ぶいろく地蔵

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 むかーしむかしのことだけどな。
 この村は、日当たりはいいが、水が足りんで、日照りになることが多かった。土地も砂地でやせてるもんだから、ろくろく米ができんで、食うにも困ることが多かったんだと。
 それでな、何年かに一度は死人も出るほど米や野菜の出来が悪いことがあったんだと。
 ところがな、よその土地には、水が足りんでも、砂地でもようできる芋があるという話が聞こえてきた。
 こんなところにも、年に一度は薬売りが来たし、山でお椀なんかを作って売りに来るものもおったから。そうそう、鍛冶屋も来た。いくら器用でも、鎌や鍬は作れんもの。
 それでな、だんだんみんな、その芋が手にはいらんもんかなあと思うようになってきた。その芋の話をする者も、自分の目で見たわけではない。ただ、そういう話を聞いた、というだけのことだった。何でもその芋は、ほれ、あの西の山の向こうの土地にはある、ということじゃった。ところが見ての通り、とてもとても、あの山を越えていく、なんぞということはできることではなかった。誰も山の向こうまでいった者はおらんし、山の向こうから人が来たこともなかった。
 でもな、何とかしてあの山の向こうの土地へ行って、その芋を持って帰ることができんかなあ、とみんな思うておったのよ。
 ある年のことだけどな、冬に雪が少なかった。雪が少ない年は、水が足りんことになる。これはもう、そう決まっとる。
 それでな、少しばかり降った雪がなくなった頃、村の寄り合いがあってな、何か考えねばならん、ということになったんじゃ。山の向こうから芋を持ってくることができればよかろうが、そんなことはできることではない。かといってこのままではまた水不足で米も野菜もできは悪かろうし、死人がでるかもしれん。
 それでみんな集まったわけだが、誰にもいい知恵はない。山の向こうに行くなんぞということは、できっこないと思っておったから。それでみんな困って黙り込んでしまった時な、
「俺が山の向こうに行ってみる」
ってな、立ち上がった男がおった。その男は、昌行というて、はたちをすぎてもなかなか一人前扱いされない男じゃった。
 みんなが驚いて昌行を見ると、
「俺も」
「俺も」
と続けて五人の若い衆が立ち上がったのよ。あわせて六人。そんでみんなは、はあ、びっくり。その六人はな、みんな次男坊や三男坊で、分家もできそうになくて、ひまさえあれば歌ったり踊ったりしてうさを晴らしておったんだが、どうせしょうもない暮らしをしていくなら、思い切って何かやってみようかいと、前からしめしあわせておったんじゃ。昌行のほかに博と快彦もはたちは過ぎておったが、残りの三人の、剛と健と准一というのはまだはたち前じゃったそうだ。
 みんな驚いたし、家族は止めようとはしたんだが、どうしても行くと言い張るし、まあ、こう言ってはなんだが、その六人なら、もし生きて帰ってこれんでも、どうということはない。もし芋を持って帰ってくれば天のお助けじゃろうということで、その六人に行ってもらうことになったそうだ。
 山の向こうに行く、という日には、その日ばかりは朝から腹一杯飯を食わせてもらって、ナタを持って、竹で編んだ小さい籠を背負って出かけたんだと。
 弁当にはな、みんな握り飯を六つずつこしらえてもらった。その日の昼から一つずつ食べれば、あさっての朝まではある。あさってになっても山の向こうに出られんかったら、そらもうしまいよ。
 六人はな、村のみんなに見送られて西の山に入って行った。ずんずん山を登って行くと、昼にはもう道がなくなってしまった。そこで握り飯を一つ食って、それからまた歩いて行くと、崖になっておった。
 崖の段のところが、どうにか人が一人通れるくらいで、ほかには行けそうなところもない。下に落ちたら、とても助からんほどの高さだし、上を見ると、すぐ上には大きな岩があって、ひさしのように突き出しておるが、今にも落ちてきそうに思えて、みんなそうっとそうっと、そこを通って行った。後は少しは楽で、ずんずん山の中を西へ歩いて行った。夜には火をたいて、また握り飯を一つ食ってみんなで固まって寝たんだと。
 次の日は早く起きて、また握り飯を食って、ずんずん山を登って行った。道々、ナタで木に印を付けて、帰りに迷わんように、遅れた者があってもついてこられるようにしておいた。昼になったらな、今度は深ーい谷があった。とても飛び越せんし、いっぺん下まで降りられるようなところじゃない。もちろん、落ちたらとても助からん。
