探偵物語・2

エレクトリックシティ・ブルース

前編

「息子を捜していただきたいんですの」
 川島夫人は、俺の目をまっすぐ見たままこう言った。
 俺の前のテーブルには、スナップ写真が置いてある。十代の少年が映っていた。
「名前は豊。家出してもう一年半になります」
「警察へは」
「届けてあります。でも、警察は積極的に捜してはくれませんもの」
「そうですね」
 俺は写真を手にしてその顔を覚え込んだ。
「高校生ですか」
「はい。休学中にしてありますけれど。もうすぐ十八歳になります」
 俺は目を上げて夫人の顔を見た。どうみてもせいぜい四十前だ。十八歳の息子がいるように見えない。
 俺の目の色を呼んで、夫人はこう言った。
「わたしとは血のつながりはありません。わたしは後妻なのです」
 俺は頷き、質問した。
「家出の理由は何だったんでしょう」
 川島夫人は、庭に目をやった。俺もつられて庭を見た。
 庭だけで百坪はあるだろうか。花壇と建物との間の地面を、きれいに刈りそろえられた芝が覆っている。
 若そうな後ろ姿が、花壇の雑草を抜いていた。
「わたしがいけなかったんです。主人が亡くなって……。わたしにだってちゃんと育てられる、というところを見せようとして、受験勉強のことばかりうるさく言って……」
「それで飛び出したわけですか」
「はい」
 俺は、出されたコーヒーの残りを飲み干した。
「差し支えなければ、息子さんの部屋を見せていただけませんか」
 夫人は立ち上がった。
「ご案内いたします」
 少年の写真を手帳に挟み込み、俺はあとについていった。
 息子の部屋は、八畳ほどの洋間だった。
 壁に押しつけられた机は、普通の学習机の倍の幅があった。真ん中に、大きなパソコンと十七インチの液晶ディスプレイが載っている。
 本棚を見ると、パソコン雑誌が並んでいた。
「あの子は、パソコンばかりいじっておりました。頭は悪くないんですのよ。自分が学校で一番パソコンに詳しいって自慢しておりました」
 夫人の言葉を聞きながら、俺は洋服ダンスを開けた。
 高価そうな服はなかった。ファッションには興味はないらしい。
「息子さんの行き先に、心当たりは」
「働いているとしたら、パソコン・ショップだと思います」
「なるほど」
 手がかりを得られるかもしれないから、と断って、机の引き出しを全部開けてみた。
 手紙も日記もない。
 コンセントを確認して、パソコンの電源を入れてみた。
 電源が入り、ファンが動き出した音がした。俺の物に比べると、半分の時間でWindowsの画面になった。
「メールはチェックなさいましたか」
「はい」
「奥さんがご自分でご覧になったのですか」
「よく分かりませんので、秘書に調べて貰いました」
「その方にお目にかかれないでしょうか」
「呼んで参ります」
 夫人が部屋を出ると、俺は、腹這いになってベッドの下をのぞき込んだ。部屋の主がいないからかえって掃除ができるのか、塵一つ落ちていなかった。
 やがて夫人が連れてきたのは、俺を出迎えた男だった。紺のサマースーツがよく似合う。四十を少しこしたぐらいの男だった。髪をきちんとなでつけている。
「お呼びでしょうか」
「このパソコンの中身なんですが」
 俺は、机の上のパソコンを指差した。
「メールか何かに、豊くんの行く先の手がかりになるようなものは、残されていませんでしたか」
「メールは、全部見せていただきましたが、手がかりになるようなものはございませんでした」
 そう言って、秘書はメールソフトを起動させた。最後に受信したメールの日付は一年以上前になっている。
「その後、豊様がメールのパスワードを変更なさったらしく、今は受信できません」
 秘書は、受信ボタンをクリックした。すぐにエラーメッセージが表示された。
