探偵物語・2

エレクトリックシティ・ブルース

後編

 それから二日間は、何も収穫はなかった。
 中学校も尋ね、川島家の親戚も尋ねてみた。
 しかし、どれも徒労に終わった。
 川島家の秘書である郷田が、自分から、学校も親戚も教えてくれ、俺が依頼すると、すぐに連絡してくれた。おかげで、どこでも話を聞くことができたが、何も出てこなかい。
 二日とも、まず、川島家に顔を出して郷田と打ち合わせをした。電話でも済むのだが、家の様子から何か手がかりが得られないかと思ったのだ。
 それに、正直なことを言えば、川島夫人にも会いたかった。
 俺が行くと、挨拶に顔を見せてくれた。憂いを帯びたその目に、俺は吸い寄せられそうな気がした。行方不明の息子を、心から案じていることがよくわかった。
 こんな人妻に恋をしてしまったらどうなるのだろう。そんな妄想を抱かずにはいられなかった。
 しかし、世の中、会いたい人間ばかりではない。会いたくないやつもいる。
 中学校を尋ねた帰りに、電気街をぶらついていた時のことだ。
 前方に見えた人影に驚いて急いでUターンしようとしたが、遅かった。
「おおっと、探偵さん」
 井ノ原だった。
「何か嗅ぎ回ってるようだな。おい、何があったんだ」
「いや別に。新しいパソコンでも買おうかと思って」
「それなら何で、助手を三人も雇って人を捜してるんだ。坂本探偵事務所の仕事だって、あっちこっちで吹聴してるぞ」
 あの三人は、人目をはばかるということを知らないらしい。
「家出人捜しなんですよ」
「それだけか」
「それだけです。刑事さんこそ何でこんなところに」
「まあ、ほら、IT革命の時代だからな。知識を身につけておかないと」
「そうですか。お疲れさまです」
 俺は仕方なく愛想笑いをして見せた。
 契約期間の半分が、得るところなく終わった。

