第14回

ちょっぴりネタバレなまえがき

 前回、次回が最終回と予告いたしましたが、1回にアップするには、ちょっと話が長くなりすぎてしまいました。今回はまだ最終回ではありません。次回、15回が最終回となります。
 さて、お話も進んでまいりましたが、実は今回と次回、内容がかなり凄惨な感じになってしまいました……。悲しいのが苦手な人は、読まない方がいいかも、です……。
 でも、これはあくまでお話ですから! 雨月物語中の「菊花の約(ちぎり)」を下敷きにした! どうぞそのつもりでお読み下さいませ……。  

(2000.6.22 hirune)

 「……剛!」
 驚いて、健は叫んだ。
 「健。……こっちに来い」
 男達をにらみつけながら、剛は怒鳴った。
 「早く!」
 その声に、健は、立ち上がった。
 「逃がすか!」
 雑兵の一人が健を捕まえようとする。だが、その男は、また、さっきの男と同じように、うめき声をあげて片目をおさえた。
 「あいつ……!」
 雑兵達は、一斉に剛を見た。剛は、腰にくくった袋から、また礫(つぶて)を取り出した。
 「全部、顔を狙うぜ。オレは、はずさねえ。……健、早く来い!」
 男達がひるんだ隙に、健は剛に駆けよった。剛も走り寄ってきて、健の腕を掴む。
 「剛!」
 「逃げるんだ!」
 健をかばうように後ろにして、剛は健の背中を押した。
 「走れ!」
 「剛!」
 「こいつ!」
 「なめるな!」
 男達が追ってこようとする。剛は、健と共に走り出そうとしながら、振り向きざまに礫を放った。今度のは目でなく、顔の真ん中にあたり、男は鼻を押さえてうずくまる。
 そのままふたりは、どうにか男達に追いつかれずに、林の縁に逃げ込もうとした。
 だが、そのときである。ヒュンっと風を切る音がした。剛は、あわてて健を突き倒しながら、自分も地べたに伏せる。直後、ふたりのすぐ後ろに音を立てて矢が突き刺さった。
 剛はすぐ起きあがったが、倒れた健が、不意に胸を押さえて咳き込み始める。どこから矢が飛んできたのかなど考える間もない。
 「健!」
 剛が健に駆けよろうとしたとき、追ってきた雑兵達がわめき声をあげながらふたりに飛びかかった。
 剛を取り押さえた雑兵達は、憎々しげな怒鳴り声をあげた。
 「よくもやってくれたな」
 「これからどうなるかわかってんだろう!」
 「健を放せよっ」
 剛が叫ぶ。
 「やったのはオレだ、健はなにもしてねえだろっ」
 「へへへ」
 ひとりの男が、剛に当てつけるように笑いながら、健を蹴り回した。
 健はなんの抵抗もしなかった。発作で息が出来ない。まるで襤褸(ぼろ)のように、健は男達に蹴られるままになっていた。後ろ手に縛られた剛は、手出しできずに歯がみする。
 「……畜生っ、やめろっ」
 「へへっ」
 男が笑いながら、もはやぐったりと動かない健を再び蹴ろうとしたとき、剛は男達の隙間から走り出し、健を蹴っている男に、思い切り体当たりした。男は思わずよろけて転ぶ。
 だが剛はすぐまた捕らえられ、髪を掴んで引き倒された。
 「この野郎!」
 「やっちまえ!」
 「手加減するな!」
 男達は剛を真ん中にして、袋叩きにし始めた。
 だが、そのとき、
 「待て」
 と声がした。
 「……なんだよ」
 雑兵達は面倒そうに振り向き、すぐに驚きの表情になる。
 館を背にして馬に乗り、弓を手にしているのは、剛や健とそう年の違わない若者であった。だが、相当な身分の若者であることは見てすぐわかる。後ろでは、若者の父親らしい、冷たい表情の男が、黙ってこちらを見ている。
 今「待て」と雑兵達に声をかけた若者の供の男が、雑兵達に居丈高に叫んだ。
 「その男は、重嗣(しげつぐ)さまの獲物じゃ。こちらに渡せ」
 「獲物」
 「重嗣さま……?」
 「家臣筆頭の松本さまのご長男、重嗣さまだ。さきほど重嗣さまがその獲物に矢を射たこと、気づかなかったのか!」
 呆然とした雑兵達をかき分け、今度は若者のお供達が剛を縛った縄を掴み、剛を引き立てた。
 「若様、こちらでよろしゅうございますか」
 お供が尋ねると、馬上の若者が、無言でうなずく。
 剛は、その若者をにらみつける。それに気づくと、お供の男が勢いよく剛を馬の鞭で打った。
 「無礼者!」
 「……この獲物はなかなか元気がいい。逃げられるなよ」
 そう言いながら、若者は振り返った。
 「父上、重嗣は今日、この獲物を殿に献上いたします。弓比べの的になどいかがでしょうか」
 「ほう」
 「さすれば、いつも御退屈そうな殿も、さぞ興がられることと存じますゆえ」
 「殊勝な心がけじゃな。殿がおまえを気に入られるはずじゃ」
 父親らしい男が満足そうにうなずく。
 「行くぞ」
 「は!」
 「……待てよ!」
 引き立てられながら振り向いて、懸命に剛が叫んだ。
 「健!」
 健は動かない。馬上の若者は、ちらっと動かない健を振り向いたが、すぐにさも汚いものを見たというように眉をしかめ、門に向かった。代わりに、お付きの者が雑兵達に叫んだ。
 「死人の骸(むくろ)などけがらわしい! 疾く捨てにゆけ!」
 「……健! 死んじゃねえだろ!」
 無理矢理引き立てられるのに必死で抵抗しながら、剛はまだ叫んだ。
 「健! オレたちは死なねえ! わかるだろ! オレが戻ってくるまで死ぬんじゃねえ! 死ぬな! 健!」
 黒雲がさらに空に厚くなった。まだ昼間というのに、あたりは夜のように暗い。

