探偵物語.4

能力組織

後編


 翌日、午前中に、俺は地下鉄に乗って、約束通り大友興業へ出向いた。
 受付に顔を見せると、すでに社長から話が通っていたらしく、すぐに社長室に入れてくれた。
 大友社長は一人で待っていた。
「座ってくれ」
 先日と同じ椅子が用意してあった。
「屋上へいかなくても大丈夫でしょうか」
「この部屋は、盗聴の心配はない。私が自分で調べたばかりだ」
 そう言って、大友社長は机の下から器具を取り出した。盗聴器探査装置だ。金があるだけあって、最高級のものだ。
 俺は、それを聞いて、遠慮なく腰を下ろした。
「いかがでした。書類は。私が見ている間は何事もありませんでしたが」
 社長は首を振った。
「すり替えられていた」
 俺はメモ帳を取り出した。
「書類がここを出るまでと、向こうに着いてからのことを詳しく話していただけませんか」
「ああ、知っているだけのことを話そう」
 昨日、社長は書類を用意して池井に渡した。本当は、自分の見ている前で封筒に入れさせ、封印も押させたかったのだが、そこまですると疑っていることがばれてしまうので、ただ渡しただけだった。
 封筒が営業所に着いてから、電話で報告が来た。確かめてみると、社長が渡した書類ではなかった。念のため、その書類をすぐに持って来させたが、たしかに違っていた。
 開ける前に、封印がしっかり押してあったのは、何人もの社員が見ている。したがって、途中で手を加えられた形跡はなかった。
「営業所の責任者は信用できる人なのでしょうか」
「その点は心配ない。大それたことのできる男ではない」
「となると、怪しいのは池井部長ということになりますが」
「そういうことになるな」
 俺は、池井の、感情がないような顔を思い出した。あまり相手にしたくないタイプだ。
「池井部長に話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
「今呼ぼう」
 社長は電話を取り上げて、池井を呼んだ。池井はすぐに現れた。
 池井はこの間と同じく、社長の左に立った。
 俺は、気を悪くしないでくれ、と前置きをして、昨日のことを聞いた。
 相手は淡々と答えた。
「社長から書類を受け取って、すぐに自分の机に持っていった。そこで封に入れて、封印をした。途中、誰にもさわらせてない。それから私が自分であの三人に渡した」
 全く感情を見せない。
 俺はもう一つ質問をした。
「池井さんは、書類を御覧になりましたよね」
「見た」
「そうすると、それが重要な書類かどうかということは、池井さんには判断がついたわけですね」
「それは判断できた」
 池井の目からは、何も読みとることができない。
「わかりました。ありがとうございました」
 俺がそう言うと、社長は池井に向かって頷いた。池井は一礼して出ていった。
 その背中を見送ってから、俺は社長に尋ねた。
「ところで、息子さんは、この会社ではどんな仕事を」
「副社長だ。ゆくゆくは私の跡を継いでもらわなくてはならないから、外部との交渉には私の代わりに行ってもらっている。顔を売らなくてはならないからな」
「しかし、その息子さんも信用できないわけですよね」
「どうも頼りにならん。女房が甘やかしすぎたのだろう」
 俺は立ち上がった。
「しばらく、息子さんと池井部長のまわりを嗅ぎ回ることになりますが、息子さんは、お気を悪くなさらないでしょうか」
「あんたのことは、よく言ってある。心配せずに調べてくれ」
 俺は別れを告げて社長室を後にした。
 一階におり、トイレを借りるふりをして、営業室を確かめた。
 奥に池井部長が座っている。その前に、机が六つ並んでいて、その一つに、見覚えのある男が座っていた。屋上でたばこを吸っていた男だ。今日は、色が違うだけで同じデザインの開襟シャツを着ている。
 男は、一瞬俺と目があったが、慌てて目をそらした。
 ビルを出て、地下鉄の駅に向かって歩き出し、角を曲がったところで後ろから呼び止められた。
 振り向くと、会いたくない男が実に押しつけがましい笑顔で立っていた。
「探偵さんよ、何してんだ、こんなところで。大友興業に就職活動かい」
「ええまあ、そんなもんで。刑事さんみたいな公務員じゃないんで、生活が不安定なんですよ」
「嫌なこと言うね。しかし、俺たち公務員だって、給料はさがってるんだぞ。命張ってるのによ。やってられねえよ」
 井ノ原刑事の愚痴が長くなる前に、俺は話題を変えた。
「何かの捜査ですか」
「まあな。跡目相続でもめそうだという情報があってな。何か知ってるんだろう。参考までに話を聞きたいんだが」
「申し訳ないんですが、私にも守秘義務がありますので」
「まあそうだろうな。そのうち、正式に証人として来てもらった時は、それじゃ済まないからな」
「それはもう、わかってます」
 俺は精一杯にこやかに挨拶をして、足早にその場を離れた。
 なんだかやばいことになりそうな予感がした。

