ひるね日記

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2002年4月−6月

女の友情(6.30)
 先日岩井志摩子という作家の書いた「自由恋愛(「恋愛」は旧字)」という本を読んで、戦前の家庭生活の描写があまりにも漠然としてるのにあきれたのですが、このたび田辺聖子の「ゆめはるか吉屋信子」を読んで、「自由恋愛」は吉屋信子の「良人の貞操」とストーリーの骨子がまんま同じだと気がつきました。
 時代設定や、女学校の友達同士だったふたりの女性がいて、片方の女性の夫ともうひとりの女性が恋愛するというような重要なところも同じなら、妻が夫のトーストを金網で焼くというような描写も同じ。これ、あとがきに「この作品は吉屋信子へのオマージュです」とか書かなくていいんでしょうか。
 しかも、岩井志摩子による戦前の家庭生活の具体的描写はほんとうにその、「トーストを金網で焼く」だけ。同じ朝食シーンでも、吉屋信子の方は、妻が自分で縫った白ネルの袋でコーヒーを入れるところもあるのに。岩井志摩子さん、コーヒーのことまでいただいては悪いと思ったんでしょうか……。他が全部、茫洋としてお湯の中のものを見るように描かれてるのに、トーストのことだけ具体的でおかしいなあとは思ったんだ。だって、他は忘れたけど、覚えてたもん、「金網でトースト」だけは。

 と、ずれたところから始まりましたが、今日の日記のテーマは、「ゆめはるか吉屋信子」を読んで、戦前の女性の友情って厚いものがあったんだよなあとしみじみしたので、ちょっとそのことを書いてみようというところにあります。
 って言うか、戦前て結構レズビアンが市民権を持ってたところがあるんですよね。吉屋信子と門馬千代子さんも、まあ、たぶん。あと、ロシア文学者で現在では「森は生きている」の翻訳者として名前の残っている湯浅芳子さんとか。昔の人は強いですね。だからって別に隠そうともしないですから。
 
 昔の男の人は、ほんとに悪い意味で鈍くて横暴な人が多かったようです。女なんて人間とも思ってない人が多かった。実際戦後まで女性は選挙権はなくて、「女子供」と子どもと同じ扱いをされてたわけだし。品性のある女性と対等に恋愛できる知性と感性を持った男の人なんてごくごくわずかしかいなかったのです。
 そんななかで、感情の機微まで理解しあえるのは女同士しかなかった、という面があったわけで。

 当時の理想的にデリケートな女の友情を具体的に描いた小説の秀作に、石井桃子の「幻の朱い実」があります。
 これは石井桃子本人と思われる明子という女性と、石井桃子の早世した友人をモデルにした蕗子という女性との友情の物語です。ふたりは女学校時代からの友達。いろいろあって結婚した後も、明子は夫よりも、結核にかかっている蕗子が大事で、見舞いに行きたくてしょうがない。(実際には石井桃子は結婚していないので、夫のことはフィクション。しかし、素敵な人と思い恋愛して結婚したはずなのに、夫が怖い表情で怒り出すのを見て明子ががく然とするところなんてリアリティがある)
 また、明子の友人である蕗子がとても魅力的。趣味が良くて頭が良くてめそめそしなくて自分勝手で、意地悪ばかり言いながらもしっかりものの明子のことをとても頼りにしているかわいい人。女は、どんなに手間暇がかかっても、こういう、気持ちのキャッチボールのできる関係が欲しいんだなあと思います。(そして明子が病の蕗子を喜ばせようという目的で翻訳しはじめたのがあの「クマのプーさん」です)

 女は繊細な機微のある感情のやりとりを求めるものですが、権力を持ってる男はそんな面倒なことはしたがらない、それで戦前には、お互いを理解しあえる女だけのデリケートな文化があった、というようなことになるでしょうか。
 「女の友情」という言葉は、吉屋信子が小説のタイトルに使ったのがはじめてらしいですが、今では「浅薄な友情」みたいな意味合いで使われていることの方が多いかも知れません。しかしもともと吉屋は、「女だって友情を貫き通せるんだ」というポジティブな意味合いでこの言葉を使ったのでした。

 「ゆめはるか吉屋信子」は、田辺聖子の吉屋信子への深い愛情の感じられる労作でした。明るい吉屋信子の人となりが実に慕わしく感じられました。
 どうやら吉屋信子は文学少女の辿りついた最高峰の作家であるようです。同じようなタイプで現在最高峰にいるのが田辺聖子でしょう。どういう道筋で作家になったとしても、この高みに到達できる作家は滅多にいないだろうと思います。

