読書感想の部屋

2004年

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OUT
桐野夏生作
 この本は、家事をしながら朗読テープで聞きました。なので、固有名詞の漢字がよくわかりません。(一応調べましたが)
 それと本の装丁や字面の雰囲気もわかりませんので、そういう点で感想に不備な点がありましたら、ご指摘ください。

 「コンビニ用の弁当工場に勤める主婦達が死体をバラバラにして云々」という有名なあらすじを聞いていて、なんかもっとこう社会的な、現在の日本の持つ本質的な問題が事件を起こし、主婦達が変容していくような話なのかと思っていたら、全然ちがかった。
 簡単に言うと、よく少女漫画にあるでしょ、「現実生活がどこかうまくいってない女の子が、夢でいつもカッコイイ少年に会っている。どうやら向こうもそうのようだ。そのうちふたりは夢でなく、現実に出会う。当然それは運命なので、理屈なくふたりは愛し合う。だってそれは運命なんだもん。夢で会ってたくらいなんだからふたりの魂は響きあってるの(ハアト) だからそのへんの愛より二人の愛は断然上なの!」っていうような話。それを大人の筆致で書いた話なのよ。内容甘甘。なにか、クールで非情な話のように宣伝されてるのに、びっくりだった。
 そいで、中年女性が書いたって事で、主婦の描き方が感心するくらいうまくリアルに書き込まれてるんだろうと思ってたら、リアル主婦の私には細部が噴飯ものなのよ。この人、たぶん主婦やってないな〜。
 風呂場で死体を切り刻んで46個だかのゴミ袋に入れるって言うんだけど、人なんて、まとまってればこれだけの大きさだけど、モノってなんでも、ばらけるとものすごい分量になるよ。20個分の袋が入った時点で、風呂場なんて作業する場所なくなるだろうと思うんだけど。キツキツでやってたら袋の外側に血が飛ぶでしょうし。いくら不透明袋でもたまった血が外から見えるだろうし、ちょっとでも破れたら血があふれ出すだろうし。
 頭のいい雅子は「ゴミはいろんなマンションのゴミ捨て場に捨てれば大丈夫」と思いこんでて、小説上は雅子には手抜かりはないんだけど、この人いまどき、ゴミ袋ってトラックに乗せられて夢の島かどこかにそのままで捨てられるとでも思ってんのかしら。ゴミ収集車に乗せられた時点で圧縮するために袋破れて中身見えるでしょう。ゴミ収集車のお兄さん、よく、それを見て確かめてから車に乗ってんじゃん。ゴミ持ってきた近所のオバサンも、お兄さんと一緒にそれ見てんじゃん。40カ所に分けて捨てて、どこでも誰も血だらけの内臓物をおかしいと思わないなんてあり得るかなあ。
 だいたい、弥生の「夫を殺しちゃったの。どうしよー」に対しての、「バラバラにしてゴミ袋に詰めてゴミ捨て場に捨てりゃわからない」という答えが全然頭いいと思えないよね。弥生の夫は弥生に暴力を奮って貯金を使っちゃってるので、「夫の暴力に耐えかねて発作的に首を絞めた」と言えば、5年、小さい子もいるから実質3年で済む犯罪じゃないかなあ? それを隠してバラバラにしたらとんでもない犯罪になっちゃうよ〜。
 と言っても、弥生は恒常的にドメスティックバイオレンスを受けてたわけではなく、最近に二回くらいなぐられただけなんだけど。よくそれだけでいきなり殺すまでいくなあって感じ。
 雅子の家庭も殺伐としてて、夫とはあんまり交渉もなく、息子も雅子にやさしくないんだけど、ふたりとも暴力を奮うわけでも暴れるわけでもなく、なんでも雅子のしたいようにはさせてくれてんのね。息子は17くらいで反抗期なんだけど、この子が暴力奮うわけでもなく、ちゃんとバイトで働いてるのに、反抗的に返事したり言うこと聞かないくらいで、雅子のほうがキレて息子を平手打ちにすんのよ。雅子のほうが同情の余地のないヒデー母親よ。それで勝手に家族に幻滅して虚無感を抱いてるんだからねえ。息子が、刑事に、雅子が嘘をついてることをちょっとチクるシーンがあるんだけど、びっくりしたなあ。17で警察に母親を売る息子なんて。ここまで息子に嫌われる母親ってびっくりだった。
 で、こんな雅子の風貌の描写が、新聞なんかでちらっと見る桐野夏生そっくりなのよね。その雅子が「頭が良くて度胸があって男に媚びてなくてモテモテでかっこいい!」ってことになってるから、作者がすごいナルシストなんじゃないかって思えるのね……。
 雅子って、日系ブラジル人で、ハンサムでガタイもよく純情でシャイなカズオとジャニーズ系の顔立ち(←はっきりそう書いてある)の暴走族崩れの十文字からは憧れられ、運命の男・佐竹からは殺されるほど恋いこがれられてんのよ。女には気持ちいい話でしょ。しかもラスト、雅子は佐竹からレイプされて佐竹を好きになってしまうとゆうレイプ礼賛……。そいで好きなら相手の好きにさせておけばいいものを自分から佐竹を刺しておいて「死なないで!」って……。そういう雅子かっこいいか?