 昼飯は長野のところで一緒に食った。
 特に用事があったわけではないが、あることを確認するのに、長野の店が都合がよかったのだ。
 俺はチャーハン、長野はもやしそば。大友興業からの前金がたっぷりはいったので、おれのおごりだ。昨日今日とおごってばかりいて大丈夫か、俺。
 自転車屋は通りに面したところが、すべて大きなガラス戸になっている。俺は外を横目で見ながら食べた。
 長野は何も知らず、もやしそばを食べながら蘊蓄(うんちく)を傾けている。
「もやしそばって、名前が変だよね。そばじゃないのに。ソバ粉でできてるならそばだけど、小麦粉でできてるんだよ。ラーメンのことを中華そばなんていうけど、どっちかっていうと、うどんの仲間だよね。でも、もやしうどんっていうと、全然イメージが違っちゃうね」
 俺はいい加減に相づちを打ちながら、ガラス戸越しに、男の姿を確認していた。間違いない。
 長野を巻き込むことになるとまずいので、俺は、食べ終えるとすぐに自転車屋を出て、手帳を出し、そこに書いた住所を確認するふりをし、俺の姿をよく見せてから歩き出した。
 百メートルほど歩いて狭い角を曲がり、壁に背中を押しつけて待った。
 すぐに男が角を曲がってきた。俺を見て立ち止まる。ビルの屋上でたばこを吸っていた男だ。大友興業のビルを出てから、ずっと後をつけて来たのだ。
「何か」
 俺はできるだけ穏やかな声を出した。
 男は逃げようかどうしようか迷ったようだったが、度胸を決めて一歩前に出た。
「あんた、探偵だろ」
「その通り」
「池井部長のことを調べてるんだろう」
「さあ、それはどうだか」
「俺、情報持ってるんだ。教えてやろうか」
「なぜ教えてくれる」
「池井部長が気にいらねえからさ。あいつ、俺のことをばかにして、いい仕事を回してくれねえんだ」
 池井部長でなくとも、こいつにいい仕事を回す気になるやつはいないだろう。
「で、情報というのは」
「俺、見たんだ。昨日、池井の野郎が書類を取り替えるのを。社長室から戻ってきて、違う書類を封筒に入れてた。社長からもらった書類は机の引き出しに入れてた」
「あんた、名前は」
「それは言えねえ。勘弁してくれ」
「そうか。貴重な情報、ありがとう」
 俺はそう言うと、背を向けて歩き出した。十メートル歩いて振り向くと、男の姿は消えていた。俺は回れ右をして、男がいた方へ歩き出した。
 角を曲がると、男の後ろ姿が見えた。
 自分が尾行される可能性があることに、まったく気付いていないらしい。およそ尾行というものに縁のない人間に、俺の尾行をさせたやつの気が知れない。
 男は、まっすぐ大友興業のビルに戻った。
 ビルの駐車場の出入り口は玄関の横にある。
 俺は、また、ビルの前の喫茶店に入った。
 つい習慣でコーヒーを頼んでしまう。
 味も香りもこの間と同じだった。紅茶にしておけばよかった。
 三十分後、黒塗りのベンツが出てきた。後ろには副社長の守男、助手席にはあの開襟シャツの男が乗っていた。
 余りにも話ができすぎている。
 喫茶店から出ると、またまた井ノ原だ。こいつは俺のストーカーか。
「探偵、またコーヒーか」
「はい。井ノ原さんは飲んでみましたか」
「ああ、昨日飲んだよ。うまかった。香りがな、際立つというか、生きているというか。久しぶりにうまいコーヒーを飲んだよ」
 こいつの味覚はどうなってるんだ。
「そりゃあ、教えた甲斐がありました」
 俺は心中を悟られないように、足早にその場を離れた。
 事務所の近くまで戻った時、電話がかかってきた。
「なんか、やばそうなんやけど」
 岡田の声だ。俺は立ち止まった。
「どうした」
「ほら、昨日、書類運んだやん」
「ああ、無事だったじゃないか」
「そうでもないんや。ちょっと会えへんかなあ」
「お前たちの部屋は暑苦しいから行きたくないな。外で会おう」
「なんかおごってくれるんか」
「甘ったれるな」
 時計を見た。夕食にはまだ間がある。
 結局、駅前のコーヒー店で会うことにした。格安のチェーン店だ。
 俺が行くと、三人は先に来ていた。
 俺は、三人と同じく、一番安いブレンドを頼んだ。よくよく安っぽいコーヒーに縁のある日だ。
「さっき、やくざみたいなんが来たんや」
「おどしに来たんだぜ、おどしに」
 森田が岡田に続いて言う。
「なんておどされたんだ」
「それが少し変なんです」
と、三宅。
「誰かに何か聞かれたら、何もなかったって言えって」
「何もなかったじゃないか」
「そう言ったんですよ。でも、誰かが違うことを言えって言いに来るかもしれないからって」
「何だそりゃ」
「わけがわかんないんですけど、おどされて」
「どんなやつだった」
 三人がそれぞれ話したことをまとめると、あの開襟シャツの男に間違いないようだった。
 ご丁寧なことだ。
「心配することはない」
 俺は自信たっぷりに言った。
「何もなかったんだから、人に聞かれたら、何もなかったと言えばいい。あの会社のことなら、いくらか様子がわかる。大丈夫だ」
「ほんまに大丈夫かいな」
「俺を信じろ。お前たちが痛い目に遭うようなことはない。何かあったら俺に連絡しろ。俺がなんとかしてやる」
 三人は顔を見合わせたが、だいぶ落ち着いたようだった。
「さすが坂本さん、頼りになるなあ」
 森田のやつが見せすいた世辞を言い、三宅も、
「これで安心だね」
と笑顔を見せた。
「安心したら腹減ったなあ。なんか食いたいな」
 岡田がそう言うと、森田と三宅も頷いた。
「坂本さん、牛丼でええから」
「牛丼でって、何で俺がおごるんだよ」
「こないだの一万、まだ残ってるやろ」
「そうだよ、あれで一万だったんだから」
 森田が岡田に加勢した。
 俺は溜め息をついて、三人を牛丼屋へ連れて行った。

