投稿時間:01/03/13(Tue) 18:42 投稿者名:ひめ
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タイトル: 卒業 (下)・1
健は大きなスクリーンに次々と映し出される映像を見つめながら、手はポケットの中でその存在を確かめるように小さな紙に触れていた。 やがてスクリーンが青一色に変わるとはじめは小さくまばらだった生徒達のざわめきが少しずつ大きくなり、暗かった部屋にゆっくりと光が差し込んだ。
卒業式のリハーサルを終えた生徒達は、視聴覚室に集められ意味のない映画を見せられていた。 健はすっかり明るくなった部屋を見渡し教師の目がないのを確認すると、ポケットから丸められた紙切れをそっと取り出した。指でゆっくりと紙のしわをのばしていくといつもの剛の字が目に飛び込んできた。 「3時間めどこ行ってたんだよ 転校生もいなかったけどあいつと一緒だったのか」 それはいつか剛が授業中によこした手紙だった。 幕の下りたスクリーンの前でまだあれこれと映画の説明をしている教師の声は健の耳には届かず、その意識はすっかり汚くなってしまった紙の上の文字に集中していた。もう見慣れているはずのその文字は、今の健にとって妙に懐かしいものに感じた。 健はいつまでも紙の上の汚い文字をただぼんやりと見つめ続けた。
健は剛に大学不合格通知が来たあの日から剛とはほとんど会話をしなくなっていた。剛のほうからも特に近付いてくることはなく、かといって怒っているふうでもない、健の存在自体を無視しているかのような態度だった。 剛は健以外の他の友達と一緒に行動するようになり、岡田もその後学校へ顔を出すことはなく、元から剛しか付き合いのなかった健は自然と一人でいることが多くなった。 健はぼんやりとした淋しさを燻らせながらも日々一日ずつ現実から遠のいていくような感覚を覚え、その度にいつか岡田が言っていた言葉を思い出していた。 「あんたは夢の中にいるんやから。」 今でも目の前にあの時の岡田の視線をはっきりと感じることができる。あの時は何かに飲み込まれてしまいそうな恐怖をあんなに感じたはずなのに、今はその何かが安らぎのようにも思えていた。 自分は夢の中にいるのだろうか。 いっそ目の前の現実が全て夢ならいい。 そう思うたび健は地に足をつけている感覚を失い、決まって満天の星空の中にぽっかりと存在している自分自身を確認しては理由のない安堵感に浸るのだった。
「ただいま…」 健はかばんを肩から下ろすと静まり返った居間をのぞき込み家に誰もいないことを悟った。 卒業式を明日にひかえ、卒業式のリハーサルと映画観賞を終えた生徒達は早めに家に帰されたはずだった。健もまた例外ではなく、平日だというのに居間の時計の針はまだ午後一時前を指していた。しかし剛が家に帰っている様子はない。健はもう一度玄関に剛の靴がないのを確認した。 健は剛が家にいないことで正直いくらか安堵していた。彼と接触しないということは、健にとって現実から引き離され夢の世界へ飲み込まれていくことと同じだったが、健はそれを心地よいことだと信じるようになっていた。 健はゆっくり息を吐き、かばんを自分の部屋に置いてこようと二階への階段を上りかけたが、とたんに危うく足を踏み外しそうになった。 突然電話のベルがけたたましい音で鳴りだしたのだ。 その音はこの家の電話のベル音とは違っていたばかりか、健がこれまで一度も聞いたことのないような音だった。にも関わらず、不思議と健はそれが電話が鳴っているのだと理解していた。 健の中に恐怖がうっすらと蘇った。しばらく階段の横から電話の音が鳴り響くリビングルームを見張るように覗き込んでいたが、電話のベルは一向に鳴り止もうとはしないようだった。 大音量の不快感に耐えきれなくなった健は、仕方なく一歩ずつリビングルームへ足を踏み入れ電話台に近付いた。 そこへ健の目に飛び込んできたものがあった。電話台の上に置きっぱなしにされた一通の封筒だ。 健は封筒を確認するや否やはじかれるように受話器を取り上げ、必死で耳に押し当てた。さっきまでのけたたましいベル音が嘘のように、突然訪れた静寂は逆に耳に痛く、健にはその少し低い関西弁が聞こえるまでの時間がひどく長く感じられた。 「そない慌てんでも切ったりせえへんよ。」 岡田は電話の向こうで少し笑いながら、健の行動を見透かしているかのような奇妙なことを言った。しかし健はそれを不思議に思うこともせず、ただ落ち着いた彼の声を聞くことでほっと胸をなで下ろした。 「…おれさ、今岡田じゃないかと思ったんだ。この電話。」 