ひるね日記 2001年 8月

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すれちがった手はジョーと力石(8.31)

 8.29夜のFM東京「ラジアンリミテッド」にまーくんと准くんがゲスト出演したのを聞きました。(YU−TAさん教えてくださってありがとう)
 30分くらい出演したふたりは、准くんのほうはにこにこした感じで話してて、まーくんのほうは、かっこいい声出したり怒った声を出したり、話術自由自在って感じでした。
 当日発売の「出せない手紙」について話すとき、「V6で今までにない感じのバラード曲で、はじめてのフリのない曲だ」というような話をするなかで、まーくんは、すごくまーくんらしいことを言いました。歌詞のなかの「すれちがった手はどこへ行くのだろう」というところで、まーくんの頭に浮かぶのは、ジョーと力石の手がすれちがうシーンだそうです。
 言われたらほんと、わたしの頭にもそれしか浮かばなくなってしまった。いかんいかん(笑)。ほんとにあれは、史上最有名なすれちがう手だ(笑)。
 ロマンチックな容姿をしてせつない歌を歌うのがぴったりなまーくんの心のなかにはまだちゃんと 少年のままの心があるのだと思いました(笑)。
V6 20thシングル「出せない手紙」発売日(8.29)

 今日は「出せない手紙」の発売日だった。
 ほんとは昨日の夕方から買えたけど、昨日は行けなかったので、今日の午前中買いに行く。
 「出せない手紙」の予約特典は、V6メンバー直筆の歌詞の書かれたポスター。
 うちに帰って見てみたら、ほんとに歌詞だけで写真のないポスターだったので驚いた。
 わたしは勝手に、バックに、せつないブルーの色調で撮られた、海を見ている6人の写真があって、その手前に歌詞が書かれてるのだと思いこんでいた。6人の代わりにいたのは、しろやぎさんとくろやぎさんだった。
 でもまあ、6人の字を見るだけでも興味は尽きない。
 わたしには、まーくんの字と健くんの字はすぐわかるのだけど、他の4人の字がすぐにはわからなかった。
 右下の署名を手がかりに考えるがそれでもよくわからなくて、よそのサイトの「どの部分が誰」という書き込みを参考にして見た。……なあるほど。
 剛くんは案外字が下手じゃないことをわたしなりに再確認。昔から思っていて今回もまた思ったが、一番本人のイメージと書く字が違うのがヒロシなのだな。

 ポスターばかり見ていて曲があとまわしになってしまった。でも、もう前から「ネバーランド」で聞いてるからね。
 わたしが「ネバーランド」で一番どきどきするところは、「ちゃらららららっちゃ〜」と主題歌が始まるところなのだ。あれはせつない。胸きゅん。
 しかし、毎週「ネバーランド」を見てるにも関わらず、挿入歌「風をうけて」というのがどこでかかっているのか未だにわからないわたしなのだった。この曲は、どこでかかっているのですか?
「旗物退屈男」を見てみた・・(8.22)

 V6の出るもの以外、ほとんどテレビドラマを見ない私だが、hongming先生が見ていた北大路欣也の「旗本退屈男」を、脇からちょっとのぞいてみた。
 もともと北大路が全然好きじゃない上に、「旗本退屈男」ってのが、今現在テレビドラマにするにはあまりにもアナクロな題材なので、残念ながらなにを面白いと思って見ればいいのかちっともわからなかった。時代劇を愛するhongming先生も、これはちょっと脚本がひどいという感想なようであった。
 わたしは時代劇の女の着物を見るのが好きなのだが、北大路演ずる向こう傷の旦那に惚れてる(らしい)芸者が紅い着物を着ていたのでげんなりした。紅い着物の芸者なんて、そんな色気のないものがいるだろうか。このごろの時代劇は、田舎の娘も江戸の芸者もかまわず、女ならみんな、記号のように紅い着物を着せる。かんべんしてくれ。
 北大路に比べると、ゲストで出ていた村上弘明は格好良く見えたが、なんて言うの、村上の髪型は、長い髪を下ろして毛先のほうで結んだみたいな髪型なのね。劇画の「乾いて候」の主人公みたいなヤツ。それで北大路が例の旗本退屈男のでっかい髷だから、どちらも時代劇風の拵えとはいえ、次元の違う時代劇のヒーローが出会ってしまった感じ。
 早乙女家はお金に困っているようだが、あるじがあんなにすごい着物をとっかえひっかえ着替えてるんじゃ、お金が無くなって当たり前だと思った。
  
