親恋はぐれ鳥

(おやこいはぐれどり)

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これはhongmingが書いたものです。感想などはこちらへ→
(postpet兼用)

 長谷川伸(はせがわ・しん)という作家をご存知でしょうか。
 時代小説・戯曲を数多く発表し、「股旅(またたび)もの」というジャンルを確立した人です。
 長谷川伸は、最初は股旅ものを多く書き、後には、「荒木又右衛門」のような、資料を丹念に調べた長編小説を書くようになりました。
 だいぶ前から、長谷川伸の股旅ものを読んでみたいと思っていたのですが、やっと去年「荒木又右衛門」を図書館で借りて読むことができたものの、股旅ものは見あたりませんでした。
 「一本刀土俵入り」は、舞台中継をテレビで見ることができましたが、舞台は原作通りかどうかわからないし、ますます、本で読んで見たいと思うようになりました。
 念願が叶ったのはつい最近で、「瞼の母」「一本刀土俵入り」「沓掛(くつかけ)時次郎」など、有名な作品をまとめて読むことができました。
 「なるほど、こういう話だったのか」と、興味深く読み、自分も書いてみたい、と思って書いたのがこれです。

 若い方は、「股旅もの」や「渡世人」と言っても、それがどういうものなのか、イメージがわかないと思います。
 渡世人というのは、簡単に言えば、やくざ者ですが、「股旅もの」では、旅から旅のさすらいの生活をしていることになっています。
 帰るべき故郷もなく、行き先のあてがあるわけでもなく、自分の腕を頼りに生きているわけです。
 生活費はどうやって得るのか、というと、バクチで稼ぐか、各地の親分のところに草鞋を脱ぎ、客として世話になり、その代わり、何かあれば助っ人としてその親分のために命がけで働くのです。
 武士以外は、特別に許可を得ない限り大刀は持てなかったのですが、脇差しを持つことは許されていたので、脇差しという名目で刀を差していました。長くても脇差しなので「長脇差し(ながわきざし)」と呼んでいました。
 脇差しだけですから、武士と違って刀を二本差すことはありません。「一本刀土俵入り」の「一本刀」というのは、渡世人であることを表しているわけです。
 どんな格好をしているのかというと、「V6病棟」の木枯らし剛次郎、あれが渡世人のスタイルです。
 あの姿を思い浮かべながら読んでください。


 山道。
 日がだいぶ傾いている。
 准一、健、剛の三人が、まわりの様子をうかがいながら歩いている。
 それぞれ長脇差しを差し、一見してやくざ者と分かる。
 准一と健は着流しに草履。
 一番後ろの剛だけが、手に菅笠(すげがさ)を持ち、道中合羽を右肩に掛けている。足袋の上から草鞋をはき、手甲もつけている。
 崩れかけた地蔵堂の手前で、先頭の准一が立ち止まる。
准一「この角の先や」
 後の二人も立ち止まる。
健「一息入れようぜ」
 二番目の健がそう言って、手近な石に腰を下ろすと、准一も腰を下ろす。
 笠を手にした剛だけは腰を下ろさない。
剛「ひとまず、あっしが様子を見て参りやしょう」
 その言葉に、腰を下ろした二人は腰を浮かしかける。
准一「そらあかん。客人(きゃくじん)一人に行かせられんがな」
健「一休みしたら、三人で行こうぜ」
 二人は、そう言って手を振る。
剛「お二人さんは、顔を知られておいでです。あっしなら、ただの旅人(たびにん)にしか見えねえでしょう」
 剛だけは、旅の途中に見える。
准一「そりゃ、そうやけど」
剛「それに、もし狙う相手が留守のところに踏み込んじまったら、用心させるだけになっちまいます」
健「やつがいるのを見極めて、ってことかい」
剛「へえ」
健「そうかい、済まねえな。やつの家はこの先のすぐだ。一軒家で間違えようがねえ」
剛「しばらくお待ちなさっておくんなさい」
 剛はそう言うと、早足に角を曲がっていく。
 准一と健はそれを見送る。
准一「たいしたもんやなあ」
健「親分も言ってたが、あれだけの度胸と腕があるのに、あれだけ腰が低いのはそうはいねえだろう」
准一「うちの親分の杯を受けてくれたらええのに」
健「旅の途中で、それはできねえとよ」
准一「何でも、親探しの旅っちゅう話やったなあ」

