ASIAN HIGHWAY.1

KOBE-TIANJIN-BEIJING-HANGZHOU-SHANGHAI

人間はふと、まるっきり違う場所で、かつて旅した場所と同じにおいをかぐことがある。実際、私も就職活動中、梅田の高架下にて、北京駅でかいだ何とも言えない大衆のにおいと同じものを思い出した・・・・・。

 

そう、それは忘れもしない1回生の夏のことだ。あの旅の計画は、実にひょんなことから始まった。中国語を学んでいた私は、同じクラスの牧や亀元らと「俺らの中国語使えるのか」と言っていたときのことだ。先生がこう言った「行ってみたら…」その一言で、我々の夏は中国旅行に決まった。そこに大下も加わり、「訪中団」は結成されることとなった。

旅行日前日、我々のザックは、「訪中団」から「調査隊」ほどの重さになっていた。私自身、山岳をやっていたこともあって、荷物は出発時から持っていくモノだと主張し、みんなのザックの中身も、さながら出稼ぎ労働者の荷物に勝るとも劣らないほどであった。

重さ20sの荷物を持ち、早朝より神戸は三ノ宮に向かう。当時、阪神大震災により、駅やフェリーポートは壊滅しており、改めてその被害の大きさを認識するものであった。「本当に神戸から船に乗れるのか」そんな疑問を抱きつつ埠頭へ向かう。

「燕京号」天津と神戸を結ぶ日中フェリーである。船内には、我々のような学生と共に、中国人も多く、2等和室はすでに混沌としていた。「バックパッカー」こう呼ばれる人たちを見たのは、この時が初めてだった。内陸のウルムチをぬけ、パキスタン、インドへ出かけようとする者。「モンゴルの大草原で思いっきり、トイレがしたい」と言っている者など、全てが我々にとって新鮮で、興味深かった。

食事はもちろん中華である。しかしまずい。シャワーも最悪で、湯の出るところは一カ所しかなく、ろくにシャワーも浴びられない。私はこのたびにいささかの不安を覚え早々に寝てしまった。その間みんなは、情報収集していた。朝起きたとき、みんなは顔なじみになっており、私だけ取り残されていた。その日は一日一人で甲板にてひなたぼっこ・・・。

朝食(スイカ)後、外に出ると、船はすでに黄土色の海へ入っていった。波は穏やかで、肌に当たる風も五月の晴れた日を思い出させる。昼食後、いよいよ天津へつく。だが、船を下りたのは、3時。まったく、時間がかかる。それとは対照的に、入国審査はあっという間に終わり、晴れて2度目のユーラシア大陸上陸となる。

緊張。まず、北京まで一気に行こう。我々は、客引きの悪そうな顔をした運ちゃん達をかき分け、北京行きのマイクロバスに乗り込んだ。北京までは高速道路が走っている。早い。だがこれが仇となった。途中トイレに行きたくなったが、高速を走っており、しかも言葉が通じない私には、ただ我慢するしかなかった。北京についてまず、トイレにかけこんだ。何かこのたびを象徴する気がしたスタートであった。

宿探しこそ北京、いや中国旅行の最も大変な作業だと知ったのはこの日の夜であった。とにかく見つからないのだ。確かに、近年多くのホテルが建てられ観光客も増えてきた。しかし、我々のような旅行者の宿は逆に減ってきているのだ。結局、雨の降りしきる中、「廣員酒店」と言うホテルに140元という値段で、泊まることにした。そして、飯。羊のしゃぶしゃぶを食べる。胡麻ダレをつけて食べ、日本のしゃぶしゃぶと似ている。中国初日の食事はとてもおいしかった。

今日も降り続く雨。さすがに昨日の宿探しがこたえたのだろう、我々4人は昼近くまで寝過ごした。

北京西駅にドミトリーがあるという。そんな情報を牧がつかんできた。そこで、バスに乗り近くまで行く。途中行きの鑑真号で知り合った京産大の女の子4人組に会う。彼女たちも、ドミトリーを探しに行ったらしいが

 


人間はふと、まるっきり違う場所で、かつて旅した場所と同じにおいをかぐことがある。実際、私も就職活動中、梅田の高架下にて、北京駅でかいだ何とも言えない大衆のにおいと同じものを思い出した・・・・・。

