探偵物語・5

夜行バスで来た娘

後編

 店の名は「紅明」といった。
 カウンター席と、四人がけのテーブルが四つの小さい店だ。
 初めて来たのは、君子という女の来たときだった。
 あれから時々来ているが、なじみというほどではない。
 駅まで裕子を迎えに行き、店に入ったときはもうすっかり暗くなっていた。
 中年の主人が一人で切り盛りしている。
 テーブル席はうまっていたので、カウンターに並んで座った。
 水餃子と蒸し餃子、それからビールを頼んだ。
「どんな相談だった」
 俺はビールを注いでやりながら尋ねた。
「乾杯ぐらいしましょうよ。久し振りにあったんだし」
 俺は自分のグラスにも自分で注ぎ、軽くグラスをあわせた。
 裕子は一気に飲み干した。
 俺はまた注いでやりながら、もう一度尋ねた。
「何を相談しに行ったんだろう」
「親戚だって言ってたけど、嘘でしょう」
「質問に答えてくれよ」
「嘘つき」
「仕事なんだよ。勘弁してくれよ」
 水餃子がきた。裕子は遠慮無く食べ始める。話をしてくれないので、俺も食べるよりほかにすることがない。
 裕子が、美枝子の相談の内容を教えてくれたのは、二本目のビールを飲み干し、三本目を注文したあとだった。
 裕子は新たな種類の餃子を注文してから、俺の方に向き直った。
「結婚できるかどうか知りたいんだって」
「誰と」
「誰とだと思う?」
「想像もつかないよ」
「お兄さんと」
「無理だろう。ふざけるなよ」
「それが無理じゃないんだなあ。ここ、ラーメンはないの?」
「餃子専門店だから」
「でも、メニューにシューマイはあるわよ」
 そこに主人がビールを持ってきて、
「麺類は結構大変なんですよ。申し訳ありません」
とわびた。
 そんなことよりも、美枝子の相談の中身が気になった。
「で、どうして結婚できるんだ」
「もともと他人だったからよ。親戚なんだから、そのことは知ってるでしょ」
 俺は言葉に詰まったが、正直なことを言うしかない。
「実は親戚でも何でもないんだ」
「じゃあ、嘘だったの」
 裕子は俺をにらんだ。ビールのせいか、少し目が血走っている。
「二人で泊まったのね」
「違う。仕事なんだ。だいたい、俺がどんな女と一緒にいようが、関係ないだろう」
「関係ないけど、なんかくやしい」
 結局、その日はそれ以上のことは聞き出せなかった。

 翌日、俺は二日酔い気味の頭を抱えて、長野輪業に顔を出した。
 俺は自分でお茶を入れ、自転車を組み立てている長野に話しかけた。
「なあ、兄と妹で結婚できるケースって、どんなんだろう」
「兄と妹……。実の兄弟じゃなかったらできるはずですよね。そんなのあったなあ。もう何年も前だけど、夫が海で事故死したことにして保険金をもらってたっていう詐欺事件。その夫婦って、たしか、両親が再婚した連れ子同士だったっていうので覚えてますよ」
「やっぱりそういうケースだよな」
「仕事がらみですか」
「まあね」
 俺は電話で聞いた兄の声から、その姿を想像してみた。
 美枝子が一緒にいたくないといった理由は、一つしか考えられなかった。
 彼女はどんな気持ちで夜行バスに乗ったのだろうか。
 俺はガラス戸の向こうを注意して見た。尾行者はいないらしい。
 長野輪業を出て、美枝子のいるホテルに向かった。美枝子に会うためではない。あの日、俺の後をつけたやつがいたかどうか確認したいのだ。
 ひっかかることがあると、それをそのままにしておくことはできない。
 俺はいつもと逆方向からホテルの前に出ようとして、路地の人影に気がついた。見覚えのある地味なスーツだ。
 その男は、俺の顔を見て明らかに狼狽し、それを隠そうとした。
 俺はじっと目を見たままその男の前に立った。
「先日もここにいましたね」
「いたかもしれないが、それが何か」
「なぜ、私の後をつけたんです」
「そんなことはしていない」
 男は完全に気圧されてしまっていた。修羅場の経験はないようだ。
 まじめだけが取り柄の中年サラリーマンという雰囲気だった。
「警察沙汰はさけたいんじゃないんですか」
 この言葉は効果があった。男の視線が左右に泳いだ。俺はもう一発かました。
「私の仕事はご存じでしょう。刑事にも知り合いがいます。彼に相談したどういうことになるか」
 男の目に、哀願の色が浮かんだ。
「お話を聞かせていただけませんか」
 男は黙って頷いた。
 近くに小さな公園があるので、そこへ行って、ベンチに腰を下ろした。
 男は黙って隣に座った。
 風が吹き、プラタナスの枯れ葉が、かすかな音を立てて地面を転がっていった。
「何のために私をつけたんですか」
「確認のため。警察に駆け込んだりしないかどうか。あんたがどういう人わからないし」
「身元調査というわけだ」
「ああ」
「で、あのお嬢さんとの関係は」
「お嬢さんをお守りするために、ついてきた」
「ついてきた? 一緒に来たということですか」
「そうだ。一緒に来た」
 彼女は一人で来たのではなかったのだ。
「彼女のお兄さんに、私の事務所の電話番号を教えたのは、あなたですか」
「いや、それは違う。俺は教えてない」
「お兄さんとあのお嬢さんは、どういう関係なんです」
 男は黙った。他人に知られたくない事情がある、ということだ。
 俺は立ち上がり、公園を後にした。
 俺に対して悪意は持っていないことはわかった。あとは水谷家の問題だ。俺には関係はない。
 しかし、少し歩いてから気がついた。俺の事務所の電話番号を兄に教えたのがあの男でないとしたら、誰だろう。まだほかにも、一緒に来たのがいるのだろうか。
 また気になりだしてしまった。