 「桐野ってこういう作家だったんだあ」ってびっくりして、本屋で「柔らかな頬」っていうのを立ち読みしたら、また主人公がOUTの雅子と同じような風貌でかっこいい系の中年女らしいのね。
 「柔らかな頬」、不倫している間に子どもにたいへんなことがあって……、という話はいっぱいあるし(今思い出せるのは萩尾望都の「メッシュ」くらいだけど)、子ども誘拐の真相が母親の子ども時代の出来事と絡み合って……、っていうのは山岸凉子の「海の魚鱗宮」を彷彿とさせた。
 「うわーー、OUTも基本構造は少女漫画だと思ったけど、この人少女漫画ファンなんだ!」とまたびっくり。
 でも、「まさかなあ。純粋に文学畑、ミステリ畑出身の人なんでしょ?」って思って、いまさっき検索したら、この人、レディースコミックの原作やってたんだって。なーるへそ、確かに「OUT」は少女漫画と言うよりはレディースコミックかもなー。で、その前は少女ロマン小説書いてて、そのときの名前が「野原野枝美」だったんだって。(もとは森茉莉ファンだったのか?) 
 別に桐野がどういう人でもいいけど、少女漫画とかレディースコミックとか全然知らない真面目なミステリファンのおじさまが、雅子と佐竹のエッチを“女がこういうの書くのかー、新しいなー”とか思ったんだったらなんかいやだなー。

 でも、これをドラマでやったとき、雅子を田中美佐子がやったと思うけど、私は見てなかったんだけど、田中美佐子にはぴったりでかっこよかっただろうなとは思う。小説だと論理が破綻してるとだめだけど、ドラマなら、「かっこよさ」が表現されてればいいと思うし。
 あと、「バーチャルガール」の時の榎本加奈子も、そういう田中美佐子的かっこよさの少女版を狙ってたのかなあと、ふと思いだした。
(2004.12.29)
Out(上) Out(上)

著者:桐野夏生
出版社:講談社
本体価格:667円
Out(下) Out(下)

著者:桐野夏生
出版社:講談社
本体価格:619円

イニシエーション・ラブ
乾くるみ作
原書房
2004年4月発行
 乾作品を読むのはこれで3度目です。1度目は「はこ(はこがまえの中に甲)の中」、2度目は「Jの神話」でした。
 この人の作品は文章がとてもとっつきやすく、読みやすいんです。そしてなんとなく、私好みのペダントリックなミステリな感じがあるんです。感じはあるんですけれども、読み終わると、全然私好みでない、とてもエグいところのほうが強烈に残ってしまうんです。で、これはミステリなのか?と言うと、そこも「うーん」と思わされてしまうんです。
 こういう複雑な感情を抱かせる乾作品ですが、今回、毎日新聞の夕刊に「読者が自分で読み解くことを要求する異色作」とあったので、ついつい「おもしろそう」と思わされ(だまされ?)、読んでみました。