 その日の夜、簡単に報告書をまとめ、次の日、大友興業へ持っていった。
 すべてが確認できたわけではないが、俺の推理に間違いはないはずだ。
 受付はほとんど顔パスだった。
 俺は、社長室へ行く前に、営業室の前を通った。あの男が、今日も開襟シャツを着て雑誌を読んでいた。俺に気付いたくせに、わざと気付かない振りをしていた。
 俺は遠慮なく室内に踏み込んだ。池井部長が俺の顔を見たが、俺はちょっと会釈しただけで挨拶を済ませ、開襟シャツに声をかけた。
「ちょっとつきあってもらえませんか」
「何だよ、お前」
「お話があるんです」
「仕事中だ」
 そう言って男が池井の方を見ると、池井は、書類に目を落としたまま、
「行っていいぞ」
と、言った。
 男はあきらめて立ち上がり、椅子にかけてあった上着を引っかけてついて来た。
 俺は男を連れて屋上へ行った。
 今日は晴れている。太陽がまぶしい。
「この間、ここで立ち聞きしていた、と言ってたね」
「ああ、あそこで聞いていた」
 そう言って、改段からの出口を指さした。
 たしかに、防火扉の後ろは、段ボール箱が積み重ねてあったので、その隙間に隠れることはできそうだった。
「そこで、社長の口から池井部長の名前が出るのを聞いた、と」
「そうだよ」
「それは嘘だ。あの時、社長の口からは池井部長の名前は出なかった」
「そんなはずはねえ。あんたの記憶違いだろう」
「これでも記憶力には自身があるんだ。そうでなくちゃ、この商売はつとまらない」
「……」
 男はたばこを出してくわえ、火をつけた。煙が風で横にたなびく。
 俺は続けた。
「お前さんに池井部長の名前が出た、といったのは、副社長だろう」
「どうだろうな」
「副社長が池井部長を陥れるのを手伝ってるわけだ」
「あんたには関係ねえだろ」
「今回、池井部長しかさわっていない書類が入れ替わっていた。これはチャンスだ。それでお前さんは、すり替えるのを見たことにして、俺が池井部長に不利な報告をするようしむけようとした」
 男は横を向いてたばこをふかした。
「最初からおかしいと思ってたんだ。ご丁寧に、書類を運んだ三人組のところにおしかけて、何もなかったと言えとおどしまでかけて。やりすぎだよ。そういうのを墓穴を掘ると言うんだ」
 男はやっと俺の方に向き直った。たばこを捨て、靴でもみ消した。
「今まで、書類のすり替えをしていたのはお前さんだろう」
「それを社長にしゃべるつもりか」
「もちろん。それが仕事だ」
「それなら、しゃべれなくしてやるぜ」
 男は、素早く内ポケットに手を入れ、匕首(あいくち)を取り出した。
 手慣れた動作だった。このために上着を引っかけてきたのだろう。
 俺は腰を落とし、身構えて横に移動した。改段の方へ後ずさりしたかったのだが、男はそれを見逃さなかった。
 匕首を俺に向けたまま、横に走り、自分が出口を背にした。
「どうだい、取り引きしねえかい」
「嘘の報告をしろ、ということか」
「その代わり、命が助かるんだ、いいじゃねえか」
「俺にもプライドがある。脅されて嘘の報告をするわけにはいかない」
 男の目が一瞬細くなった。ねらいをつけたのだろう。
 次は、体当たりするようにして匕首を突きだしてくるはずだ。一度目はかわせそうだが、二度目はどうか。
 俺が、頭の中で、匕首をかわす動作をシミュレーションしている時、出口に人の姿が見えた。
「やめろ」
 背後からの声に、男は振り向いた。そこには池井が立っていた。
「ばかなことをするな。この考えなしめ」
 男は怒鳴られて、匕首をおさめた。
 池井はその男に、
「お前は俺と一緒に来い」
と言うと、俺に向かって、
「社長がお待ちです」
と言った。
 俺は大きく息を吐いて、額の汗をぬぐった。