 次の日の午後、事務所にいると、ホテルから電話があった。知り合いのフロントがかけてきたのだ。
「変な電話があったよ。坂本さんの名前で部屋を借りている女がいるだろうって」
「その男、名乗ったか」
「水谷といっていたそうだ。わたしが出たんじゃなくてね。出たやつが、いるって答えちゃったんだ。何か、やばいかな」
「いや、だいじょうぶだと思う。教えてくれてありがとう」
 まだ一週間たっていない。兄に見つけられては俺の仕事が失敗したことになってしまう。
 俺は、美枝子に電話をかけた。彼女はデパートで買い物をしているところだった。
 事情を話し、ホテルには戻らないように言ったが、美枝子は同意しなかった。
「いいんです。みつかっても」
「いいのかい」
「はい。これからホテルに戻ります」
 それだけ言うと、電話を切ってしまった。
 真実が知りたい。俺はその欲求に動かされてホテルに向かった。
 愛車の十段変速スポーツサイクルでホテルに急ぎ、ロビーに駆け込むと、あの紺のスーツの男がいた。そばのソファーには若い男が腰を下ろしている。
 紺のスーツは俺を見ると、腰をかがめ、若い男に何か話しかけた。男は俺を見て立ち上がり、歩み寄ってきた。
「坂本さんですね」
 電話で聞いた声だ。
「はい」
「妹がお世話になりました。どうぞこちらへ」
 穏やかな声だった。若いのに堂々としている。俺と男はテーブルを挟んで腰を下ろし、名刺を出した。
 名は水谷一郎。肩書きは「取締役社長」となっている。
 俺も名刺を出して渡した。
「このたびは、妹が大変お世話になりまして」
 あくまでも穏やかだ。
 聞きたいことはいろいろあるが、何から聞けばいいかわからず、
「はあ」
と間抜けな返事をしてしまった。
「事情はご存じですか」
「いいえ」
 そう答えるしかない。
「少しはご存じでしょう」
「結婚がからんでいますか」
 一郎は頷いた。
「はい。私は美枝子と結婚するつもりです。私の父と、美枝子の母は子連れ同士の再婚だったのです。したがって、血のつながりは全くありません。結婚することは可能です」
「しかし美枝子さんの気持ちは」
「だいじょうぶです。美枝子が来れば、すぐにわかります」
 ホテルの車寄せにタクシーが止まり、美枝子が降りてきた。手には紙袋を持っている。
 一郎は立ち上がり、玄関で出迎えた。
「お兄ちゃん」
 俺の予想に反して、美枝子は一郎に飛びついた。一郎も美枝子を背中に両腕を回した。
 それから腕を組み、俺の側に来た。
 美枝子は、笑顔で、俺に向かい、
「探偵さん、お世話になりました」
と言うと、一郎に、
「着替えてくるね」
と言ってフロントでキーを受け取り、部屋へ行った。
 一郎はまた腰を下ろし、話し始めた。
「美枝子も結婚する気でいるんです。でも、昨日まで兄と妹だったのに、今日からは夫婦というように、簡単に気持ちを切り替えることはできません。それで妹も迷っていました」
「それで逃げてきた」
「はい。もし一週間以内に自分を見つけることができたら結婚する、そう言って家を出たんです」
「もし見つけられなかったら?」
「さあ……。でも、美枝子は見つけられることを望んでいたはずです」
 さっきの様子ではそうらしい。
「では、私の事務所の番号をお兄さんに教えたのは」
「美枝子です」
 あの男の言葉通り、ほかの人間が教えていたわけだ。
 その、紺のスーツの男は、外に出て、携帯電話を使っていた。
「言ってみれば」
 俺は独り言のように言った。
「ゲームのようなものだった、と」
「そう言うこともできますね。巻き込んでしまって申し訳ありません」
 一郎は頭を下げた。
 安心と不愉快が入り交じった気持ちだった。
「かえって失礼に当たるかもしれませんが、これは私からのお詫びです」
 一郎は内ポケットから白い封筒を出し、デーブルに置いた。
 俺は遠慮無く受け取った。
 もう俺は必要のない人間だ。そう思って立ち上がったとき、再び美枝子が現れた。俺はまた驚かされた。さっきとはうってかわった、上から下までブランド物で固めている。
「それが普段の服装なのか」
 俺が尋ねると、彼女は頷いた。
「だって、こんな格好でいたら、悪い人にねらわれるかもしれないし」
ジーンズの上下は、人目を欺くための変装だったのだ。
 紺のスーツの男が、美枝子の代わりにチェックアウトの手続きをし、美枝子の荷物を手にした。
「車が参りました」
 外を見ると大型バスが止まっていた。デラックスタイプの観光バスだ。
 美枝子たちが出たので俺も一緒に外に出た。
 バスのナンバープレートは緑色ではなく白だった。業務用ではなく、自家用車というわけだ。
 ドアが開き、紺のスーツの男が荷物を持って乗り込んだ。
 俺は美枝子に尋ねた。
「バスで来たっていうのは」
「そうこのバスで来たの」
 そう言うと、美枝子と一郎は俺に一礼し、乗り込んだ。費用を負けてやった俺の気も知らず、金持ちというのはいい気なものだ。
 バスはすぐに出発した。美枝子は窓から俺に手を振った。
 俺は突っ立ったまま見送り、バスが見えなくなってから、さっき受け取った封筒の中身を確かめた。
 数えなおしてみても、一万円札が三十枚。
 気前のいい金持ちというのは、実にありがたいものだ。

