
 博とシゲは無言で、皆の話を聞いていた。

 シゲが三畳間に布団を敷いている間に、博は行火(あんか)の用意をした。
 二つの布団の中央の、足元の方に行火をおき、その上から布団を掛けた。
 両側から二人で足を暖めながら寝ていた。
「仇なんやろか」
 横になると、シゲは不安そうにそう言った。
「どうだろうなあ」
 雨戸の隙間から、月明かりが差し込み、障子に細い光の帯を作っている。
「仇やったら、どうなるんやろ」
「見つけたからには、ほうっておくわけにはいかないだろうな」
「助太刀するなんて言っておったけど……」
 シゲが何を心配しているのか、博にはよく分かった。
「町人の助太刀で勝ってのは、侍の体面にかかわるんじゃないかな。いのさんだって、そんなことは断るだろう」
「けど、切り合いになったら」
「そりゃあ、黙って見てるわけにはいかないよな。俺も、明日から暇なときには河岸を見に行くよ」
「あかん。川に寄ったらあかん」
 シゲの口調は強かった。
「大丈夫だよ。俺だって、いつまでもガキじゃないんだから」
 そう答えて、博は部屋の隅を見つめた。そこには何も見えなかった。

 翌日は、晴れて風もなく、穏やかな日和だった。
 快彦が黙っているので、男達は無言で朝食を済ませ、いつものように河岸へ出かけていった。
 昌行は、羽織を出すと、代官所へ向かった。
 東山は、昌行の顔を見ると、小物に言って、甘酒をもってこさせた。
「植草の隠居が寄越したものだ。なかなかうまい」
 さすがに代官所では、ただ薄めて温めただけでなく、生姜汁が少し垂らしてあり、それが甘みを引き立てていた。
「江戸では、年中売っておるが、寒いときに飲むのが格別だな」
 昌行は、一口すすると、しばらく、手で茶碗を包むようにして、指を温めた。
「実は……」
「どうした。頼み事か」
「お尋ねしたいことがありまして」
「何だ」
「仇討ちの届けは出ておりませんか」
「仇討ち?」
 昌行は、昨日、快彦が連れてきた侍のことを話した。
 東山は、火鉢で手をあぶりながら、最後まで黙って聞いていた。
「それで、そのお武家が、もしや、いのさんを追っているのでは、と思いまして」
 それを聞いて、東山は首を振った。
「今のところ、届けは出ておらんな」
 父や兄といった、尊属が殺害された場合には、仇討ちが認められていたが、仇討ちには手続きが必要だった。
 まず、主君の許可を得て免状を受る。主君からは、幕府に届け出があり、町奉行に記録が残される。町奉行からは証明書ともいうべき書類が出され、仇討ちを行う者は、それを身につけていなくはならなかった。
 仇を見つけたら、その土地の役所に届け、役所から江戸に照会があり、間違いなければ、仇討ちが許された。
 その場合、役所は、仇をとらえることに協力し、果たし合いの場を用意しなくてはならなかった。
 もちろん、このような方法を採る余裕がない場合は、見つけたらその場で名乗りを上げて切りつけてもかまわない。仇を討ち果たした後で届け出れば、しばらくは身柄を拘束されるが、仇討ちであることが確認されれば無罪となった。
 なお、弟や息子など、目下の者の仇を討つことはゆるされず、また、卑劣な手段で殺害されたのでなければ、それも仇討ちは許されなかった。
 例えば、互いに納得の上での果たし合いなどで殺されても、それに対しては仇討ちはできないことになっていた。
 もし、昨日の侍が、快彦を仇として追っていたのであれば、仇討ちの届け出がなされたはずなのである。
 しかし、それはなかった。つまり、快彦を仇として狙っているわけではない、と考えていいということである。
「それにしても、あの男、とうに自分のことを思い出しておったのか」
「はい。しかし、人には知られたくないようでして」
「みずから、侍を捨てたというわけか」
「そのようです」
「あの男が来た時、捕らえたのは、たしか、侍になりたがっていた男だったな」
「はい。そうでした」
「世の中、わからぬことが多いな」
 そう言って、東山はため息をついた。ため息は一瞬白く見えた。

(続く)


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