月の横顔
ナッシエのイラストを描いたら知り合いが書いてくれました。ラキー。









ごん。

「う。」

突然背中に硬いものを押し付けられる。

空っぽな胃の真裏をどつかれて無防備に間抜けな声が漏れた。

木杓子を握ったままのろのろと振り返った肩越しに、銀の髪の少女の不服そうな顔がある。

「退屈じゃ」

そう拗ねたように言い捨てた彼女は、こちらの背中に口元を押し付け目を据わらせている。

「・・・疲れてるんだったら寝てていいって言っただろうが。」

「眠くはない。元々わらわは夕方からの方が目がさえるのじゃ。」

くぐもった声でそう言って、きょろりと見上げてくるのがまるで小動物のようで、その様子は不本意ながら『愛らしい』という感想を抱かずにいられないほどだ。

思いがけなく間近にあるそんな視線をどうしたわけか受け止めかねて、金髪の青年は元の姿勢にもどると煮立った鍋に目を戻した。

作業を再開しながら、なぜか慌てている自分を誤魔化すように口を開く。

「・・・でも今日はやたらと手応えのあるモンスターに出くわしたんで疲れてるだろう?さすがのオババ殿も───」

ごんっ!

「うっ!」

同じ場所をかなりの勢いで突かれて木杓子を持った手が宙に浮いた。



「あのなっ。今、こいつのアクをとってるんだ。ここでしっかりやっとかないと風味がガタっとオチるんだぞ。まずくてもかまわないんならいいが、それが嫌ならおとなしくしててくれ。」

的をえてるんだか外しているんだか分からない怒りの言葉に、背中の声があきれた色を帯びる。

「野外の料理に・・・細かいことを気にする奴よの。」

「俺はシチューに関しては譲れないんだ。」



料理している間は休んでいて良いと言ったのに、座って料理をはじめた彼と背中あわせになったままで彼女はとりとめの無い話をしていた。

しかし、しばらくの間口を開かずにいるからもしかして眠ったかと思い、そのまま黙って仕事をしていたら、これである。

まったく次の行動が読めない相手だ。



「できはどうじゃ。」

「悪くなさそうだぞ。何しろこいつの肉が締まっていてなかなかいい。」

背後に向かって返事した後で、そんな連れが神経の太い人物で助かった、と思う。

実はこの鍋の中で煮込まれている野ウサギは、先ほど自分たちを襲ったモンスターのなれの果てなのである。

敵の中には、ごく普通の動物や植物が所謂「邪気」に捕まってモンスター化したものがある。

こちらの攻撃によって、その個体をできるだけ傷つけずに邪気のみを取り払い浄化させることができた場合運がよければそれらの動植物は元の姿に戻ることもあるのだ。

そういったもの達は多くの場合、彼や彼の連れにとっては戦うのに難儀する相手ではない。

けれどその日は出会った数が多かった上に、そんな下等なモンスターの親玉とでもいうべき少しばかり厄介な敵がそれらの手下を引きつれて次々に現れたものだから、かなり難儀した。

その上、昨日に引き続き今日も宿屋に行き当たらなかったので、野宿はすかぬ、と不平をもらす連れをなだめすかしながらモンスターの存在の気配が無いひらけた場所まで出てきて、そこで夜を明かすことにしたのだ。

おかげでかなり疲労していた。

青年自身は職業柄いざとなればどこででも寝られるし、わずかな食物からでも効率よく栄養分を摂取できるような環境に適応できる身体づくりをしてきた自信はあるのだが、ここしばらくはまともな宿に泊まり人間らしい食生活に身体が慣れてしまっていたもので急激な変化には対応しづらい。

訓練もつんでいない女性づれであればなおさらだった。

そんな訳で夕飯は少し栄養のあるものを、と思いこうして料理しているのが、戦闘後に副産物として仕留めた獲物を利用しない手はないのではないか、という彼女からの大胆かつ合理的な提案により決まった、野ウサギのシチューなのである。




