マンダレーヒル

10月2日(土)

    
    Mg Aung 君にマンダレー市内を案内して貰った後、一旦ホテルに戻って休む。
    サンセットの撮影のためマンダレーヒルに登りたいので、夕方再度迎えに来て貰う。
    平原の町マンダレーにポッカリと隆起した高さ236mのマンダレーヒルは丘全体が
    寺院となったマンダレー最大の聖地。
    
    マンダレーはヤンゴンに次ぐミャンマー第2の大都市(?)で、イギリスの植民地になるまで、
    この国最後の王朝が置かれていた。
    この王宮の横を通ってマンダレーヒルに向かう。
    
    Mg Aung 君が車を持って迎えに来たが、もう1人同乗者が居た。
    TunTun 君という名前で Mg Aung 君の英語の先生であるとの紹介だった。
    私がマンダレーを去るまで、これ以降ずっと一緒について回る。
    Mg Aung 君が車の所に待機して、TunTun 君とすべての見所を一緒に歩き、
    彼がガイドしてくれる結果となる。
    私が頼んだ訳でもないのに迷惑だなと思いながらも、彼のガイドは結構ありがたい。
    食事代の面倒はみたが、頼みもしないのに勝手に来たのだから、結局彼にはガイド料は
    支払わなかった。
    
    翌日も終日彼と行動を共にしたが、その間に聞いた彼の身の上話です。
    彼が呉れた名刺には、あるホテルのツアー・オーガナイザーの肩書があった。
    ツアー・オーガナイザーと言うのは、ホテルの宿泊客からガイドの依頼が有った時
    客を案内して報酬を貰う仕事のことらしいが、実際仕事が来ることは殆ど無いらしい。
    やむを得ずサイカ・ドライバーとして働いているらしいが、サイカの借り賃を支払うと
    手元に残る金は僅かなものだ。
    26才独身で、兄夫婦の家に居候をしている。
    現在フランス語学習塾で勉強しており、この授業料を払うと兄夫婦に支払う食費も
    ままならない。
    こんな愚痴を聞かされました。
    同情はしても、私がどうこう出来る問題ではない。
    
    
                             王 宮 跡
            マンダレー王宮跡 ミャンマー
    
    
    南参道入り口から屋根付きの参道が山頂まで続いている、途中には茶店やパゴダもあり、
    山頂まで約1時間かけて歩くのです。
    
                純白の大きな2頭の獅子に守られた南参道入り口
                獅子は1頭しか写っていませんが、右側にもう1頭おります
                  マンダレーヒル参道入り口 ミャンマー


茶店の人達も休憩の一時


旧日本軍の慰霊碑
マンダレーヒル参道のおばちゃん ミャンマー マンダレーヒルの日本軍慰霊碑 ミャンマー


マンダレーヒル山頂から市内を俯瞰
マンダレーヒル山頂より ミャンマー マンダレーヒル山頂より ミャンマー


山頂からのサンセット
マンダレーヒルのサンセット ミャンマー
    
    
 クドードォパゴダ
    マンダレーヒルから下って来る頃には、日はとっぷりと暮れ落ち夕闇に包まれている。
    夜の寺院を撮影したいという私の希望により、クドードォパゴダに向かう。




夜の寺院 マンダレー ミャンマー 夜の寺院 マンダレー ミャンマー


熱心に祈るミャンマーの人々
夜でも熱心に祈るミャンマーの人々 マンダレー ミャンマー 夜でも熱心に祈るミャンマーの人々 マンダレー ミャンマー


心打たれる祈り マンダレー ミャンマー


さくらタワー
旧日本軍の慰霊塔です
ミャンマー各地に ”さくらタワー” と名付けられたこの様な時計塔があります
サクラタワー(日本軍慰霊塔) マンダレー ミャンマー


ご対面

”NAGADEN” (長野電鉄) は私の地元長野市に本拠を置くバス会社です
日本での奉公が終わり、第二の人生をミャンマーでこき使われている姿
日本で廃車になったバス マンダレー ミャンマー


ミャンマーカレー

メインのカレーと共に副菜の皿ががたくさんとたっぷりの生野菜が
出てくるので見た目はとても豪華です。
ご飯は食べ放題、しかしご飯も料理もみな冷えている。
早い話が、”冷や飯に冷汁” で個人的にはあまり美味しいと思わない。
長粒米の冷や飯ほど不味いものはない。
唯一救いは中華料理に比べると、格段に金額が安いこと。

写真には写っていませんが、食後にデザートも出てくるのです。
ミャンマーカレー マンダレー ミャンマー

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