江戸時代が好きだったのだ(8.17)

 子どもの頃、「もしタイムマシンがあったら過去と未来とどっちに行きたいか?」と考えることがあった。そういうとき自分の中では答えは決まっていた。「絶対に過去」。
 過去と言っても、そのときのわたしの頭の中にはちょんまげ姿の時代劇の映像しか浮かんでいなかった。具体的に言えば江戸時代に行きたいなあと思っていた。
 時代劇に登場するものは、細かいものにまで情緒があるような気がして魅力を感じ、それに対して、当時の「未来」という言葉から浮かぶ、シルバーメタリックで機能的な衣服や乗り物などのイメージには、全く魅力を感じなかった。(子供向けのSFなどは面白く読んでいたのだが)
 大川橋蔵の「銭形平次」が好きだったこともあるが、小学生5,6年の頃から野村胡堂の「銭形平次捕物控」を読んで、心底その世界にあこがれていた。そうだ、その前に、小学1年の頃、「大岡政談」を読んだときも、すごく面白いと思ったのだった。どちらも挿し絵がすごく良くて、絵が好きだったこともある。中学生になると、吉川英治の小説が好きになった。「宮本武蔵」とか「新平家物語」とか。そう言えば「新平家物語」も挿し絵が好きで、挿し絵に引っ張られて読んだ。
 そうそう、手塚治虫先生の作品の中でも一番好きなのは、戦国時代が舞台の「どろろ」なのだった。

 さて、そういう自分の時代劇を好む性癖を、わたしはずっと、単に、自分の趣味的なものだと思っていた。
 世の中にはSF的な設定が好きな人もいれば、ゴシックロマン的な設定が好きな人もいる。そういうふうに、自分は時代劇的な話の設定が好きなんだろう、というふうに思っていた。確かに、それはそうなのだと思う。
 身分の違いを越えて思い合うとか、貧しい中の家族の情愛とか、現在に設定するとどうしても無理が来る話も、時代劇なら無理なく美しく表現できる。そういうところが時代劇のいいところだし、わたしはそういう話が大好きだ。
 しかーし。

 このところ、心理学周辺の本を何冊か読んで、わたしは目からうろこが落ちるような気がした(大袈裟。笑)。子どもの頃自分がなんで時代劇が好きだったのか、なんで「未来」に魅力を感じなかったのか。それが、突然理解できたのである。さて、その理由。
 わたしの両親は、かなり抑圧的にわたしを育てた。
 自分たちを省みれば、自分の子どもがどの程度のものになるか簡単に想像がつきそうなものなのだが、わたしの両親にはそういう想像力が全く欠けていた。(今でも欠けている)
 漫画を読んではダメだし、テレビもアニメはだめ。いつも「勉強しろ」ばかり言われていた。ほんと、自分が親になってみても、よくもまあうちの親は学校の成績のことばかり言っていたと思う。いとこに成績が優秀な子が数人いたので、いつもそのお姉さん達に比較されてはいやーな気持ちにさせられていた。子どもが騒いだりはしゃいだりするのも嫌いだし、そもそも子どもを楽しく生活させようという発想が0な家庭であった。
 わたし自身は、小さい頃はなんとか両親の期待にこたえて(?)早く字が読めたり書けたりしたらしいのだが、しょせんその程度。小・中・高と、とにかく勉強のことを言われるのが嫌いで嫌いでたまらなかった。
 なんでまあ、学校の勉強ばかりやっていい学校に入らなければならないのか。
 そんななかでわたしは、よく「昔はこんなにひどかった」というような意味で、「江戸時代は身分制が決まっていたから、子どもは親の職業を継ぐしかなかった」とかあるでしょ、そういう話が、ちっともつらそうなことに感じられなかった。
 むろん話の要諦はわかっていた。「能力があっても上に行けないなんて、江戸時代はひどい時代だった。それに比べて努力の結果に応じて報われる明治以降は、民主的でいい時代になったのだ」というような、話の意味はよくわかっていたし、「それはそうなのだろうだなあ……」とは思っていた。
 しかし、わたしのなかでは、「努力して上に行かなくてすむ社会ってなんてすばらしいんだ」という気持ちがあったわけです。時代劇に出てくる町人たちなんて、別に封建制を恨んでるようにも見えなかった。みんな気楽に江戸の暮らしを楽しんでいるようにしか見えなかった(笑)。貧乏で子どもを学校に行かせられないなんて、羨ましいような話だと思っていた(笑)。
 貧乏のあまり一家で窮死したり、一家離散して子どもながら他人の中でひどいめに会いながら働いたりするのはどんなにつらかろうと今では思うが、それはまあ、極端な話で。封建制社会だからと言ってそんなことばかりでもないはずだ。まあ、当時の私の念頭には、「江戸の町人の気楽そうな暮らし」がかなり強くインプットされてはいたが(笑)。
 とにかく、「学校の勉強のことばかり言われて他の価値観を抑圧される生活」というのはつらいものであり、わたしがそういう生活を強いられるゆえんというのが、「わるい封建制度の時代が終わって、立派な民主主義の生活になったからなのだ」というのは、たいへん不思議なことだが、わたしにとって事実ではあった。江戸時代の子どもだったら、どんなに気楽だろう。
 そういう気持ちが、わたしの物語の嗜好を時代劇に向かわせたのではないかと気がついたとき、自分自身で「まさしくそうだ」と目からうろこだったわけなのである(笑)。
 付け足して言うなら、未来は今よりもおそらくもっとみんなが平等になっているに違いなかった。そんな世界では、子どもの能力のみが評価されることが、今よりも多くなりそうだった。子どものわたしには、そんな世界に魅力は感じられなかったのだ。