 正直、読んだっつっても、かなりな斜め読みなんですが、「毎日新聞の夕刊に書いてた人(西上心太さん)はこれを読み解けって言ってたのか??」という所は、わかった(気がする)。
 表紙裏のあらすじを読んだだけで「これがあやしい」というのはすぐわかる。そいで目次を見ると、目次にも仕掛けがあるだろうということはすぐわかる。
 つうか、これだけ親切に「男女七人夏物語」と「秋物語」の説明をしてくれてんのに、わかんない人はいないと思う。ドラマの放映時期で時間もはっきりわかる。
 それはわかるけど、「だからなに?」というと、そこが斜め読みの悲しさでよくわかんない。男の人も結局は良かったわけだし。
 でもやはり「女の怖さ」なのか? それだけのためのこの仕掛けをして1980年代風普通の恋愛をこれだけの長さ書いたのか?と思うと、そこに怖さを感じる。それともこういうことがエンエン続くのであった……ってとこが怖がるとこなのかな?

 先に全体の感想を書いちゃいましたが、改めてじっくり見ると、どうもこの本は、表紙にも仕掛けがしてあるようです。
 表紙の説明をすると、セピア色基調のかわいいフォトアートで、シックな木のテーブルの上に、ホットコーヒー、アイスコーヒー、一本のたばこの吸い殻の載った小さな灰皿、A,Bという字だけ見えるカセットケース(この本の目次が書かれている?)、それとタロットカードが一枚載せてあるというものなんです。そしてよく見ればタロットカードに「THE LOVERS」の文字。このカードの意味を今調べたら、正方向だと
恋愛、誘惑、娯楽、遊び、レジャー、火遊び、2つの道のどちらかの選択を迫られる」で、逆方向だと「気まぐれ、結婚詐欺、別れ、行くべき道の選択に失敗する」なんだそうです。
 カセットテープというのは、A面とB面では必ず互いに逆方向に進むことになるわけなので、つまり、カセットのA面とB面でカードの正方向の意味と逆方向の意味が描かれているということなのでしょう。どっちが正方向でどっちが逆方向なのか、それは読者の判断ということなのかな?
 (ただし、表紙を気にとめず中だけ読むと、「カセット」ってことには気づきにくい。つーか、本を開くとご丁寧に「sideA」「sideB」と書かれてあるページに、レコードを連想させるような同心円が描かれてある(^^; ま、同心円でカセットだって連想できなくもないけど)
 「はこの中」は、まさにそれがテーマでしたが、この書き手は「戻る」ってことにすごく興味があるみたい。戻り道には、行きには見えなかったものが見えるものですよね。それがおもしろいと思うみたい。

 それともうひとつの引っかけ(?)は、この表紙でこのタイトルでこの作者名だと、普通、この作者はかわいい感じの若めの女性だと思うと思うんですよ。
 ですけど、この人男性です。1963年生まれだから40過ぎで、静岡大で数学を勉強された男のかたです(たぶん)。自分のペンネームに「乾くるみ」と付けるおじさんというと、逆に本当はすごくむくつけき男みたいな気がするんですが(^^;(立原あゆみみたいに)
 
 そいで今回もやっぱり、ベッドシーンとか、エグいです。一見可愛い感じなんですけど、なんとも言えなく悪意のある感じなんです。いったい、乾くるみのこの悪意はなんなんだろ。

 付け足し。
 乾の初期作品の「はこの中」は竹本健二の「はこの中の失楽」へのオマージュとして書かれた作品で(そもそも「はこの中の失楽」が「虚無への供物」のオマージュとして書かれたものなので、乾の「はこの中」は、箱(虚無への供物)の中の、もうひとつの箱(はこの中の失楽)の中にあるとも言えるのが、作品のタイトルとぴったりでなんともおもしろい)、「はこの中の失楽」が好きなあまりミステリ作家になったようなんだけど、考えると、すでに竹本の「はこの中の失楽」にも、こういった悪意はそこはかとなくあるんだよなあ。タイトル通り、「出られない感じ」と言うのか。この感じは、「虚無への供物」には全く無いんだけど。