 

そう、それは忘れもしない1回生の夏のことだ。あの旅の計画は、実にひょんなことから始まった。中国語を学んでいた私は、同じクラスの牧や亀元らと「俺らの中国語使えるのか」と言っていたときのことだ。先生がこう言った「行ってみたら…」その一言で、我々の夏は中国旅行に決まった。そこに大下も加わり、「訪中団」は結成されることとなった。

旅行日前日、我々のザックは、「訪中団」から「調査隊」ほどの重さになっていた。私自身、山岳をやっていたこともあって、荷物は出発時から持っていくモノだと主張し、みんなのザックの中身も、さながら出稼ぎ労働者の荷物に勝るとも劣らないほどであった。

重さ20sの荷物を持ち、早朝より神戸は三ノ宮に向かう。当時、阪神大震災により、駅やフェリーポートは壊滅しており、改めてその被害の大きさを認識するものであった。「本当に神戸から船に乗れるのか」そんな疑問を抱きつつ埠頭へ向かう。

「燕京号」天津と神戸を結ぶ日中フェリーである。船内には、我々のような学生と共に、中国人も多く、2等和室はすでに混沌としていた。「バックパッカー」こう呼ばれる人たちを見たのは、この時が初めてだった。内陸のウルムチをぬけ、パキスタン、インドへ出かけようとする者。「モンゴルの大草原で思いっきり、トイレがしたい」と言っている者など、彼らの全てが我々にとって新鮮で、興味深かった。

食事はもちろん中華である。しかしまずい。シャワーも最悪で、湯の出るところは一カ所しかなく、ろくにシャワーも浴びられない。私はこの旅にいささかの不安を覚え早々に寝てしまった。しかしその間みんなは、情報収集していた。朝起きたとき、みんなは顔なじみになっており、私だけ取り残されていた。その日は一日一人で甲板にてひなたぼっこするよりほかなかった・・・。

朝食(スイカ)後、外に出ると、船はすでに黄土色の海へ入っていった。波は穏やかで、肌に当たる風も五月の晴れた日を思い出させる。昼食後、いよいよ天津へつく。だが、船を下りたのは、3時。まったく、時間がかかる。それとは対照的に、入国審査はあっという間に終わり、晴れて2度目のユーラシア大陸上陸となる。

緊張。まず、北京まで一気に行こう。我々は、客引きの悪そうな顔をした運ちゃん達をかき分け、北京行きのマイクロバスに乗り込んだ。北京までは高速道路が走っている。早い。だがこれが仇となった。途中トイレに行きたくなったが、高速を走っており、しかも言葉が通じない私には、ただ我慢するしかなかった。北京についてまず、トイレにかけこんだ。何かこの旅を象徴する気がしたスタートであった。

宿探しこそ北京、いや中国旅行の最も大変な作業だと知ったのはこの日の夜であった。とにかく見つからないのだ。確かに、近年多くのホテルが建てられ観光客も増えてきた。しかし、我々のような旅行者の宿は逆に減ってきているのだ。結局、雨の降りしきる中、「廣員酒店」と言うホテルに140元という値段で、泊まることにした。そして、飯。羊のしゃぶしゃぶを食べる。胡麻ダレをつけて食べ、日本のしゃぶしゃぶと似ている。中国初日の食事はとてもおいしかった。

今日も降り続く雨。さすがに昨日の宿探しがこたえたのだろう、我々4人は昼近くまで寝過ごした。

北京西駅にドミトリーがあるという。そんな情報を牧がつかんできた。そこで、バスに乗り近くまで行く。途中行きの燕京号で知り合った京産大の女の子4人組に会う。彼女たちも、ドミトリーを探しに行ったらしいが、工事中とのことだった。雨が降りしきる中、我々は北京西のバスターミナルで、誰がはじめるでもなく、待っている人と、筆談をしたり、飯を食ったりして、時間をつぶしていた。

