DESTINY 〜約束の出逢い〜 

(by 黎さん 1999.10.17up)

〜 Scene・5〜“the first part”


「大切な人だからこそ、触れられないんです。」

快彦が私にそう打ち明けたのは、つい先日のことだ。
その日いつものように私達は陶芸教室の帰りに待ち合わせて、二人でバラの花を見に行く約束をしていた。 何でも今、快彦のアパートの近くにある公園では秋のバラが季節を迎え、美しく花を咲かせているということだった。

私達は公園から少し離れたところに車を停めて、たわいもない話をしながら歩いていた。「何だか雲行きが怪しくなって来ましたね。」
「そうね...」
快彦の言葉に空を見上げて私が相槌を打つが早いか、大粒の雨が次から次へと激しく落ちてきた。
「雨?...とにかく、車に戻りましょう!」
「いや、ここからだったら車に戻るより俺んちに走った方が早いですよ。」
「え、でも...」
私が答えを返す間もなく、快彦はさっと私の手を取り走り出した。

繋いだ手から伝わってくる快彦の温もりに、私は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
ただ手を繋いでいるだけなのに、こんなにもどきどきするだなんて...
“そんなにも私は快彦のことが好きなの?”
と、それは自分の心に問いかけたくなるほどの激しさだった。

「ちょっと待ってて下さい、すぐタオル持ってきますから。」
玄関に私を入れると、快彦はそう言って部屋の中へとタオルを取りに走った。
「あ、傘貸してもらえればこのまま車に戻るから。」
私は快彦の背中に向かって言った。 何だかまだ胸の鼓動が治まらなくて、私はとてもこのまま、快彦と二人きりの部屋で過ごせそうになかった。

「だめですよ。 風邪引いちゃいますよ。」
慌てて戻ってきた快彦が言った。
「だって、初めてお邪魔するのに私、こんなびしょ濡れだなんて...」
動揺している自分に気付かれぬよう、雨水を吸収してすっかり重たくなったスカートを指で摘んで、私は“ほら”と快彦に明るく言ってみせた。
快彦は暫く何事かを考えている様子だったが、ふと何かを思い立ったように私の顔を見ると、いきなり手に持っていたタオルで私の髪を思いきり拭き始めた。

「!? やだ、何するの?」
突然のことに、私はただ驚いてそう言うしかなかった。
「...髪、濡れたままにしてたら風邪引くから。」
快彦はそれだけ言うと、さらに激しく手を動かした。
「ちょっと待って!...お願い快彦、やめて!」
「.....」
私が半ば悲鳴に近い声を上げると、ようやく快彦は手を止めた。
「やだ、髪ぐしゃぐしゃじゃない。」
私がめちゃくちゃになった髪を手で直しながら言うと、快彦は、
「これじゃ恥ずかしくて外、出られませんよね?」
と、まるでいたずらっ子の少年のように笑って言ってみせた。
「...やだ、信じられない。」
「...冴子さん、さっきから“やだ やだ”ばっかり言ってる。」
「え?」
思わず私達は顔を見合わせて笑った。 そういえば、こんな風に年相応の笑顔を浮かべる快彦を私は初めてみたような気がする。 こうやって少しずつ快彦の素顔に触れていきたい...私は胸に快彦への想いが込み上げてくるのを感じた。

「それにしても、思いっきり濡れちゃいましたよね...そうだ、着替え! 
服乾かさなきゃ。 あ、シャワー浴びますか?」
「え、シャワー? いい、いい、大丈夫よすぐ乾くから。」
あまりにも慌てて私が言うので、快彦は苦笑しながら言った。
「覗いたりなんてしませんから、安心して使って下さい。」
「え?...私、そういうつもりで言ったんじゃ...」
「分かってますよ。 さ、上がって下さい...着替え何か探しますからシャワー使って下さい。 それに...その髪、何とかしないと。」
快彦は私のくしゃくしゃになった髪を見て言った。
「あ、そっか...じゃ、借りようかな。」
「えぇ、そうして下さい。 すぐ着替え持って来ますから、ちょっと待ってて下さい。」快彦は笑顔でそう言うと、着替えを探しに慌てて部屋の中へと入っていった。


「どうして、こんなことになってるんだろう...」
私は少し熱めのシャワーを浴びながら、そんなことを思っていた。
気持ちを確かめ合ってからも私達の間には何もなかったし、二人で出掛ける所だって相変わらず美術館や公園といった場所ばかりだった。
私にはもうそれを不満に思う気持ちはなかったが、快彦は違ったのかもしれない。
心の繋がりだけではだめなのだろうか...この歳になってこんなことを言うのも何だが、私は真剣にそう思っていた。 快彦とそういう関係になってしまったら、後はもう、私達の間は壊れていくしかない...

出来ることならここから出たくないくらい...
快彦が用意してくれたパジャマに袖を通しながらも、まだ私はそんなことを思っていた。洗面所の鏡に映った自分に思わず話しかける。
“快彦が好きだからこそ、戸惑ってるんだよね...”
そう、この戸惑いの理由を私は知っている。 分かっているからこそ、これから起こるかもしれない二人の間の転機を怖れているのだ。 “結婚”というゴールがない以上、その転機の後に待つのは加速度を付けてやって来る“別れの時”だけだ。
私はそんな自分の気持ちを振り切るため軽く頭を振り、再び鏡の自分を見て言った。

“例えどんな結末を迎えることになっても、もう前に進むしかない...”

自分に言い聞かせるように、小さく頷いてから私は洗面所のドアを開けた。


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