 社長室へ行くと、昨日と同じように、大友社長は一人で俺を待っていた。
「報告書を持って参りました」
「もう調べがついたのか」
 俺が椅子に腰を下ろすと、社長は中の報告書を取り出し、ざっと目を通した。
 俺は、今日、屋上で経験したことで確信を抱いたことがあったので、それを社長にぶつけてみた。
「社長は、最初からすべてご存知だったのでは」
 社長は書類から顔を上げた。
「息子さんが、開襟シャツの男を使って、書類のすり替えをしていたことを」
「それはどうかな」
「すくなくとも、息子さんが怪しいとは思っていた。そうですね」
「そうかもしれない」
「犯人を見つけだすだけなら、部屋の中を隠し撮りすればいいだけです。しかし、それでは直接手を下した犯人しかわからない。そいつに命じた真犯人をあぶり出すのが、私に与えられた役割だった」
 そこの池井が入ってきた。無言で定位置に立つ。社長は、無言で俺の報告書を池井に渡した。池井も無言で読む。
「あの男はどうなりました」
 俺がそう尋ねると、池井は報告書を読みながら答えた。
「懲戒免職、というところだ」
 社長の顔にも、何の表情も浮かんでいなかった。
 池井が、逆に俺に質問を発した。
「書類のすり替えの謎はどうなっているんだ。それについては書かれていないようだが」
「今回のすり替え事件ですか。あの三人組に運ばせた書類の」
「そうだ」
「それについては、私もちょっと考えさせられました。しかし、今は自信を持って言えます。今回は、すり替えはなかったんです」
 その時、池井が初めて顔の筋肉を動かして少し目を大きく見開いた。
「なかったというのか」
「そうです。今回は池井さんしか書類にさわらなかった。それはみんな知っている。当然、池井さんが疑われる。探偵が呼ばれたことも皆さんご存知だ。そこで副社長が、自分の手下を使って、池井さんにダメージを与えようとした。探偵が池井さんに疑いを持つように。そうすることで池井さんを追い落とすことができ
ると思ったんでしょう。しかし、お二人はそれを待っていたわけです。違いますか」
 池井は無言だった。
 社長は、
「どうだろうな」
とだけ言った。
 俺は立ち上がった。
「私の仕事は終わりました。犯人を捜すことではなく、犯人が動くきっかけをつくるのが仕事だったとは、ついさっきまで気がつきませんでした。釣りの餌になったような気分です」
 社長が言った。
「秘密は守るんだろうな」
「もちろんです。ところで、副社長は、息子さんはどうなるんです」
「それはこちらのことだ、そこまで話す必要はない。しかしこのまま済ますことはできん。人を追い落としたところで、自分の能力が高まるわけではない。それを理解できないのが息子の欠点だ」
「非情になることも必要だ、ということですか」
 俺は、屋上で聞いた社長のせりふを口にしてみた。
 社長はかすかな笑いを見せたような気がした。
「それが組織というものだ」
 俺は二人に頭を下げ、ドアに向かった、ドアを開けたところで思い出したことがあったので二人に向かってこう言った。
「書類を運んだあの三人組のことなんですが。さっきの男に脅されてびびっております。あの三人は、私の弟分といいますか、ちょっと面倒見てやってる連中なんです。またあんな男が押し掛けたりしないようにしていただけるよう、お願いしたいのですが」
 社長は頷き、
「大丈夫だ。心配するな」
と答えてくれた。