そんな経緯を思い起こしながら鍋の中を覗いていると、どついてきた人の頭がまるで甘えるように、背中の上で、すり、と動く。

鼓動が跳ねた。




まったく、いったいどうしたっていうんだ。

彼女の態度と、それにいちいち振り回される己の心臓の不可思議さに、何やらむっとしてしまう。

「後ろを守ってくれてるんじゃなかったのか。」

「おんしが料理に専念したい様子だから申し出たまでじゃ。」

「じゃ、しっかり見張っててくれよ。」

「殺気はまるで無い。下っ端の妖魔すらあらわれぬようでは・・・退屈じゃ。」

「現れなくて結構だ。そういう奴らが一番邪魔なんだからな。作りかけの料理の鍋に土くれを放り込んだり火種をかきまわしたり・・・だいたいな・・・、」

青年は木杓子を脇に置くと背を伸ばして振り向いた。

「なんでそんなに退屈がるんだ?子供でもあるまいし。」

ちらり、とにおわせた皮肉にも特に動じずに、「少女」は彼の背中に寄せていた頭を起こすと腰を引き、膝を抱えて座りこんだ。

「『何か』を待つ間というのは長いものであろう?」

そう言って、足のつま先を二、三度ぱたぱたと動かしてみせる。

彼女は老成した中身に似合わず子供っぽい仕草をすることが時々あった。いつもという訳ではないが、どうも今日はそんな仕草のオンパレードだ。

それに振り回されて調子が狂いっぱなしである。

やはり、お互い疲れているのかもしれない。

そう思ったが口には出さずに「要するに腹が減ってるわけだな?」と青年は答えた。




やがて味付けも一段落したので仕上げにしばらく煮こむために火を小さくして鍋にフタをずらして置いておこうと思ったが、傍に置いておいたはずのそれが見当たらない。

きょろきょろしていると、

「これかえ?」

という声がしたのでそちらに振り向くと、背後の人の白い手の上に小さな鍋蓋があった。

「オイ、返せよ。」

その言葉に返ってくるのはくすくす笑い。

まるでそっちが悪戯好きの妖精みたいなものだ。

いつも外見とは裏腹に分別臭く落ち着いているのに・・・と、訝しいような可笑しいような気持ちから、ため息で笑いながら

「オイ。」

と手を伸ばすが、じりじりと後退していく相手にあと少しのところで届かない。

もう少し、と長い腕を伸ばしてとられたものを取り返そうとした途端、地上に落ちた月が目の前で、ひらり、と舞ったような気がした。

それを追いかけて身体の向きを変えた矢先、その銀の月が、ふぁさりと身軽に彼の目の前に降り立ったのである。つまり、身を翻した彼女が彼の膝の上に座り込んでしまったのだ。

そのあまりの身軽さに驚かされたばかりか、宝石の様な瞳から挑むように間近に見据えられて言葉がでなくなった。

まるで闇のやすらぎの中から立ちのぼるような香料がはなさきを掠める。

なめらかな肌は少女達のあこがれる白磁の人形を思わせ、時を止めた小柄でしなやかな身体はそれこそ人形の様に軽く、蒼と純白の服のドレープの下からも清々しさと妖しさが同時に立ちのぼってくるのを感じさせる。

服の裾からすんなりと伸びた脚が彼の両脚の間に投げ出された。



「待ちきれぬわ。せめて食前の酒でもいただきたいものじゃ。」

「な・・・なにっ?」

思わずのけぞった顎の下を白い指先が、すい、と捉えた。

極上のルビーを思わせる鮮やかな瞳に光が宿り、微かに開いた薄い唇の間から薔薇色の舌先がちらり、と覗く。

そのまま指先がするすると降りて、外套の左胸をぴたりと突いた。

「早い。」

そんな言葉とかつて見たことの無い艶然とした笑みに心臓以外の動きの一切を奪われる。

「は、早いって・・・」

「ふふ。」

至近距離で目を細められて思考がバラけた。




この雰囲気はいったい何だ。

出会って以来ずっと自分を馬の脚扱いしているオババ殿のそれじゃない。

そんなことより、食前の酒・・・って。

酒。酒?

・・・まさか血を吸うつもりじゃないだろうな。

嫌だ!そんなのはごめんだ!俺は吸血鬼の仲間なんぞになりたくない。

だいたいこうして連れ立っているということ自体予定外の事態だっていうのに。

そんなことが瞬間的に次々と脳裏を掠めるうちに、目の前の白い顔がますます近づいてくる。

その微かに開いた誘うような唇はこちらの首筋を狙っているわけではなくて・・・どうやら・・・その・・・




───うわーっ・・・!