イニシエーション・ラブ イニシエーション・ラブ

著者:乾くるみ
出版社:原書房
本体価格:1,600円
危険な関係(上・下)
ラクロ作
伊吹武彦訳
岩波文庫
1965年発行(原著刊行1782)
 有名な作品なので、ずっと前に「教養として読んでみるか」という気持ちで購入。以来ずっと積読(つんどく)。ある日hongming先生が発見、一読され、「フランス文学にはあんまり興味ないがおもしろかった」という感想をいただくが、それでもまだ積読。購入してたぶん5年以上。なんとなく結末だけ知りたくなったので、最後だけ読むかと思って手に取り、実際読んでみたらすごく読みやすかったので、最後だけでなく、とりあえずストーリーがわかるくらいには斜め読み。

 感想。とにかくエグい。「危険な関係」というタイトルがなかなかオシャレなのだが(おそらく原題の直訳と思われる)、そういう現代的な洒落た内容じゃない。執筆当時、盛んにモデルが取りざたされたというが、これはまさにエロとグロを兼ね備えた三流スキャンダル雑誌の味。
 ではあるけれども、主人公・メルトイユ侯爵夫人とヴァルモン子爵のふてぶてしさには確かに魅力がある。
 「侯爵夫人とヴァルモンはイデオロジーによって行動を決定された最初の人物である」(byアンドレ・マルロー)などと言う言葉を見せられると「なるほど……?」なんて思わされるたりするのである。とにかくこのふたりは自分たちの内面に自覚的である。無意識にひどいことをして糾弾されると「そんなつもりなかったのに。私が悪いだなんてひどい」なんて言い出すような人物ではない。
 そして(当然だが)ふたりとも手紙を書くのがすごくうまいのもポイントが高い。人間、どうせ悪いヤツならこれくらい自覚的・文学的に悪いことをしてもらいたいという気がする。

 と言っても、ふたりは別に、それほど悪いことをしているわけではない。人を殺したりケガさせたりしたわけでもないし。作中でふたりがしたことのうち「悪いこと」と言ったら、ヴァルモンがセシルとツールヴェル法院長夫人をごり押しで自分のものにしたことくらいか。(他には、メルトイユ夫人が、なにかで小ずるく立ち回って人の財産を横領してしまっていたらしいことが暗示されている)
 しかしその点も、女性側の「自己責任」の側面もかなりあり、もしも現代であったら、おそらく、女性ふたりと火遊びをしたヴァルモンより、ヴァルモンを決闘で殺したダンスニー騎士のほうが罪が重いだろうと思う。

 しかし、宮廷社会がエグくなかったことなんて未だかつてないのだろうし、とすると「源氏物語」等も、話としたら相当エグい話と思われるのですが、「源氏物語」のほうはべつだん「背徳と頽廃」とか呼ばれず好意的に迎えられるのは、源氏が天皇の血を引く大権力者だからなんだろうなあ。
危険な関係(上)
著者:ピエール・アンブロワーズ・フランソア・コ / 伊吹武彦
出版社:岩波書店
本体価格:660円
危険な関係(下)
著者:ピエール・アンブロワーズ・フランソア・コ / 伊吹武彦
出版社:岩波書店
本体価格:660円
レイチェル
ダフネ・デュ・モーリア作
務台夏子訳
創元推理文庫
2004年発行(原著発行1951)
 なんとこの小説は、「もうひとつの『レベッカ』」と呼ばれた傑作小説なのだそうです。そんな小説があるなんて知らなかった! もー。早く教えてよー。なんでも、発行されて間もない頃に一度日本でも翻訳刊行されていたものが長らく絶版になっており、今年6月に新訳で刊行の運びとなったそうです。
 ……という新聞記事を読んですぐ、本屋に走って購入してきました。うかうかしてるとまた絶版になっちゃうかもしれないからねー。
 
 で、感想はと言いますと、おもしろいです。同じ作者の「レベッカ」もそうですが、特に、冒頭の独言はすばらしい。「ここに人生がある」と言いたくなるくらい。
 そしてラスト近くなると、今度は謎を知りたくて知りたくて、まさに「巻置く能わず」という勢いで読み進めてしまいます。そして「衝撃のエンディング」(by訳者の先生)……。