剛くんのラジオ(6.22)
 今日はFM東京で3時から、剛くんの出演するラジオがありました。スペイン坂のスタジオ前に並ぶと、ガラス越しにラジオでおしゃべりしてる剛くんが見られる、というヤツで、人がいっぱい並んだみたい。ラジオでもキャアキャア言う声が聞こえました。
 剛くんの声が、このごろすごく大人ぽくなった気がしました。
 ワールドカップ期間中だからサッカーの話題が多く、前のワールドカップのあった1998年がテーマになってました。
 忘れてたけど、言われると、剛くんがイノッチと長瀬くんと太一くんとフランスに行ったのはこの年でした。それから100キロマラソンもこの年でした。「夏のかけら」もこの年。1998年はいろいろあったのだなー。
 サッカーの話題では、女のパーソナリティーのかたがベッカムが大好きと言って、剛くんも「ベッカムはかっこいい」と言ってました。わたし、日本で一番遅れてんじゃないかと思うけど、ベッカムの試合、結局一個も見て無くて、どんな人だかよくわからないよ(^^;
 剛くんは「ロナウドはかっこいいというんじゃないんじゃないか」というようなことも言ってました。かわいいタイプなのかな? 剛くんはブラジルのサッカーが好きだそうです。せめてこれから1回くらいブラジルの試合を見なくちゃ……、と思いました。剛くんは聞かれればサッカーのことなら本格的なことを話せたろうと思うけど、パーソナリティーの人たちは剛くんがサッカーが特別大好きって知らなかったみたい。
 新曲のことでは、シューちゃんのことを聞かれ、「いつも録音はひとりずつなんで、思い出はないです」と言ったのがかわいかった。ないもんは作れないもんね。
 剛くんもベッカムヘアだったらしく、まんなかが突っ立ってたみたい。ほんとか嘘か、それは寝癖だと言ってました。
 でも、剛くん、ソフトモヒカンて髪型、嫁ミツの頃もやってなかったっけ? 
異国で大人気(6.17)
 今日の朝日新聞の夕刊に「超人気ベッカム 日本でプレー?」という見出しの記事があって、ベッカムが神戸で、「この国(日本)でプレーすることになるかも知れない」と英国記者団に語った、という内容が載っていました。
 どうやらベッカムは日本で「今までどこでも経験したことのない歓迎」を受け、かなり気分をよくしているようです。本国でも受けられない大歓迎を異国で受けるというのはなんとも言えずうれしいものなんでしょう。
 そんなようなことで覚えているのは、十何年か前のピアノのブーニンの人気で、彼は日本で熱狂的人気で、そののちソ連から亡命したときも、すごく日本に亡命したそうでした。あとこれは、覚えているわけではないけど、本で読んだんだけど、昔の作曲家のチャイコフスキーね、彼も本国ロシアよりもアメリカで「美しいお髭の巨匠」とか呼ばれて大人気で気分をよくしたらしいです。ちょっと違う話だけど。
 だからなんだって言う訳じゃないんですけど、V6も台湾で人気だなあ。大人気だったときうれしかったろうなあ、よかったなあ、と思って。

 そうだ、あと、「日本でだけ人気」というのとはちょっと違うタイプに、「日本での人気先行型」というのがあって、これで大成したのがクイーン。最初は日本で人気が出て、のちには世界的なアーティストになった。
 世界、と言うか、本国アメリカでの人気がどれくらいなのかよく知らないけど、わたしが高校生の頃大好きだったロックグループ「チープトリック」も日本での人気先行型だと思うけど。いや、彼らは「日本でだけ人気」型なのかなあ……。
 チープトリックを気に入って日本に紹介したのは「ロッキンオン」の渋谷陽一だったのですが、渋谷さんが最初彼らにインタビューを申し込んだところ、ほら、普通外人ロックグループって、インタビューを申し込んだら、誰かひとりが来るでしょ? たとえばエアロスミスにインタビューを申し込んだら、5人全部来るわけないよね?(エアロスミスと比べちゃ悪いけど) 
 それが、チープトリックはうれしそうに4人全員で来て、4人でてんでんばらばらにうるさくしゃべるもんだから、なにがなんだかわからないインタビューになったというエピソードが残っています。
 Vとはちょっと違うけども、なんか似たような感じのするグループでしょ? かわいい話でしょ?
 
「Feel your breeze」発売日・ナンシー関さん死去(6.12)
 ◆「Feel your breeze」発売日
 久しぶりのV6の新曲「Feel your breeze」発売!
 同時収録はシューちゃんといっしょの「one」と「LET’S SING A SONG」。CCCDというのがちょっと嫌だけど、「one」と「LET’S SING A SONG」の韓国語バージョンがかわいかったのでよかった。

 「Feel your breeze」は高視聴率ドラマ「ごくせん」の主題歌なのでオリコンの週間1位になれるかもしれない。でも、1位じゃなくていいから、コンスタントに4ヶ月に1回くらい新曲を発売してくれた方がいい。
 もう、オリコンの順位とか売り上げの数字とかに振り回されたくないの。いいじゃん、ファンとV6で楽しくやろうよ!

                   ☆ 
ナンシー関さん死去
 ナンシー関さんの本は結構読んでました。
 機会があるときは週刊文春のコラムも読みました。
 内心いつも「V6の話題が出ないかなあ」と思っていました。
 お笑いにうるさいナンシーさんですが、V6のバラエティについて辛口でもいいからなにか書いてくれたら勉強になるのになあと思っていました。
 ですけど、ナンシーさんのエッセイにV6が登場したのは、わたしの知る限りでは二回だけ。
 「だんご三兄弟」がヒットしていた頃、速水けんたろうお兄さんとまーくんの顔のしわの感じが似ている、というのと、リカコさんの話題の時、24時間テレビで、(熱が?)過剰な徳光アナと、(熱が?)足りないV6の間でリカコさんが実に生き生きして見えた、というのだけでした。(←立ち読みなのでうろ覚え)
 今、しみじみ考えると、ナンシーさんのコラムはテレビや芸能人に辛口、ということになっていたけど、ナンシーさんの消しゴム版画に描かれる芸能人の似顔絵は、とてもチャームに描かれていました。(皮肉もよいスパイスになっていました) 
 彼女は、「なにが彼らの魅力なのか」ということを、よく知っていたのだと思います。
ワールドカップ日本初勝利!(6.9)
 日本が勝ってよかった!!
 けど、試合の後、スタジオの高原を見て、涙……。自分もグラウンドにいたかったろうに(泣)。
 あと、ヒデのゴールが決まってたらなあ。こんなにがんばってくれてるのに。ゴールという形になって残って欲しかった!
◆BOOK「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」(6.2)
◆「三島由紀夫」とはなにものだったのか
 橋本治著 新潮社 2002年1月30日発行

 さすが橋本治先生! 三島由紀夫の本を書いてくれるなんて!
 そうです、「三島由紀夫」という作家がどう評価されるのが妥当な作家なのか、わたし、ずっと疑問だったんです。

 わたしは、高校生の頃に三島の小説を何冊か読みましたが、三島由紀夫がなにを言いたくて小説を書いているのか、結局よくわからなかったということがありました。三島の自決事件とかは、むろん知っていて、三島のひととなりには興味があったし、「仮面の告白」とか「禁色」とか、三島の作品にはホモがテーマ(?)な小説がいくつかあるらしいので、読む前はとてもおもしろそうに思えたんですが……。
 
