ひるね日記 2001年 6月

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三銃士とダルタニャン

 娘が急に「ルイ14世っていい王様だったのー」と聞いてきた。前日だかにレオナルドディカプリオの「仮面の男」をテレビでやっていたのでははーんそれを見たな、と思ったらそのとおりだった。
 ここでわたしが物知りなところを子ども達に見せつけねばと思い、「昔ダルタニャン物語全21巻を読んだことがあるんだからなんでも聞いて」と言ってしまったが、ほんというと、読んだは読んだのだがあまりに長いし、四半世紀くらい昔なので、鉄仮面が王様と入れ替わったかどうかという一番大切なポイントさえよく覚えていなかった……。幸い子どもにそこはつっこまれずにすんだが……。(映画「仮面の男」は「仮面の男」で、小説とは違う決着はつけたようだった)
 とにかく、それをきっかけに、昔、ダルタニャン物語が好きで読んでいたことを思い出した。
 わたしがちょうど小説を読んでいた頃は、マイケル・ヨークのダルタニャンで「三銃士」「四銃士」というよく出来た映画が上映されたし、三銃士と同じ頃の舞台設定で、名香智子の「緑のディアーヌ」というマンガが別冊少女コミックで連載されたりもして、それも好きだった。(そののち、「緑のディアーヌ」は「アンジェリク」にそっくりだと気がついた)
 ダルタニャン物語は長いので、物語の後半はルイ14世の治世になる。「仮面の男」というか、鉄仮面の話は、そのルイ14世の治世のはじめの頃の話だが、三銃士と言えば誰でも思い出すのは、話のはじめの頃、銃士達がなにかと言えば決闘する、ルイ13世時代の男っぽい乱暴な時代のほうだろう。服装も、ルイ13世時代のほうが断然いい。襟や袖口にレース飾りのある白いたっぷりしたブラウスも素敵だし、ダチョウの羽のついた帽子もかっこいい。あの、前垂れのついたマントみたな銃士の制服(?)も男っぽいと思う。
 それに、後半の、年を取ってちょっと情けないダルタニャンもかっこいいのだが(特に私はおじいさんが好きだし)、やはり前半の、ガスコーニュから出てきたばかりの、いきがってケンカっぱやい、しかし限りない前途を予感させるダルタニャンこそ、大衆の願う、理想的な若者の姿なんだろうと思う。
 とあれこれ考えていてふと気がついたのだが、三銃士、アトス・アラミス・ポルトスは、トニセンの3人のイメージにぴったり合っている。
 アトスは最年長で冷静沈着で全員の信頼を得ていて、アラミスは優男の策謀家(貴婦人にモテモテ)、ポルトスはにぎやかな酒好きで力自慢。どうです、まーくん、ヒロシ、イノッチにぴったりはまりそうでしょ。そうそう、アトスはポルトスと違ったタイプの、沈鬱な酒飲みでもあるのだった。
 ではカミセンはと言えば、全体の感じから言えば、カミセンは「3人でダルタニャン」って感じである。しかし、もう少し細かく言うと、健くんは、ダルタニャンっていう柄ではないように思う。剛くんと准くんは、タイプは違うけどどちらもダルタニャンが出来る柄である。
 剛くんと准くんは見た目とか性格とか全然似ていないのに、同じ役を出来るところがあって、いつか、ふたりがダブルキャストでなにかを演じたらすごく面白いだろうと思う。(6.29)
続・山田ミネコ、&手塚治虫、&ファンレター