 その日の夕方。
 三宅が、興奮した声で電話をかけてきた。
「坂本さん、三万円ですよ、三万円」
「何が三万円だ」
「さっき、来たんですよ。ほら、俺たちが、書類を運ぶのを頼まれた会社の人」
「ほう、何と言っていた」
「迷惑かけたようだなって。それから、絶対人にしゃべらないでくれって。それで、お詫びだっていって三万円ですよ」
「よかったな。今回のことは誰にも言うなよ」
「絶対に言いませんよ。命にかえても秘密は守ります。三万円ももらったんだもん」
 三万円で命をかけるようなやつは、四万円出されたらペラペラしゃべるに違いない。
「それで、俺たち相談したんだけど、今回、坂本さんにいろいろ世話になったから、お礼をしようと思うんですよ」
「なかなか殊勝な心がけだな」
「今日、俺たち夜は空いてるから、おごりますよ」
「そいつはありがたい」
「でも、外でおごるほどの金はないから」
 おいおい、三万円あるんだろう、三万円、と思ったが、口には出さなかった。
「いろいろ買って、坂本さんのところに持っていきます。いいですか、行って」
「俺も暇だ。期待して待ってるぜ」
「じゃあ、あと一時間で行きますから」
 かわいいもんだ。
 おれは、テーブルの上を片づけ、グラスを用意した。
 あいつらばかりにおごらせるわけにもいかない。俺は、とっておきのスコッチを出してテーブルにおいた。