 剛は山道を抜け、畑に挟まれた道に出る。下り坂になっていて、向こう側の斜面に茅葺き屋根が見える。
剛「ははん、あれだな」
 剛は、歩調を落とし、家のようすを見ながら近づいていく。
 戸を閉め切ってあり、人影はない。
 庭を鶏が歩き回っている。
 家のすぐそばまで来ると、屋根の煙出しから薄い煙が上っているのが見える。
 剛は、足音を盗んで裏に回る。
 裏には、裏の壁に寄せて薪が積んである。その陰に隠れて、耳を澄ますと、声が聞こえる。

 家の中。
 戸を立てきっているので暗いが、囲炉裏で火が燃えていて、その横にいる二人(息子の快彦と母のおヒロ)が見える。
快彦「すまねえ、おっかさん」
おヒロ「ほんとうに、どうすりゃあいいんだろう」
 奥の座敷から、父の昌行の咳き込む声が聞こえる。
おヒロ「おとっつぁんはあんな風だし、頼りの息子は、やくざの道に入ったかと思うと……」
快彦「俺が、俺がバカだったんだ。もう懲り懲りだ。すっぱり足を洗うよ」
おヒロ「足を洗うったって、快彦。お前は、大それたことをしでかして、命を狙われてるっていうのに」
 快彦は床板に手をつき、うなだれる。
 おヒロは、声を押し殺して泣く。
 座敷からおヒロを呼ぶ声がする。
昌行「おヒロ、おヒロ」
おヒロ「なんだい、お前さん」
 おヒロは、涙を拭きながら立ち上がる。

 家の裏。
 剛は、壁から耳を離し、少し考えてそっと歩み去る。

 地蔵堂の前。
 准一と健のところへ、剛が戻ってくる。
 二人はそれを見て立ち上がる。
剛「おりやしたぜ」
准一「なら、踏み込んで」
健「バッサリ、だ」
 剛は、はやる二人をおさえる。
剛「いやいや、ここはあっし一人にやらせておくんなさい」
准一「一人で大丈夫かいな」
健「あいつだって、死に物狂いでかかってくるだろう」
剛「いやいや、あんな三下相手に、三人でかかったとなっちゃ、あっしの名がすたります。自慢するわけじゃござんせんが、この喜多川の剛、数を頼みに人を切ったことはござんせん。ここは一つ、あっしに譲ってやっておくんなさい」
准一「そりゃあ、お前さんの腕なら、軽いもんやろが」
剛「それにまた、あっしはどうせ草鞋を履く身。この土地のあにさん方が下手人とばれて、お目こぼしにあずかれるとは請け合えますまい」
 准一と健は顔を見合わせ、頷く。
健「そんなら、ひとまず、お願いいたしやす」
剛「勝手な願い、聞き届けてくださって、ありがとうござんす」
 剛は腰をこごめて頭を下げると、手にした菅笠を地蔵堂の脇に裏返しに置き、合羽を畳んでその中に置く。
 次に、懐から荒縄を出して手早くたすきがけにする。
剛「では、しばらくお待ちを」
健「お頼み申します」
剛「へい」
 剛は足早に去る。
 准一と健はそれを見送る。
健「大丈夫かな」
准一「あの人の腕なら、どうってことないやろ」
健「それだけじゃなくて、よ」
准一「何やねん」
健「親分からたっぷり礼金は貰ってある。このままずらかる気なら……」
准一「俺らをだますっちゅうんかい」
健「まさかとは思うが。やけに一人で行きたがってたのが、どうもな」
准一「そう言や、そうやな」
健「そっと見てた方がいいんじゃねえか」
 二人は、剛が去った方へ歩いていく。
 角を曲がっても剛の姿は見えない。
 木立が切れるところで木の陰から見ていると、剛が戸を蹴破って中に踏み込むところが見える。

