あとがき(のようなもの)

 「夏」を書いてから、もう1年以上も経ってしまいました。
 この「夏」はラストがはっきりしないため、掲載された直後から、ラストはどういう意味か聞かれることが多く、そのたびに個別にメールでお返事はしていたのですが、今でもまだお尋ねのメールをいただくので、思い立ってあとがきをつけることにしました。
 

 まず、問題の(?)ラストシーンについてですが、最後、剛くんと准くんが水辺にいた、というのは、健くんの幻想なのです。健くんが、いればいいな、と思ったからふたりはそこにいたのです。
 ……と言い切ってしまうこともできますし、「ふたりがいた」と地の文章で書いてあれば、やっぱりふたりはそこにいるのだ、とも言えます。
 健くんと、お話を読んできた方の心のなかでは、ふたりはそこにいる。そういうことにしておいてください。(笑)

 
 「夏」のラストは、すごくさびしくて、なにも残らないんです。残るのは、3人がすごした深い緑の中の時間だけです。
 剛くんは、カーラジオのニュースの伝えるとおり、自分の所属していた極左過激派集団のリンチで殺されてしまいました。
 剛くんに会いに蒲田にある過激派のアジト(と言ってもただの安アパートですが)に向かった准くんは、准くんも自分たちを裏切ったと思いこんでいる仲間につかまり、剛くんと同じ運命になります。
 健くんは昔、重い病気にかかったことから体が弱くなったらしいのですが、どうも、その病気はすでに再発しているらしい。生きる支えを失った健くんは、はじめは剛くんと、あとから准くんとひとときを過ごした水辺で、眠るように息を引き取る……。


 といったようなつもりで書きましたが、それではあんまりだ、と思えば、健くんが最後に思い出す剛くんと准くんの思い出の方がほんとうになります。(ふと気がつくと森に向かって歩いていた健くんが、なぜ自分がここにいるのか思い出すくだりです)
 だから、どのように読んでもいいのです。読まれた方ひとりひとりが感じたラストでいいと思います。
 ただ、自分も、解釈がいろいろ出来る話を読んだときは、「ほんとはどういうつもりで書いたのかはっきりして!」と作者に言いたい方なので、ラストはどういう意味か尋ねられる方の気持ちもよくわかり、一応、書いた人間としての「つもり」、というものを書かせていただきました(^^;;
 書いているときから自分でもわかりにくい話だなとは思っていましたが、それでも読んでくださる方がたくさんいらっしゃって質問までしていただけて、とてもうれしかったです(^^) 

(1999.11.13 hirune)