 でも、そのときは、三島って超有名な作家なんだから、わたしがわからないだけで、ほんとうはおもしろいんじゃないかなあと思っていました。
 小説はそんなにたくさん読みませんでしたが、それからもちょこちょこ三島関連の本はのぞきました。彼のギリシア風の邸宅の写真とか、自身で主演した映画「からっ風野郎」のスチールとか、写真集「薔薇刑」の写真とか。そういうの全部、なんかホモっぽいし、いかがわしいし、裏におもしろいものがありそうに思えたんです。しかし、結局はいつも、「なんか違う……」という感想を持つしかありませんでした。

 「なんか違う」と言うのは、たとえば、もと虚弱児の三島がボディビルで体を鍛えたとなると、それはあからさまに、自分が肉体コンプレックスを持っていたことの証ですよね。三島がコンプレックスを持っていても全然かまわないと思いますが、知的な人間が自分のコンプレックスを外にさらすときは、多少なりと、そんなことをする自分への、諧謔であるとか、揶揄であるとかの思いがあると思うんです。
 それが、写真で見る三島にはそういうものがなかった。写真の彼は、いつもひたすら真面目な顔なんです。彼は、真面目な気持ちでボディビルで体を鍛え、真面目な気持ちでギリシア風の邸宅にアポロ像を置き、真面目な気持ちで半裸の自分の写真なんか撮らせたようなんです。
 そのへんがわたしには理解できませんでした。自分を客観視して「オレってばかだろう」と笑ってみせるような余裕を三島は持っていなかった、そう思うしかありませんでした。しかし、立派な小説を書くような人間が自分を客観視する能力を持っていないはずがないだろう、とも思いました。

 三島の評伝も読みましたが、そういうのもたいていはどれも、なにを言っているのかよくわからない。そのうちに野坂昭如による三島の評伝「赫奕たる逆光」が出ました。その、「三島は男色家というアプローチではなく、ナルシストというアプローチでとらえるべきだ」という内容を読んだとき、わたしはやっと三島が見えた気がしました。
 市ヶ谷の自衛隊での三島の自死の方法は、まずは自身による割腹、それから腹心の森田必勝による介錯という古風なものでした。(森田必勝もすぐに別学生の手で介錯されて死亡) そういう死に方ですから、当時は彼ら内に同性愛関係があったのではないかと、週刊誌などにスキャンダラスに取り上げられたようです。わたしもそこに、武士道的な禁欲的な恋愛関係でもあったのかなあと(いや、本音を言えば、あったらいいなあ、と(^^;)思っていたのですが、実際に彼らのことを書いた記述を読んでも、そこに、恋愛というような、たとえそれが男同士でも甘やかであるはずの感情を感じ取ることはできませんでした。でも、野坂が「三島はナルシストだった」と書いたのを読んだときは、「確かにそうかも!」と納得できたのです。(今考えると、それまで誰も三島のことを、男色家だとは言っても、「ナルシスト」とは決めつけなかったことのほうが不思議ですね)

 というわけで、「赫奕たる逆光」読後は、「三島由紀夫ってナルシストだったんだな」というところで謎が解けた気になっていました。あの死に方も、「ナルシスト的」と言って、誰でも納得できると思います。
 自死の直前に書き上げた大作「豊饒の海」のラストシーンのあまりな空虚さも、「愛情が広い外に向かわず狭い自分の中のみに向かう人の空しさ」と思うと納得できる気がしました。
 ですが、それでもなお不思議な気持ちは残りました。
 と言うのは、わたしは、一流の小説というのは、「書かなければ生きていけない」というくらいの情熱がなければ書けないものだろうと思っていたからです。自分に愛情をそそぐというようなむなしい動機で長い小説が書けるものなのだろうか。。
 しかも、たった45才で死んだのに、三島が残した文章は、たいへんな量があります。三島には、きっと、小説を書こうとする強い必然性があったのです。
 いったいそれは、どういう必然性だったのか、それとも別に、そういう強い必然性なんかなく、才能があったから書いただけなのか。

 ……三島に関する以上のようなことが、わたしにはすごく気になることだったんです。
 自分で実際ちゃんと三島を読み返したら、高校生の時よりはなにかわかるだろうなあとは思いましたが、読み返してなにかわかったとしても、彼の小説にいまさら改めて感動することは絶対ないなと予想がついたし、ほんとう言って、それほどな興味はなかったので、自分でやってみる気にはなりませんでした。
 そしたらそこへ、あの橋本治先生が三島本を出してくださったのですから、こんなうれしいことはありません!! これですべてがわかるはず。
 そしてさっそく、巻置く能わずという勢いで読ませていただきました。期待にたがわぬ内容でした。
 読めば読むほど、三島がかわいそうになりました。(たぶん、橋本治も、書けば書くほど三島が可哀想になったと思います)
 なかで一番驚いたのは、「私の永遠の女性」というエッセイの中で、三島が「自分の永遠の女性像がいかつい明治の女にある」、と言いながら、「それがなぜかわからない」と言っている、というくだりを読んだときです。
 三島が幼少の頃、母から引き離され、気の強い祖母に育てられたのは有名な話で、何冊か三島を読んだことのある人でそれを知らない人はいないと思います。だから、三島の「永遠の女性」が「いかつい明治の女性」なら、そこにはたぶん、彼の祖母の面影があるはず、と誰しも簡単に想像がつくのに、三島自身は全くそれに気づいていなかったらしいのです。三島には、自分のことを客観的にとらえる能力がどこか欠如していたのか、でなければ、無意識のうちに、知りたくないことには蓋をするというか、とにかくそういうところがあったようです。そういう気持ちは、もともとは、彼が「大人思いの子ども」だったところから発していたと思えるのですが。
 
 「三島が松本清張を認めなかった」、というくだりもあり、そこで橋本治は、三島には松本の小説が「大人の小説」に見え、くらべて自分の小説が「子どものようなこじつけ小説」に見えたのではないか、と推測していますが、わたしにも、三島の小説は、まだほんとうの人生のはじまらない人の小説に思えます。三島の人生には、恋愛ひとつなかった……。