 家の中。
 戸を蹴破って剛が飛び込んでくる。
 驚いて立ち上がる快彦。奥からおヒロが顔を出す。
 剛は快彦をにらみつける。
剛「やい。快彦」
 快彦は口を利けず、後ずさりする。
剛「渡世の義理だ。死んで貰うぜ」
 快彦はまた後ずさりし、敷居に足がかかって尻餅をつく。
 おヒロが慌てて、剛の前に立ちはだかる。
おヒロ「これは快彦なんかじゃございません。人違いでございましょう」
剛「どけ。用があるのはその快彦だけだ」
 快彦は尻餅をついたまま、座敷の中へ後ずさり。
おヒロ「息子は、快彦なんて人じゃないんです」
 剛は一歩踏み出し、気圧されておヒロは一歩下がる。
剛「そっちじゃ俺の顔は知らねえだろうが、こっちは賭場でしっかりその顔を覚えさせて貰ってるんだ。今更じたばたするんじゃねえ」
 剛はすらりと脇差しを抜く。刃が、囲炉裏の火を反射してきらめく。
 おヒロは膝をついて剛に取りすがる。
おヒロ「快彦が、うちの息子が、何をしたっていうんですか」
 剛は、うるさそうにおヒロを突き飛ばす。
剛「知りてえなら教えてやろう。お前の息子はな、賭場のあがりを盗みやがった。親分の顔に泥を塗ったのよ」
 おヒロは剛の足元に這い寄り、またすがりつく。
おヒロ「お金なら、お金ならなんとかします。堪忍してやってください」
 剛は、冷たい目でおヒロの顔を見下ろす。
剛「ふざけたことをぬかすんじゃねえ。金なんざ返して貰ったところで、しめしはつかねえんだよ。償いは命でするものと、相場が決まってるんだ」
 剛は、おヒロを押しのけ、座敷に入る。
 快彦は、ずるずると隅に追いつめられる。
剛「覚悟しやがれ」
 その時、昌行が這うようにして剛の右足に抱きつく。
昌行「快彦、逃げろ。今のうちに逃げろ」
 快彦は、慌てて裏に出る戸を開けるが、剛の足にしがみついている昌行を見て迷う。
剛「快彦、てめえ、親父をおいて逃げる気か。親父はどうなってもいいのか」
昌行「逃げろ。快彦、逃げろ」
剛「ええい、うるせえ」
 剛は昌行を蹴り倒し、快彦に詰め寄る。
剛「てめえ、逃げやがったら、親父もお袋もただじゃおかねえぞ」
 快彦はそれを聞いてへたり込む。
快彦「親には手出ししねえでくれ」
剛「観念したか」
 快彦は黙って頷く。
 昌行は、体を起こし、後ろから剛に抱きつく。
昌行「代わりに、代わりにわしを……」
 剛は、抱きつかせたまま、後ろに顔を向ける。
剛「代わりはきかねえんだよ」
 隣の板敷きから、おヒロが這い込んでくる。剛はそちらへ顔を向ける。
おヒロ「た、旅の方じゃないのかい。見逃してよそへ行っておくれ」
剛「確かに俺は旅人(たびにん)だ。だがな、一宿一飯の恩義にあずかった以上、命をあずけたも同然よ。三下一人の首が欲しいと言われりゃ、それを取ってこなけりゃ、男じゃねえ」
おヒロ「人でなしっ! 鬼っ!」
剛「何とでも言え。筋が通れば親でも殺す、筋が通らねえなら親の仇でもかくまう。これがやくざ渡世の掟よ」
 剛は昌行を振り払うと、脇差しの切っ先を快彦に向ける。
剛「言い残してえことがあるなら、今のうちだぜ」
 快彦は、床に手をついて昌行に頭を下げる。
快彦「おとっつぁん。堪忍してくれ。俺は生まれてこなかったものと思ってくれ」
昌行「快彦」
快彦「済まねえ。こうなったら、何とかして弟を呼び戻して、おとっつぁんの後を継がしてくれ」
剛「何だ、弟いるのか」
快彦「ここにはいねえ」
 剛の後ろでおヒロがわっと泣き出す。
おヒロ「こんなことになるんなら、こんなことになるんなら……」
 昌行はおヒロの方へ顔を向ける。
昌行「今更どうにもならねえ」
おヒロ「あの子を、手元に置いておけば……」
 おヒロは泣き崩れる。
 昌行はだまって俯く。
 剛は、おヒロと昌行を見比べ、快彦に尋ねる。
剛「弟は、奉公にでも出したのか」
快彦「奉公じゃねえ。里子だよ」
剛「里子……」
快彦「俺が三つの時のことだ。弟を生んだあと、おっかさんの産後の肥立ちが悪くて寝付いちまったし、乳も出なかったんだ。おとっつぁんは畑に出にゃならねえし、このままじゃ育てられねえっていうんで、里子に出したんだ」
剛「……」
快彦「俺は赤ん坊のことはよく覚えてねえけど、おとっつぁんとおっかさんが泣いてたのはよく覚えてる。もう少し暮らしが楽なら里子に出さなくても済んだのにって、二人で泣いてたよ」
剛「どこに出したんだ。遠いのか」
快彦「遠い。喜多川の方だそうだ」
 剛は無言で快彦の顔を見つめ、次に昌行を見る。
 昌行は、顔を上げ、快彦を見る。
昌行「もういい。やめろ」
 快彦は、剛に向かって手をつき、頭を下げる。
快彦「あんた、俺を切ったら旅に出るんだろ。頼みがある。弟を捜してくれ。生みの親がここにいるって、知らせてやってくれねえか」
剛「知らせてどうなる。貰われた先での跡取りになってるんだろう」
快彦「そりゃそうだろうが、もし後から息子が生まれてたら、そっちに譲ってやって、うちに戻ってくるように」
昌行「やめろ、快彦。こんなうちに戻ってくるより、里親のところにいるほうが楽な暮らしに決まってる。あいつのためにも、戻ってこねえ方がいいんだ」
 剛の後ろでおヒロが泣く。
おヒロ「こんなことなら、こんなことなら……」
昌行「あの子のことは忘れるんだ」
おヒロ「忘れられるもんかい。ちっちゃくて、顔にホクロがいっぱいあって……」
 剛は昌行とおヒロを交互に見る。
昌行「泣くんじゃねえ、おヒロ。里親だって親は親だ。子のことを思わねえ親はねえ。あの子はきっと、跡取りとして大事にされてるに違いねえんだ」
剛「それはどうかな」
 昌行とおヒロが顔を上げて剛を見る。
剛「貰われていった先は、そん時は息子がなかったんだろうが、後から息子が生まれてみねえ。親にしてみりゃ、実の子の方がかわいいに決まってらあな」
昌行「まさか……」
剛「それにだな、里子だと知らなきゃ、まだよかったろうが、本当のことを知った時には、どう思うか。何で他人にくれてやったんだと、今頃恨んでるかもしれねえぜ」
おヒロ「あの時、あの時、あたしが丈夫だったら……」
剛「里親には冷たくされ、生みの親を恨み、今頃はお定まりのやくざ稼業ってことだってあるだろう」
 快彦が立ち上がる。
快彦「やめろ。もういい。知ってるわけでもねえのに、勝手なことを言うな。おとっつぁんたちだって、泣く泣く手放したんだ。やくざになんかなるわけねえ」
 剛は冷たく笑う。
剛「話がすっかり脇道に入り込んじまったな。さあ、そろそろ片をつけようか。こんなボロ小屋でも、血で汚されるのは嫌だろう。外に出ろ」
 剛は、快彦を裏へ突き落とす。
昌行「やめろ。勘弁してやってくれ」
おヒロ「人殺し! 人殺しーっ!」
 剛は、快彦に続いて飛び降りる。