「へえ、おれはもうてっきり健君は俺のことなんか忘れとると思っとった。」 健は岡田のことを忘れていたわけではなかった。確かに最近剛のことを考える時間は長くなっていたが、それ以上に転校生の存在は健の中で大きくなっていた。そして、彼のことを考える時は決まって星空を見るのだ。 あの目を閉じると瞼の裏に見える、あたり一面の星の群。 「岡田…おれ今、ここにある封筒を見たら急に岡田に会わなきゃいけないような気がしたんだ。」 健はたった今目が覚めたかのように慌てて受話器を持ち直すと、そっと封筒の上に指を置いた。 「封筒?」 「うん。剛が大学に落ちたっていう通知の封筒。」 健は何のためらいもなく岡田に剛の不合格を告げてしまった。しかしなぜか罪悪感は薄かった。岡田にならいい、と思ったのかもしれない。 「そうか、剛君落ちたんか。ならふたりはここで別れるんやな。」 健は急に頭から冷水を浴びせかけられたような気持ちがした。 別れる。そんな恐ろしいことにどうして今まで気付かなかったのだろう。封筒をはじめて見た時、確かに悪い予感はしていたはずだったのになぜか卒業した後のことは何も考えていなかった。 健があまりに黙り続けていたため岡田は疑うように続けた。 「だってそういうことやろ?二人は今までずっと一緒やったのに、その封筒たった一通で別々の道を行くことになるんやから。」 健は岡田の声を聞きながら封筒をゆっくり手にとり、隅から隅まで眺めた。彼の言うことはもっともだ。こんな薄い封筒が自分達の運命まで変えてしまうなんて奇妙だった。 「あんな、健君。本返したいねん。」 健は弾けれたように顔を上げた。 「え、」 「おれ借りっぱなしやったやろ。銀河鉄道の夜。ニ時までにここに来て。」 なぜか健は岡田の言いたいことをずっと前から知っていたような気がした。当然のようにああ、とだけ短く返事をすると場所も聞かずに電話を切り、コートのボタンをかけ直して外へ出る準備をした。 学校の屋上だ。 はっきりとそう思った。彼はそこにいて、そして自分は行かなくてはならない。使命感とは少し違っていたが健は理由もなく確信し、毎朝起きて学校へ行くように、今自分が学校の屋上へと向かうことを当然のことだと感じていた。 居間の時計を見上げると、午後一時すぎを指している。 健は今し方脱いだばかりの靴をもう一度履き、急ぎ足で家の玄関を出た。しかしまっすぐ駅へと向かう足をふと2、3歩のところで止め、思い出したようにゆっくりと振り返った。 健はもうすっかり見慣れたはずの家を、真新しいものでも見るような気持ちで眺めていた。屋根はこんな色だったろうか、窓はこんな形だったろうかと、見れば見るほど幼い頃の自分や昔の出来事が目の前によみがえる気がして目が離せなくなっていた。 この家に来た頃のことはあまりに小さくてもう覚えていない。思い出すことといえば遊んだことやケンカしたこと、それらの場面の中では自分の隣に必ず剛がいた。気が合うとか合わないとかそんなことを考えたことは一度もなかったが、自分と剛とはお互いに、向い合わせではなくても自然と隣にいて、そんなふうにこれからもずっとつき合っていくのだと当たり前のように思っていた。 健は、今岡田に会いに行ったらもうそれきりこの家に帰って来ることは二度とないだろうという予感がした。そしてそれは剛とももう会うことはないということでもあった。 「…さよなら。」 健は口の中で小さくそうつぶやくと、一歩一歩駅までの道を歩き出した。
学校の校庭の道ぞいに並んだ桜の木には花も葉さえもなく、灰色の空を背景になんだか淋しく感じる。 剛は卒業式のリハーサルを終えた後、何人かの友達と連れ立って校庭の朝礼台に腰かけ、取り留めのない談笑を延々と続けていた。まだリハーサルだというのにみんなもう感慨深い気持ちになっているらしく、普段なら気にもとめないような思い出話にも花を咲かせていた。しかし友人達はみんな自分の過去に浸るのに夢中で剛の様子に気付く者はいないようだったが、剛はみんなが笑うと一緒に笑い、その後必ず自分の足元に目を落とす。それの繰り返しだった。 剛は、みんなが文化祭の話をすれば、ずっとつまらなさそうな顔で出し物を見ていた健の横顔を思い出し、修学旅行の話になると、列の一番後ろをゆっくり歩く健の手をむりやり引いて早歩きした時の手の感触を思い出した。 それは自分の中の健の存在がいかに大きいかを証明しているような気がして、剛は不愉快だった。 剛は小さい頃からずっと、友達や近所の人に健との仲の良さを誉められるたび 「あいつは仲が良いとかじゃなくて、いてもいなくても同じなんだよ。」 