 しかし、どうしたことか、このラストを読んだとたん、今までの興奮がすべて消し飛んだ……、ような気がした……。
 ああ、じゃあ、今までのことは全部、×が××な人だった、ってことだったのね……。そう言えば、その伏線はやたらとあったっけ……。
 最後に至るまではメチャクチャおもしろく、最後を読んだとたんにこういう気分にさせられるとは……。
 私は今まであんまり小説を読んでこういう読後感を抱いたことはなかったのだけれど、これも古典的な小説のひとつのスタイルなのでしょう……。
 いや、でも、小説全体が「細部」に満ちている点については、いまどきの作家じゃこんなふうには書けないことは確かだと思います。
(2004年7月)
レイチェル レイチェル

著者:ダフネ・デュ・モーリアー / 務台夏子
出版社:東京創元社
本体価格:1,100円

冷血
カポーティ著
龍口直太郎訳
新潮文庫
昭和53年発行(原著発行・1965年)
 「冷血」というタイトルを見て以前から漠然と想像していた内容とも、短編集「夜の樹」所収の「最後の扉を閉めて」を読んで想像した内容とも違った。読者に単純な予測を許さない。さすが一流作家は違う。特にラストには「ここに連れて来られたか」という感慨を抱いた。
 この長い小説の中で、私たちは、殺害されたクラター家の人々や彼らを取り巻くホルカムの村の人々とも、そしてまた、クラター家強盗殺人の犯人であるペリーとディックとも、顔見知りになる。親しくなる。彼らと共に同じ夜を経験する。私たちは、他人ではなくなる……。

 タイトルの「冷血」を、私はずっと殺人犯のことを言っているのだと思っていた。それも違っていた。この小説を読めば、誰もペリーをただの冷血な人間だとは思えなくなってしまう。カポーティはペリーを好きになった。
 私が気がついた限りこの小説の中で「冷血」という言葉が出てくるのは一カ所である。一カ所に、続けて二度出てくる。こんなふうに。
 「ペリー・スミスってかわいそうなやつだ。やつの一生はさんざんだった−」
 パーは言った、「そんなしめっぽい話なら、あの卑劣な野郎に限らず、世の中にはいくらでも例があるさ。このぼくだってそうだ。ぼくは酒を飲み過ぎるかもしれん。だが、まちがっても、冷血に四人の生命を奪うようなことはしなかったね」
 「そりゃそうだが、あいつを絞首刑にするってのはどうかね? それだって、まったく冷血なことだぜ」


 小説の終わりは、ペリーとディックを含む、絞首刑を待つ囚人達の話になり、私たちは実際にペリーとディックが吊られるのを見届けることになる。それは案外とあっさりと、さわやかに終わる。
 友達と別れるような気持ちで私は本を読み終える。カポーティは優しい人だ。たぶん、優しすぎる。

(カポーティの写真と同じく、ペリーの写真も「IN COLD BLOOD」「Perry Smith」などで捜せばアメリカのサイトですぐに見ることができます。インディアン・チェロキー族とアイルランド系のハーフであるこの男は、魅力のある顔をしています。肉体にはいろいろと問題があったけれど……)
(2004.3.17)
冷血
著者:トルーマン・カポーティ / 龍口直太郎
出版社:新潮社
本体価格:781円
夜の樹
カポーティ著
川本三郎訳
新潮文庫
平成6年発行
 短編集。まずは気になった作品の感想。

◆「ミリアム」 カポーティ19歳の時の作品で、「カポーティの作品のなかでももっとも親しまれているもの」なのだそうだ(解説より)。19歳の作品なので、内容的には深いとは言えないかも知れないが、完成度がすばらしい。逆にこういうのは年を取ったら書けないと思う。あっと言う間に読めるのでこれは一度読むべき。(山岸凉子のマンガ「雨の訪問者」「蛭子」の元ネタになってる)

◆「最後の扉を閉めて」 この小説の主人公は完全に人格障害です。カポーティ本人もたぶんこんなめちゃくちゃな気分で生きてたんだろうなと思った。

◆「誕生日の子どもたち」 読み終わった瞬間、ほんとうに劇的な出来事というのは、子どもにしか起こらないのかもしれない、と思った。

◆「感謝祭のお客」 この作品が収められていたのがこの本を買ったきっかけです。私は、あの心温まる佳編「クリスマスの思い出」に続編があるのにずっと気がつかなかったのです……。ですが、「クリスマスの思い出」よりはだいぶ落ちる内容と思いました。ミス・スックは好きだけど、この話での彼女は立派すぎるような……。でも、いい話でした。