「それから、データ・ファイルらしいものは全部開いてみたのですが、日記らしいものも、どなたかへの手紙らしいものもございませんでした」
 俺がマウスを動かしている間に、秘書は、夫人の方に向き直った。
「奥様、お疲れでしょう。あとはわたくしがお相手いたします」
 夫人は頷き、
「では、坂本さん、失礼します。お仕事の条件は、郷田と打ち合わせてください」
と言うと、宙を歩むような足取りで出て行った。
 俺は、分からないながらも、ファイルをいくつか開いてみたが、何も分からなかった。
 電源を落とし、秘書の郷田の顔を見ると、相手は、
「では、こちらへどうぞ」
と言って、再び俺を応接間に案内した。
「飲み物をお持ちしましょう。紅茶や日本茶もございますが、お好みは」
 そう聞かれて、俺は思わず「ビール」と答えそうになったが、ぐっとこらえて、
「コーヒーをお願いします」
と言った。
 秘書がメイドにコーヒーを頼みに行っている間に、俺は手帳を出して、もう一度、豊少年の写真を見た。どこかの公園らしい。噴水をバックに、笑顔で映っていた。
 郷田が戻ってきた。
 俺は、思いついたことを尋ねた。
「豊くんの住民票がどこかに移されていたりはしませんか」
「それはありません」
 即座の返答だった。
「時折、確認しております。また、役所にも、住民票を移そうとしたら連絡してくれるよう頼んであります」
「そんなことができるんですか」
「はい。最近は、他人の勝手に住所を移して犯罪に利用することがあるのだそうで、役所では請け合ってくれました」
 おそらく、財力の影響もあるのではないかと思ったが、それは口にしなかった。
「奥様の話では、パソコン関係の仕事をしているかもしれない、ということでが、電気街は探してみましたか」
「はい。一軒一軒見て回りました。しかし、全く手がかりはございません。今でも時々見に行っておりますが、まったく手がかりは得られずにおります。おそらく電気街にはいらっしゃらないと思います。豊様も、我々が電気街に探しに行くことはお察しでしょうから」
「なるほど。ところで、豊くんのお父様は、もう亡くなっているとか」
「はい二年前に亡くなりました」
「すると、私への依頼は、奥様お一人の考えですか」
「はい」
 それから、仕事の条件の話になった。
 契約期間は十日間。報酬は三十万円。もし、豊少年の居場所を調べ上げることができればさらに三十万。最近は、この業界も不況で、俺のような個人の事務所だと、家出人捜索は三週間で三十万ぐらいが相場だ。まれに見る好条件だった。
「そんなに頂けるんでしたら、十日間ではなくて三週間の契約でもかまいませんよ」
と言ったが、十日間にしてくれ、と押し切られた。
 契約書にサインをしたところでコーヒーが来た。
 せっかくだからご馳走になる。最初に出されたのと同じで、香りをかいだだけで、それが高級品であることがわかった。
「奥様がここへ後妻としておいでになったのはいつですか」
「三年前です」
「するとその時、豊くんは十五歳」
「はい」
「家出の原因は」
 郷田は、少し間をおいて答えた。
「奥様は、血のつながりはなくてもちゃんと豊様を教育なさろうとしておいででした。少し熱心すぎたのかもしれません。高校までは奥様のおっしゃる通りに進学なさったのですが、大学をどこにするかで、ちょっと……」
「なるほど。実の親子でもよくある話です。こちらは、お子さんはお一人ですよね」
「はい」
「跡取りが帰ってこなかったら困るでしょう」
「その点につきましては、私には何ともお答えできかねます」
「郷田さんは、こちらには長くいらっしゃるのですか」
「はい。豊様がお生まれになる前からお世話になっております」
「郷田さんは、お子さんは」
「おりません」
「もしかして独身ですか」
「はい。五年前に妻に死なれてからは。坂本さんは」
「生まれた時からずっと独身です」
 郷田は少し笑ってくれた。