 先日山田ミネコの思い出話を書き、どうして山田ミネコのマンガがあんなに変わってしまったのかご存じの方はお教えくださいと書いたところ、おふたりの方からていねいなメールをいただきました。(みなみさん、かめじろうさん、ありがとうございました)
 それを読むと、やはり山田ミネコのマンガが変わってしまったと思ったのは、わたしだけではなかったようです。
 そして、山田ミネコ先生のマンガの絵柄が変わってしまった原因は、いろいろあるのでしょうが、一番は先生のお病気にあるらしいです。
 それを聞いて、「そうか……」と納得するものがありました。山田ミネコ先生は、おそらくわたしより10才くらい年長だと思われますが、若い頃からずっとマンガを描き続けてらっしゃった疲れが体に出てしまわれたんじゃないでしょうか。
 それまでは、「山田先生なんでこんな変わってしまったのっ」と思っていたのですが、体を壊してもどうしてもマンガが描きたくて描いてたんだ、すごいな、という気持ちになりました。
 山田先生の「ハルマゲドン伝説シリーズ」をプリンセスコミックスで読んだとき、作者のページで、「ファンレターくださ〜い」ってたくさん書いてあったのを思い出しました。それを読んだとき、ああ、大好きだったときファンレター出せばよかったなあと思ったことも思い出しました。(山田先生は、ファンレターをくれた人全員に「うさぎ高原日記」というペーパーを送ってくださるみたいでした)
 前に河先生にファンレター送った話を書きましたが、むしろそれが珍しいことで、その後わたしは、いろんなマンガが好きになったにも関わらず、マンガ家の先生にファンレターなんて、滅多に送ったことはありませんでした。河先生のときは小学生だったので、雑誌の脇の「河先生に励ましのおたよりを出そう!」を素直に信じてファンレターを書いたものと思われます。中学生、高校生になると、マンガは大好きだけど、感想をファンレターで送るという習慣は、ほとんど失ってしまいました。まわりにも、マンガの好きな子はたくさんいましたが、ファンレターを送っているという子は誰もいませんでした。
 まあ、なにが好きであっても、特別ファンレターを送ったりしないで暮らしているのが普通だと思いますが、実はファンレターについては、わたしはその前にも、「ファンレター送ればよかった!」と痛切に思わされたことがありました。その記憶があったもので、山田先生の「ファンレターくださ〜い」という言葉もズキッと来たわけです。

 さて、その、わたしが「ファンレター送ればよかった!」と痛切に思わされた相手というのは、マンガの神様こと手塚治虫先生でした。
 中学生になってから、わたしは少年マンガが好きになって、なかでも手塚先生と石森先生などが大好きでした。
 今思うと、手塚マンガを好きになったポイントというのが自分でもよくわからないのですが、はじめはなんとなく買った「どろろ」がものすごく気に入ったのです。それから手塚先生のマンガはいろいろ読みましたし、ちょうどそのころから連載が始まったブラックジャックも好きでした。ですが、今でもいちばん好きなのはどろろです。
 手塚先生のことも語れば長くなるような気がするので、ファンレターのことだけに話をとどめますが、わたしは手塚先生にファンレターを出したことがありませんでした。
 手塚先生ほどの大御所中の大御所にファンレターを送る必要もないという気もしていました。
 ですが、先生の亡くなられたあと、「一億人の手塚治虫」という本を読んで、はじめて先生のリアルな人柄を知り、ファンレターをどんなに欲しがっていらしたかを知ったとき、ほんとに、どうしてあんなに大好きだった手塚先生にファンレターを1回も送らなかったんだろうと後悔したのです。
 ですので、考えると、山田先生にも、「ファンレター出せばよかった」と思ったときに送ってもよかったと思いますが、そのとき書いたら、「どうして絵柄が変わってしまったのですか」とか書いてしまっていたでしょうから、やっぱりそのときは書かなくてよかったと思います。ファンレターは、やっぱり、自分が相手を大好きな気持ちを伝えるために書くものでしょう。 (6.24)

 
60%くらい?

 ちょっと昔の写真を見ていたら、准くんの髪がすごくかっこよかった。黒くて長めで。なんとなく正和さんに似てるから、オヤジぃ。の頃の写真かな。いやはや男前。
 同じ頃のヒロシの写真も、黒くて大人っぽい髪で、かっこよかった。ヒロシは、パーマもブローもなくてさらっと落ちてる髪がいいな。でもそういうのずっと見てない。
 剛くんの髪は、今のも、短いのが流行みたいだし、剛くんらしくとんがってる感じもあって、いいけど、ほんと言うと、上にあげないで、今のがちょっと伸びたくらいのがばさっと下に落ちてたらすごくかわいく見えるんだけど。
 ……それで、この話がタイトルの「60%くらい?」にどうつながるかというと、パワー全開すると「かっこよさ&かわいさ度」が100%いくとすると、いつもの力は60%くらいかな?、と思ったんですよ……。割に本人達、自分で自分をセーブしてる時が多いような気がしますね。
 いつも100%だと、見てる方も100%のありがたみがわからなくなるし、だいいち、常に100%パワーでいることは誰にとっても不可能なので、おおむねは60%くらいが適正値なんでしょう。そして60%でいるということは、なんて言うの、見てる方に、「まだまだこんなもんじゃないのよ。本気出したらすごいんだからっ」みたいなことを思わせるというわけですね。(……意味わかりにくい文章でごめんなさい……)  (6.22)
やっといてよかった