 カポーティ、天才的美青年作家としてアメリカ文壇に颯爽と登場し、「冷血」において「風と共に去りぬ以来」と言われる成功を収めるが、同性愛者であることを偽悪的に公言し、晩年はカエルのように太り、社交界の有名な奇人とでもいうべき存在になった男……。
 というようなのが、漠然とした私のカポーティ像でした。
 そんなにハンサムだったのに醜悪な老人になってしまったの? 写真を見てみたいなあと、昔思っていたのも忘れていたのですが、気がつけばいまや、写真なんてネットでいくらでも簡単に見られるではありませんか。この本を読んだのをきっかけに早速調べてみました。
 当然ながらカポーティに関しては日本のサイトよりアメリカのサイトのほうがずっと充実しています。(英語はわかりませんが、写真なら見ればわかりますし) 興味のあるかたはどうぞ「Truman Capote」で検索して見てみてください。
 若い頃も年取ってからも横に広い感じの顔なのは同じなのですが、若い頃は独特のきれいな雰囲気を持ってました。ちょっとディカプリオ風?(笑) 年取っても顔はそんなには崩れてないと思うけど、体型は……。

 それと、「最後の扉を閉めて」を読んだら、カポーティが「冷血」でなにを書きたかったかわかったような気がして、急に「冷血」が読みたくてたまらなくなってしまいました。
 それまで「冷血(IN COLD BLOOD)」は残虐な家族殺し事件を作家の視点でクールに描いたルポ小説だとしか思ってなくて、たいした興味はなかったのですが(字が細かい上に分厚い本なのも敬遠した大きな理由)、そのとき突然、「こういう小説を書く人は殺された人より殺した人間に共感を持ってしまうはずだ」と思いまして、カポーティが事件にどういうふうにのめりこんだのか知りたくなってしまったのです。(彼は6年間もかけて取材して「冷血」を書いたのです)  というわけで、私は今日「冷血」を買って参りました。
(2004.3.10)

夜の樹
著者:トルーマン・カポーティ / 川本三郎
出版社:新潮社
本体価格:552円
連合赤軍 少年A
加藤倫教著
新潮社
2003年発行
 まずは著者の説明。著者・加藤倫教は、兄弟三人で連合赤軍に加入した加藤三兄弟の次男。あさま山荘事件当時19歳だった倫教は、新聞には「少年A」と記載された。
 この加藤三兄弟は、1971年に「人民革命軍」という過激左翼グループメンバーとして山岳ベースに参加。高校を卒業したばかりだった著者加藤倫教はそこで、永田洋子、坂口弘らのいる日本共産党革命左派メンバーと初めて出会った。山岳ベースにはやがて森恒夫をリーダーとする赤軍派メンバーもやってきて、永田と森の接近の結果、連合赤軍が生まれ、いわゆる連合赤軍リンチ殺人が起こる。倫教の兄・能敬は恋人の小嶋和子と共にその犠牲者となり、弟たちはそれを目撃。能敬と小嶋へのリンチ殺人を嚆矢に、以後、山岳ベース(と言っても捨てられた小屋を利用したような物)では総計14人もの連合赤軍メンバーが仲間に殺されることとなってしまう。
 永田・森が妙義山で逮捕された後、坂口、坂東国男(1975年超法規的処置で出国)、吉野雅邦、そして倫教と弟は5人であさま山荘事件を起こす。倫教と弟も山荘での銃撃戦にも加わった。倫教は懲役13年となったが1987年に刑期満了、現在は社会復帰している。
 
 連合赤軍事件について、連合赤軍の生き残りの人間の書いた本は多い。連合赤軍については、当事者でない、ルポライターの書いた本も多いが、当事者達の証言は、とりわけ貴重な資料である。わたしは永田洋子の「十六の墓標」と坂口弘の「あさま山荘1972(正・続)」を読んだことがあるが、他に、植垣・坂東・吉野もそれぞれ本を書いているらしい。この本は、連合赤軍当事者の証言に新たに加わった一冊である。
 ただし、著者は事件当時まだ19歳の下っ端(いわゆる兵士)で、事件の重要な部分の決定には全く加わっていない。指図される側であった。また、書かれたのがすでに事件後30年を経ていることもあり、事件の生々しさはあまり感じられない。