と同じ言葉をくり返してきた。実際、あの不合格通知が来た日から健との関わりはほとんどなかったが生活は今までと何も変わらなかった。 だが思い出は彼との不思議なつながりを否定させてはくれず、剛は誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。 と、そのとたん校庭にチャイムが重々しい音で響き渡り、剛は驚くと同時にはっと目が覚めた気がした。 校舎の時計を見上げるともう午後二時の十分前だ。友人達は一様に同じことを考えたらしく、一人が「場所を移動してどこかに入ろう」と提案すると皆二つ返事で賛成した。 剛はそこではじめて、自分だけかばんを持っていないことに気がついた。教室に置きっぱなしにしてしまったらしい。友達は剛の珍しい失敗をやたらとおもしろがった。剛も自分のうっかりに多少驚きながらも一緒になって笑い、「先行ってて」と短く言い残すと教室へと走った。 面倒なので靴のまま生徒玄関を抜け、リズム良く階段をかけ上がる。いつも通りの教室までの道のりのはずだったが、剛はもう何かが違っていることになんとなく気付いていた。それは上に上がるたび、屋上に近付くたび強くなる。剛はむりやり知らんふりをして4階の教室にかけ込んだ。これでかばんを取って帰ればいい。そう胸をなで下ろしかけた時、剛は凍りついた。自分が珍しくかばんを忘れたりしたことも、偶然ではなく必然だったのだと思わずにはいられなかった。 剛の机の上には、健がいつも持ち歩いていたはずの「銀河鉄道の夜」がきちんと中央にそろえて置かれていたのだ。 手のふるえを必死に堪え、ようやく本を取り上げると剛は弾かれるように教室を飛び出した。なぜ自分がこんなに恐怖にも似たような気持ちになるのかは分からなかったが、今行動しなければいけないという漠然とした思いが剛を屋上へと向かわせた。屋上へと続く階段は薄暗く、嫌でも剛の不安な気持ちに拍車をかけた。
健はコートのポケットに無造作に放り込まれた携帯電話を取り出し、ディスプレイを灯した。画面の時計が午後ニ時ちょうどを告げている。健は屋上へ出る重い扉を両腕で押し、隙間からもれ出る光につい目を固くつぶった。 目を閉じていても瞼の中に白い光が見える。とても長い時間が過ぎた気がして健がゆっくり目をあけると、濃紺の空に無数の小さな光がちらちらと燃えているのが見えた。まるで真夜中のような星空に驚いて健が携帯電話の時計を覗き込もうとした時、左肩の後ろから聞き慣れた少し低い声が聞こえた。 「午後二時ちょうどやな。」 あの転校生が、列車の扉口に立って健に声をかけている。健はそこではじめて、自分が駅のプラットフォームに立っていることに気がついた。学校の屋上の風景などはもうどこにもない。 健は見たこともないはずのこの駅のことをよく知っていた。そして自分を迎え入れようと扉の口を開けている目の前の列車のことも。どこかから「銀河ステーション、銀河ステーション」というアナウンスが重々しく響き渡った。 健は、岡田が列車の中から自分に手を差し伸べていることに気がついた。岡田は今まで健や他の誰にも見せたことのないような笑顔で、差し出した手をさらに健の目の前に出した。 健は彼が初めて自分に話しかけてきた日のことを思い出した。あの日突然話しかけられて嫌な気持ちになったのは、単に驚いたからだけではなかっただろうか。健は常に人に囲まれている岡田をうらやましいと妬む反面、賞賛の眼差しで見ていたかもしれない。だから岡田が次第に自分と親しくしてくれると単なる喜びというよりある種の優越感を感じ、彼から離れることができなくなった。同時に、昔からあんなに一緒だった剛からは遠ざかっていった。 健は岡田が学校に来た最後の日、あの何もかもがオレンジ色に染まった屋上で、彼に言いそびれた言葉を思い出した。 「岡田はこんなに近くにいるのに、おれ剛が今どこで何してるかなんて全然分からないんだ。 おれ…剛から離れていくたび岡田に近付いていく気がする。」 健は差し出された岡田の手にそっと触れた。その瞬間、健は体の中で何かが大きく渦を巻き、何もかもを飲み込んでいくのを感じた。
**************************** すいません…なんかこんなに(下)が長くなるとは思ってもみなかったんですが…(‐‐;) あんまり長すぎて投稿できなかったので分けました。 つーか…それは長すぎだろうっていうかんじ…(‐‐;) (上)と(中)の時にもっと考えとくべきでした。(泣)
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