 翌日。俺が依頼を受けて六日目。午後三時頃、あてもなく電気街の裏通りを歩いていると、携帯が鳴った。岡田からだ。
「俺や。ちょっと意外な人を見つけたんやけど」
 岡田らしくもない、押し殺したような声だった。
「誰だ」
「郷田さんや。川島さんとこの。電気街歩いとったら見かけて、あとをつけてみたんや。今、アパートに入ってった」
「場所はどこだ」
 岡田のいる場所は、俺のいるところから、歩いて十分ぐらいの所だった。
「すぐ行く」
 俺は、初夏の日差しの中、早足で歩き出した。目的の場所には五分でついた。
 背筋が汗でぬれ、シャツがへばりついた。
 岡田は、曲がり角に身を隠していた。裏通りで、取り締まりがないためか、路上駐車の車が目立つ。四人も人が乗ったままの車もあった。営業の打ち合わせだろうか。
「あのアパートや」
 指差した方向には、タイル張りのアパートがあった。金持ちの学生が住みそうなところだ。
「まだ入ったままや」
「岡田、あの男が出てきたら、あとをつけてくれ。車に乗ったら車のナンバーを覚えておけ。駅に行ったら、どっち方面に行く電車に乗っただけ調べてくれればいい」
 それ以上の追跡は、素人には無理だ。
 岡田が頷いた時、郷田が出てきた。幸い俺たちとは反対の方向へ歩いていく。
「よし、行け」
 岡田は足音をしのばせて歩き出した。緊張が背中一面に現れていて、ほほえましいほどだった。
 郷田と岡田が見えなくなってから、俺はアパートに足を踏み入れた。
 入ってすぐの所に郵便受けがある。部屋は全部で八つ。
 郵便受けのうち、六つには名前が書いてあったが、川島という姓はない。残りは二つ。
 一階と二階一つずつ。郵便受けが空になっているので住人はいるらしい。誰も住んでいなければ、チラシなどがたまっているはずだ。
 俺は部屋番号を覚えて、階段を上った。
 まず、二階の部屋の前に立ち、中の様子をうかがった。人がいるらしく物音はする。
 部屋を間違えた振りをして、住人の顔を見ようとした時、階段を駆け上がってくる音がした。
 十人近い男の顔が階段から現れ、俺の方に向かってきた。
 先頭にいた男は、
「そのまま。そこにいて」
と言うと、俺を廊下の突き当たりに押しつけ、残りの男は、俺がノックしようかと思っていたドアを開けようとした。カギがかかっていて開かない。すると、合い鍵を用意してあったらしく、ポケットからカギを出して開け、中へ飛び込んでいった。
 怒号が飛び交ったのは数分間だったのだろうが、訳もわからずに壁に押しつけられている俺には、長い時間に思われた。
 騒ぎが収まり、部屋からは手錠をされた男が三人連れ出された。
 何かの捕り物があったのだ。路上駐車の車の中にいたのは刑事たちだったのだろう。
 逮捕された三人を両脇から抱え、六人の刑事が階段を下りていった。
 残りの刑事は俺を押さえつけているのを含めて四人。その中には、例の男がいた。
「おい、探偵。食い詰めて、とうとうこんなことにまで手を出したのか」
「勘弁してくださいよ」
 井ノ原はにやにや笑いながら俺を見ている。
「知り合いですか」
 俺を押さえつけている刑事が言った。
「知り合いの探偵です。どうやら一味らしい」
「違いますよ。何で俺が」
「そうだよな。あんたにゃハイテクは使いこなせねえもんな」
 そう言って笑うと、俺を押さえている刑事に、
「放してやってください」
と言った。その一言で俺は自由になった。今だけは井ノ原が天使に見える。
「何だったんですか」
 俺は、部屋の中をのぞき込んだ。パソコンやスキャナはわかったが、使い道のわからない機械が並んでいる。
「カード偽造団だよ。聞いたことはあるだろう。クレジット・カードを作って買い物してそれを売るわけだ」
 俺は、長野が口にした、「心配なのは、犯罪に関わってないかどうかだよね」という言葉を思い出した。
 さっき連行された三人の中に、豊少年はいなかった。
「一味は、さっきの三人で全部ですか」
「いや、あと四人。それはほかの場所で捕まえた。一網打尽だ」
「犯人の中に、未成年者は」
「いない。少年法に関わるやつはいない」
「お手柄でしたね」
「まあな。じゃ、探偵さんもしっかりやりな」
 井ノ原は、機嫌良く手を振って階段を下りていった。
 俺はお辞儀をして見送ると、少し間をおいて階段を下りた。
 そして、もう一つの、郵便受けに名前のなかった部屋のドアをノックした。
 返事はない。しかし、人のいる気配はする。
「川島さんに頼まれて来たんですが」
 すると、ドアが細めに開けられた。住人の顔が半分だけ見えた。間違いない。
「豊くんですね」
 相手は頷いた。
「わたくし、こういう者です」
 俺は、ポケットから名刺を出して渡した。相手はそれを見て嫌な顔をした。
「あなたを探して欲しいと頼まれまして」
「誰に」
 かすれた声だった。
「お母様に」
 少年は目を伏せた。
「会いたくない」
「そうかもしれませんが、お母様は心配しておいでです」
 返事はなかった。
「あのう、立ち話も何ですから、できれば、中にいれていただけませんか。それが具合悪ければ、どこか喫茶店にでも行きませんか」
 俺がそう言うと、ドアを開けてくれた。
 俺は中に入り、靴を脱いだ。
 2DKのアパートで、男の一人暮らしにしては片づいていた。
 俺と少年とは、テーブルを挟んで、カーペットに腰を下ろした。
「さっき、郷田さんが訪ねてきたね」
 少年は頷いた。
「どういうことなんだろう。居場所がわかっているのに、探してくれっていうのは」
「わからない」
「郷田さんは、何の用で来たの」
「引っ越した方がいいって」
「見つかりそうになったから」
 相手は頷いた。
「定期的に来てるの」
「うん」
「郷田さんは最初から、君の居場所を知ってたんだ」
「うん。ここも郷田が用意してくれた」
「よかったら、事情を話してくれないかな」
「あの女と暮らすのが嫌なんだ。一緒にいたくない」
「若くてきれいなお母さんじゃないか」
 少年は黙って横を向いた。
 俺は改めて部屋の中を見回した。
 机にはパソコンがのっている。本棚を見ると、高校の教科書があった。
「学校に行ってるの」
「うん。通信制」
「それも郷田さんの考えかい」
「うん」
 昔の担任が、単位取得証明書を出したと言っていた。通信制編入のために必要だったのだろう。
「一人暮らしかい」
 頷いた。
「寂しくないの」
「パソコンがあるし、インターネットできればいい」
「働いてるの」
「少し。アルバイト。パソコンの組み立て」
 文章を組み立てて話すということができないらしい。
「お母さんは何も知らないんだね」
「多分……」
「そうか。わかった。引っ越す必要はないと思うよ」
 俺はそう言って部屋を出た。