 三島が亡くなったのは昭和45年、西暦でいえば1970年でした。だから三島の最盛期はそれ以前、1950年代から60年代なのですが、不思議と三島には、三島と正反対であるような、70年代的な思潮を予見させるようなものがありました。
 過激右派と呼べる晩年の三島には、肉体と精神を同一視するようなところがあったのですが、それは、1972年の連合赤軍事件における過激左派の学生達と同じ論理でもあったのです。
  
松田優作(5.23)
 hongming先生より、一昨日のわたしの日記のまちがいについてご指摘がありました。
 ドラマ「探偵物語」前後の正しい松田優作出演作の順序は、映画「蘇る金狼」→「探偵物語」撮影開始→(「探偵物語」撮影中)映画「処刑遊戯」→(「探偵物語」撮影後)「野獣死すべし」となるとのことでした。こうして並べてみると、ちょうどこのころが松田優作にとって、大きなターニングポイントの時期だったようですね。

 さて、話題が出たついでに、いままでわたしが、松田優作について考えていたことを書いてみようと思います。
 まず、下世話ではありますが、松田優作が熊谷美由紀と再婚したことから。
 もう忘れられているかもしれませんが、実は、この結婚によって、ほんの少しの間ですが、松田優作はつかこうへいと義兄弟の関係になっていました。(当時つかこうへいが、熊谷美由紀の姉である熊谷真美と結婚していたため)
 その当時(今もですが)、わたしは演劇についてよく知らなくて、つかという人がどういう人かよく知らなかったのですが、今思うと、松田優作は、つかこうへいに興味があったんじゃないかなと思うのです。
 熊谷美由紀と結婚したのも、ちょっとは、「この結婚でつかと縁が出来る」という興味があったからじゃないかなあ〜。(全くの想像ですが)

 と、思うようになったのは、沖雅也の自殺についてのテレビ番組を見たときからなのですが、沖の遺書には、「つかさんへ」という部分があったそうなんです。
注1
 沖はテレビでつかこうへいの「蒲田行進曲」の銀ちゃんを演じ、その放映の一週間後だかに飛び降り自殺をしてしまったのですが、つかによる役者の鍛え方というのは、その役者の全否定、というところからはじまるそうなのです。(今はどうだか知りませんが、当時は)
 だから、沖もそのとき、つかによって、人格から経歴からすべて否定される、というようなところから演技を鍛えられて銀ちゃん役に臨んだようなのです。
 ほかにも原因はいろいろあったでしょうが、沖が、つかによるそういった厳しい指導で、演技のことで追いつめられた心境になっていたということも自殺に至る一因だったろうとは想像できます。

 と、話が横にそれましたが、要するにそれくらい、つかこうへいというのは、沖にとって、大きな影響を持つ存在だったわけです。
 で、沖雅也と松田優作ですが、このふたりが、結構縁があるのです。歳も近いし(優作が三歳年長)、「太陽にほえろ」に刑事役で出た経歴も一緒。(沖のスコッチ刑事は正規の新人刑事ではなかったような気がしますが)
 そして、優作の「探偵物語」ですが、これに半年先だって、やはり探偵ものドラマの秀作である、沖の「オレたちは天使だ」が同じ日テレで放映されています。(両方とも日テレなのは、おそらく両者とも「太陽にほえろ」出身スターということで迎えられたのだと思えます。
注2
 つまり、沖雅也と松田優作は、同じ時代の空気を吸った青年俳優同士であり、沖がそれほどに影響を受けたつかこうへいに、松田優作も興味がないわけはなかったろう、と、わたしは思うのです。
 
 熊谷美由紀とは、結婚後はそれなりにうまく行っていたから子どもも三人も恵まれたのでしょうから、結婚のきっかけにつかのことがあったかどうかも、どうでもいいことではありますが、松田優作ファンによるサイトによれば(「松田優作FOREVER」さんというところ)、優作は、鈴木清順監督の映画「陽炎座」出演をきっかけに過去の自分の作品否定をしたそうなのですから、やっぱりなんだか、優作はつか的な役者の鍛え方みたいなものが好きだった気がしますね。徹底的に自分を痛めつけるのが好き、というか。(日活アクションの監督出身の鈴木清順は、役者を全否定からはじめて鍛える、なんてことはしないのではないかと思います)
 しかし残念ながら、今、ブームになっているのは、その、優作自身が否定したほうの作品群なわけで。
 「陽炎座」以降、優作が苦しみ抜いて提出した新しい自分は、結局、ついに大衆の支持を得るわけにはいきませんでした。それはそうだと思います。だって以前の方が、かっこよくておもしろいんですもん。
 だけど、自身をさらけだして表現する人には、大衆の支持を得られないということがものすごくつらい、というのもよくわかります。ちょっと前ですが、三国連太郎が、「自分がいいと思った作品が評価されなかったのをきっかけに、(確か、鬱みたいな、やる気の出ない)病気になった」と語っていたのを読んだことがあります。三国ほどの大ベテランでもそうなのですから。自分が歩んだ道を支持されなかった、という思いは、優作にもあったと思います。
 わたしはただ、「松田優作かっこいい」と思って、少し映画やドラマを見た程度の、ファンとも言えない程度のファンでしたが、当時、ほんとの松田優作のファンは、変わっていく松田優作をどう思っていたのでしょうか。
 と言うか、ほんとうに、「陽炎座」以降の新・松田優作には、新しいファンがつくようないい仕事がほとんどなかったと思うのですよ。カリスマ的に優作を持ち上げるファンは確かにいたと思いますが、そういう人も、以前の優作の文句のないかっこよさを知ってたからついてきた、ということだったんじゃないかと思います。まあ、本人が、ミーハー的なファンなんていらない、と思ったのかもしれないですが。

 とりとめもない話になりました。
 改めて松田優作のことを書いてみて、当時の私には、松田優作は遠い存在だったなあと思います。
 でも今、考えてみて、あの頃は優作だってあんなに若かったんだし、そう深い考えで新しい自分を作ろうとしたわけでもなかったような気がしています。案外、彼が求めていたものは、単純なものだったんじゃないかな。それを複雑に考える必要なんてなかったのに、と思います。
 なんだかあのころは、優作が変わったのは、すごく複雑な理由からのような気がしていました。松田優作自身、自分の求めているものをはっきりみつめられていなかったような、そんな気もします。
 