 昨晩嫁ミツ終わっちゃいましたね。無口な悟、色っぽくてすごくよかったな。ドキドキさせてもらった〜。楽しかったドラマだった。

 さて、嫁ミツ関連話。
 今日の読売の別刷りテレビ欄「zipzap」に今期連ドラベスト10が載っていた。今まで送られてきた投稿数を集計して決めたんだって。そこで「嫁ミツ」8位でした。
 「明日があるさ」や「新・お水の花道」より上だよ! 視聴率で言ったらこんないい順位にはならないのに。
 わたしも一度、「どうせ載らないだろうけど」と思いながらも投稿しておいたんだよね〜。あの投稿が一票になるとは。送っといてよかった。
 
 また、いつも楽しみに読みかつ感想を送っていた嫁ミツサイト。
 今朝も更新記事を見に行きました。最終回のあとなので、うな・マーサーが「今までありがとう〜」とか書いてくれてました(笑)。嫁ミツサイトはおかげさまでアクセス数最高2位まで行ったんだって。(何の中の2位かは書いてなかった。おそらくTBSドラマページで?) これもうれしかったな〜。日参しといてよかった。 (6.21)
今夜はカレー

 今日は暑かった。献立が思い浮かばず、冷蔵庫の余り肉のことなど思い出して、またカレーにすることにした。
 しかし、このところバーモントカレーが続いていたので、またもやバーモントカレーにすると子供達から大ブーイングが起きる気がしたので、コンソメとカレー粉でさらっとしたカレーにすることにした。
 自分で適当にコンソメとカレー粉で作っても、タマネギを大量によく炒めたりすると結構おいしくできるときもあるのだが、今日はもともと適当な気分で作ったので、その通りかなり適当なものができてしまった。肉は鶏の骨付き肉だし、さらっと仕上げてあるので、いっけん本格的なカレーみたいに見えるのではあるが……。
 一口食べて、「こ、これは軍隊のカレーだ!」と思った。
 旧日本軍の兵舎で食べられたであろうカレーである。それはたぶん、こんなふうにさらさらでちょっとカレー味程度のものだったのではないだろうか……。
 「これ、全部食べられるかなー」
 と自分で不安であったが、子供達は結構黙って食べていたので、自分も黙って食べた。そうそう、わたしから「今日はコーラも飲もうか」と提案してみんなコーラを飲みながら食べたのだった。コーラがないと食べられなかったかも。
 しかし、田舎から出てきて軍隊に入ってはじめてカレーを食べた若者だったら、一生忘れられないくらいおいしいカレーだったろうなーと思った。 (6.18) 

山田ミネコ

 前回の別マの話の中に出てきた山田ミネコ。まちがって山田ミネ子、と書いてしまいましたが、「山田ミネコ」がほんとうでした。それと、好きだった作品のタイトル「六月の丘」もまちがい。正しくは「6月の丘」でした。かさねがさねすみません。
 で、まあ、今回は山田ミネコについてちょっと語ります。
 前もって書いておきますが、この山田ミネコについての話は、不思議で納得できないオチとなります。