 
******


 月影に浮かぶじゅんの白い顔。悲しそうな。
 「……健」
 そう自分の名を呼びながら、じゅんの姿は何故か遠くなり、消えてゆく。
 「じゅん!」
 健は、必死でじゅんを捜す。
 「バカ!」
 いきなり腕を捕まえられた。
 振り向くと剛が怒った顔で自分をにらみつけている。
 「剛……」
 「なんでオレの言うことを聞かねえんだ!」
 剛のいつもの怒鳴り声だ。
 「オレたちは鬼だぞ、健」
 「……」
 「オレたちはふたりきりで山で暮らさなきゃならねえんだ。わかってるだろ」
 「……」
 「オレたちは人間と混じって暮らしちゃいけねえんだ。そうしたらきっと悪いことが起こるって、そうじいちゃんが言っただろ。忘れたのか」
 そうだった。
 じいちゃんがいつも言っていた言葉じゃないか。
 人と交じって暮らしてしまえば、鬼は、人の血をすすって生きるようになる。
 だからオレと剛は、ふたりきりで山で暮らさなきゃならない。
 なんでオレは、そんな大切なことを忘れようとしてきたんだろう。
 ……。
 ……オレは、鬼だ。
 人になりたいなんて……、思うのは間違いだった。
 鬼が人間を慕って山を下りるなんて……、
 そんなのは間違いだった。
 山に帰る。
 剛とふたりで山に帰るんだ……。


******


 なにかの気配に、意識が戻った。
 雨が降ってる。
 その雨の中を、誰かが近づいて来た。
 足音が止まった。話し声がする。
 「ここらでいいだろう」
 男の声がする。
 「ちょうど、昼間もうひとりを捨てたあたりだな」
 別の声がした。
 ドサッとなにかを捨てる音がした。……なにを捨てた?
 「そうか?」
 「ああ、そうだ」
 「ちきしょう。やっぱり血がついちまった。べっとりだ。気味が悪い」
 「こいつ、ずいぶんしぶとく逃げたそうだな」
 「この雨だってのに」
 「そうだ、どしゃぶりの雨だってのに、お館の庭に放って」
 「犬と弓手に追わせたんだな」
 「血まみれになっても泥の中から起きあがろうとするんで」
 「見ていた殿さまは楽しまれたそうだ。殿様のご機嫌がいいので、北の方さまもご機嫌がよくて助かったと、そうお女中たちが言ってたぜ」
 「北の方さま」
 「お妾のことじゃないぜ。このまえお輿入れした、松本さまのご息女だ」
 「ああ、そうだ。あのお妾はずいぶん殿さまにかわいがられていたが、もう殿さまの側に出られないそうだな」
 「そうだ。せっかく男の子を産んだのに」
 「ああ。身分が低けりゃどうしようもねえさ」
 「今となっちゃお館は全部、松本さまが牛耳ってるさ。なにもかも仕切るのは松本さまだ。殿さまは松本さまに差し出された余興で時間をつぶすだけだ」
 「まあな。けど、そんな上の人のことなんざ、どうせオレたちには関係ねえ」
 「そりゃそうだ」
 「さあ、戻ろうぜ」
 「この血。着替えをもらわねえと」
 「それと、これじゃ験直しに飲まねえとならねえからな、駄賃を無心しようぜ」
 「それがいい。それからあの女達の店に行ってみるか」
 「そりゃいいな」
 「お楽しみも戦が始まるまでだ」