 木立の中。
 健と准一の顔を夕日が照らしている。
健「やけに静かだな」
准一「どないしたんやろ」
健「加勢に行かにゃならねえかな」
 そこへ、風に乗って、おヒロの、「人殺し」という叫び声が聞こえる。
 健と准一は頷き合い、地蔵堂の方へ戻っていく。

 座敷。
 剛が、快彦の頭から切り取った髷(まげ)を手に、外から戻ってくる。
 昌行とおヒロは、それを見ておののく。
剛「これも渡世の義理だ。悪く思うなよ」
 昌行は、無言で剛にむしゃぶりつこうとするが、体をかわされ、床に倒れる。
 剛は、そのそばにしゃがむ。
剛「さっきは蹴倒して悪かったな。もう息子もいねえし、この土地にはいねえ方がいい。すぐにでもよそに行くんだ」
 剛は、懐に手を入れ、小判を十枚重ねたものを取り出し、そこへ置く。
剛「これで小商いでもするんだな。畑仕事よりは楽だろう」
 剛は、そう言うと立ち上がり、出ていこうとする。
 昌行は、小判をつかんで剛に投げつける。
 小判は剛の背中に当たり、音を立てて床に散る。
 剛は足を止め、床の小判を見つめ、振り返って昌行の顔をみる。昌行は剛をにらむ。裏の戸からの明かりで、剛の顔がはっきりみえる。剛は首を振り、無言で立ち去る。
おヒロ「人殺し! 人殺し!」
 剛が外に出ると、鶏が餌を探して歩いている。
 剛は、何を思ったか、脇差しをぬくと、その鶏に切りつける。鶏は一声叫んで倒れる。
 剛は、脇差しを鞘に収めることなく、そのまま手に提げて立ち去る。