 アパートの外に出ると、岡田が待っていた。
「車に乗ったで。電気街の駐車場に待たせとったんや。運転手がおった」
 そう言って岡田が教えてくれたナンバーは、川島家の車庫にあった、二台の黒塗りセダンのうち一台のものだった。
 日はだいぶ傾いていた。
 俺と岡田は、並んで、駅に向かって歩き出した。
「もう解決だ。助かった。この後は、夜の仕事か」
「そうなんや。残念やなあ。せっかく探偵になれたのに。こういうカッコええ仕事したいなあ。探偵になってあんな奥さんに仕事を頼まれてみたいなあ」
「仕事にはカッコいいも悪いもないんだよ。職業に貴賤なしっていうだろ。誇りを持って働けばいいんだ」
「そうか。そうやな。よかったら、来てみて。三人でバイトしとるんや」
 そう言って、岡田はポケットからマッチを出した。
「カラオケスナック・ビバビバ。スナックで働いてるのか。皿洗いか」
「いや、接客の方や」
「ほう。今度行ってみるよ」
 俺はマッチをしまい、岡田と別れて地下鉄に乗った。
 期限まではまだ四日あるが、はやいうちに片づけておきたかった。
 川島邸の呼び鈴を鳴らすと、インターホンから郷田の声がした。
 そして、いつものように、遠隔操作で鉄柵が開き、中に招じ入れられ、これもいつものように、応接間に通された。
「今日、豊くんに会いに行きましたね」
 ソファーに腰を下ろすと、俺はすぐそう言った。
 郷田はほんの少しだけ、動揺を見せた。
「はい。豊様から連絡がありました」
「あなたが、電気街からわたしの目を遠ざけようとしていたわけが、なんとなくわかりました。しかし、どうしてわざわざ、わたしを雇って、居場所がわかっている人を捜させたのかはわからない」
「私立探偵を雇う、というのは、奥様のご要望なのです」
「奥さんは何もご存じないようですね」
「はい」
 その時、応接間のドアが開いた。薄化粧の川島夫人がいた。
 俺は立ち上がった。郷田も立ち上がり、夫人の横に立った。俺を見る郷田の目に浮かんでいたのは、哀願だった。
「坂本さん、豊は見つかりまして」
 夫人の目は、まっすぐに俺を見つめていた。
「いや。まだです。全力を挙げています。もう少しお待ちください」
「何か手がかりは」
「確実な話ではありませんが、元気でいるのではないかと思われます。ご心配なく」
「どうか、あの子をみつけてください。心配でたまりません」
「お気持ちはわかります。しかし、相手の考えもあることですから、焦らずにお待ちください」
 横から、郷田が言った。
「今、打ち合わせを始めるところです。何かわかりましたら、お知らせいたしますので、どうぞ、お部屋でお休みください」
「そう。お願いしますね」
 応接間を出て行く夫人の仕草は、俺の脳裏に、「楚々とした」「はかなげな」という修飾語を浮かび上がらせた。
 夫人がいなくなり、俺と郷田は再びソファーに腰を下ろした。
「ありがとうございます」
 郷田は俺に頭を下げた。
「何か、訳ありのようですね。差し支えなければ話して頂けませんか。秘密は守ります」
 郷田は、しばらく頭を抱えていたが、その手を放して俺の顔を見た。そしてこう言った。
「奥様をどう思われます」
 俺は一瞬言葉に詰まった。
「若くて美しくて……。実に魅力的な女性です」
「それなのです、問題は。奥様は、ご自分の魅力に気づいていらっしゃらないのです」
 俺は黙って郷田の顔を見ていた。
「ぼっちゃまは、奥様がこの家においでになった時、大変喜ばれました。しかし、この家で一緒に暮らすうちに、耐えられなくなってきたのです」
「奥様の魅力にですか」
「はい。旦那様がお元気なうちはまだ良かったのですが、亡くなってからは、ことに。一年半前に、豊様は、泣きながら私に告白なさいました。苦しい、どうにかなりそうだ、と」
 想像はついた。思春期の少年が、若く美しい義母と暮らすのはかえって苦痛だったのだろう。
「それで、豊くんを外に出したのですね」
「はい」
「奥様を守りたい、とも思っているでしょう」
「はい」
 気持ちはよくわかった。岡田も、豊少年のもとの担任も、そして俺も。川島夫人に引き寄せられてしまっている。
「郷田さんも苦しいでしょう」
 郷田は黙って頷いた。主人と使用人という立場の違いを超えて、郷田は、豊少年を守ろうとしているのだ。そして、それと同時に、川島夫人を守ることに喜びを見いだしているのだろう。郷田もまた、川島夫人に魅入られてしまった一人なのだ。
「仕事はこれまでですね」
 俺は立ち上がった。もうすることはない。
 郷田も立ち上がり、門まで俺を送ってくれた。そして、別れ際、こう言った。
「豊様をみつけられたのですから、成功報酬は後ほど口座の方に……」
 俺は黙って頷き、川島邸を後にした。