 ※注1 沖雅也の遺書の中の「つかさんへ」の部分ですが、沖は死ぬためにホテルに泊まったとき、つかの名前を使い、それを謝る文章を遺書の中に書いたようです。

 ※注2 「太陽にほえろ」出身者でハードボイルド探偵ものの主演として日テレに迎えられた第1号は、「傷だらけの天使」のショーケンでした。「傷だらけの天使」は名作テレビドラマであり、松田優作の出世作・遊戯シリーズのルーツとなったと思える作品ですが、「傷だらけの天使」の翌年に「前略おふくろ様」という主演ドラマを得たショーケンは幸運だったと思います。(ちなみに、准くんの「D×D」も、「傷だらけの天使」の影響を受けた作品です)

 ※松田優作については、hongming先生のサイト・輾転反側中の『異議 52「ターニングポイント」2000.7.21』もご参照ください。↓
 http://homepage1.nifty.com/hongming/yiyi/yiyi3.htm
変おじTV(5.22)
 夜寝る前にテレビをつけてびっくり。
 「あれ!? 『お笑いV6病棟』をやってる!」
 間違ってビデオをつけちゃったのかと急いでビデオデッキを確認したけど、ビデオデッキの電源は切れてる。じゃあ、今やってるのはなに!? わたしの知らないうちにまた病棟がはじまったの!?
 一瞬、ほんとになにがなんだかわかりませんでした。
 だって、ほんとーに病棟のときと同じコントなんですもん。
 バーのカウンターに離れて座った男と女がけんかを始めて、カウンターの中のマスター(志村けん)に耳打ちする。その耳打ちを聞いた志村けんは「これ、あちらさんから」と、ふたりの顔にパイを押しつける。
 でも、落ち着いてよく見たら、病棟じゃないってわかった。女は優香で、男は、ダチョウ倶楽部の上島だった……。
 でも、びっくりしたー。
 新聞で確認したら、それは「変おじTV」っていう、志村けんのやってるコント番組みたいでした。それにしても、ほんとに似てた。(最後のオチは少し違って、もう終わりにしようと思った上島が「これあちらに」ってマスター経由で優香にクリーニング代を渡すと、優香から上島へはクリーニング代の代わりに頭からのバケツの水が送られたってものだったけど。)
 なんか、病棟がパクられた気分であんまり楽しくはなかった。……って、もしかしたら病棟の時のキャグなんて、みんなその昔志村がやったもののパクリなのかもしれない。そうだったら文句なんか言えないし。それに、たぶん病棟の時と同じコント作家が書いてるんだろうから、著作権云々ってことも問題ないんだろうとは思うけど。
 テレビのコントって、みんなこんなに使い回しなのかなー。少なくとも志村けんには、病棟と同じコントだってわかったと思うけども。
 (変おじTVは水曜深夜24時55分=木曜深夜0時55分からフジでやってる30分番組です)
探偵物語最終回(5.21)
 今日は、こまめなhongming先生が再放送をビデオに取っておいて毎回見ていた、松田優作の「探偵物語」が最終回でした。
 「探偵物語」は20ン年前リアルタイムで見たこともあるドラマですが、記憶では、工藤ちゃんてもっとおもしろいキャラだと思っていましたが、今見ると、すごくストイックでまじめなキャラでした。
 最終回では工藤が死にますが、その死に方は、かなり観念的で、その後も、映画「野獣死すべし」とか「蘇る金狼」とかで繰り返される松田優作の演じる主人公の死のイメージと似ていました。松田優作は、70年代の死のイメージから終生離れられなかった気がします。
 わたしも若い頃は、松田優作が好きで、レコード買ったりまでしていました。遊戯シリーズとか工藤ちゃんみたいな松田優作がかっこいいと思って好きになったのですが、そのうち彼は、どんどん身から肉をそぎ取って痩せていってしまって(役者のイメージとして。実際にも痩せていったけど)、わたしにはわからなくなった、ということもありますし、魅力を感じなくもなりました。もっと豊かなイメージの俳優に進む道もあったろうと思うと、晩年の松田優作の歩いた道が、残念な気がしてしまいます。

 それにしても、松田優作のすごいところは、あの足の長さですよね。すっっごく長くて細くて、ほんとに漫画から抜け出たようです。しかも背が高くって胸板が厚くって、日本人離れとは彼のことでしょう。
 ……ですが、たぶん、本人は、そういうことで突出的なのが嫌だったんでしょうね。演技派と呼ばれるようになりたかったんでしょう。むずかしいもんです。
シブがき隊(5.5)
 おとといの「はなまるマーケット」のゲストはフックンでした。
 と、言うのは新聞では知っていたのですが、わたしは取り立てて気にもせず、ビデオに撮ろうとも思わなかったのですが、hongming先生の方がマメにビデオに撮っていました。「今さら興味ないな」と思っていたのですが、うしろからビデオを見てたら結構おもしろかったデス……。