 足音は、再び遠くなる。
 今の声は、なんだったのか。
 そう思ったとき急に強い痛みを感じ、健は、自分が生きていることに気がついた。
 目を開く。ぼんやりと、灰色の風景が目に映った。
 思うように動かない腕をつっぱって、健は身を起こした。いつもの咳が健を襲う。
 今は、昼間なのか、それとも夜か、夕方なのか。
 時間さえもわからない。
 ただ、あたりは雨。枯れた蔓草や枝葉が積もって、それに埋もれるように健は捨てられていた。健はあたりを見回した。すべては雨に濡れて、かすかな光を放っているように見えた。
 「?」
 草の陰に、なにかが見えた。今さっき、男達が捨てたのは、あれなのだろうか。
 這うようにして、健は近づいた。
 薄暗くて、まだよくわからない。
 あれは、……人?
 人? 
 「……」
 雨の中、無造作に投げ捨てられて転がった体。
 健は一瞬、わけがわからなくなって、それを見た。
 次の瞬間、気が狂ったように、健は、その体を抱き起こした。乱れた髪の下には、間違えようもなく、固く目をつぶった剛の顔があった。健に抱き起こされ、剛の頭がのけぞった。目をつむった剛の顔はきれいだった。眠っているのとちっとも変わらなかった。雨に流れる血と、こめかみの、矢を引き抜いた痕らしい、生々しい傷をぬかせば。
 「剛! ……剛!」
 健は、必死で腕に抱いた剛に呼びかけた。
 気がつけば、こめかみだけではない。喉にも、はだけた胸にも、力なくぐったりと健に抱かれた剛の体中に、蜂の巣のように矢の痕があった。
 「剛! 剛!!」
 健はなおも叫んだ。
 「しっかりして! 死なないで!」
 剛は動かない。
 健は呆然とし、途方に暮れた。だが、じきに大切なことを思い出した。健はあたりを見回す。ちょうどよさそうな刃物など、どこにもなかった。健は自分の手首を口に持っていくと、噛みちぎった。
 「剛……、血……」
 健が思ったようには、血は勢いよく流れなかった。だが、剛の口を湿らせるには十分な血が、健の手から滴った。
 「飲んで、剛」
 健は、指に滴る血を、病人に薬を飲ませるように、そっと剛の唇にあてがった。
 「飲んで、この血を……。そうしたら、きっと……」
 剛は表情を変えず、健の膝の上で目をつむったままだった。健の血は、いたずらに剛の唇からこぼれ、剛の顔を汚した。
 「……治るんだから。剛……」
 剛はどうしても口を開こうとしない。
 「飲んで。剛、前にオレに言っただろ。鬼なら血を飲めばすぐに治るって……。だから、ほら……」
 健の瞳に、涙が浮かんでくる。
 「なんで。なんで飲んでくれないの」
 ぼろぼろと、どうしようもなく涙がこぼれてきた。しかし泣きながらも、健は懸命に言った。
 「剛。お願い、飲んで……。オレの血じゃ、だめなの? 鬼の血じゃ、だめなの……? だけど……!」
 とうとう健は、動かない剛の体の上につっぷして、泣いた。
 「どうしようもないんだよ。剛……、嫌だ……!」
 こうしている間にも、雨に打たれた剛の体は、ますます冷たく、凍るように冷えていく気がした。
 「だめだよ」
 涙をこすって、健は自分を勇気づけた。
 「こんなことで、泣いてちゃ」
 他にどうしようもなかった。健は、小さく舌を出し、ぺろ、と剛の顔についた血をなめてみた。
 「山で見たお母さん鹿みたいに」
 健は、思った。
 「オレが傷をなめて、剛を治してあげる」
 雨に濡れてもなお血だらけの剛を、健は丁寧になめた。山のけもの達がするように。剛の傷が跡形もなく消えるようにと。
 泣かないようにしようと思ったのに、そうしながらも、健の涙はとめどなくあふれてきた。
 「剛はいつだってオレより強かった。オレをかばってくれた」
 だから……。
 「こんなことで剛が死ぬわけなんかないんだ……」
 それでも、剛の顔に生気は戻らなかった。いくら健が剛の傷口をなめても、剛は目を開かず、息を吹き返しもしなかった。
 それでも健は、冷たくなった剛の顔をなめ、体をなめた。剛がまた生気を取り戻すまで、けしてやめないと言うように……。

 だが、健は、いつかなめるのをやめた。
 気がつくと健はもう、泣いてはいなかった。いつも出ている小さな咳も、してはいない。
 「……剛」
 健は、身を起こし、剛を眺めた。
 健の表情からは、なんの感情も読みとれない。瞳の色さえ常とは違って、健は、まるで別人のように見えた。
 昏い、底知れぬ色の瞳で、健は言った。
 「わかったよ、剛。……もう、ダメなんだね。……オレがなにをしようと」
 なにひとつ健に答えない、剛の屍。
 健は、動かない剛を抱くと、ゆっくり立ち上がった。
 霧のような雨の中、健は、剛の埋葬場所を探した。しばらくして人目に付かない樹陰を見つけ、健は傷ついた手で土を掘った。
 途中、なにかいいものを見つけたように、健は、ふと動きを止めて、それを取り出した。
 剛をその穴に隠し、そっと木の葉をかけながら、健は、剛に向かって、うれしそうにささやきかけた。
 「ねえ、剛。オレ、とてもいい草の根を見つけたよ。ここらにいっぱいある。これを使えば」
 そう言って微笑み、そうして健は最後に、乾いた声で言った。
 「剛。オレ、とうとう鬼になったよ」
 

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