記録書(ラテルネ)紹介コーナー
                           山と渓谷に掲載
              Yamakei Journal  
                                 山岳会会報  今月の一冊
                            地方山岳会と地域研究の取リ組み 
 
   会報というものは、メンバー個々人の自由な活動が、自然にほかのメンバーと共鳴して振幅し、会報という
  形で外部に表現されたときに、作るほうも納得でき、第三者にとっても好感のもてる内容になることが多い。
  五頭山塊は、新潟:県の沢でも、飯豊や上越国境の沢のように、険谷であるわけでも、とくに有名な沢がある
  わけでもない。その代わりというか、だからこそ、記録が整理されていない部分や、未発表の部分が残され
  ている。
  地元の山岳会のメンバーが、見知った沢から一歩踏み出し、地域研究としてまとめようと思いつくことは自
  然な流れだったろう。峡彩ランタン会は、本人たちがいうように「中高年の素人の会」であり、遡行が好き
  な会員が多いわけでもない。ただ新潟県の山々は、藪山も多く、日本海の湿気もあって、夏の尾根歩きに、
  そういい条件、環境とはいえない。そこで、「沢登りの楽しさを党えていれば、丁度よい水温のなか、魚影
  を見、イワナが足袋に驚き触れる感触も爽やかに山頂に立ち、長い夏の日もようやく海に大輪の夕日を沈め
  んとする頃に蝿の声を聞いて下山できるのである」という地に足のついた感党で、登り、そして記録にまと
  めるという地道な作業に取り組んでいるのがよくわかる。
  うらやましいほどに楽しげな内容で、会報そのものは300ページの大部でありながらも、整然としている。
  真木山から宝珠山までの稜線で東西に分けられる五頭山塊を、さらに安野川、大荒川から網木川までの8つ
  の水系に分け、それぞれ、本流支流、遡行下降と詳細な記録がある。また、遡行図もそれぞれの沢について
  ていねいに付けられている。
  会員がシーズン初めの足慣らしに登る小倉沢から、整然と並べられた記録のまにまに、「五頭の沢の先駆者」
  や「五頭の沢遡行『注意と心掛け。』」といったコラムがスパイスに効いていて、地元の人が書くだけに、
  適切でこまやかな味付けがされている。写真もふんだんに使われ、五頭に不案内な人でもイメージしやすい。
  「地方山岳会は山に強いものがいても、記録・記述には弱いものが多い。(略)発表機関を持っていないせい
  もある。
  むしろ、中央山岳会が道路事情もとみに良くなって、こんな五頭くんだりまで遠征して来て、丹沢の沢、奥
  多摩の沢と比較せんと入谷して発表してきはじめているのが現状である。地方岳人よ!記録報告にも目覚め
  よ!」という檄に、都市人間のロマンチシズムとは違う、地付きの人のこういった地域研究を今後も多く期
  待したい。
  そして、「あんな滝もほとんどない小沢に首を突っ込んでも意味ないではないか。蜘蛛の巣払って登る沢な
  んて沢ではないさ。おいしい所だけ取る者、発表甲斐のある沢やって注目されたい者はどうとでも言え、そ
  の沢がつまらぬ沢かつまる沢か、もう一度行ってみたい沢かは行った者でしか分からないのだ。頭で分かっ
  ても身体で分かるのは本人だけである」という言葉に、自己満足を越えた意味で、たとえ卓越した登山の記
  録でなくても、一定のことをやり遂げた者がもつ、若干の余裕を感じることもできる。
  いうまでもなく、このような地域研究が可能だったのは、文中述べられているように、「高き山尊しにあら
  ず」「低き山易しにあらず」「技術高き者人の優者にあらず」「遊山低俗にあらず」「若き者も優遇せず、
  老いたる者退けず」といった、ときに無気力な者の言い訳として聞えがちな言葉が、メンバー個々人の「身
  分相応」で自由な山への姿勢として身についているからであろう。
  そういう意味で、冒頭に述べたように、たとえ五頭山塊について知識のないものでも、好感をもって読める
  会報として仕上がっている佳作といえる。
  都市住民としてみて、なかなか含蓄のある言葉が多かった。            (文・宗像 充)

                           「山と渓谷」2003年1月号に掲載