 わたしが山田ミネコを最初に読んだのは、前出の「6月の丘」の前号か前々号の別マに掲載されていた「やさしい死神」でした。(もしかしたら、そのちょっと前に掲載されていた、山田ミネコ別マ初登場の「ひとりっ子の冬」も友達のところで読んでいたかも知れない)
 さて、わたしが今でもありありと思い出すのは、山田ミネコのマンガのヒロインたちの神秘的な美しさです。青インク印刷が主体の別マでも、山田作品だけはほとんど必ず黒インクで印刷されていて、それも絵柄を引き立てていました。
 それまで別マのマンガの女の子達は割にリアリティのある世界に住んでいて、おしゃれしたときでも流行のドレスを着るくらいだったのですが、山田ミネコのは、いきなり白いロングドレスを着ていたりしていました。それが、髪が長く胸が豊かな山田マンガのヒロインにはとても似合っていたのでした。
 「やさしい死神」はタイトル通り、主役の女の子がもとは天使だった死神でした。今だとありきたりに思うかもしれませんが、そういうファンタジックな題材は当時はすごく珍しかったのです。普通の小学生の家を描いても、山田ミネコのマンガでは、高い窓の向こうを不思議な風が「ゴォォォォ」と吹きすぎていき、まるで異次元に迷い込んだかのような気分を味わうのでした。
 また、絵柄だけではなく、さっき書いた三つの作品のタイトルを見てもらえばわかるように、山田ミネコのマンガは、タイトルからしてしゃれていました。
 思いつくまま、当時読んだ山田マンガのタイトルを挙げると、「魔法使いの夏」(よくは覚えていませんが、夏休みに人に知られぬ村に旅した少女が、とある洋館に滞在する。実はそこは魔法使いの姉弟の住む館だったというような話)「ステラビスタ」(自殺願望の美少年?の話)「2月と3月の間に」(母のいない小学生の男の子が上級生の少女にあこがれる)「星のこわれる音」(母を殺された少女が犯人に復讐しようとする)などなど、すべて美しくロマンチックなタイトルです。
 これらはわたしが小学校6年から中学校1年くらいの間に発表されたマンガでした。
 このように、このころから山田ミネコのマンガにはそれまでの少女マンガの枠を越えたものがありましたが、わたしが高校の頃、萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子などの新感覚派らが少女マンガの主流になっていたころには、山田ミネコはさらに活躍の幅を広げていきました。ハルマゲドンシリーズはSFマガジンにも連載しました。また、ナンセンスファンタジーなどでもいつも独特の世界を展開し、わたしを楽しませてくれていました。……ところが。

 ところがってなんなんだとお思いでしょう。
 それにしてももはや、新感覚派が少女漫画界を席巻したのも遠い昔になってしまいました。それでも、当時の大御所先生達だって健在で、往時に比べれば発表作品数も減り、内容も年相応になってきたとは言え、皆さん一流マンガ家と呼ばれるに恥じない作品を発表しつづけてらっしゃいますよね。(今の少女マンガ事情に詳しくはないのですが、たぶんそうですよね)
 そんななかで山田ミネコ先生がどうなったか。
 これもかなり前です、もう十年くらい前なんですが、「ハルマゲドン伝説シリーズ」というのの古いの(サンコミックス版)を古本屋でみつけて買ったことがあるんですよ。なつかしくなって、新本で古本の続き(同じハルマゲドン伝説シリーズだけれどプリンセスコミックス版)も買いました。
 そしてそれを読みすすむうちに、「?????」と「?」ばかりがわたしの頭の中に浮かぶようになったのです。
 恐るべきことに、あの、美しいメリハリのある山田ミネコの絵柄が目の前でどんどん崩れていくんです。今まで見知ったキャラクターさえ、誰が誰だかわからないほどに変わっていくんです……(^^;
 しかも、ストーリー。
 うっ、うっ、うっ、これはほんとうに山田ミネコ先生が描かれたものなんでしょうか。
 今、これを書くに当たって、わたしはその本(たとえば「ウォーク・ドント・ラン」といった作品)を手元に置いていますが、今見てもなにがなんだかわかりません。この絵は、この理解できない内容はなんなんでしょう。子どものころあこがれた山田ミネコの神秘的に美しい世界はどこに(泣)。
 このマンガも、奥付を見ればもう10年以上前の作品です。その後、特別山田ミネコの新作マンガを探そうとしたことがないので、それからどうなったのかはわかりません。小説を書いているという話も聞きますので、そちらのジャンルで活躍してらっしゃるのでしょうか。(だったらいいんですが) あの絵柄のときは、腱鞘炎にでもかかって、アシスタントが全面的に絵を執筆していたんでしょうか。(だったらいいんですが) 
 なぜあの美しい絵がああいう絵になったのか、わたしはほんとうに不思議でたまりません。もしも、そのへんの山田先生の事情をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひhiruneにお教えいただきたく思います。 (2001.6.17)
 