 そこでな、大きな木を向こう側に倒して橋にしようと博が言い出してな、握り飯を一つ食って腹ごしらえをしてから、近くに生えておった太い木を、みんなでナタで切ってみた。なかなかナタできれるもんではないが、六人交代で切って、うまいこと木を向こう側に倒すことができた。
 「俺が言い出したことだから」
と言ってな、博がまず渡ってみた。おっかなびっくり、木にまたがって向こう側へずりずり渡ったそうじゃ。博が渡れたんで、あとの五人も一人ずつ渡ることにした。ところが、二人目に昌行が渡っとる途中、向こう側にある木の先がずるずる動いてしまった。そのままでは昌行が木と一緒に落ちてしまうんで、博はあわてて手で押さえながら、足を木の下に差し込んで動かんようにしたんだが、そん時、なんとまあ、木があんまり重いもんだから、博の足は、ボキリと折れてしまったんだと。それでもまあ、昌行が渡り終わるまではこらえておったんだが、あまり痛くて、倒れて動けんようになってしもうた。渡り終わった昌行は、あわてて博の足を出してやって、わきに寝かせたんだが、博はもう動けん。昌行は、木を押さえて後の四人を渡してやると、どうしたもんか相談したと。
 博がな、
「俺はもう動けん。ここで待っとるから、帰りにおぶって連れて帰ってくれ」
と言うもんで、みんなは、雨があたらんように木の下に運んでやったと。それでみんなが、
「気持ちをしっかり持って待っとれよ」
と言うて歩き始めたら、博が、
「昌行にだけ、頼みがある」
と言うんで、昌行だけ戻って話を聞いたんだと。
 博の頼みを聞いた昌行がみんなに追いつくと、みんなは何を頼まれたか聞いたが、昌行は、
「もし帰りに死んどったら、親に遺言伝えてくれ、と、気弱なことを言っとたから、どやしつけてきた」
と、笑ったそうな。
 道々印を付けながら登っていくと、その日のうちに山のてっぺんを越えることができた。少し下り道になってちっとは歩くのが楽になった。しかし、その日の夜と次の日の朝にまた握り飯を一つずつ食うて、これでもう握り飯はしまいじゃ。下り道でも歩けば腹が減る。昼を過ぎて、空きっ腹を抱えて歩いていると、とんでもないもんに出おうてしもうた。何かというと、熊じゃ。冬の間じーっと寝ておった熊が目を覚まして、何ぞ食いもんはないかとうろうろしとるところにぶつかってしもうたんよ。
 みんなはナタを握りしめたけど、そんなもんで勝てる相手ではない。第一、近くに寄ることもできん。熊はもう、何でも食えればいいと思って走ってきた。熊は走ればけっこう速いもの、とても逃げられるもんではない。するとな、快彦が、棒きれを拾って、それで熊に打ちかかっていった。棒きれで打ったくらいでは、熊はまいらん。怒って快彦の方へ飛びかかった。するとな、快彦はみんながおらんほうへ逃げながら、
「今のうちに行け」
と怒鳴ったんだと。自分が熊を引き受けるから、みんな逃げろということよ。そしたら、昌行はすぐに年下の三人をひっぱって歩き始めたんだと。三人は、快彦を捨てては行けんと言うたけど、昌行は、
「ここでみんな死んでしまうわけにはいかん」
と言うて、無理矢理引っ張って行ったと。
 その日、日が沈んでも、ふもとまでは降りられんで、山の中で寝ることになったが、もう握り飯もないし、腹が減って死にそうになったが、昌行が、
「こんなこともあろうかと、俺だけ二つよけいに握り飯を持ってきた」
と言って、握り飯を二つ出したんだと。それをな、半分ずつにして、四人で食べたんだと。年下の三人は、さすが昌行だと、感心しいしい食べたんだと。
 次の日はもう食べるものはすっかりない。四人でふらふらしながら山を下りていくと、夕方になって、とうとう村に着いたんだと。村のもんは、見慣れん男が四人、ふらふら山から下りてきたんでびっくりしたが、訳を聞いて感心して、芋も持たせてやることにしたんだと。
 山の向こうの村に着いた四人は、次の日に、芋の作り方をよくよく習って、昼飯を食わせてもらってから、握り飯を作ってもらって帰ることにした。
 昼飯を腹一杯食わせてもらって、こんどは握り飯を八つずつ作ってもらって、みんな背中の籠に芋をいっぱい入れて、山を登り始めたんだが、一度来た道だし、道々印も付けておいたんで、迷わずにすんだんだと。それでな、その次の日には、来る途中、熊が出たところに来たが、そこに、着物の切れ端が落ちていたのよ。拾ってみると、快彦の着物で、血がべっとりついておったんだと。それでな、四人で泣き泣き切れ端を拾って懐に入れて山を登って行ったんじゃ。