 しかし、それを補って余りあるのが、著者の生育環境の生き生きした描写である。比較的恵まれた環境に育っただけに時代思想を敏感に吸収し、非常に純粋に「武力革命→弱者を抑圧する社会の終焉」を信じるようになった少年の心の軌跡は理解できる。
 また、私が一番興味を惹かれたのが、著者の父親の人間像である。
 著者の家庭は愛知県刈谷市の、比較的富裕な農家であった。元は小地主であったが、祖父の代に祖父の兄弟への出費によって財産がかなり減少、そこへ更に戦後の農地改革で小作に出していた土地が失われ、財産は半減した。その家を継いだ父親は、家の財産の復興に執念を燃やすことになった。父は教師をしながらの兼業農家であった。父はあくの強い性格で穏やかな母に対してはなかなかの暴君であり、元地主としてのプライドも高く、子ども達が出世することを望んだ。
 そして、父親は子ども達の学力や教養が高まるように高価な本を買い与え、レベルの高い私立学校に入れる。するとたくさんの本を読み、社会的な視野も広げた子ども達は、父親の出世主義、土着的な「我が家さえ良ければ良い主義」に疑問を持ち反抗する……、というような、世間でものすごくありがちなことが加藤家にも起こることとなった。
 この本を読んだ限りでは、男ばかり三人の加藤兄弟は、割合にバラバラに思春期を過ごしたような感じを受けるが、それぞれ感性豊かな少年だったようだ。おそらく父親に反発する気持ちは三人とも同じだったのだろうと思う。

 また、三人が山岳ベースに参加している途中で一度長兄能敬は逮捕されるのだが、不起訴になって山岳ベースに戻ってきてしまう。このとき収監されていれば無駄な死から助かったのにと思うと非常に残念に思える箇所である。
 当時、警察に捕まっていたために事件に関与せずにすんだメンバーは多い。実際、裁判で「息子に執行猶予をつけないくれ」と頼んで実刑にして貰って結果息子を助けた親もいる。

 さて、わたしが興味を惹かれた加藤家の父親である。子ども三人全員が過激派メンバーとなり、長男は殺害され、次男三男は日本を震撼させた浅間山荘事件の犯人となった時、彼がなにをどう思ったかは、この本には書いていない。
 だが、出所した倫教が地元で嫌な言葉を言われたのは、近所の子どもと遊んでいるとき、「あいつ、子どもと遊んでるぜ。そうすりゃ受け入れられると思ってるのか」と言われたことが一回あるだけ。あとは隣近所も普通に受け入れてくれたという。その部分を読んだとき、わたしには、加藤家の父親が気持ちを感じられた。(倫教自身はそのたった一回の悪意の言葉にかなりショックを受けたらしいが……) 
 頑固な厳父であり、子ども達を皆自分から離反させてしまったが、父親には父親の生きてきた背景と生き方があるのであった。出所してきたふたりの息子達には、この父親の庇護がなければもっと悲惨な人生が待っていたに違いない。(家業が農業だったというのも良く、倫教は家庭内で働きながら社会復帰することが出来た)
 倫教自身もここでやっと、「父は父、私は私」と気持ちの整理をつけている。ある意味、これは単に「伝統的な日本の父親に反抗した戦後の若者」のひとつの物語にすぎないことでもあったのである。あまりにも大きな代償を支払いはしたが……。

 そしてこの本のあとがきにはこんな驚くべき事も書いてある。
 昨年が連合赤軍事件から三十周年だったということで、倫教の元には何件もの取材の申し入れがあり、倫教はそれに応じたのだが、多くのインタビュアーが倫教に「お父さんとの関係は、今はうまくいってるんでしょうね」と尋ねた。
 それに対する倫教の答えは「今も三十年前とほとんど変わっていません」であった。「私が五十歳を越えた今でも父は家長としての権力を専制君主のように握り続けている」

 そして倫教自身、こう書く。
 「父親と息子の葛藤、それは人間が古来いついかなる時代においても抱えてきた普遍的な問題であろう。私の家では不幸にも父イコール社会体制という形をとってしまったが、わが家の有様には日本の戦後の家族史が凝縮されているとも言えるのではないかと思う」
(2004.2.1)
連合赤軍少年A 連合赤軍少年A