亀元は、授業の他に「特修中国語」という科目をとっていた。その講師の先生が、「困ったことがあったら、この人を頼りなさい。」と言って渡されていたメモ用紙を思い出した。その人は、松下北京支店長の息子さんで、我々は、戸惑いながらも電話をし、迎えに来ていただいた。安いホテルに連れていってもらったが、駅からかなり北の方で、市街地には、若干時間がかかる場所にあった。しかし、そんなことはどうでも良かったのだ。疲れ果てた身体を休ませると、おやつを買いに、少し外に出た。すぐ近くで、「美国式」と書かれた看板の下で、揚げたてのフライドチキンを売っていた。うまい!これはうまい。1斤12元という安さで、感動してしまった。

中国2日目の夕食。今夜は近くの食堂に思い切って入ってみた。四川料理の店らしく、麻婆豆腐・紅焼茄子・干焼油魚そして、炒飯。まさに中国料理を堪能した。うまいし、安い、そして何より、主人も親切で私もほろ酔い加減になってしまった。市街地から少し離れているせいか、車の往来も少なく、軒を連なる店先では、おじさん達が、将棋や、音楽を聴いて夕涼みをしていた。夜、支店長さんがやってきて、筆談をしながら会話をしたが、やはり旅行前に補講を受けた私の中国語では、容易に通じる訳もなく、改めて、中国語を勉強しなくては、と思った夜であった。

今日はまず切符取りと両替が先決だ。と言うのも我々の持ち金はすでに、100元を超えることはなく、下手したら宿代を払えない状況にある。朝、まず我々は、バス・地鉄(地下鉄)を乗り継いで、北京駅に向かう。ここで、次の旅程先の洛陽行きの切符をかうのだ。この作業は、宿探しに次ぐ難関だと聞いていたが、意外とすんなり買うことができた。バスで今度は前門に向かう。すると見慣れた「M」の看板が。そう、「マクドナルド」だ。ここで昼食をとることにする。店内は、日本と変わりはなく、トイレも中国にあって中国にあらず、きれいである。ビックマッグセットが18元。日本店物価で考えると安いが、中国的物価だと少し高いはずなのだが、多くの北京っ子たちで溢れかえっていた。腹ごしらえが済むと、王府井の中国銀行へと向かう。

今日はまず、両替が先決だ。というのも、我々のもち金は既に100元を超えることはなく、下手したら生活できない状況にある。朝はまず、バス、地下鉄を乗り継いで北京駅へ。ここで洛陽行きの切符を買う。この作戦は思っていたほどの難関ではなく、希望の切符ではないが、一応どうにか手に入った。その後バスに乗り、前門のマクドナルドで昼食、日本の店とあまり変化はない。トイレもきれいである。ビッグマックセットが18元と、日本的物価で考えると安いが、中国的な考え方だと少し高い。銀行を求めて探しまくるが、見つからないので王府井の中国銀行へと向かう。1時半かららしく、となりのタカQで物色、¥△△と書いてあるので「円」なのかと思って見たら、¥30とかなので、びっくりして聞いてみると、「元」とのこと。しかしながら安い。両換後は天安門、故宮へとむかう。2つとも一度行っているので1回目ほどの感動はないが、それでもうれしい。やはり壮大である。故宮も、前回見たのかどうだか余り覚えていないところを中心に、写真を撮った。牧とはぐれて、3人はHard rock cafeのある、亮馬河大夏へとむかう。7枚買ったが、もう少し買えば良かったかも・・とか思ってしまった。部屋に帰り、大下と2人で市場とデパートをうろつく。市場では、ザリガニとハトが本日のおすすめなのか、やたら見かけた。近くの本屋で中国の地図3冊、無性に欲しくなって、買ってしまった。ホテルに戻ると、牧も帰っており、少しくつろぐ。親父さんが来て筆談した後、メシを食べに昨日の近くの、別の店に行く。3人の女子がいて、我々が珍しいのか、愛想がいい。ツマノミや、その他5皿、それとビールとソーメンのようなものを食う。今日もおいしい夕食だ。その後帰路途中で、亀元が酔った勢いで髪を切る。そこの床屋の人たちと「浪漫飛行」を合唱して再見。外国人を見ない地区なのか、人々は優しい気がする。
 