思考が飛びそうになった瞬間、突然首筋の皮膚に冷たい痺れが走った。

殺気!!

反射的に振り向いた刹那、右肩を瞬間的に強く押される感覚の直後に、目の前を銀と白と蒼の色が駆け抜けた。

身を翻しながら抜いた剣を邪悪な気配に向かって投げつけたまさにその瞬間、あたりに雷鳴が轟き黄金の光が空を切り裂いた。

彼の目が瞬時に捉えた邪悪な気配の塊は巨大な花の姿をしており、黄金の光に刺し貫かれた瞬間禍々しい触手を宙に伸ばすと、毒々しい鮮やかさを脳裏に焼き付けて姿を消した。

彼の放った剣がわずかに遅れて空しく地を突く。



「やれやれ、頼りにならん男じゃのう。」

何もなくなった地面を見ながら深く呼吸している傍から、のんびりと声がかかった。

「すまん。」

そう返した後で、こちらが謝るようなことだろうかと、ふと思う。

確かに気配に対する反応は遅れたが敵が視界に入っていた彼女の対応が早いのは当然だし、共に戦っている者同士は助け合うのが当たり前なんだから別にかまわんじゃないか。

そんな考えが掠めた傍から、事実を真正面から見つめようとする彼の公平な目が、さきほど置かれていた心の状態を冷静に己に知らしめる。

そうだ。思考が食われていたことをやはり反省しなきゃならないのだ。

何に食われていたかっていえば、それは・・・。




優雅な手つきで服のほこりを払う「少女」の姿を見る。

彼女はそんな青年の視線に頓着することなく、また、それ以上彼の「ふがいなさ」を追及することもせずに事実だけを淡々と述べた。

「妖花じゃ。・・・あれは日があるうちの怪物ゆえ、これ以上は出ないであろう。」

そう言ってくるり、ときびすをかえす背中に青年は声をかけずにいられなくなった。

「おい、シエラ。」

「なんじゃ。」

「さっきのだな・・・あれは、いったい何なんだ??」

シエラは、ふっ、と振り返った。その背で銀の髪が揺れる。

「さっきの、とは?」

「え?・・・だ、だから・・・」

言いよどむ言葉の上へと被せるような、人の悪い微笑み。

その、にぃ、とした笑いの眦に、なんとも言えない艶めかしさを残して彼女は前に向き直った。

「・・・退屈だったのじゃ。」

そう言い残して、すたすたと火の傍に近づいていく後姿に青年は思わず肩を落とした。



───完璧に振り回されてる。



やれやれ、といった足取りでそのあとに続くと、彼女は鍋に視線を落としてその前に屈み後姿のままで呼びかけてきた。

「ナッシュ。」

「うん?」

「おんし・・・」

ナッシュは立ったままで、彼女が指差す先を見た。彼女が見つめているのは・・・

「・・・鍋にフタ。」

自分でも思いがけないものを見て、ぼそり、と呟きが落ちた。

どうも、敵を倒そうと振り返る一方で、シエラが手放した物を手にした彼自身が、無意識のうちにそれで蓋をしたらしい。

戦闘で舞いあがる土ぼこりに、せっかく作った食べ物をだいなしにしたくないとの判断が咄嗟にはたらいたのだろう。

膝頭を立てて屈んだままでシエラが珍しく声をたてて笑った。

「おんしにしかできぬ芸当だわ。よほど食い意地がはっているとみえるのう。」

「悪かったな。」

憮然とした調子の言葉を返すが、考えると自分でもさすがにおかしくなって笑いがこみあげてくる。

とりあえず鍋の中身が無事でよかった、と思った。

そんなふうに人心地つくまもなく、「さて、いただくとするかの。」 との言葉とともに火を挟んではす向かいに陣取ったシエラが、はようはよう、とせかしてくる。

そっくりかえらんばかりの態度はまさに少女の皮をかぶった「オババ様」で、その様子は、さきほどの小動物のような甘さとも膝の上で見せた艶めきとも程遠い。

───しかし。



鍋の蓋を開けて、暖かな湯気に鼻先をあおられながら思う。

───どうも、今の自分にとって目の前の「少女」はとてつもなく「大切」らしい。

木杓子をかきまわし、ひとくち味をみる。

湯気の向こうから無言でせかしてくるのをちょっと待てと目で制して香辛料を少しだけ足す。

彼女が彼の任務に関する貴重な情報源であることは確かだし、見た目はまぎれもない「乙女」だから、守ってやる必要性は感じる。

