渡し舟

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(PostPet兼用)

(大正時代の小説だと思って読んでください)

 書斎で原稿用紙に向かっていると、勝手口から人の声がした。
 妻か婆やが出るだろうと放って置くと、
「お留守ですか」
と言っているのが聞こえた。
 それで、妻は法事で里に行っており、婆やは買い物に出かけたままだということを思い出した。
 やむを得ずペンを置き、勝手口を開けると、麻袋を担いだ小僧が立っていた。
米屋の前掛けをしている。
 家の近くの、太った主人のいる米屋の小僧だ。
「毎度ありがとうございます」
 小僧はそう言って、板の間に、米袋をどすんと置いた。
 おそらく、婆やが、買い物に出たついでに配達を頼んだのだろう。
 婆やが帰ってくるのよりも、配達の方が早かったのだ。
「うむ」
 私は頷いて米櫃(こめびつ)を出そうとしたが、ありかが分からなかった。
 まごついていると、小僧は、
「入れておきますね」
と言って、さっと流しに入り込み、戸棚の下を開けて米櫃を出した。
 蓋(ふた)を開けると、枡をその蓋に乗せ、米袋を逆さまにして、ざざっ、と米をあけた。
 米は櫃の中に小高い丘を作った。
 小僧は、はそれをざっと均(なら)し、枡を納め、蓋をして米櫃を元に戻した。
 私は、ただ腕を組んで見守るばかりだった。
「毎度っ」
 小僧は米袋をたたみ、頭を下げて出ていった。
 パタパタという草履の音が遠ざかった。
 私は書斎に戻り、机に向かうと、一度はペンをとったが、すぐにそれを机に置き、頬杖をついて、机の上に広げた原稿用紙をぼんやりと見つめた。
 その時、書きかけの小説のことは、念頭から消えていた。
 米屋の小僧を見て、突然、ある記憶がよみがえってきたのだ。
 あれは、日露講和条約が結ばれたばかりのことだった。したがって、明治三十八年の秋のことだったことは間違いない。
 まだ独り身だった時のことだ。
 私は、寒くなる前に、と思って、鹿島の方へ三社詣でに出かけたのだった。
 なぜ鹿島へ行ったのかは覚えていないのだが、その頃、芭蕉の「鹿島紀行」を読んだのかもしれない。
 遠い方から参詣しようと思って、まず、鹿島神宮を参拝し、次に、息栖神社に詣でた。
 そして、宿は潮来にとった。
 潮来には水路が巡らしてあり、サッパと呼ばれる小舟が行き来しているのが物珍しかった。
 翌朝、利根川を渡り、香取神宮に詣でるために、道順を宿の者に聞くと、昔のような、三社詣での者のための船はないが、潮来から渡し船に乗って、対岸の佐原へ行くのがよかろうと言われた。そこからは、香取神宮への舟もあるという。
 教えられるままに、利根を渡るための渡し舟に乗ってみると、すでに、地元の者でほぼ満席になっていた。
 どんよりと曇った日だった。
 乗り合わせた客は、ほとんど皆顔見知りらしく、どこへ行くのか、今日の天気はどうか、など、他愛のない言葉を交わしていた。
 知る人のない私は黙っていたが、話は次第に、日露戦争の話題になっていった。
 何といっても、大国ロシアをうち負かしたのだ。気持ちの高ぶらぬはずがない。
 船頭は、私の身なりから、旅の者と見極め、
「お客さんは東京ですか」
と、尋ねてきた。私が頷くと、こう尋ねた。
「東京では、にぎやかに祝勝会があったそうですね」
 私は少し笑って、去年の提灯行列の話をした。
「そうだね。大した人出だったよ。どこからこんなに人が湧いて出るのかと思うくらい、提灯を持った人が集まってね。東京中が提灯で埋め尽くされるのかと思ったよ」
 なにしろ、その時は、死人が二十人も出たほどで、東京市民の喜びようは、ほとんど狂気に近かったのだ。
 乗り合わせた人々は、私の話に聞き入っていた。
 私は、皇太子ご成婚の時も大変な人出だったが、祝勝の行列の方がにぎやかだったように思う、と言って話を終えた。
 その後は、ロシアのクロパトキン将軍の退却ぶりがどうの、という、新聞で伝えられた話の受け売りをしたり顔で話すがいたりして、しばし船上は談笑の場と化した。
 私は煙草を出してくわえ、ついでに船頭に勧めた。
「すみませんねえ」
 船頭は笑顔で一本抜き出すと、腰に下げた筒から煙管を出し、それに巻き煙草を差し込んで、私が口にくわえた煙草から火を移した。
「どうも、これをくわえなくっちゃ、吸った気がしないんでさあ」
 そう言って笑い、船頭は船着き場に目を向けた。
 その時になって気づいたが、そこには、親子連れらしい三人が立っていた。
 十二、三の少年が、両親とおぼしい男女に送られてきたようだった
 父親らしい男は、痩せていて、顔には、それまでの生活が刻んだものと思われる深い皺が幾本もあった。
「父ちゃんに甲斐性がないばっかりに、お前に苦労かけるな……」
 そんなことを言って、涙ぐんでいるようだった。
「同じことばっかり言ってらあ。いいんだよ。俺は東京に行きたかったんだよ」
 送られてきた少年は、明るくそう言っていた。