「僕らは中国という国に、甘えというものをもっていた。」
朝6時30分起床、6時50分バスで明の十三陵へと向かうつもりが、北京九龍遊技園という古ぼけた遊園地へと着いた。探険館はなんとなく楽しめたが、その他のアトラクションは、金を捨てるようなものだ。しかし中国人(多分、おのぼりさんたち)は、目を輝かせ、子供は楽しそうによそいきの服を着ている。特に龍将楽園は、子供の落書きかと思うほどのダサさで、口があんぐりしてしまった。その後、十三陵水床紀念碑公園へと向かう。人かい戦術で作ったダムはすごいが、紀念館はヘボだ。そして同じく定陵博物館も関心は持てたが、いま一つだ。
バスの中に香港人や四川人など様々で、我々は助手席のせいかあまり話さない。昼食。トイレがクサイ。そういえば最近、日本で銀蝿を見ていないような気がする。それと中国ではポイ捨てO.K.なので、観光地といえども、ゴミだらけだ。あとでツケがまわってこなければよいが…。今回は全て中国人料金だった。定陵見学の後、八達嶺へ向かう。これは前回までとは違う。長城で、外国人はほとんどいない。しかし売店のおばちゃんはこれぞとばかりに“10元!!安い”などと連呼してくる。長城の頂上なで私一人で行ってきたが、霧か霞が出ていたせいで余りはっきりした様子は見えない。帰り間際、今度いつ行くかわからないが、仏教国用の数珠とTシャツをまけさせて、20元で買った。夜は、親父さんの家で庶民の中華料理を食らう。猪肝、猪耳、家鴨のタマゴなど十品ぐらい出て、その後水餃子が出た。なかなかの味だったが、中国の庶民の生活に少し触れたような気がした。しかし我々は中国に甘えていた。日本的思考で考えていた(いる)。もっと現実は厳しい生活をしていることに気がついた。けれども、心は豊かだということにも気がついた気がする。
 

 昨日の長城の疲れが残る中、私と亀元は、毛沢東紀念館へと向かう。あの天安門広場に、紀念館を取り巻く形で人々が行列を作っている。中には何食わぬ顔で割り込もうとする者も多く、その度に役員に追い出される。中は毛沢東の死体があるのだが、顔のつやが良く、とても本当の死体とは思えない。まるでロウ人形のようだ。切手セットとバッヂを買い、中国銀行で両替。腹がにわかにおかしくなり、厠所へ。ホテルに帰った後、タクシーで王府井へと向かう。1時間半交代で観光、マクドで待機と決め、まず牧と大下が向かう。その後、私と亀元で郵便局を探すが見当たらず、五つ星ホテルでハガキを出している間に私は少し散策、書店でハガキを買う。少し行ったところに郵便局があった。ベネトンの店などもあったので、今度ゆっくり散策したいものだ。その後、バスで駅に向かい、外国人待合室へ、京産グループと会う。彼女らは、邦州→南京→上海へと行くらしく、夜行を待っていた。大下は、席の横の韓国人と話しており、私のことを韓国の青年に見えると言っていた。京産の子に肩をもんでもらい、だいぶ楽になる。男2人、女2人でメシを食いに行き、我々は食う時間がなく、少し、饅頭と水を買う。その後荷台を買い、手紙を書いていると、外国人待合室から追い出されてしまう。(AM1:00のこと)仕方がないので我々は新聞を敷いて寝る。うとうとして、5:00頃亀元のカバンが置き引きに遭う。全財産を入れていたとのことで、火車には乗れなくなってしまう…。
公安局も相手にしてくれず、とりあえず宿を捜すことにする

亀元の落胆は大きい。見ているこっちまでつらくなる。しかし、一極集中していたのはまずかったし、おまけにあれほど保険に入っておけと言ったのに入らなかったのは、自業自得だとも言えよう。しかし、13万円近く奪われてしまったのは何とも言えない。公安局に筆談しに行ったが、相手にしてもらえない。仕方ないので宿を捜しに天壇公園に行く。ここらは体育の街らしく、NIKEの靴など安く売っている。しかし宿は220元?以上と高く、炎天下の中を歩きまわる。さすがの私もダウンし、休みを頼む。途中、親切そうに宿を捜してくれたお兄さんも、実は金目当てであった。まったくこの国はどうなっているのだ!結局北京麗 飯店というホテルに泊まる。その後はフロも入らずひたすらねるねる……・。