 俺は門を出て屋敷を振り返った。
 まだ東に傾いている太陽が、レンガ張りの壁を照らしている。
 「宏壮」という言葉は、こういうものを表現するためにあるのだろう。
 車庫には、黒塗りのセダンが二台並んでいる。
 昨日の夕方、電話で依頼を受け、話を聞きに来たのだが、教えられた住所で待ち受けていたのがこの屋敷だった。
 そして、インターホンをのボタンを押した俺の応対をしたのが、郷田だった。
 俺は、出迎えに現れた郷田を見て、
「ご主人ですか」
などと、今にして思えば間抜けなことを聞いてしまった。こんな大邸宅のあるじが、自分で客を出迎えることなどあるまい。しかも、相手は一介の私立探偵なのだ。
 私立探偵を呼んだことを知られたくないのなら、自分から事務所に出向くはずだ。
 俺は屋敷に背を向け、駅に向かって歩きながら、なお美という名の、美しい人妻の顔を思い浮かべていた。

 昼少し前に、俺は長野の店へ行った。
 長野は、自転車を組み立てているところだった。スポーツタイプのものだ。おそらく、配達業者のものだろう。
「忙しいかい」
「いや、急ぎの仕事じゃないから」
「昼に何かおごるよ。何がいい」
「悪いね。いい仕事が入ったのかい」
「ああ。しばらくはリッチだ」
「じゃあ、天丼がいいな」
「よしきた」
 俺は、壁にかけてあるそば屋のメニューを手にとり、天丼二人前の出前を頼んだ。
 そこに、パンクの修理を頼む客が来て、修理が終わった時に出前が来た。
 出前を持ってきたのは、よく知った顔だった。
「何だ、出前も請け負ってるのか」
「何でもやりますからね」
 確か森田と言ったはずだ。「どうにかする会社」というふざけた名前の会社を仲間三人でやっている。要するに便利屋だ。
「忙しいかい」
「暇です」
 あっさり答え、出前持ちらしく、
「まいど」
という声を残して去っていった。
 長野は手を洗い、俺と同じテーブルに着き、茶を入れてくれた。
「いただきます」
 律儀に手を合わせて食べ始める。
 俺も一緒に食べ始めた。もう少し気張って上天丼にしておけばよかったかもしれないと思ったが、先のことを考えればそんな贅沢はしていられない、とも思った。
「今度はどんな仕事なの」
 食べながら長野が言った。
「人捜しだ。家出少年。十八歳」
 俺は、大まかなところを話して聞かせた。
「そうなるとやっぱり電気街だろうね。自作ショップあたりで働いてるんじゃないかな」
「コンピューター関係の仕事なんて、十八でもできるんだろうか」
「できるヤツはできるさ。むしろ、若い方が新しいものにすぐになれるから。オリジナルPC作ったり、修理したりする仕事は、ほとんど若いアルバイトらしいよ」
 電気街の表通りは、有名な電器店ばかりだが、裏通りにはいると、ビルの一室を借りただけの店が多い。道ばたの地べたにパーツを並べている店まである。
「そういう連中が働けそうな店って、どれぐらいあるんだろう」
「結構あるんじゃないかな」
 長野は箸を置き、本棚から分厚いパソコン雑誌を取り出した。その裏表紙の前に折り込みの地図がある。それをテーブルに広げて見せた。
「これがショップ一覧。これだけある。よかったら、これ、あげるよ」
「ありがとう」
 俺は遠慮なく貰うことにした。天丼の残りを食べながら地図を見たが、一つのビルに五つも六つも店が入っている。全部でいくつあるのか、数えようとして途中でやめた。
 一人で調べ上げるのは難しそうだ。それに、電気街で働いているとは限らない。
「ほかの仕事かもしれないよな。バイク便や自転車便なんか」
「それはないと思うよ」
 長野はあっさり否定した。
「ああいう仕事は、身元がしっかりしてないと雇わないから。とにかく堅いからね。重要書類を運んでるんだから」
「なるほど、そば屋の出前持ちとは違うんだろうな」
「心配なのは、犯罪に関わってないかどうかだよね。キャッシュ・カードの偽造とか。ある程度知識があれば簡単にできるらしいから」
「そうか……。そうなるとやっかいだな。ところで、スキャナとプリンターを使わせてもらえないかな」
「いいよ」
 俺は、長野がチラシを作るために買ったスキャナを使って、川島豊の写真を取り込み、カラープリンターで複製を五枚作った。複製といっても、もとの写真より大きくなっている。拡大コピーというべきか。
 その後、俺は、電気街を回ってみた。たしかに、一人で全部あたることはできそうにない。
 日が傾いてから、俺は、A4サイズの封筒に川島豊の写真を入れ、あるアパートを訪れた。そのアパートのドアには、生意気にも、プラスチックで作った、「どうにかする会社」というプレートがかけてあった。
 ノックしてドアを開けると、
「いらっしゃいませ」
と、まるで喫茶店のような迎え方をしてくれた。しかし、態度はすぐに変わった。
「何や、坂本さんかいな」
「何やはないだろう。仕事の依頼だ」
 三人とも中にいた。
「どうぞおかけください」
 三宅というのが、椅子を勧めた。畳の六畳間にパイプ椅子とテーブルがある、なんとも安っぽすぎる事務所だった。事務所というのもおこがましいものなのだが。
 椅子の足があたるところは、畳がすり切れてしまっている。これなら、椅子ではなく座布団の方がよさそうなものだ。
「どんな仕事でしょう」
 三宅はまるでちゃんとした会社の人間のような口をきく。
「人を捜してもらいたい」
 俺は、封筒から写真の拡大コピーを出して見せた。
「秘密は守れるな」
 三人は頷いた。
「名前は川島豊。十八歳。パソコンが得意。家出中だ。探して欲しい」
「ああ、この話で川島さんとこいたんか」
 そう言ったのは岡田というやつだ。
「お前、川島さんを知ってるのか」
「今日、草むしりしとったら、探偵さんが来たから、どうしたんかなあと思うとった」
 花壇の草取りをしていた後ろ姿は、こいつだったのだ。
「そうか。それはちょうどいい。何か聞かなかったか」
「何も。ただ草取り頼まれただけやし」
「これからも行くのか」
「明日も行く。広くて、一日じゃ無理や」
「よし、何か少しでも手がかりになるようなことを聞いたら教えてくれ」
「で、こいつを探す手がかりは何かないのかい」
 森田が聞いた。
「たぶん電気街で働いていると思う。一軒一軒しらみつぶしにあたってくれ」
「報酬は」
と、三宅。
「一日一万」
「おおっ、三人で三万か」
「おいおい。三人で一日一万だよ。どうせ昼は出前持ちだの草むしりだので忙しいんだろう。午後だけ働いて一人三千円以上なんだからいい話だろう」
「情報料は別に出してもらわんとな」
「わかった。内容次第で別に出す」
「期限は」
と三宅。
「明日から一週間」
「七万か」
「今日もやるなら、今日の分は五千円だそう」
「今日はだめだよ。この後、三人とも夜の仕事が入っているから」
「じゃあ明日から一週間だな」
「いいよ。やるよ」
 こうして、電気街を調べ回るのは三人に任せることにした。
 郷田の話では、電気街では見つけられなかったという。店員のように、人前に顔を出すような仕事はしていないのだろう。
 俺は、三人に豊を見つけられるとは思ったわけではない。ただ、探し回っている人間がいることがわかれば、豊の方から何かアクションを起こす可能性があるのではないかと思ったのだ。