「東京には、悪い人もいるっていうから、気をつけてな、よしひこ」
 そう言う母親らしい女は、身なりこそ貧しく、肩につぎの当たった着物を着ていたが、ひなびた土地には似つかわしくないほど、色が白かった。
 どうやら、東京へ奉公にでる息子を見送りに来たらしい。息子の名がよしひこであることは分かったが、字はどう書くのか分からない。仮に快彦と字を当てておく。
 快彦少年は、すり切れた絣(かすり)の着物に兵児帯(へこおび)という姿で、風呂敷包みを一つ抱えていた。
「さあ、もういいだろう。乗った乗った」
 船頭が、煙草を吸い終え、明るく声をかけた。
 それに促され、快彦は、身軽に飛び乗った。
「なにぶん、よろしくお願いします」
 父親が、船頭に頭を下げた。
「ああ、大丈夫だよ。通運丸の乗り場までちゃんと連れてくから」
 船頭の声には、相手を安心させようと、豪快さを装う響きがあった。
 知らぬ人もあると思うので書いて置くが、通運丸というのは、千葉の銚子と東京の日本橋を結んでいた蒸気船の名だ。
 外輪船で、銚子から東京までをわずか十八時間で結んでいる。
 最近は、鉄道に押されて客足が遠のいているという噂もあるが、まだ運行されているはずだ。
 その通運丸の乗り場に、奉公先の者が迎えに来ているのだろう。船頭は、そこまで、快彦少年を送ることを頼まれていたわけだ。
 そして、別れを惜しむ親子のために、舟を出すのを少し遅らせていたらしかった。
「じゃあ、行って来るから」
 快彦は少し手を振った。
 父親は黙ってそれを見ている。
 船頭が竿をつき、船着き場から小舟が離れると、母親はもう見ていられず、袂を顔に押し当てた。
 潮来の水路は入り組んでいて、辻のようになっているところも多い。
 快彦の両親の姿は、すぐに見えなくなった。
「よしくんは、東京に行くんだってな」
 顔見知りらしい客が話しかけた。
「うん。米屋で働くんだ」
 快彦が明るく答えると、
「そうか、偉いな」
「帰ってくる時は、洋服で来るか」
などと、回りの客がみな快彦の方へ顔を向け、しばらくは、その少年が話題の中心となった。
 快彦少年は、細い目をさらに細くしながら、笑顔で頷いていた。
 左右に揺れながら、舟は水路を滑っていく。
 別れのせつなさなどみせず、快彦少年は、話しかけられると、快活に受け答えしていた。
 両親との別れよりも、東京という新天地への夢の方が大きいのだろう。
 奉公に出れば、丁稚として働くことになるはずだ。
 店の屋号の入った前掛けを締め、名も「よしどん」と変えられ、朝から晩まで走り回ることだろう。
 その姿が目に浮かぶようだった。
 舟は、船頭の竿さばきで、利根川へ向かっていく。
 所々に橋があったが、船の妨げとならぬよう、太鼓橋のようになっているものもあった。
 やがて、水路の角を曲がった。
「あんちゃーん」
 突然、頭上から声が降ってきた。
 舟の者が頭を上げると、行く手の橋の上に、子供が三人立っていた。もっとも年上の子供でも、十歳になったかどうかだったろう。
 みな、肩揚げをした着物をまとった男の子ばかりだった。
「あんちゃーん」
 子供たちは声をそろえ、こちらに向かって手を振っている。
「おーい」
 舟からは、快彦少年が手を振り返した。
 舟はすぐにその橋の下に達し、子供たちは橋の陰に消えた。
 しかし、橋の下を通る時、バタバタという足音が聞こえ、橋を抜けた時には、子供たちは反対側から、舟を見送っていた。
「ごーう、けーん、じゅーん」
 快彦少年は、大きく手を振りながら、橋の上に向かって叫んだ。
 弟たちが見送りに来たのだろう。
 小さな弟たちは、その細い腕を必死になって振っている。
「あんちゃーん」
 一番小さな子供は泣いていた。それを見て、年上の弟が、
「泣くな、じゅん」
と、たしなめていたが、そう言う自分自身が、必死になって涙をこらえていることは、誰の目にも明らかだった。
 真ん中の弟と思われる子供は、無言で手を振っていた。何か言えば、涙があふれてしまうので、黙って手を振っているようだった。
 舟はすぐに、水路を折れ、子供たちの姿は見えなくなった。
 黙って快彦と弟たちを見ていた客たちは、またにぎやかになった。
 しかし、さっきと違って、快彦少年は、無言で行く手を見つめていた。
 あの時の、快彦少年の横顔は、今も私の心の中にある。
 清国に続いて、大国ロシアをもうち負かした日本。
 前途は洋々たるものと思われていたが、私の心底には、何か素直にそう信じ切れぬものがあった。
 その時、その気持ちが、快彦少年となって私の前に現れたような気がしたのだ。
 彼はこれから、おそらく家族のために、未知の土地へと旅立っていくのだろう。
 その未来は明るいものなのだろうか。未来は常に輝かしいものなのだろうか。
 少年のゆくてには、後に残された弟たちの涙を乾かすだけの未来があるのだろうか。
 私もまた、無言で、舟のゆくてを見つめていた。

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