今日は大使館へ行くことになる。Hard Rockの店に近いので、後でよることにしたい。(結局よれなかった。)昆龍飯店の道を川沿いに進むが見当たらず、銀行で両替。とりあえず金を持っていればどうにかなる。銀行で日本人らしき50歳前後のオジさんを見つける。中国語が達者で、わざわざ大使館までついてきてくれた。そのオジさんのアドバイスでJALの(PH○?方式?)窓口へ向かい、4人で話し合って亀元の切符代を捻出する。そして明日の便(1:30?)をとる。その後、横の友誼商店により、サングラスを買う。何かホンコンボーイっぽくなるが、しょうがない。バスで王府井に向かい、公安局に5:20頃着く。盗難の経緯を説明すると、駅の公安職員を呼ぶから待っていろと言われ、その作業が終了したのは、9:30すぎ。王府井の通りに向けてタカQ通りを歩くと、屋台がたくさんあり、焼きソバと、羊の焼鳥っぽいもの、それと肉(ブタマン)を食べる。その後タクシーで帰るが、オヤジがわざと遠回りして、亀元逆上する。大下のおごりでアイスを食って、ホテルへ。       すぐねる。

今日は朝から腹の具合がおかしい。と思っていたら、2度の下痢。残念ながら亀元を空港まで送ることが出来ない。2日ホテルの日数を延ばし、部屋でくつろぐ。手紙を親と三原と久尾に書く。なんとなくTVをつけて見ていると、抗日関係のTVが多く、中国という国はまだ危険(日本人にとって)だと思った。昼ごろアジアストアーに物色に行く。品揃えは豊富で、見ていて飽きない。本を読んだりうとうとしているうちに、牧達が帰ってきた。大下はTシャツを買ったらしく、それも安かったらしい。夕方みんなでアジアストアーに再び物色に出かける。カップラーメン他いろいろ買って帰って食う。私のラーメンはなかなかだったが、牧と大下のはまずかった。8月14日の杭州行きの切符をとるように相談し、ねる。

まだ北京の空(晴天)を見たことがない。2年前の「空10」のときは快晴だったのに。今は、排ガスとキリでまったくの代物だ。今日はまず北京駅に行って、杭州行きの切符を手に入れた。明日の午後5:14だ。亀元事件のあった北京 は今日もまた、地方者が寝ている。まったく酸っぱい体臭が鼻をつく。その後東たん、王府井を散策、集 の店などによると、ほしい切手がたくさんあって、まいったまいった。タクシーに乗って帰ってきて、休息。牧が少しまいっているようだ。私も少し喉が痛い。8時頃北京焼鴨を食う。ネギをタレにつけ、ギョウザの皮のようなものにのせ、ダッグの皮と一緒に巻いて食べるのだが、なかなかの美味だった。
最後の北京の夜だ。明日の今ごろは、火車の中である。色々な民衆生活を教えてくれ、また危険も教えてくれた北京。無事、上海に着きますように。

昼までホテルで休む。12:30頃チェックアウト、駅へと向かう。亀元事件がやはり頭をかすめる。と同時に腹が痛くなる。とうとうドアなしトイレ体験&ヒットチャートランクインとなる。2度の下痢の後、二階の待合室へ。人の群れで大変だ。近くにいた英語の話せる女性に聞き、列車に乗る。硬 は思っていたほど悪くはなく、下は結構広い。中も寝るには快適、上もまあまあだ。同室(?)の人は23才と17才の学生らしい中国人で常州に帰るらしい。彼らはシャイなのかあまり話そうとしないので、会話はしない。夜、家族連れが乗り込んできて、我々の所は途端にやかましくなった。さすがの私も切れそうになる。まったくこの国の子供のしつけはどうなっているのやら。少し風邪気味なので、ウィンドブレーカーを着て寝る。夜半雨が降ったらしいが、覚えていない。