 すっきりしたかったので、夜は、長野と三バカトリオにおごってやることにした。
 ちょうどいい店がなかったので、またあの餃子やに行った。五人なのでカウンターに並ぶしかない。
 飲みながら、俺は森田たちに言った。
「お前ら、兄と妹でも結婚できる場合があることを知ってるか」
 三人とも知らなかった。あるいは食うことに意識が集中していて、頭が働かなかったのかもしれない。
 俺が講義してやっている間、神妙に食べながら聞いていた。
「でも、ほんまのきょうだいやったら無理やろ」
「あたりまえだ」
 俺はそう言うと、三宅がこう言った。
「でも、どっかの島の話で、本当の兄と妹で結婚したって話があるって聞いたな」
「あるわけねえだろ」
 森田が即座に否定する。
「本当の話じゃなくて、伝説だよ。その二人が、その島の人たちの先祖だっていうんだ」
 そこに、餃子の皿を運んできた主人が口を挟んだ。
「中国にもありますよ。少数民族の伝説でね」
 俺たち五人が主人を見た。
「洪水があって、兄と妹だけが生き残るんです。兄が結婚しようっていうと、妹は最初断っていろいろ条件を出すんだけど、結局結婚して、それがその民族の祖先だっていうパターンで。いろんな民族に同じような話があるそうです。そういうの、創世神話とか、始祖伝説って言うんです。」
 長野が感心して、
「さすが餃子作ってるだけあって、くわしいね」
と言うと、主人は照れ笑いをした。
「たまたま知ってただけですよ」
 兄と妹で新しい世界を作る。
 俺が巻き込まれたのは、そのためのに必要な通過儀礼だったのだろうか。

(第5話・終わり)


【次回予告】
 人探しならぬ身元探し。
 何も思い出せない、夕顔のような娘。
 記憶、礼金、下心。うまそうな話にツバが出る。
 心にしみる男の純情。花を咲かすか井ノ原の旦那。
 次回、「迷い娘」。新趣向に驚くかもよ。


「探偵物語」目次

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