 ヤックンとフックンは似たようなエリアで仕事をしているので、お互い交流があるようでしたが、話に寄ると、先日、ヤックンは、モックンの結婚式以来はじめて、モックンに会ったそうです!
 ふたりは偶然に出会って、ヤックンがトイレに行きたいのでトイレに行くとモックンもついてきて、「ねえねえ〜」とモックンが懐かしそうなので(この、モックンの「ねえねえ〜」がすごくよくわかる)、ふたりでトイレで話したそうです。しばらく前にフックンのところにもモックンから電話があったそうでしたが、モックンはわざわざ調べて電話をかけてきたようで、なんか今、モックンの中に、「シブがきがなつかしい」という気持ちがわき上がっているようです(笑)。ヤックンはほんとに、結婚式以外は解散以来モックンと会っていなかったようでした。
 解散の時の話もすごくて、解散コンサートをやって、最後の夜にパーティーをやって、そのパーティーのあと、各自のホテルの部屋に帰ったら、それきりバラバラになって会わなかった、ということです。
 解散するってそういうことなの!? と思いました。シブがきの場合は、確か解散をきっかけに全員ジャニーズを出て別の事務所に移ったからかも知れません。別の事務所に行っちゃえば関係なくなっちゃうんですね……。
 ずっと、「モックンはヤックンが大好き」と思っていたんだけどな〜(笑)。 当時の「スターどっきり」で、やくざにからまれてビビるやっくんをかばうモックンに、みんな愛を感じたものでした(笑)。当時わたしの受けた印象では、モックンは自分の所属するグループを一生懸命守ろうとするような気持ちを持ってる人のような気がしました。不言実行って感じでした。
 ヤックンは、タイプとしては、カミセンの中の剛くんのごとく、他の二人から立ててもらって真ん中にいるヤンチャ坊主だったんですが、今日こうしてはなまるの司会で身を立てているのでもわかるように、とても人なつこくておしゃべりが上手でした。(そこは剛くんと大いに違う) 
 と言うか、シブがきは全員おしゃべりが上手でそつがありませんでした。彼らが自分たちで司会進行をやっていた「レッツゴーアイドル」を見ていても、一度たりとも彼らの司会進行に不安を感じたことなどありませんでした。そのときいつもゲストで女の子アイドル達が出ていて、彼女たちみんなととても仲良かったことも、シブがきの財産となりました。人脈は大事でございますね。
 そして「はなまる」での話だと、チェッカーズが出てきた頃、ヤックンは、自分たちのライバルだと思ってチェッカーズが嫌だったんだけど、フックンは気にしないでチェッカーズメンバーとも仲良くしていたということでした。フックンってどういう性格なのかいまいちわからなかったけど、見た目どおりにこだわらない性格なんですね。
 (そう言えばフックンの妹はおにゃんこに入ってましたね。あと、「レッツゴーアイドル」で、フックンのお母さんがやってるちょっとしたお店か映ったこともありました。きれいなお母さんでした。モックンちが桶川の大きなお屋敷なことは、当時有名で、そのお屋敷もレッツゴーアイドルで映ってました。昔はおおらかだったんですねー)

 そのほか、はなまるの写真に、フックンの3人のお子さんの写真がありました。9才の男の子、8才の女の子、1才の赤ちゃんでした。我が家とちょっと子供の年齢の離れ具合が似ているのですが、フックンは、「上の子二人が大きくなったら、また赤ちゃんのかわいさがなつかしくなった。一番下の子は孫みたい」と、全くわたしと同じようなことを言っていました(笑)。
◆BOOK「油絵を解剖する」(5.3)、付け足し「モナリザの微笑」
◆「油絵を解剖する」 歌田眞介著 NHKBOOKS 2002年1月30日発行

 この本、おもしろかったですー。
 この本を読むまで、油絵の材料のことなんて考えたこともありませんでした。画材なんて、昔も今も、画材店で買うしかないんだと思ってました。
 ところがそうではなく、幕末から明治初期にはじめて油絵を描こうとする人たちは、高価な輸入画材なんて買えないから、自分で赤煉瓦を細かくすって赤を作り、青い石を細かくすって青を作り、というように、もとの絵の具から自分たちで作ったのでした。それに乾性油を混ぜて油絵具とし、ハンダの薄板を使ってチューブも作り、画布も自分で作り、しながら、油絵を描くという元々のモチベーションを維持しつづけ、画技を習得しながら作品を仕上げるのですから、その意志の強さたるや、昨今の私たちには想像もつきません。
 また、芸大そのほか有名私立美大のどこでも、明治末からの長い間、油絵の材料・技法は全く教えられなかった、という事実にも驚愕させられました。
 今に残る西洋の名画群は、さまざまな約束事の中で制作されたために長く良好に保存できる絵になったという事実を知らず、いたずらに材料・画法を軽視した風潮の結果(「材料・画法に縛られず自由に描くこと」が単純にいいこととされた)、日本では、有名画家の油絵でも非常にもろく、制作後十有余年でひどい状態になってしまうこともあるという状態になってしまったそうです。(むろん、ごく一部だと思いますが)
 はっきりと画家の名前を挙げてその作品がもろいことを公表した部分は、センセーショナルでもあり、書くのに勇気のいることだったと思いますが、「油絵の将来のためにあえて」という気持ちを強く感じました。
 幕末・明治初期を代表する油絵画家・高橋由一の絵は、子供の頃から不思議に印象が強い絵だったので、高橋由一の絵に関する章はたいへん興味深く(「半身がそがれ縄で吊された「鮭」の絵は特に有名ですが、そのほかにもすばらしい質感表現の絵がたくさんある)、また、筆者の方は、専門が油絵の修復研究なので、「修復とは」という一章も設けられていて、油絵の修復について、いろいろ知ることが出来たのもおもしろかったです。

 ……そして、「絵の修復」から、わたしは自ずと准くん出演のドラマ「モナリザの微笑」を思い出すのでした(笑)。
 「モナリザの微笑」は、放映中の視聴率はそこそこだったようでしたが、芸術をテーマにしているだけに、全体にヨーロッパ的なしゃれた雰囲気があり、作りにもけれん味がなくて、とてもよい感じのドラマでした。
 准くん演ずる岡島くんは、確か23才という設定でしたか、今の准くんよりもまだ年上の役だったけど、違和感もなく、岡島くんがいきなりオークションをしなければならなくなったときのどきどきぶりとか、かわいらしくて忘れられません。全体に素直な演技で、准くんもとてもよかったと思います。
 ドラマには、葉月里緒菜演ずる美術修復家がいましたけど、前記の本が当時すでにあったら、ドラマ中でも、美術修復に関するおもしろいエピソードがもっと作れたろうなと思いました。
 そう言えば、よく覚えてないのだけど、2枚目のモナリザってどうなったんだっけかな〜。
  
