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一 括 講 読

投稿時間:01/02/14(Wed) 21:34
投稿者名:あやっぺ
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タイトル:夢が見えた日
◎三宅健◎  ○長野博○ 


カーテンの隙間から真新しい朝日の差し込む頃、じわじわと頬を撫で付ける寒気に、布団の中の僕は思わず身震いをした。
一月の半ば。新年を迎えてから、初めて夜空が煌びやかな白の斑点で彩れたのは昨日の晩のことだ。
昔は雪が降ったとあれば一目散に外へ飛び出し、近所の級友と連れ立ってはしゃいだものである。
日が沈むことすら忘れ、母に怒られやしまいかと急ぎ足で帰路に着くのが常だった。
それが今ではどうだろう。この時期、霜焼も手荒れの跡も無い自分の両手を眺めることになろうとは。
小学生の頃の僕は、そんな自分の未来を考えたことがあっただろうか。きっと無かったに違いない。
不思議なものである。
小学校を卒業してから、早七年の月日が流れようとしているにも関わらず、あの頃の自分が実に鮮明な姿のまま、僕の脳裏に蘇ってくるのだ。
その懐かしさと、自分の感慨深さ加減に、僕はしばらく頬の緩みを隠せなかった。


それからいつものように朝食をとり、いつもの時間に僕はマンションを後にする。
駅までの道のりも慣れたものだ。一つ目の交差点を左へ、そして郵便局の前の通りを真っ直ぐに進んで行く。
最近では、もう見慣れた風景。
そのまま何を気に留めるでも無く歩いていくと、右手に見える小さな公園がいつもに増して賑やかなことに気が付いた。
小学校の絵の授業である。
両手に図画板を抱え、皆思い思いの場所で制作に耽っている。
ふと、目の前に腰掛けている男の子の絵に目をやると、デッサンを済ませた画用紙の上の方に、色を染めたばかりの青いボールのようなものが描かれているのが分かった。
(「そこは太陽がくるはずの位置では?」)と、僕が首を捻ったそのとき、頭の中で、今度は中学生の頃の僕がひょっこりと顔を覗かせたのである。



中学校二年生のときだった。冬休みに絵画の課題を出された僕は、とりあえず風景画を描くことに決めた。
元々絵を描くことは好きであったし、中でも風景画には自信があったからだ。
もちろん、家に飾られた賞状の大半は絵画で受賞したものである。
「よいしょ」
絵の具と図画板を手に、僕は近所の河原へ出掛けた。
デッサンを始めようと適当な場所を探していると、どこかで見たことのある後ろ姿が目に入る。
「先生っ」
僕が声を掛けると、相手はゆっくりとこちらに振り向いた。
美術の長野先生である。彼は「こんにちは」と軽く頭を下げながら、にっこりと微笑む。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「ちょっと絵を描きにね」
そう言って尚も楽しげに微笑む先生の隣で、僕はデッサンをすることにした。
長野先生は、まだ若くありながら、「変わり者」と学校内でも評判の先生である。
誰よりも優しく、そして誰よりも気紛れなところがあるが、学校中の誰一人として彼の怒ったところを見た者はいなかった。
悪びれず、何でも淡々とやり通す姿に、周囲は一種の憧れすら抱いていたのである。
「・・・・・・」
白い息を吐きながら、互いに黙々と作業を続け、デッサンを終えた僕がバケツに水を汲んで戻ってくると、先生はパッと僕のデッサンを覗き込んだ。
それからしばらく先生は口を噤む。実にシンとしたその雰囲気に、僕は何もできず、ただただ先生の次の言葉を待つばかりだった。
「絵を描くのは好き?」
「・・・はい。とても」
先生の突然の質問には驚いたが、僕がそう答えると、「そうか」と先生は早々と自分の作業へと手を戻す。
あまりにもあっさり先生の話が済んでしまい、何だか不安になった僕は、絵に色を染める手を休めたまま、呟いた。
「もっと楽しく絵が描きたいです」
先生がゆっくりと顔を上げる。
「ずっと絵描きになりたくて・・・。でも、最近は絵を描いていても全然楽しくありません。
 どんなに素敵な賞を頂いても、嬉しくないです」
そう言って俯く僕を静かに見ていた先生は、やがて河原の遠く向こうへと目を移す。
「自分の感じたままに描けばいい」
その言葉に、僕がハッとして先生を見ると、優しい眼差しを崩すことなく彼は更にこう続けた。
「見たままを忠実に描くことも大事だけどね。それなら写真を撮るだけで十分なんだよ。
 本当に大切なのは、自分の思いを忘れないこと。自分だけの世界を表現すること」
先生は、涙の浮かぶ僕の目から一瞬も目を逸らさなかった。
それどころか、僕の小さな心の中を、誰よりも奥深く見つめてくれていたように思う。
「これ・・・」
先生は僕に小さな画用紙を差し出す。初めはただの白紙に見えた画用紙だが、よく見てみると、そこには確かに笑顔の僕が描かれていた。
「今日は元気無いみたいだったけどね、俺にはこう見えたよ」
そして、先生は立ち上がり、僕の頭にポンッと軽く手を置くと、「頑張れ」と一言告げて歩き出した。
何度もお礼を言おうとしたけれど、その声は涙に掻き消され、だんだんと遠くなる先生の姿を僕は見送ることしかできなかった。

その後、冬休み明けの絵画課題提出日。あの日、冷たい風の中で一生懸命に描いた僕の河原の絵。
確かに寒かったはずなのに、世界はすべてオレンジ色に包まれていた。
僕の気持ちは、とてもとても温かかった。
そんな僕の絵を目にしたときの長野先生の笑顔を、僕は決して忘れることは無いだろう。そう思った。



「そろそろ後片付けだって!」

――――――――――・・・・・

子供たちの声に、やっと僕は我に返った。
みんな片付けを始めている。
もう一度、さっきの男の子の絵に目をやると、「青いボール」は、やはり本来は赤いはずの太陽らしい。
片付けを済ませ、先生の元へ駆け出そうとする男の子に、僕は思わず声を掛けた。
「君のお日様、どうして青いの?」
男の子は一瞬目を丸くしたが、やがて満面の笑みでこう答えてくれた。
「ボクの好きな色だから!それに、みんなと同じじゃつまらないもん」
男の子は僕に手を振り、友達に急かされながら先生の元へ駆けて行った。



絵は人の心を映し出す。いや、絵だけではない。
すべての人が創り出す、すべて物が、人の心を反映する。
自分を忘れさえしなければ、「物」は必ず「自分自身」となるのだ。
がむしゃらに夢を追いかけていたあの頃とは違う、少しだけ大人になった自分がいた。



電車に揺られながら、窓の外を眺めてみる。
次の駅で降りなければ。
僕の通う美術大学が、少しだけその姿を見せ始めていた―――――



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