しかし持っている力は並以上で「常人」でないことはとっくにわかっているから、道連れとして頼りにしている気持ちも本当だ。

だから油断した。

見た目どおりの乙女なら・・・純粋に守ってやれねばならない相手なら、こんな風に心を食われることはなかったはずなのだ。

年下の少女の年齢相応の手管ごときに心を揺らすことはないからさっきのような場面でも敵の気配に出遅れることはなかったはずだ。

自分は気持ちの上で、背中を完璧に彼女に預けてしまっていたのだ。

自分は油断していた。

そうでなければそれこそ膝の上の少女よりも先に全てを察して、身体は俊敏に動いたはずだ。

おそらく・・・

(鍋の蓋をすることも、忘れずに、だ。)

シエラにシチューの皿を渡した後で自分の分をよそりながら口の中でひそかに呟いた言葉がどこか苦い。




黙り込んだままシチューの皿にとりかかろうとしている彼に声がかかる。

「一筋縄ではいかぬ相手ぞ。」

その言葉に口に運ぼうとした匙がとまった。

「誰がだ?」

「27の真の紋章の持ち主じゃ。」

皿に目を落とし匙を扱いながら、人事のような言葉が続く。

「おんしが任務をまっとうするには、まずそれを肝に銘じておく必要があるのう。」

「わかったよ。」

今、身にしみているところだ。口には出さずにそう付け加える。

「疲れておるようじゃの。」

───誰のせいだ、誰の。

「腹が減っては戦はできぬ。しっかり食せ。」

───はいはい。

「なかなか・・・美味ゆえな。」

───・・・・・。

言われてあらたにひとさじ口に運ぶ。

確かに、美味い。こういう野営の料理には元々自信があるが、自分だけのために作ったとしたらこれほどうまく作れたかどうか怪しいものだ。

うまく作ろうとしたのは

危険を察知した瞬間にすら、とっさに鍋の中の料理を守ろうとしたのは

それを食べさせようとする相手がいたからなのだ。

そして、それが彼女だからこそ───




ナッシュは匙を宙で握ったままふいに顔を上げた。

「シエラ!」

「なんじゃ。」

「食べたら場所をうつすぞ。」

シエラが不愉快そうに視線をあげる。

「・・・これからか?」

「この場所は、ひと晩過ごすにはまずい。さっきくらいのレベルのモンスターが又でてくるようじゃ、とても休まらないからな。」

「・・・・・。」

シエラは皿を傾けて最後のひと匙を口に運んでから、おもむろに頷いた。

「ふむ。まぁ、仕方あるまいの。充分に休んで明日にはまたしっかり歩いてもらわねばならぬ故。」

彼女は空になった皿を傍らに置き、取り出した白い布で口元をぬぐう。

「おいおい・・・また明日もあんたを担いで俺が歩くのか?いいかげんに・・・」

抗議しかけた言葉は、視線があった途端に投げつけられた壮絶なまでの美しい笑みと、裏腹の不穏な空気にひっこんでしまう。

ナッシュは、むっつりと鍋に残ったシチューを自分の皿によそった。

「もう、食わないのか。」

「たくさんじゃ。」

「足りるのか、それっぽっちで。」

「おんしのような大食らいと一緒にするでない。」

「わかった。じゃあ大食らいが全部かたづけさせてもらう。」

やぶれかぶれな調子で残ったシチューを全部自分の皿にあける青年を見やる紅の瞳は、思いのほか優しいものだった。

その視線にきづいてナッシュが目を上げると、シエラは、ふい、と空の向こうを見やった。



「ミューズは思ったより遠いようじゃのう・・・。」

あさっての方角を向いたままそう言って伸びやかな両足を投げ出す姿に妙に騒ぐ胸と、再びやってくる明日の強行軍に思いをはせて、我知らず嘆息するナッシュである。

───仕方がない。とことんつきあってやるとするか。

染まり始めた西の空にせかされながら一気に皿の中のものをかたづけて、そう腹を決めた。




そんなふうに言えばたぶん

「つきおうてやってるのは、こちらのほうじゃ。」

などとあの愛らしい唇が、つけつけと言うに決まっているのだけれど。









エビで鯛を一本釣り。