DESTINY 〜約束の出逢い〜 

(by 黎さん 1999.11.29up)

〜 Scene・9 〜 “the first part“



“この決断は、身を裂かれる思いで決めたことなのだと、誰かあの人に伝えて...”

桜の季節が終わっていることにすら気付かない、混乱の毎日だった。
ここ数日になってようやく、自分の置かれている状況を整理して考えられるようになったところだ。 そして、悪い夢を見ているのではないかと思いたくなるような、そんな現実を受け入れる覚悟を、私は決めた。
やっと現実の世界を見つめる気持ちになり、ふと窓の外に目をやると、すでに桜の木は眩しいほどに鮮やかな緑の葉を付け始めていた。 毎年、わざわざ遠方まで花見に出掛けるほど桜の好きな私が、今年は一度もその花を愛でることなく終わってしまった。
...それほどに私の心には余裕がなかった、ということだ。
眠りながらもどこか苦痛に顔を歪める主人の横で、こんなふうに病室の窓から、葉桜を眺めることになるだなんて... どうして想像することが出来ただろう。

気が付けばもう、あれから一ヶ月半... 
快彦とは空港で別れたきり、逢ってはいなかった。
彼は、どうしているだろう...
快彦にとってのこの一ヶ月半は、新生活が始まってからの期間を意味する。 制作活動にも力が注げるように、と彼が師事している先生の紹介で、四月から専門学校の講師として勤めているはずだから。 快彦は、どんな毎日を送っているのだろう...

突然彼の前からいなくなった私に、腹を立てているだろうか...
彼にはなんと言って謝ればいいのか言葉も見つからないけれど、決して心変わりした訳じゃない。 出来ることなら今すぐにだって、逢いに飛んで行きたい。
この混乱の日々の中でも、快彦のことを思わない日はなかった。 私の快彦への想いは、ちっとも変わってなどいなかった。 今だってこうして彼のことを想うだけで、胸が締め付けられるほどに愛しさが込み上げてくる。
...けれども私は、この選択をするより他なかった。


快彦と空港で別れてから家に戻ると、明かりは付いておらず、主人はまだ仕事から帰って来てはいないのだと私は思った。
リビングの明かりを付けて、ひとまずソファに腰掛けようとした時、電話のメッセージランプが点滅しているのが目に留まった。
そこには、主人が倒れて病院に運ばれた、という、思いも掛けないメッセージが入っており、私は車のキーだけを握りしめると取るものも取りあえず病院へ駆けつけた。

“嫌な予感とは、これだったんだ...” 車を走らせながら、私は思った。
倒れた、って... 一体彼に、何が起こったのだろう?

病室に駆けつけると、彼は静かに寝息を立てていた。
彼の様子からして、急を要する状態ではなさそうだったので、ひとまず胸を撫で下ろしたが、ずっと付き添ってくれていた義妹の話によれば、風邪をこじらせて肺炎にかかってしまったらしい、とのことだった。
どうやら私が家を後にした時に、既に彼は風邪を引いていたらしく、その翌日にはかなりの高熱を出したというのに無理して会社に出て、今日出社して間なしに倒れ、かかりつけの病院に連れて行くと、そのまま入院となったらしい。
風邪をこじらせての肺炎だと、主人の状態を聞いて私はほっとした。 そういうことならば、数日で退院できるだろう、と思ったからだ。

ところが、担当医から聞かされた彼の病名は、肺炎だけではなかった。
その病名を聞かされた瞬間、私は目の前が真っ暗になった。
癌...しかも病状はかなり進んでいるらしく、手術をしたところで助かる見込みは期待出来ないと思った方がいい、とのことだった。
そして何より驚いたのは、その事実をすでに主人は知っている、ということだった。
かかりつけの医師というのが彼の学生時代からの友人で、つい何ヶ月か前に体の不調を訴えて病院に来た時にその疑いが見られ、様々な検査をして調べたところ、病気が判明したのだという。 自覚症状が出にくいらしく、体の不調を感じる頃には末期の状態であることが多い、とのことだった。

どうして主人に告知する前に私に話してもらえなかったのかと、私は、主人の友人でもある担当医の杉浦医師に詰め寄った。 すると先生は何とも複雑な表情を浮かべてから、“自分たちはもう、いつ離婚が成立してもおかしくない状態にある。 だから何か病気が判明したとしても、彼女に面倒を看てもらうことにはならないだろうから、自分で何とかするしかないんだ。”と、主人から聞かされたのだと、私に言った。
それを聞いた私は、二の句が継げなくなってしまった。
どうしてあの人はいつも、何もかもを自分一人で勝手に決めてしまうのだろう...
あまりの驚きに言葉もなく、ただ俯くばかりの私に、先生は同情したように、“彼の状態が落ち着いたら、もう一度今後の治療方針等を、一緒に話し合いましょう。”
と、言葉を掛けてくれた。

私の何が、主人にここまで壁を作らせてしまったのだろう。一体どこで私達は、道を踏み外してしまったのか...
もう、どうしたらいいのか分からなかった。 思うことが多すぎて、何からどう整理して考えればいいのか... 見当も付かない。もう、何も考えられない... 助けて、快彦...

胸の中で何度も何度も快彦の名を呼びながら、私は重い足取りで、主人が眠る病室へと戻っていった。

(1999.11.29up)


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