朝、ガキの騒ぎ声で目が覚める。うるさくてしょうがない。ひっぱたいてやろうかと何度も思う。鼻水が止まらず大変な目にあう。天気は快晴で、おそらく50年前と同じ景色なのではないだろうかと思うような車窓の風景が広がる。ガキがうるさい。4人もいるので耐え難い。まったく気分が悪い。長江を越える。思っていたより広大でなかった。カメラの調子が悪く、写真がとりにくい。南京に着く。駅は見たところたいしたことはなく、都市自体もぱっとしない感じがした。蘇州、上海へと向かう。鼻水が止まらず大変。カップラーメンを食う。19:30、杭州駅へ着く。客引きの連中がしつこく延々とついてくるのには少々まいった。熱があるらしく、頭がぼんやりする。ホテルは解放路のホテルに泊まる。120元。その後チャーハンを食べ、一足先に寝る。
中国各地で抗日50年紀念とあり、日本人は自分の国の惨状ばかり報道することなく、もと加害者としての責任を負わなければならない。本日は戦後50年である。両国あるいはアジア諸国の被害者の冥福を祈る。

今日は熱が出ており、少し頭痛&腹痛というダブルパンチの為、同じホテルで休養。今や私にとって観光はただの苦痛にすぎず、迷惑をかけている牧や大下に対して申し訳ない。外は暑いらしく、外出していた牧も昼から寝る。今日はみんな休息日だ。夜ケンタッキー1Pパックを食う。あまりおいしいとは言えないが、何か腹に入れておかなくては。ねる。ひたすらねる。

早く日本に帰国したい思いが強まる。熱はひいたし、下痢もおさまった。だが体がだるい。疲れてしょうがない。湖浜飯店に宿を替えるが、一人50元とあって暑い。ゴザを敷いただけのベットと、前日とは大違いである。観光に出かけるがバテてしまい、塔には行かず帰って寝る。日本人旅行者の人に薬(ゲリどめ)をもらったが、少し危険かもしれないのでのんでいない。夕方、西湖は光のイルミネーションで美しく照らされる。昼間よりかえって美しい。4日ぶりにみんなと夕食を共にする。腹の調子も今のところ大丈夫だ。このまま帰国までもってくれればいいが…と願いつつ、ねる。

杭州は暑い。耐えられない暑さだ。こんなに暑いとは思わなかった。緯度的に沖縄のあたりになるのだから、当り前と言えば当たり前だ。杭州の街は主に西湖(シーフー)が中心で専ら、観光と言えばそこになる。泊まっているホテルは西湖の湖畔にある西湖飯店というところだが、部屋がピンからキリまであり、僕らの部屋はもちろんキリである。扇風機が一台あるのみで、ベットはバネがなくゴザを敷いているのみというもので、その分50元と値は安い。まったく何もやる気が起こらない。昼までダラダラと寝て、気が向いたらメシを食うといった、まったくダレダレの杭州である。腹の調子は良くなったり、下痢をしたりといまいちで、1日に3回は調子がおかしいのか腹の痛みがくる。牧の様子がおかしく、風邪をひいたらしく、腹痛と悪寒がしているらしい。夕食は大下と二人で食いに行った。ナスに料理がなかなかであった。
ホテルのフロントで涼んでいると、日本人らしき女の子がきて、上海について色々聞いた。上海に留学しているらしく、色々なことを知っている。あまりかわいくない。2人目の子はなかなかの美人で、3人目はどうでもよい。大下は友人の土産に中のライターを6元で買う。私はシャツを15元で買う。今日は炭酸類を飲みすぎたのか、下痢の嵐である。ねる。

清給我換一介房間    部屋をかえてください
と何度言おうと思ったことか。最近忘れていた忍耐、ガマンという単語を久々に思い出した。御室よりも暑い。バテそうだ。早く上海の冷房ホテルに宿をかまえて土産を買って、帰国したい。いや、できるものなら日本に今すぐでも帰りたい。暑い。腹が痛い。どうにかしてほしい。気が狂いそうだ。腹の調子はまあまあで、2,3度外出してもほとんど影響はない。西湖で夕方、写真を撮る。昼間駅で見た群集は、北京 を思い出すような異(悪)臭を放っていたが、この湖はなかなか美しい。中国衣装を着て写真を撮る。1回2元×写した回数らしく=8元と安かった。夜、中華のファーストフード系の店で食事をし、フロに入って寝た。夜中足の裏を何かにかまれ、必死にキンカンを塗っていたことは覚えているが、あとは熟睡していた。

