DESTINY 〜約束の出逢い〜 

(by 黎さん 1999.10.21up)

〜 Scene・5〜“the latter part”


“この心の迷いが、快彦への想いの深さを物語っているのかもしれない...”

洗面所のドアを開けると、すぐ横のキッチンで快彦はお茶を入れる準備をしていた。
「ありがとう。 遠慮なく使わせて頂きました。」
「いえいえ。 着替え、そんなのしかなくてすいません。」
「とんでもない、これで十分よ。」
何だかお互いに照れ臭くて、私達はどちらからともなく自然と視線を逸らしてしまった。
「ねぇ、快彦もシャワー浴びた方がいいんじゃない? そのままじゃ、あなたこそ風邪引いちゃうわよ。」
「え? あ、そうですね...じゃぁ、俺もちょっと。 冴子さん、お茶入れたんで座ってゆっくりしてて下さい。」
「うん、ありがとう。」
奥の部屋にお茶を置くと、快彦は洗面所へと入っていった。

一人になった部屋で、私は何だか落ち着かなくて立ったまま部屋を見回した。
初めて訪れた快彦の部屋... たくさんの美術書、ローボードに飾られた陶器の数々...
ここで快彦は生活している。 私の知らない快彦の日常がここにある。
私は急に快彦が遠い存在に思えてきた。
やはり私達は、生きている場所が違いすぎるのではないだろうか...
私は...いつまで経っても、例えそれをどれだけ望んだとしても、快彦の日常の中に入っていくことは出来ない。
どれだけ心が近付いても、私達は寄り添い歩いて行くことは出来ない。
私達の世界は現実とは離れた、別の世界に存在している。
視線の先の壁には快彦がスケッチしたらしい赤いバラの絵がピンで止められていた。
そのバラの鮮やかな赤が胸を突く。 
私達にはこんな美しい花を咲かすことは出来ない...

「それ、今日見に行こうって言ってた公園に咲いてたバラのスケッチです。」
不意に背中で快彦の声がしたので私は慌てて振り返ったが、すぐにまたバラの絵に視線を戻して言った。
「赤いバラの花って、好きだけど...あまりにも美しすぎて、目を背けたくなる時があるわ。」
「俺は...もし貴女に花を贈るとしたら、迷わず赤いバラを選びます。」
「.....どうして?」
バラの絵を見つめたまま、私は振り向かずに聞いた。
「冴子さん。 赤いバラの花言葉って、知ってますか?」
「.....花言葉?」
私はゆっくりと振り返った。 そして次の言葉を求めるように快彦をじっと見つめると、快彦も真剣な眼差しで私を見つめ返し言葉を続けた。
「“熱烈な恋”、って言うそうです。」

どこにも曇りのない、怖いくらいに真っ直ぐな眼差しだった。 迷って立ち止まってばかりの私にはそれはあまりにも眩しすぎた。 胸を締め付けられるほどに、愛しさが込み上げてくる。 この真っ直ぐな眼差しに応えたいと叫ぶ私がいる。 けれども、その一方では、それが出来なくて藻掻いている自分がいる...
こんなに好きなのに、どうして胸に飛び込むことが許されないのだろう。
思わず、涙が溢れ出した。 自分でもまさか涙を流すだなんて思ってもみなかったので、私は慌てて快彦から背中を向けた。 快彦にこんな顔を見られたくなかった。

『!?』
一瞬、何が起こったのか分からなかった。 快彦に背中から抱きしめられて、気が付くと私は彼の腕の中に包み込まれていた。
「何もしません...何もしないから、少しこのままで話を聞いて下さい。」
「.....」
背中から伝わる快彦の温もりを、私は息苦しさを覚えるほど全身で感じていた。
「貴女の気持ちが分からなかった時は、貴女のすべてを俺のものにしたい、ってそればかり考えてた。 だけど今は...貴女に触れることさえ、怖いと思ってる。」
「...怖い?」
「えぇ、自分でも何が怖いのかよく分からないんです。 だけど、貴女とそうなってしまったら、何かが壊れてしまうような気がして...」

快彦はまだ若くてその理由に辿り着くことは出来ていなかったが、直感的に感じ取っているのだ、その先には別れしか待っていない、ということを。

「本当に大切だからこそ、何も出来ないんだってこと。 貴女に出逢って初めて知りました。」
「本当に大切?.....私が?」
「はい。 じゃなかったら俺、とっくに押し倒してます。 俺は...俺が何より欲しいと願うのは、冴子さん、貴女の心です。 貴女の心が得られなかったら、抱いたって虚しくなるだけです。 貴女に触れたい...でも、でも...」
首筋にかかる熱を帯びた快彦の息は、痛いほどにその切ない想いを私に伝える。
「...私の心は、まだ何処かに迷いがあるの。 時にあなたの気持ちさえ疑ってしまう。快彦の私への思いは一時的な熱病のようなものじゃないか、って。」
「一時的なものだなんて... どうしてそんなこと。」
「私は、ずるくて弱いから...これからだってきっと迷ったり、あなたの気持ちを疑ったり、時にはあなたを傷つけるようなことを言うかも知れない。 怖いのよ...だって、どこにも逃げ道がない恋なのよ。」
「.....疑いたくなった時には、いつでも試せばいい... 事あるごとに俺の気持ちを確かめればいい。 どんな時だって俺は応えられますよ、この想いが一時的な熱病なんかじゃない、って。」
「快彦.....」
私は静かに快彦の腕を解き振り返ると、快彦の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせた。
この溢れる想いを、切なさを、彼に伝える方法は他に浮かばなかった。

先の事なんて、誰にも分からない。 こんなに必要としあう私達だって、もしかしたら明日になったら今日のことが嘘のように気持ちが冷めてしまっているかも知れない...今を考えていればそれでいいと、快彦の温もりが教えてくれた。
この世界が現実だろうが、嘘だろうが、今私が必要としているものは、すべて快彦の腕の中にある。 それだけは確かに言えることだった。

そう、例え嘘だって快彦の腕の中で見る嘘なら、それでも構わないと私は思った...


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