 その次の日には、博を置いてきたところに着いたが、着いた時には、博はもう冷たくなっておったんだと。そこでな、昌行が言うには、あん時、博が昌行に頼んだのは、自分の握り飯を持っていってくれということだったんだと。じいっと寝ていれば何日かは食わんでいられよう。歩かなくてはならんもんが持っていった方がいい、と言うて、無理に持たせたんだと。昌行が、泣き泣きそう言うのを聞いて、若い三人も泣いたのよ。
 いつまでも泣いてはおられんのでな、今度は体の軽い順に、木を渡した橋を渡って帰ることにした。最初に重いのが渡って木が落ちたら、芋は一つも持って帰れんことになってしまうからな。まず剛が渡って、健が渡って、准一が渡って、最後に昌行が渡ったが、木がずり落ちることもなく、無事に渡ることができた。こうして谷を渡って、山を下り始めたんだが、途中でまた日が暮れてしまった。
 次の日には、崖のところに出た。後もう少しでこの村よ。
 昌行が先頭に立って、崖の段の狭いところを歩いていたらな、足音が響いたわけでもないのに、上から大きな岩がずりずりっとずり落ちて来たんだと。昌行があわててその岩を支えたからよかったが、そうしなければ、四人ともつぶされてしまうところじゃった。
 昌行は、自分が岩を支えて、ほかの三人を先に行かせたんだと。昌行が一番背が高かったから、ほかのもんが代わって支えてやろうとしてもできんかった。道は狭いから、三人は、昌行の体につかまって、やっと向こう側へ行ったんだと。三人が無事に崖から離れてから、昌行は岩を自分の後ろに落として、急いで走って崖から離れようとしたんだが、岩が段のところに当たると、段ごと崩れてしまったんだと。昌行は、あと一歩のところで、段ごと崖の下に落ちていってしまったんだと。
 残った三人は、しばらく昌行の名前を呼んでおったが、声も聞こえんし、姿ももう見えん。それで、三人は泣き泣き山を降りてきたんだと。
 村に帰って芋を見せると、村のみんなはもう大喜び。三人は、習ってきたとおりに、芋から芽を出させて、その芽を畑に植えたんだと。最初根付くまではちょっとは水をやらんといかんが、あとは乾いとってもだいじょうぶ。やせた土地でもよくできる芋だったから、その年は、どうにか飢饉にならんで済んだんだと。その芋は何かって。それは薩摩芋よ。今ははあ、珍しくも何ともないが、最初っからどこにでもあった芋ではないのよ。
 芋を持って帰って来た三人はな、恩人じゃいうことで、みんなに大事にされておったんだと。けれどもな、一年たって、また芋から芽を出させるころになったらな、「昌行たちの骨を拾ってくる」と言うて、一年前と同じ格好をして三人で山に入って行ったんだと。
 ところが、今度は何日たっても三人とも帰ってこなかった。どこへ行ったのか誰にも分からん。山で死んでしまったのか、よその土地に行ったのか。坊様になって、昌行たちの供養をしておるんだろうという者もおったが、確かなことは誰にもわからんのよ。
 それでな、村のみんなは、芋を取りに行ってくれた六人のことを忘れんようにとお地蔵様を作ったのよ。それがほら、西の山の、道がなるなるまで登ったところにあるお地蔵様よ。前と後ろに三つずつ、六つあるじゃろ。前の三つは少し小さいが、これが若い方の三人、後ろの三つが年かさの三人だということじゃ。普通、お地蔵様は横に一列にならんどるもんだが、この村のお地蔵様は前と後ろにならんどって珍しいということじゃ。
 村のもんはな、どうにもならん困ったことがあるとな、あのお地蔵様にお祈りしたもんよ。するとな、お地蔵様が何かしてくれるわけではないが、何となく、負けんでやっていけるような気になってきたもんよ。
 お前もな、本当にどうもならんことになったら、お参りしてみるといい。きっときっと、何か力がわいてくるはずよ。

(終)


 記念作なのに楽しい話じゃなくてごめんなさい。でも、たまにはこういうのもありかな、と思って書いてみました。
 hiruneは新作を執筆中ですが、まだ時間がかかりそうなので、しばらくは私が書いたものでつないでいきます。

(1999.4.11 hongming)


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