やっと20代に突入しました。あと船まで6日、日本まで8日とあいなりました。今日は午前中、早速切符を買いに行きました。手に入りました。うれしいの一言です。私の姿が半、現地人に見えるせいか客引きがあまりよってこず、いいあんばいです。今日は洗濯もしました。GパンとTシャツ類を干しましたが、夕方雷が鳴り出しました。両替を1万T/Cでやっておきましたが、レートがいまいちです。夕食は、近くの杭州酒家で油だらけのものを食いました。夜、蚊がすごくてなかなか寝ることができませんでした。

上海です。朝5:30起床後下痢。昨日寝る前に飲んだ薬はどうなったのだ。7:00にチェックアウトして、タクシーをどうにかつかまえ、杭州駅へ。2階建て列車です。2階の良い位置に席はあったが、前に少し日本語のできる新婚さんと、大下のブロックは、バーコードすだれハゲになるであろう親父とその一家が、騒がしく一家団欒をしてくれた。甘やかされていると見えるガキは、木魚をポクポクと叩きまわし、迷惑はなはだしい。上海 は、北京 よりも綺麗で、多少の異臭はするものの、北京 ほどのものはない。タクシーで浦江飯店にくる。ツインをとり、午後は南京系路と南京西路をまわる。少々頭が痛くなってきたので、先に帰って寝る。南京系路及び西路は、思ったほど買いたいものが見当たらなかった。明日もう少し探索しに行きたい。外灘は、TV塔が一際目立ち、租界時代の建物もなんとなくいい。北京より好きになりそうだ。牧達は帰ってこず、和平飯店でジャズバンドを前に、京産グループと飲んでいた。私は一人空腹のままホテルで待っていた。

今日は南京西路を歩く。目指すは景徳鎮専門店である。白磁香炉があればいいが、おまけに腹が少し痛い。しかし、店はなかなか見つからず、結局西路が終ろうというあたりで発見。食器セット(220元)、コーヒーセット(48元)、友人たちのマグカップ(10元×5)を買い、フラフラしながらタクシーに乗り、上海大 へ、途中タクのオヤジがガソリンスタンドにより、メーターがはねあがっていく。人がいたが自分で入れなくてはならないらしく、時間がかかる。結局15元近くかかってしまった。夜、牧達と飯を食いに、南京東路を歩く。なかなか見つからず、やっとシュウマイを食い、帰りに京産グループに会う。そういえば朝、上海友誼商店に行ったとき、京産のあの子に会った。やはり私はやつれているらしく、痩せたと言っていた。彼女も下痢で大変らしい。帰ってからすぐ寝た。昼はマクドで。後ナイフを買う。

今日は徹底的に土産を買うぞ、という決意とは裏腹に、腹の具合が朝から最悪で、洪水のようである。しかし土産を買わなければ殺されそうなので、とりあえず行く店をピックアップして出かける。昨日、ナイフを張小泉の店で買う。10(シー)と言ったら店の人はびっくりしていたが、買った為、今日も行ったらまたX(シー)と冗談を言われたが、そんなに毎日「シー」買うわけにもいかないので2つ買う。新華書店へ行くと、雨がどしゃ降りになり大変だったが、その後色々と回って帰る。と思ったが、上海友誼西路店で白磁のある店をきいたところ、老城飯店を教えてくれたので、行ってみるとなかなか見つからず、結局歩き回って「豫園」まで来てしまった。そこでモスバーガーを食べて、歩いて帰る。「老城」は現地の人の間では有名らしく、10人位の人に聞いたがみんな知っていたのは面白い。次回上海に来たときはよってみたいと思う。夜はすぐ寝たが、牧達は3時ごろから街を徘徊したらしい。

今日は何日かわからず、朝からパニックになる。今日は茶と減肥セッケンを買わねばならぬ。そこでまた牧達と途中で別れ、茶とその他小物を買いしめる。雨が友誼商店で本格化し、どうにか濡れながら帰る。
夜は浦江のホテルでメシを食う。

残り5000円TCを両替し、カバンとBENETTONとTAPEを買い、帰る。夜はカップラーメン。

8月26日
 11:00に港へ行って、間違えて再入国。12:00から上船し、船に乗る。

8月27日
 下痢治らず。
昼、飛魚なんぞを見る。

8月28日
 5時、無事下宿へ