 なんだかこうして書いてみるとすごく単純な理由で、「目からうろこ」が聞いてあきれるというものだが、そこが人の心の不思議なところ(笑)。そんな簡単なからくりにもずっと気がつかなかった。それと私の場合、自分の当時の生活に愛着が湧かなかったので、本一般が好きな子どもになったということはある。
 つらつら考えてみるに、江戸時代であろうが、今であろうが、未来であろうが、親の抑圧等で、「なんとなく灰色」と言うしかない生活を送る子どもが出来てしまうことは仕方がないことだと思う。どんな社会体制であろうが、子どものうちの一部分はそういうめに逢ってしまうのだと思う。(社会によっては、そういう子どもの割合が著しく減るかも知れない。また、増えるかも知れないが)

 子どもの私が「江戸時代だったら気楽だったろう」と思ったのも、ほんとうに一面的なものの見方だとは思うのであるが、逆に言えば、ごく一面では真実であるとも言えるだろうと思うのである。
 ひとつの能力オンリー主義は、その能力がないとほんとうにつらい。特に子どもにはつらい。ぜひ多面的な価値観が欲しいのである。
 と、立派なオチで締める。
7億6,844万2,030円(8.7)

 1週間くらい前かな、24時間テレビから、去年度の募金のお礼の葉書が届きました。去年度の募金総額のお知らせもありました。上記の金額でした。
 去年はみんな募金したでしょうから皆さんもうご存じだとは思うのですが、自分の覚え書きとしてここに書きました。
 ちなみに、うちにきた葉書のサインは藤井隆とリカコさんのでした。これ、V6のサインのってあるのー!? 前に剛くんが走ったとき募金したときも、うちにきたお礼の葉書はヒロスエちゃんのサインだったんでした……。
トーマの心臓(8.6)

 よし、「ネバーランド」からのつながりで「トーマの心臓」のこと書こう。

 わたし、このまえまで日記にしつこく書いていた中井英夫の「虚無への供物」も何回も読み直したけど、読み直した回数と言ったら、「トーマの心臓」のほうが断然上。(「虚無への供物」は何日もかからないと読めないけど、「トーマの心臓」なら数時間で読めるしね) でもとにかくどっちもすごく好きだった。
 この二作品、小説とマンガだし、世界も違うし、単純に比べられるものではないけれど、共通点と言えば、どちらも読者に何度も読み返させる力がものすごいということ。どちらの作品も、最後まで漏らさず読んでもどこかに謎が残るのね。そこに惹かれた。「いったいこの作品はなにが言いたいのか、自分の力で知りたい!」という気持ちにさせられた。んで、どっちもしつこく読み返した(笑)。
 
 そんなに読み返しても、トーマがなぜ死ななければならなかったのかは、今でもはっきりとはわかんない。
 ただ、この作品の中では、亡くなった人も生きてる人と等価で存在することができるんだな、というのは感じる。
 だから、物語の最後は、すでに死んでいるトーマがユーリの愛を得ることができる。ユーリが神学校に入る、という形ではあるけれど。

 「ネバーランド」の感想の中でも書いたけれど、「トーマの心臓」のなかには、「人は二度死ぬという。一度は肉体の死、二度目は友人に忘れ去られることの死」というフレーズがある。(ごめんなさい、見ながら書いているのではないので厳密には違っているかも。そのあとは「それなら僕には二度目の死は来ない。彼は死んでも僕を忘れまい」と続く)
 年取ってくると、忘れてもいいだろう、だからといってそこにあった感情が消えるわけではないんだから、みたいに思ってしまうが、それはやっぱりオバサンで。 
 思春期の、愛していれば死んでしまった人も生きている人とどこが違うだろうという潔癖に透き通った感情がすばらしいんだよね!