 すっかり日が暮れていた。
 飲まずにいられない気分だ。重苦しい気持ちを払いのけるために、陽気に騒ぎたかった。
 長野に電話しようとしてポケットに手を入れると、岡田がくれたマッチが指に触れた。
 一度行ってやろう。顔を出したら喜ぶかもしれない。少し喜ばせてやって、一週間の期限前に契約を打ち切る話をしよう。出費は少しでも抑えたい。
 長野に電話し、待ち合わせて、岡田たちの働いているスナックへ向かった。
 店はすぐにわかった。ピンクのネオンがけばけばしかったが、あいつらが働いているなら危ない目にあうことはないだろう。
 ドアを開け、長野と並んで中にはいると、
「あら、探偵さん」
という声がして、どぎつい化粧のワンピース姿が三人駆け寄ってきた。そろって金髪のロング・ヘア。見覚えはない。その中で一番背の高いのが、けっこう俺の好み……いや、待て、何だこれは。
「来てくれたのね」
と言うのをよくよく見ると……。
「坂本さん、これ、おかまバーじゃないの」
 長野が、青くなってささやいた。俺は三人に向かって怒鳴った。
「なんなんだお前ら」
 しかし、連中は気色の悪い笑顔で迫って来た。
「剛子でーす」
「健子でーす」
「准子でーす」
 俺と長野は逃げようとしたが、捕まってしまった。森田と岡田、いや、剛子と准子が俺たちに抱きついて放さず、無理矢理席に座らせた。その間に、三宅が勝手にボトルを持ってきた。
 その後のことは……思い出したくない。

(第2話・終わり)


【次回予告】
 危険を買うのに高い銭はいらない。ちょっとした偶然からゲームは始まっちまう。
 酒好きの傾向のある女との出会い。それがきっかけだった。
 ところがこの女の持ち込んだ話は、あまりにもできすぎていた。
 おまけに、俺は、酔っぱらって彼女に何かしたらしい。
 まあとにかく、わけのわからない女が絡んでくるとすべてが命がけとなる。
 ちゃっかりモードの女が活躍する「危険を売る女」。


「探偵物語」目次

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