 座敷。
 おヒロは座り込んで泣いている。
 昌行は、裏口へ這って行き、外を見る。
 するとそこには、髷を切られただけで無傷の快彦が、ほうけたように座り込んでいる。

 地蔵堂の前。
 健と准一が腰を下ろしているところへ、抜き身を下げた剛が戻ってくる。
剛「おそくなりやした」
健「うまくやったようだな」
剛「へえ。首を提げて歩くわけにもいきますまいから、首代わりに髷を切ってまいりやした」
 剛が髷を差し出すと、健が受け取る。
 准一は、剛が手にしている脇差しをじっと見ている。
 剛は、今初めて気がついた、というように、脇差しをかざす。
剛「やつのお袋がうるさくわめくもんで、慌てて、抜き身のまま走って参りました。血糊がべっとりだ」
 剛は、懐から紙を出し、脇差しについた鶏の血をぬぐう。
准一「ほな、行こか。街道まで送らせて貰うで」
剛「お志、ありがとうござんす。お気持ちだけ頂いておきやす。お二人はどうぞ親分さんの所へお戻りください。あっしは、しばらくここにおりやす」
健「ここにいてどうする」
剛「親父もお袋も、脅しつけてはおきましたが、村役人の所へ届けねえとも限りません。ここを通るでしょうから、そん時には、ひと思いに……」
准一「よう気がつくなあ」
健「じゃあ、そうさせて貰うぜ」
剛「へえ。親分さんによろしくお伝えください」
准一「道中ご無事で」
剛「ありがとうござんす」
 健と准一が立ち去り、快彦はそれを見送る。
 虫の声が聞こえ始める。
 剛は、二人が充分遠くへ行ったのを見届け、昌行の家の方へ向き直り、膝をつく。しばらくうなだれていたが、拳で、自分の股(もも)を何度もたたく。
剛「この足で、この足で、おとっつぁんを蹴り倒しちまった。済まねえ。知らなかったんだ、堪忍してやっておくんなさい。里親は、冷たくなんかしなかった。弟をかわいがるのを見て、俺が、勝手にひがんでただけなんだ。実の親に会ってみたくて、血のつながった子に跡を継がせてやるなどと、大見得切って飛び出したはいいが、何のことはねえ、ただの恩知らずだ」
 剛はそう言って、拳で目をぬぐい、立ち上がる。ゆっくりと笠をかぶり、合羽をまとうと、笠を少しあげてもう一度、昌行の家のあたりを見る。
剛「会えてうれしかったぜ。おとっつぁんの顔も、おっかさんの顔も忘れやしねえ。瞼を閉じりゃあ、いつだっておとっつぁんたちの顔が浮かんでくらあ」
 そこへ、昌行が、角を曲がって現れる。昌行は杖をつき、よろよろと剛に歩み寄る。
昌行「お前さんは……」
 剛は一歩さがる。
剛「何だ」
 昌行は、笠の中の剛の顔をのぞき込む。
昌行「お前さんのそのホクロ、生まれた時からのもんだろう」
剛「ホクロがどうしたい」
昌行「間違いねえ。お前さんは喜多川の……」
剛「おっと、おいらは喜多川なんて土地には足を踏み入れたこともねえ。それに、おいらにゃ、ちゃんとした親がいるんだ」
昌行「しかし……」
剛「こんな所をうろついてると、ろくなことはねえぜ。さっきも言ったが、よそに行くんだ」
 昌行は何か言いかけるが、剛はくるりと身を返す。
剛「達者でな」
 剛は、街道の方へ足早に去る。
 昌行は、杖にすがったまま、不思議そうにその後ろ姿を見送る。
 淋しげな風が吹きすぎ、木々を揺らす。


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