 「ネバーランド」との関連に話を戻すと、ドラマ「ネバーランド」では、別の寮の3年生の高木くんが松籟館の寮生に意地悪をするけれど、「トーマの心臓」で言えば、彼は、ユーリにトラウマを与えるサイフリートの役なんだろうと思う。
 
 ちょっと「トーマの心臓」のストーリーを紹介すると、14才のユーリは年下のトーマに惹かれていたけれども、寮に残った休暇中、上級生サイフリート達に痛めつけられ、背中に消えない傷跡をつけられてしまう。それがトラウマとなって(?)ユーリはトーマの気持ちを拒絶。それだけでなく、誰にも心を開かなくなってしまう。そんなユーリを知ったトーマはユーリに手紙を残し自殺する。しかしそこに、トーマそっくりの転校生エーリクが現れる。見かけは似ていても、おとなしいトーマと正反対の性格のエーリクは、優等生と悪魔的な人格の二面性を持つユーリをはじめは嫌う。しかしエーリクはだんだんにユーリの心の奥底の優しさに気づくようになり、ついにはトーマの気持ちをなぞるようにユーリを恋するようになる。
 そんな話に、超かっこいいオスカーだの、各自の家庭の話だのといろいろと絡むわけですが。
 ユーリはあとで、「トーマに惹かれていたけれども、サイフリートにも魅力を感じていた」と告白するわけですよ。そんな、ユーリの心の傷を作った張本人でもあるサイフリートは、すごく魅力的なキャラじゃないとならないと思うのですが、案外に出番もないし、あとで出会っても、ユーリは全然サイフリートに惹かれているようでもない。ユーリのサイフリートへの感情は、嫌悪感だけです。
 ユーリが「トーマに惹かれていたにも関わらず、サイフリートの魅力にも抗えなかった」というほどの魅力がサイフリートにないのが不思議だったのではあるのですが、今思えば、ユーリの心のトラウマというのは、サイフリートの魅力に惹かれた=性にめざめた、ということではあるんでしょう。そういうものに惹かれはしたのですが、そこに美しさはなくて、結局ユーリには自分への嫌悪感しか残らなかった、ということなんだと思います。

 「トーマの心臓」に登場する男の子達は、みな極限までほっそりと美しく、肉体性を排除されています。「トーマの心臓」はほとんど少年達の精神だけで成立している世界です。精神だけで成立した世界。そのことが、「トーマの心臓」の神秘的なまでに繊細な美しさの原因なのだろうと思います。

 ラスト、列車に乗って神学校に向かうユーリとは別に、オスカーとエーリクは肩を組んで街を歩いていくのですが、ユーリが精神性の世界で生きることを決意したのと違って、どうやらこのふたりは、現実の世界に向かって歩いていくらしいことが予想されます。
 萩尾望都のマンガの登場人物は、これからほどなく、ずっと肉付きがよくなっていきます。のちに、「訪問者」というタイトルで、「トーマの心臓」の登場人物オスカーの物語が語られますが、そこで描かれたオスカーや、ほんの少し登場したユーリは、「トーマの心臓」と同一人物とは思えないようにしっかりした体格に描かれるようになりました。
 それはもちろん、萩尾先生の描きたいものが、年齢とともに変わっていったからで、それだからこそ、「トーマの心臓」とは違う苦悩が「訪問者」には満ちていました。

 それにしても「トーマの心臓」のラストは、なんとも言えないものがありました。ひとことで言えば、「これで終わりじゃ嫌だ」という感じです。
 それはおそらく、登場人物達が、「精神性の世界」と「肉体のある世界」に別れて住むようになることのさびしさじゃなかったか、と今は思います。
 オスカーとエーリク達もユーリと同じ世界に住み続けるのなら、物語には別の流れがあったはずです。
 また、ユーリも他の友人達と同じように、精神性だけの世界を抜け出して成長していくのなら、そこにも、また別の物語の流れがあったはずです。
 けれどもそのふたつの世界は、物語の最後に、別々に岐れて行くしかなかった。そして、トーマのところに行ったユーリは、もう、愛だの恋だのに苦しむことはなく生きるのでしょう。(もう苦しみ尽くしてしまったし。) もうこれから、彼らの中で恋の嵐が吹き荒れることはないでしょう。
  それは、彼らの住む水滴の中のようにちっぽけな世界を愛して読んできた読者には、これ以上なくさびしいことだったのです。わたしは、「トーマの心臓」の世界がずっとずっと続いて、彼らがいつまでも、自分たちの世界の中で愛や恋で苦しむことを望んでいたんですから。 