「セレナータ」(4.22)
 「セレナータ」って突然書いても、なんのことやらわかりませんが。
 実はわたし、今さっき、「私の青空2002 第3回」を見終わったところなのですが、急に思い出したことがあったのです。もっと正確に言えば、「私の青空2002」のエンディングテーマを聞いていて思い出したことが、あったのです。
 このドラマのエンディングテーマって、木村大くん演奏による、クラシックギターの曲ですよね。毎回「ギターいいなあ」と思いながら聞いていましたが、今日聞いていて、急に思い出したんです。このサイトを始めたばかりの頃、パソコンが壊れて、消えてしまったうそっこドラマがあったことを。そのタイトルが「セレナータ」だったのです。
 消えてしまっても、「短かったし、たいした内容でもなかったからいいや」とそのままになっていたのですが、なんか、今ふと思い出したら、せめてあらすじだけでも書いとこうか、という気になったのです。
 というわけで、今回のひるね日記は、消えたV6うそっこドラマ(映画?)「セレナータ」のあらすじなのです。

                   ☆  
  さてこの映画は、ヨーロッパ人の監督さんが撮った映画で、剛くんは抜擢されて主役に選ばれました(笑)。剛くんの他のキャストは全員スペイン人の俳優さんで、全編スペインでロケされました(笑)。
 そして、お話ですが、剛くん演じる主人公・剛は、スペインの小さな町でギターの勉強をしている日本人留学生です。
 といっても、剛はお金がないので、レストランで皿洗いをしたり、夜はギターを演奏したりして、バイトをしながら音楽学校に通っているのでした。
 その夜も剛はバイトを終え、夜遅くになって、自分の安アパートに帰ってきました。そしてギターをつまびいていると、それを聞いて、隣の部屋に住む小さな男の子がやって来ました。男の子はお母さんとふたり暮らしですが、お母さんは働いているので、夜になると、なかよしのゴーの部屋に遊びに来てはゴーのギターを聞いているのです。
 ここでふたりの会話があり、ゴーはすでに両親を失っていること、それでもギターの夢が捨てきれずにひとりでスペインに勉強に来たこと、スペインにはゴーの憧れのギタリストがいて、ゴーは一度でいいから彼に演奏を聴いてもらいたいと思っていることがわかります。
 そんな話をしながらふたりは粗末な夜食を食べたりしますが、やがて男の子のお母さんが帰ってきて、男の子は母親の元に飛びついていきます。剛に「いつもありがとう」と声をかけた男の子の母親は、生活の疲れからか、とても顔色が悪いのでした。
 さて、翌日ギターの学校。剛の演奏を聴いた教師は、こう言います。「練習時間はちゃんと取れてるかい? 少しバイトを減らしたらどうかね」
 それを聞くと剛はがっかりします。生活と学校のために、どうしても剛はバイトを減らすわけにはいかないのです。
 しかし、先生は剛にこう言いました。「わたしは、君の演奏にはデュエンデ(スペイン語で”芸術の持つ魔”みたいなもの)があると思う。君には才能があるんだ。来月、楽団のオーディションがあるんだが、わたしは、君を推薦したいと思う。だから、オーディションまで練習に専念しなさい」
 その楽団とは、剛の憧れのギタリストが所属する楽団でした。それを聞いた剛は、喜びで呆然とするほどでした。
 バイトをしていたレストランの主人に、ギターに専念するから仕事を止めると言いに行く剛。楽団のオーディションを受けられることになったと聞くと、人のいいレストランの主人は心から喜んでくれるのでした。
 朝から晩までギターの練習をする剛。となりの男の子が来ても、今の剛には、男の子の相手をする余裕はありませんでした。さびしそうに自分の部屋に帰り、ひとりの部屋で剛の演奏を聴く男の子。
 また、剛の部屋の上の階には、気むずかしいオールドミスが住んでいたのですが、彼女が練習する剛に差し入れを持ってきてくれました。オールドミスは、実は自分は剛のギターが好きなのだ、特にセレナータはなかなかいいと思っていると言います。
 さて、とうとうオーディションの日です。ギターケースを抱えて剛が出かけようとすると、男の子が部屋に飛び込んできました。「ゴー! お母さんが動かないの!」
 あわてて隣の部屋に行くと、男の子のお母さんが真っ青な顔で倒れていました。彼女は無理をしすぎて体を壊していたのでした。
 その日に限って、アパートの大家さんもオールドミスもいなくて、やっと隣の店で連絡して、救急車がやってきました。 
 「ママ、ママ、死なないで!」泣き叫ぶ男の子を見ると、自分が両親を失った時のことを思い出し、どうしても男の子をひとりにしてはおけない剛でした。剛は男の子に付き添って病院に行きました。そして緊急の手術の間もずっと男の子といっしょにいました。お母さんがどうやら命を取り留めそうだとわかったときは、もう外は暗くなっていました。
 「剛、お母さん、助かるって!」。うれしそうな男の子。「よかったね」。剛は微笑みます。
 夜も更けて、アパートに帰ってきた剛。階段で、外出から帰ってきたオールドミスに出会います。「オーディションは今日だったわね。どうだったの?」 オールドミスが尋ねます。剛はそれには答えず、微笑むだけでした。
 しかし、オールドミスが寝ようとすると、剛のセレナータが聞こえてきます。それは、さびしいオールドミスに、昔を思い出させるやさしい曲でした。オールドミスはそれを聞きながら眠ってしまいましたが、やさしくさびしいセレナータの曲は、月の光の下、まだずっと、町を流れているのでした……。
                   ☆