昔から不良キャラに弱かった

 
唐突に日記コーナーを作ってみました。
 たいして書くことがあるわけでもないのですが、毎日毎日物忘れが激しいので、自分のための備忘録がわりになればいいかなーっという感じです。
 
 というわけで、今回は、hirune備忘録その1として、河あきらのことを書きます。
 河あきらはその昔、別冊マーガレットを舞台に活躍していた漫画家さんで、一番有名なのは「いらかの波」だと思います。
 わたしが河あきらファンになったのは小学六年生になったころ。河あきらはまだ、コンスタントに毎月別マの「長編三人集」に30ページくらいのマンガを書いていました。
 それまでも何作か河あきらのマンガは読んでいたと思いますが、小学六年のわたしのハートをつかんだのは、「学園のシンデレラ」というマンガでした。
 「普段は気の弱い取り柄のない女の子が、不思議な薬を飲むとスポーツ万能、頭脳優秀な美少女に変身。でも最後は薬がなくなり、好きだった男の子には、ダメなもともとの自分の方が告白される」というような、誰でも何度か読んだことのあるようなストーリーでした。(こんなマンガに自己投入する子って……)
 確か、同じ雑誌に山田ミネ子の「六月の丘」というのも載ってて、そっちもすごく好きだったんですが、わたしは河あきらのほうがやや気に入ってたんでしょうね。河先生にファンレターを書きました。
 それから毎月別マを買うようになって、河先生にももう一回ファンレターを出しました。
 そしたら、しばらくして、河先生から、封書で便箋2,3枚ものお返事が来ました。(今思うと、子供の書いたファンレターに、プロの漫画家が直筆で、便箋何枚も返事をくれるってすごいことですね)
 その手紙は、まず、封筒の一番目につく「○○○○様」の「様」の字がちょっと面白くなっていて、中は縦罫の白い便箋を横に使って書いてありました。それだけでもかなりかっこいいのですが、字がまた、「いかにも少女漫画家」といった感じの、書き慣れた、丸っぽい味のあるいい字で、その手紙全体のかっこよさにわたしはクラクラしてしまい、そののち手紙を書くときは、どうしても河先生の影響が出るようになりました(笑)。
 河先生にはまたお手紙を出して、絵はがきのお返事をもらったりしましたが、子どもの心はすぐ次に移ってしまいますから、徐々に別マへの熱は冷めていき、中学になった頃は少年マンガを中心に読むようになっていました。それでも別マも全然読まないわけではなかったのですが、高校になると、萩尾望都だの竹宮恵子だの山岸凉子だのに夢中になってしまい、そっちは別格で、別マは楽しむために読む、って感じになってました。
 …とまあ、長々と「河先生とわたし」を語りましたが、どうしてずっと忘れていた河先生のことを思い出して語る気になったのかと言うと、さっき検索しつついろんなサイトを見ていて、河先生の「赤き血のしるし」のことを書いたページを見つけ、久しぶりに河先生の絵を見たとき、はっ!と気がついたことがあったからです。
 河キャラは剛くんに似ている……!
 わたしが読んでいた頃の河先生は、まだそれほどシリアスでなくて、コメディが主体だったのですが、それでも主人公を好きになってくれるヒーロー達はみなどこか不良っぽくやせぎすで割に小柄、特に顔は痩せてて顎がとがってました。そして、「キッ」と悪いヤツを睨むときは目が輝いて…、あらららら〜、まるで剛くんだ。

 河先生は、「赤き血のしるし」「ゆがんだ太陽」などのシリアスもので、大人の誤解や無理解から「不良」「ワル」と呼ばれてしまう男の子達を描きましたが、ビジュアル的にも中身的にも、彼らは十代の頃の剛くんがやったらほんとにぴったりのキャラだったと思います。
 あやー、わたし、子どもの頃からすでに、好きなタイプができあがってたんだな〜。
 と、自分で驚いたので、とりあえず今回はこの話を書くことにしました。
 でもまあ、ようするに女の子一般が不良キャラ好きなんだよね……。(2001.6.16)