著者:加藤倫教
出版社:新潮社
本体価格:1,400円
人生の重荷をプラスにする人マイナスにする人
加藤諦三著
PHP研究所
1998年発行
 加藤諦三の本を読んでることを公言するなんて、自分が頭悪いことを宣伝してるみたいで趣味じゃないんだけど……(笑)。
 「ああまた加藤先生の家族恨み節だな」って思いながら時々読んでしまうんですよね(^^; この人ほんと、興味深い人です。

 さて、今まで加藤先生の本を読んで私が知った、加藤先生のおうちの事情。
 ◆加藤先生のお父さんは15人兄弟の13番目であり、お父さんのお兄さん達の中には、一部上場企業の社長になった人もいて、客観的には結構成功した一族という一面もあったらしい。
 ◆加藤先生自体は、自分の家族の中の末っ子であり、上にお兄さんとお姉さんがいた。(何人いたかはよくわからない)
 ◆しかし、諦三少年の一家は意地悪な人ばかりで、諦三少年は子どもの頃を、両親や兄姉からいじめられたりバカにされたりしながら育った(彼らのプライドを満たすため)。特にひどいのは父親で、諦三少年は、機嫌のころころ変わる父親の顔色をうかがいながら暮らさなければならなかった。
 ◆先生のお父さん、お兄さんには、世間の賞賛を欲しがるという点で病的なところがあった。お兄さんは次々と新事業を興しては失敗して借金を負った。お父さんは大言壮語をするのが好きなため、そんなお兄さんの連帯保証人にはなるのだが、借金の後始末からは逃げてばかりだった。
 ◆結局借金の後始末に矢面に立たされるのは、末っ子でまだ大学生の加藤先生だった。
 ◆他にも、たとえば、お父さんの弟に当たる叔父さんでどうしようもない人がいたのだが、その面倒を見たのも加藤先生であった。上述の通りその人のお兄さんには大企業の社長もいたのだが、誰もなにもしてくれず、どういうわけか面倒事は、一族の中でも下っ端の加藤先生に押しつけられるのであった。加藤先生は学生の頃からベストセラーを書いていたのだが、家族、親族のためにどれだけ神経とお金を使ったのかわからない。
 ◆そんな親族の中では、15人の子供を産んだ祖母がほとんど神聖化されているのだが、加藤先生自身は、自分の親族がこんなに問題を抱えている原因は、その祖母にあると考えている。

 というようなことなのです。この生育環境ゆえに、ほんとうに加藤先生はたいへんな苦労をしてきたのです。
 で、今までの先生の本では、そういう家族への恨み節が中心になっていて、「お人好しに金を出したり仕事をしたりしていると利用されるだけされて、しかも誰にも大事にされない。相手が自分を利用してる人間かどうか早く気づいて、お人よしはヤメロ」というような警告がテーマ(?)になっていたのですが、この本では、「苦労(先生は”重荷”という言葉を使っている)こそが人に自信と誇りを与えてくれる。自分の重荷の価値をちゃんと評価して、それを自分の自信にしよう」というような前向きな考え方に進歩していて、読後、明るい気分になれました。ほ。

 特に、あとがきにある、『「喜び・楽しみ」または「苦しみ・悲しみ」という感情と、「自信・幸せ・誇り」とは関係ない』というくだりは説得力を感じました。
 それは、「自信や誇りのない人にも喜びや楽しみはある。自信や誇りを持っている人にも苦しみや悲しみはある。」ということで、言われてみればなるほどもっとも!
 また、「自分に自信や誇りの持てるような継続した努力を続けても、必ずしも楽しい結果になるわけではないが、少なくても自分に自信と誇りは生まれる。なんら努力をしなくても楽しいことや嬉しいことは起こることがあるが、そこには自信や誇りはない」というのもわかりやすいし、正しい事を言ってると思いました。
 子どもの頃苦労した加藤先生が、それゆえに人生ずっと「幸せとはなにか」と考え続けて、ここまで行き着いたわけですね……。
(2004.1.3)
人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人 人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人

著者:加藤諦三
出版社:PHP研究所
本体価格:457円