 「セレナータ」は以上のような話でした。
 もともとは、Myojoでちょっと見た、剛くんがギターを抱えている写真を見て思いついたものでした。あと、わたしは「燃えろ! トップストライカー」というサッカーアニメの、両親を亡くした主人公が単身イタリアに留学しているという設定がとてもロマンチックでいいなと思っていたので、そのことも頭にあったと思います。
 また、この話が消えて、当面ひるねくらぶに載せるものがなくて困ってしまったので、とりあえずわたしの代わりにhongming先生がV6の話を書いてみてくれることになったのが、hongming先生が本格的にV6小説を書くようになったきっかけでもありました。
ごくせん(4.18)
 始まりましたねー、ごくせん。
 わたしは昨夜10時前からテレビの前でスタンバって冒頭からしばらく見ましたが、どうやらはじまりのところでは主題歌は流れないようなので、もうひとつのデッキで前日の「学校」を見たりしてました。
 最後の頃、「そろそろ終わりかな?」と思ってドラマに戻ったら、なんだか曲も何もないままドラマが終わってしまい、「このあとニュース」みたいになって、呆然。
 なになに、今日は話が詰まりすぎてて主題歌が流れる時間がなかったの?と思っていましたが、今日になってネットで見たら、ちゃんと主題歌も流れたようなので、ちょっと捜したら、ありましたありました。「ごくせん」のエンドロールは、クライマックスでドラマをとぎれさせないで、下に名前が流れる形だったのですね〜。(Vファン的にはもっと「主題歌」ってはっきりわかる流れ方をして欲しかった)
 新曲の曲調はかなりダイナミックで力強く、今までもV6の曲の中では、トニの「オープン・ザ・ゲート」に近い感じを受けました。これでどんなふうに踊るのかな。曲の感じだと、旗とか持ちそうなんだけど。(いえ、持たないとは思うけど) なんにしても、あんまりはっきりは聞けてないんでわからないんですけど。

 さて、ドラマ「ごくせん」はどうやら初回視聴率が18%くらいと、かなりの好発進だったらしいですね。
 主役が仲間由紀恵じゃ裏の深田恭子&渡部篤郎のドラマに勝てないだろうと思いこんでいたのですが、ごくせんの圧勝ということで、Vファン的には、ほんとーに羨ましかったです。Vメンバー出演ドラマで、数字的にそんな「意外な喜び」って感じたことないもんですから……。つーか、「数字なんて世の中からなくなれーっ」て感じ……。Vファンは「ドラマの内容と数字は別もの」っていう思想が体に染みこみますよね……。
 前クールのドラマ「trick2」が、局がテレ朝、オンエアの時間もかなり遅いというハンデを負いながら、視聴率12%くらい獲得していたのは、作品の人気だけじゃなくて、確実に仲間由紀恵が人気を得てきていたということだったわけですね。確かに、仲間のキャラ、実においしいですね。(って、最初30分くらいしかよく見てないんですけど)
 
木更津キャッツアイ最終回感想(4.16)
 「見たもの」を読み返していて、ふぎゃ!
 わたし、「木更津キャッツアイ」の最終回の感想をアップしていなかったではないの。
 あのとき、「木更津」と「君を見上げて」と「室温」の最終回が同時期に重なってしまい、しかもでしゃばって別名義でヨソのドラマサイトさんにまで感想を書いたりしてたから(ドラマ好きの集まるところだったから、かなり緊張して書いた)、ごちゃごちゃしてつい自分のサイトに書き忘れてしまったらしい……。

 で、今更だけど、「木更津」最終回の感想。(オンエア日 3月15日)
 ぶっさん、死なないと思っていたんだよね。お医者さんの言葉をなにかで誤解したんじゃないかとか。安易だけどそうあって欲しいという希望もあって。
 でもそうじゃなく、やっぱりぶっさんは病気だったんだけど、死にかけたぶっさんの独り言、あれは面白かったねー。もっとこう、しみじみしちゃうのかなーと思っていたらあれだったんで、すごくうれしかった。
 うっちーが英語で「このあとぶっさんはずぶとく1年生きた(だっけ?)」みたいなナレーションをしたのも面白い〜。うっちーのお父さん、CIAの工作員だったんだねー。つまぶきくんの小ずるい役も面白かった。(つまぶきくんと准くんのやりとりがよかった)

 途中で面白いのか面白くないのかわかんなくなったこともあったドラマだったけど(失礼)、7、8、9話はめちゃくちゃ面白かったな!
 作り手がやりたいようにやらせてもらっているのがよく伝わり、また、若くて素直な出演者達が喜んでそれに参加しているという感じで、こういうドラマはこう作ろうと思って作れるものではないと思いました。こういうのはなにか、偶然の幸福な出会いが重なって出来るんだよね。
 一生懸命ではあるけれど、最初の頃はまだよく世界を掴めていなかったように見えた准くんも、7話あたりから吹っ切れて、ラストは独壇場と言っていい存在感がありました。この作品で、役者さんとして確実にワンランク上がったと思います。次でどんな演技を見せてくれるのか、楽しみですね。
 
 
4月は落ち着かないですね(4.12)
 9日のイノッチのいいとも出演、きのうのVVV6と、このところビデオ忘れ連発です。
 9日は末っ子の小学校入学式があって忘れ、きのうは寝る前にナンダカンダで子どもが泣いたりして「もうさっさと寝よう!」という感じになって自分も一緒に寝てしまって忘れ……。

 「4月」というと、桜が咲き陽気も暖かくなり日も延びて……、というようなうららかなイメージが湧きますが、現実には新学年がはじまってわさわさして、ちっとも落ち着きませんね。とりあえず子ども3人のことを考えるだけで頭のなかがいっぱいです。まあ、ウチの子どものことはわたしが考えてやらないとどうしようもないけど、V6のことは私が忘れても、べつだん誰も困るわけではないし(笑)。
 それにしても、前はよくHPにたくさん書いていたなあと自分でも思うのですが、上の子ふたりが小学生のときは、結構毎日落ち着いていたような気がします。小学校が終わると中学、高校と3年ずつしかなくて、その間に受験もあるのでなにかと気ぜわしい上に、年齢的にも子どもがいろいろと落ち着かなくなるので、こっちも気を遣ってかなり疲れます(^^; 

 新学期早々天気も愚図ついて、どうもしゃきっとしませんが、来週からは「学校へ行こう!」も通常ペースに戻りそうだし、こっちも新しい生活ペースを掴んで、どうにかやっていきたいです。
目の前にあるのに(泣)(4.2)
 (きのうってエイプリルフールだったんだ。この頃エイプリルフールって影が薄いね!)

 さて、大人世紀。
 きょう駅ビルの本屋に行ったら3冊くらい置いてあった。のに。
 別の本屋で注文して、「絶対取りに来てください」と言われてるもんだからそれを買えなかった(泣)。
 お預け状態。つらい。明日電話して入荷してないか聞いてみよう。くすん。