ちいさい夏の島〜最終部〜

(by あやっぺさん (写真も))

−町が見下ろせる坂道

朝、ここをマコトはいつも自転車で走りおりていた。
ほどよくスピードが出るのが楽しくて、学校までの道のりも全然苦にならなかった。
けれど帰りは辛い。
たとえ緩やかな斜面でも、ずいぶんと登り続けなければ家に着かないのだ。
汗をダラダラ流しながらの坂道。
それはもう、ただの思い出にすぎないのだけれど。

「・・・あれや」

少しも変わっていない、あの頃の家。
マコトの自転車も残っている。
自分が“誠”に戻ったような錯覚さえも覚えた。
なんだかホッとして、心が満たされるような気分に浸っていた。

『ガラッ』

玄関から誰か出てきた。
とっさに近くの物陰に隠れるマコト。
そっと庭を覗くと、そこにいたのは母だった。洗濯物を取り込んでいる。
話をするなら今しかない、そう確信したマコトはついに母に話し掛けた。

「母さん・・・」

「!?」まだ誰の声なのか気付かず、辺りを見回す。

「俺や・・・。誠や」

「えっ・・?・・・誠って・・あの・・・誠なの・・?」確かに声が誠であると気付く。

まだ母にはマコトがどこにいるのかわからない。
マコトの心臓はバクバクとものすごい音を立てて動いている。
一つの決心を固めたマコトは、その音を掻き消すように物陰から姿を表す。

「母さん」今にも溢れ出そうな涙を堪えて、精一杯の笑顔をつくる。

母が手に持っていた真っ白なシーツは風になびいて宙を舞い、
フワッと地面を覆った。


−合宿所

翔と南は練習が終わってすぐだといういうのに、
全力疾走で合宿所に駆け込みマコトを寝かせた部屋の戸を開ける。

「マコト!・・・あれ?」

部屋はシーンとして誰もいない。

「どこ行ったんだ、あいつ」翔が部屋の中へ入っていく。

「まさか記憶が全部戻ったんじゃ・・・」翔の後ろで南が呟く。

「・・・探そう」



「誠・・・!!」

母がマコトに駆け寄ってくる。
マコトも引き寄せられるように母に近づき、抱きしめようとした。
でも・・・

『シュンッ』

目の前にいたはずの母がいない。
まさかと思い、後ろを振り返ってみると、そこには母の悲しい背中があった。
冷たい風が胸を擦り抜け、熱い気持ちが頬を伝って流れ落ちた。

「・・・・・」震え出す手をマコトはジッと見つめる。

自分の体がぼやけて見えるのは、目の錯覚ではないのだ。
再度、母に触れようとするが、手にはなんの感触も残らない。
マコトに背中を向けたまま母は泣き崩れる。
もう、人の温もりを感じることはできない。
マコトは頬を伝う何筋もの涙を拭き、また笑顔をつくった。

