「カフェ・ド・KAORI」とその店主の目指すもの。


道しるべとなるカフェ「幹」

 

 「カフェ・ド・KAORI」にようこそお越しくださいました。初めてお越しくださった方にこのサイトの説明を少しお話したいと思います。駄文ではありますがどうぞお付き合いくだされば幸いです。

 さて、最初に申しますとこのサイトは私の夢のかたちです。つまり、私の夢は「こころとからだにやさしいカフェ」を開くことなのです。
 しかし、サイト立ち上げ当初は、そこまで言いきれるほどコンセプトもはっきりしていなく、コンテンツもいろいろなものを作っては消していました。プロフィールをお読みいただければわかると思いますが、私自身好きなことがとても多く、何に主眼を置いてHP作りをすれば良いか自分でもわからなくなっていました。

 このサイトは私の夢のかたちなだけに、私自身の置かれている状況を映しているようなものでした。
 サイト作りに本腰を入れ出した頃は、私は大学3回生。これからの自分の人生について考え、そして就職か進学か答えを出さねばならない時期に差し掛かっていました。当初私は、自然を通して心の大切さを伝えていくという「環境教育」を用いた生涯学習に興味を抱き、埼玉大学教育学部の大学院(阿部先生の研究室)を受けましたが、学部が違うことや学外からの受験であること、また勉強が足りなかったことから不合格となり、研究生として半年間頑張った上で再び受験するつもりでいました。
 その頃、大学でのクラスメイトがうつ病にかかり過食と拒食を繰り返していることを知り、心配だった私はとりあえず電話をしてみました。しかし、彼女は「誰とも会いたくないし、話すのもつらい」と言いました。私は、無力な自分を情けなく思い、どうにかして力になれないか、そう必死に頭をめぐらしました。そして、ひとつだけ方法を思いつきました。私がホテルのフロントのバイトをしていたときに一緒だった友達に京大の社会学部の院生がいたのですが、彼女の教授はレディスカウンセリングをやっているというのを聞いていました。その情報をひとつのきっかけとして考えてもらえば...そう思い私はペンを取って葉書を書いたのでした。
 数日後、家に帰って留守電を聞いたとき、彼女から「もうちょっと詳しく話を聞きたい」という内容の伝言が入っていました。電話で話すことさえ嫌がっていた彼女が、自分から電話をかけそして留守電にまで声を残してくれたのです。言葉で言い表せないほどうれしかったです。
 年は明け、1999年1月彼女から年賀状が届きました。しかし、それは年賀状というにはあまりに尊い、手紙を凝縮させたような葉書でした。細かい字でびっしりと、カウンセリングで紹介された病院へ行ったこと、そのお陰で四条(京都の繁華街)にも足を伸ばせるようになったこと、私への感謝などが書いてあったのです。このときです。「本当に私がやりたいことはこれだ!」と感じることが出来たのは。私の存在(行動)によって人が喜んでくれる、これが私の存在意義なのではないか...そう思ったのです。
 それから、カウンセリングについて調べてみたのですが、カウンセラーになるためには最低限の資格が必要とされること、またその中の一つに栄養士という「食」についての資格があげられていることがわかりました。過食・拒食をしていた彼女の話を聞いていたので、私の中には「こころとからだは切り離せない」という考えがしっかり根付いており、この時点で「栄養士」という選択が顕在化しつつありました。
 このことを親に話すと、意外にもあっさりと賛成してくれました。おそらく、研究生といういわゆるフリーター的なものよりも、堅実に資格を取得できるからという理由もあったでしょうが、わかってもらえるだけの考えをすべて伝えられたという自負も私にはあります。

 というわけで、大学を卒業してから栄養士の専門学校へ通っている、というのが店主の今の状態であります。
 そして、今年は就職活動ということで、さらに夢の実現に向けて人生設計を具体化させていこうと考えているわけですが、その考えの揺れは随時このサイトに反映されるものと思われます。お見苦しい点も多くあるかもしれません。しかし、すべてを含めて私であってうそ偽りは一切ございませんので、多少目をつぶっていただけるとありがたいです。

 サイト名を「カフェ・ド・KAORI」にしたのが1998年10月のことでした。そのときから、私のうっすらとした夢がほんのすこしずつ色をつけて、やっとここまで来ました。もちろん前進ばかりではありません。後退も、やめようとさえ思ったことも数多くありました。しかし、いろんな人の「やめてほしくない」という心からのお言葉のお陰で、よたつきながらもここまでやって来れました。一度でもこのサイトへ足を運んでくださった方全員に心からお礼を申し上げます。

                                                                    2000年3月


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