続々々・人形たちの夜 〜おしまいに〜(8.2)

 いやー、我ながらしつこいね。誰もこんなこと興味持ってないだろうに。
 自分的には、「虚無への供物」に一歩近づけた気分ですっごいうれしい気分で書いたんだけど……。

 さて、関連の日記タイトルがずっと「人形たちの夜」になっているので、中井と寺山の二冊の「人形たちの夜」のことにちょっと触れて、この話を終わりにしたいと思います。

 まず、中井と寺山それぞれの「人形たちの夜」が上梓された年ですが、調べたら、中井が1976,寺山が1975でした。
 こう書くと中井があとのようですが、中井の「人形たちの夜」が雑誌に連載されていたのは1975なので、はっきりとどちらが先とは言い切れないのです。
 確かなのは、中井と寺山が、ほとんど同時期に同タイトル「人形たちの夜」という本を出していること。これはおそらく偶然ではありません。もともとふたりは知り合いなのですから。
 私の想像ですが、これは、どちらかがどちらかへの親愛の表現としてわざわざ同タイトルの作品にしたんではないかと思います。
 両方が手元にあって、どちらかのあとがきにでもなにか書いてあればわかるのですが、残念ながらわたしは中井の「人形たちの夜」を読んだことがあるだけで、寺山のは手に取ったこともないのです。(寺山のは、フォアレディーシリーズというのの一冊で、おそらく少女向けの詩集らしい)
 わたしの記憶では、中井の「人形たちの夜」のあとがきには、寺山の作品に触発されたというようなことは書いてなかったと思います。
 しかし、中井が遅筆なことと寺山が書くのが早くて機転が利くことを考えると、なんとなく、中井の連載している小説を読んで、寺山がそのロマンチックなタイトルを使って少女向きの本を作ろうと思ったんじゃないか、と、想像できる気もします。
 とにかく、お互いに、同じタイトルの本が同時期に出るのがちっとも嫌なことではなかったのは確かだと思います。むしろ、お互いが同タイトルの本を持つことは、ふたりにとって、いたずらめいた、楽しいことだったのではないでしょうか。
 わたしが寺山の江戸川乱歩に関する文章を読んで中井の「人形たちの夜」を思い出したように、中井と寺山には、考え方が非常に似ているところがあるのです。
 ふたりとも現実をロマン化して考えないではいられない心性を持っていると言うか。(どちらかというと寺山のほうはもっとニュアンスが強くて、「俺が現実をロマン化してやる」といった感じですが)

 ちょうど、この両方の「人形たちの夜」が出たと同じ頃に、中井は「薔薇幻視」という、写真集+詩的な文章という、いかにも寺山修司ふうの一冊をものしています(中井のいいところがよく出た、美しい本です)。
 今回改めてこの「薔薇幻視」を手にとって、中井は、誰よりもこの本を寺山に見て貰いたかったのではなかったかと、わたしは思いました。こういう本を寺山はとても喜んだのではないかと思います。
 1975年前後、わたしは寺山の少女向けのエッセイなど読んでいましたが、寺山の文章にある、ゲーム好き、きれいなもの好き、謎好きな傾向は、そっくりそのまま、当時の中井の文章にもあてはまります。
 二冊の「人形たちの夜」の書かれた1975年前後は、特に、ふたりの書くものが共鳴しあい、美しい作品が書かれた時だったのだと思います。
 
 実は中井英夫サイトを見て歩いたら、中井の年譜に「1983年に、長年のパートナーと寺山修司を亡くし、創作の気力を失う」と書いてあるところを見つけて、 「あ、なんだ、寺山の存在が中井の励みになっていたことは有名だったんだなあ」と思いました。なんだあ、有名だったのか、中井と寺山の関係って……(ちょっとがっかり。でも、いいふうに考えれば、自分が考えたことのあとづけになるとも思える……)。

 長くなってしまったけど、とりあえずこれで終わります。
 ああ、「虚無への供物」のモデル、トリックについて等詳細に研究した研究書が出ないかなあ。そういうの読みたいんだけどなあ……。