 一時間後、三人が現れた。
 寿司、フライドチキン、ピザと、それぞれ食べ物を持ち、飲み物の入った袋を提げている。
 森田は、入ると、
「いっぱい買ってきたからね」
と言って、発泡酒の缶をテーブルに並べた。ビールじゃないところがこいつららしい。
 腰を下ろした岡田は、スコッチのボトルを手にしてラベルをしげしげと見ている。
 三宅は、キッチンから寿司用の皿をもって来て並べた。
 発泡酒をそれぞれのグラスに注いだところで、森田が立ち上がり、
「今回は、坂本さんに本当にお世話になりました。感謝の意を込めて、乾杯」
と、勝手に乾杯の音頭を取った。
 グラスを鳴らし、俺は一気に飲み干した。
 ビールとは微妙に違う。ビールでも缶のものは瓶のものより味が落ちる。缶入り発泡酒はあまり好みではなかったが、
「うん、うまい」
と言ってやった。
 ところが岡田は、
「どんどん飲んでや。これ、少しもろてええかな」
と言うと、スコッチのボトルを手にし、グラスに注いだ。
「ストレートじゃきついだろう」
 俺がそう言うと、岡田は自分で氷を持ってきて、ロックにした。
 一口飲んで、
「これ、きついなあ」
と言ったが、それでももう一口飲む。
 俺は遠慮なく寿司やピザをつまんだ。しかし、脂っこいものが多かったためか、少し食べたら満腹になってしまった。
 三人は、若いだけあってどんどん食べる。そして、ぐいぐい飲んだ。スコッチも遠慮なく飲んでいる。
 飲み食いしながら、三人は俺にあれこれ聞いた。俺が裏から何かして、そのお陰で三万円貰えることになったと思っているらしい。俺はいいかげんにあしらっておいた。
 秘密は守らなくてはならない。それに、書類運びに付き添って、こいつらと大友興業の二カ所から金をもらったことがばれるとまずい。
 それでも、三人の、俺に対する評価はだいぶ上がったようだった。

 二時間後。
 俺は、部屋の中央に呆然と立ちつくしていた。
 テーブルのまわりの床には、醤油のシミやチーズ、チキンの骨が散らばっている。テーブルの上は空き缶だらけだ。
 スコッチをかぶ飲みした岡田は、勝手に俺のベッドに入って寝てしまっている。
 三宅はソファーで寝ていた。
 一番始末に負えないのが森田だ。トイレに入って便器に腰を下ろしたまま眠り込んでしまったらしい。いくらドアを叩いても出てこない。
「おい、森田、出てこい。そんなところで寝るな」
 俺はトイレのドアを激しく叩いた。だいぶ発泡酒を飲んだので、俺はもう我慢の限界なのだ。
 中から、
「もう少し寝かしてくれよ」
という森田の声が聞こえた。ドアを開ける気配はない。
 もういやだ! こんな連中の面倒を見るのは、二度と御免だ!

(探偵物語4「能力組織」了 2003.6.12up)


【次回予告】
 純朴を絵に描いたようなカントリーな娘だった。
 化粧も髪を染めることも、なぜか肌に合わないらしい。
 そんな娘が、たった一人の兄からのがれるために、夜行バスに乗って俺の町にやってきた。
 次回、「夜行バスで来た娘」。


「探偵物語」目次

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