DESTINY 〜約束の出逢い〜 

(by 黎さん 1999.12.9up)

〜 Scene・9 〜 “the latter part”



「君を幸せにすると誓ったはずなのに、とんでもない結果になってしまったな...」

大きな溜息をついた後、主人はそう言うと、力無く私に微笑んだ。
主人が突然入院してからのこの一ヶ月半は、本当に目まぐるしい日々だった。
弱った躰に追い打ちを掛けるように、肺炎にかかってしまった為、なかなか彼の状態は回復する兆しを見せなかった。
そして入院から二週間近くが経った頃、ようやく彼の状態が落ち着き始め、私達は今後のことについて話し合う日々が始まった。

「ほんの少しでも助かる見込みがあるのなら、私は手術を受けてほしいの。」
「その確率は奇跡に近いよ。 杉浦も言っていただろう? 仮に手術に踏み切ったとしても、何も処置出来ぬまま終わってしまう可能性の方が遥かに高い、って。」
「...奇跡が、起きるかもしれないわ。」
「冴子...杉浦は俺に、覚悟を決めろ、と言ったんだ。 それに、そうそう奇跡なんて起こるものじゃない。 私は手術を受けるつもりはないよ。」

私がどれだけ手術を勧めても、彼は頑として首を縦には振らなかった。
そして、幾度となく同じような話し合いを続けるうちに私は、やはり彼の意思を尊重することが一番の選択なのかもしれない、と思うようになっていた。
杉浦医師にもそのことを告げ、相談すると、“彼の望む通りにしてあげることが一番でしょう。”ということだった。

「本当に、手術を受けるつもりはないのね?」
これで最後にするから、と私はもう一度だけ主人に尋ねた。
「あぁ、そのつもりはないよ。」
彼は少しも迷う素振りを見せることなく、はっきりと答えを返してきた。
「そう...分かったわ。」
「冴子。 私は病院で最期の時を迎えたくはないんだ。 自分が決めた場所で、逝きたいんだよ。」
「逝く、だなんて... そんなこと言わないで。」
「その時は確実に迫ってきているんだ。 仕事のこと、君のこと、自分の意識がしっかりしている内に、ちゃんとしておきたいんだ。」
「あなた...」
「...ずっと会社を興すことが夢だった。 その夢が叶い、そして君とも巡り会うことが出来て、俺は幸せだった。 今更言っても遅いが、もっと君を大切にすべきだった。
けれどもこんな時世だ...一生懸命踏ん張っていなければ、うちのような小さな会社など、すぐに潰されてしまう。 弟の人生まで巻き込んだからな、それに社員達の生活だって守らなければならない...必死だったんだよ。」
「頭では分かってはいたわ... だけどやっぱり、寂しかった...」
「冴子、君には辛い思いばかりさせてしまったな。 金でしか解決出来ない男だと呆れられるかもしれないが、近い内に弁護士の先生に来てもらってちゃんと話し合おう。」
「...話し合う?」
私は主人が何のことを話しているのか分からなくて、思わず聞き返した。
「離婚の手続きをしよう、と言ってるんだよ。」
「離婚?」
「あぁ。 冴子、君はまだ若いんだ。 いくらでもやり直せる... 好きな男が、いるんだろう?」
「え?」
突然の彼の一言に、私は何と答えればよいのか、言葉に詰まってしまった。
「これでも亭主だからね。 君の変化に気付いていなかった訳じゃない。 むしろ、こうなってしまった今では、君を支えてくれる男がいる方が、安心して逝けるよ。」
願ってもない言葉のはずだった。 けれども私は咄嗟に、
「離婚するつもりはありません。」 と、彼に答えていた。
私があまりにもきっぱりと言ったので、彼は驚いたように私を見つめた。
「そんなに私が傍にいることが苦痛なの? あなたが最期を迎える覚悟をしたというのなら、それを見届けるのは私しかいないはずでしょう?」
気が付くと私は、彼にそう言っていた。 頭で考えるよりも先に口が動いている、そんな感じだった。
「...俺はただ、君に自由になってもらいたいと思って...」
「どうしてあなたを...一人に出来ると言うの? どうしてそんなことが...」
涙が次から次へと溢れてきて、私はそれ以上喋ることが出来なくなってしまった。
「冴子、すまない... 本当にどうしようもない亭主だな、俺は。」
ゆっくりと彼の手が私の手の上に重ねられた。 久しぶりに触れる彼の手は驚くほどに体温を感じない渇いた感触で、私は改めて彼が病に冒されていることを思い知らされたようで、愕然とした。
こんな状態の彼を、どうして一人にすることが出来るだろう...


数日後、私は一人の友人に連絡を取った。
「一体どうしたっていうのよ? いつ電話しても出ないし... 心配してたのよ。」
待ち合わせ場所の喫茶店で先に来ていた私を見つけると、その友人はいきなりそう言って捲し立ててきた。
彼女の名は、貴島千果子。 私を陶芸教室に誘ってくれた友人で、唯一私と快彦の関係を知る人だった。
私は彼女に、快彦と旅行に戻ってきてから起きた出来事を打ち明けた。
「...そうだったの。 大変だったわね。」
「えぇ...もう、何が何だが。 混乱しっぱなしよ。」
「そうでしょうね。」
彼女は、信じられない、と呟くと黙り込んでしまった。
「やだ、千果子までそんな暗い顔しないでよ。」
「だって... あ、そうそう。 何度も快彦くんから連絡があったわよ。」
「...快彦から?」
「えぇ。 冴子が突然いなくなった、って。 私に知らないか、って... そりゃもう、しつこいくらいに問いつめられたわよ。」
「そう...」
「ねぇ、彼と連絡取ってないの?」
「だって...連絡なんて取ってしまったら、逢いたくなるもの。」
「もう、逢わないつもりなの?」
「えぇ... とても主人を一人になんて出来ないもの。 一度は愛した人よ。 ううん、それだけじゃない、生涯を誓った相手よ。 千果子、分かってくれるでしょ?」
「分かるけど。 快彦くんのこと思うと... 彼、気の毒なくらいに落ち込んでたわよ。」
「...この二ヶ月近く、色々と考えたのよ。 冷静に考えてみたの、快彦のことも...彼のことを考えたら、このまま逢わない方が、彼の為になるかもしれない、って思った。
快彦はこれから羽ばたいていく人だもの... 私は、その邪魔になるかもしれない。」
「本気で言ってるの?」
「...本気よ。 だから千果子、彼がまたあなたに私のことを聞いてきても、何も知らないと答えてほしいの。」
「冴子...本当に、それでいいの?」
まっすぐに私を見つめ、千果子は心配そうに訊ねてきた。
「えぇ。 もう、決めたのよ。」
「そう... 分かった。 あなたがそういうのなら、言わないわ。」
そう答えながらも千果子は、納得いかない、と言わんばかりの表情だった。

本当は一度、快彦に逢って別れを言うべきなのだろうが、私には面と向かって彼に別れを告げる自信はなかった。 快彦を目の前にしたら、何も言えなくなるどころか、彼の胸に飛び込みかねない...

今はただ、じっと時が流れてくれるのを待つだけだった。 時が経てば快彦も、私のことが想い出となる日がやってくるだろう。 彼は若いのだから、その日が来るのもそう遠い将来ではないはずだ...
やがて時が解決してくれる。 この、のたうち回るような痛みも、嘘のように消えてなくなる日がきっとくる...

“時が解決出来ないものなんてない...”
自分自身に言い聞かせるように、私は声に出して呟いた。

そしてこの日を境に私は、快彦のことを想い出の中に閉じこめる決心をした...


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