 翌日、午前中に、念のため、役所に行って住民票を確認したが、豊が転居届を出した形跡はなかった。
 午後、「どうにかする会社」に電話すると、岡田が出た。
「今日も川島さんのところへ行ったんだろう」
「もちろん。今日は奥さんに声かけられた。いやあ、きれいな奥さんやなあ。あこがれるわあ」
「何か手がかりになりそうな話は」
「いや。ただにっこりしてご苦労様って。できれば住み込みたいくらいや」
「あの家の使用人に、何か聞かなかったか」
「何も。若い女の子は台所にしかおらんし。口きくんは、秘書の人だけや」
「郷田という人か」
「ああ。堅い人や。奥さんも、あんな堅いんがそばにおったら窮屈やろうな」
「森田と三宅は」
「もうすぐ出前の仕事から帰ってくるよ。それから三人で電気街へ行く」
「頼む」
 俺はそれから川島家へ電話して、郷田に、豊少年の通っていた高校を教えて貰った。
 郷田からあらかじめ学校に連絡して貰い、ネクタイをすると、俺は学校へ向かった。
 家出人を捜索しているとはいえ、正体不明の私立探偵に簡単に事情を話してくれることはない。しかし、家族から協力してくれるよう話してくれていれば、大抵のことは教えて貰える。
 担任だったという教師は、まだ若く二十代のようだった。
 職員室ではほかの生徒が出入りするので、と、応接間に通され、お茶を出してくれた。
「考えられるのはパソコン・ショップですね」
 教師もまた、豊のいそうな場所として、パソコン・ショップを挙げた。
「ほかに考えられません。とにかく、豊くんの知識は抜群でした。わたしもいろいろ教えて貰いました」
「家出の原因としては、どんなことが考えられるでしょうか」
「進路の問題だということでしたが……。成績だって悪くないし、けっこういいところをねらえる生徒だったんですがねえ。お母さんと豊くんの考えが合わなかったようですね」
「お母さんとの仲はどうだったんでしょう」
「とくに悪くはなかったようなんですが。若くてきれいなお母さんなのがうれしいというようなことも言っていたし。実のお母さんは、豊くんが三歳の時になくなったとかで、写真は見たことがあるけれど、ほとんどお母さんの記憶はないそうです」
「たしかに若くてきれいなお母さんですよね」
「全く。何度かお目にかかりましたが、ほんとうに美しい方でした。人をドキッとさせるような魅力の持ち主でした」
「豊くんには、彼女はいたんでしょうか」
「少なくとも学校内にはいないようでした。家出してから、ほかの生徒にもいろいろ聞いてみたのですが、豊くんが身を寄せそうな友達はいないようでしたね。たぶん彼女はいなかったろうというのが生徒たちの考えです。まあ、あんなにきれいな女性が身近にいたんじゃ、その辺の女の子には目は向かないでしょうね」
「友達づきあいはあまり積極的ではなかったわけですね」
「そうですね。少し内向的なところはありました」
「スポーツは」
「特に好きではないようでしたが、体育は普通にやっていましたよ」
 結局、手がかりは得られなかった。
 学校はまだ籍は残してあり、休学状態になっていた。
 一年生は修了しているので、その気になれば二年生からやり直せるという。
 豊少年が戻ってきた時に、その話をする必要があるからと言われ、単位取得証明書を作って渡したことがあるということだった。

(続く)



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