「母さん。もう俺はこの町にはいられへんけど、あの島で生きとるよ」

マコトが話し掛けると、母も涙を堪えてマコトのほうを見る。

「・・・母さんが教えてくれたんやないか。
 確かに、全然寂しないって言うたら嘘になるけど、大丈夫やから。
 絶対忘れへんよ。・・・・・ずっと一緒や!」

「・・・ありがとう。誠・・・!」

母の顔を忘れることなど、マコトにできるはずがないのだ。
他の何よりも温かい、あの微笑み。優しい母の微笑み・・・。

「じゃあな・・・・・」

マコトが母に見せた最後の笑顔は、母にも劣らぬくらい綺麗な微笑みだった。
母の前からマコトの姿は消え、暖かい風が吹いた。



『ザザーン・・・ザザーン・・・』

マコトの姿は海岸へと移っていた。
何故ここに来たのかは、よくわからない。
無意識に島を見つめるマコト。
まだ涙が溢れ出ていることなど、まるで気にしていない。

「マコト」背後から重なって聞こえたのは、翔と南の声。

それでもマコトは前を向いたまま。

「母さんに会うてきた。これで島に帰れるわ!」無理に元気なふりをする。

「・・・なぁ。お前も俺達と一緒に来いよ」少し言い辛そうに翔が話し掛けた。

「駄目や」冷たい返事。

「大丈夫だって。俺らがなんとかするからさ」南が説得する。

突然、マコトはバッと振り向き、2人の手に向かって自分の両手を突き出す。

『シュンッ』ただ冷たい風が通り抜けるだけ。

「!」

今の状況が信じられず、目を見開く翔と南。

「・・・駄目やねん」どうしようもなく声が震える。

2人の目を見つめる、涙で濡れた笑顔。
本当にマコトの姿はうっすらとしか見えなくなってきた。
時間はあまり残されていない。

「お前らと会えて本当によかったと思うてる。楽しかった。
 ・・・もう、島に帰らなアカンみたいや」

次第に消えていくマコトの体。
翔も南もどうしていいのかわからない。

「・・・・・」海へ近づいていくマコト。

「・・おいっ、マコト!」

マコトの足が海に浸かる。でも、冷たさは感じない。

「また遊びに来てな!」2人に向かってそう叫び、また島を見つめる。

2人に顔を向けないまま右手を上げて手を振るマコト。
そして次の波が来たとき、マコトの姿は波の音と共に消えた。

「・・・・・なんでだよ!」ひざまずいて涙を流しながら砂を殴る翔。

何もかもが信じられなかった。
涙をいっぱいに溜めた目で、南は翔を見守った。
オレンジ色に染まった海の向こうの島が、なんだか物凄く遠い世界のように思えた。


−合宿所

なんとなく夕飯を食べた2人は、なんとなく布団に入った。
いつもならこの時間うるさく騒いでいる2人がボーッとしたまま何も話さない。
部員たちは不信に思ったが、声を掛けられるような雰囲気でもなかったので、
2人を無視して部員の3人はこんな話を始めた。

「あそこに見える島って、なんで行っちゃいけねぇの?」

「お前知らねぇのか?死人がいっぱい出てるからだ、って聞いたぜ」

「あぁ、でもその話は子供たちを島に近づかせないための嘘だよ」

この言葉に翔と南は反応する。
布団の中で体制は変えぬまま、話の続きを聞いていた。

「今日地元の人に直接聞いてみたんだけど、あの島はこの町で死んだ人の魂が
 集まるところで、その魂は島で永遠に生き続けるんだって。
 昔からの言い伝えなんだとよ」

隣り合わせの布団に入っていた翔と南。
満面の笑みで顔を見合わせ、相手が何を考えているのかすぐにわかった。

『ガバッ』勢いよく布団から飛び出し、窓を開けて島のほうを見る。

「おやすみ〜っ!!」マコトに届くよう、精一杯声を出す。

「なっ・・・なに、お前ら」唖然とする部員。

「ハハッ」周りのことなど気にしていられない。マコトにさえ届けばいいのだから。



次の日。今日はよく晴れている。

「ん〜っ」外で南は大きく伸びをする。

続いて重そうな荷物を持った部員達が玄関から出てきた。

「おい、南!ちっとは自分で持ったらどうだ!」二人分の荷物を持っている翔。

「や〜だよ。ジャンケンで負けた翔が悪いんじゃん」

「ちっ」舌打ちしてドサッと下に荷物を置く。

「ねぇ。まだちょっと時間あるよね?」

「ん?・・・あぁ、ほんとにちょっとだけどな」翔が時間を確認する。

「じゃあ、海行こ!」

「あ〜ぁ。やっぱ考えることは同じだな。行こうぜ!」

「翔!南!遅れたらおいてくぞ!」会話を聞いていた部員の一言。

「は〜い!」


−海岸

「ほんと、楽しかったよねぇ」南の声に、隣で座っている翔が頷く。

「・・・嘘みたいだな。昨日まで一緒にいたヤツが、今ここにいないなんて」

「そうだね。・・・お別れの挨拶でもしますか!」南が立ち上がる。

翔も立ち上がったかと思うと、いきなり海のほうへ駆け出す。

「ぜって〜また来るぞ〜っっ!!」この声がマコトに届くと信じて。

南も翔に続く。

「楽しみにしてろよ〜っっ!!」

そして・・・

「オゥッ!!!」翔と南は掛け声にあわせて勢いよく飛び上がる。

ふざけ合いながら合宿所へ走る2人の後ろ姿。
優しく海を照らす太陽。それに答えるかのように海が輝く。



明るい太陽、広い海、そして壮大な自然に囲まれ、あの島は永遠に生き続ける。
人々の暖かい温もりがある限り――――――






〜おしまい〜

(1999.9.9up)