僕は、そのとき北京駅にいた。
酸っぱい臭いのする駅の床でザックを枕に寝転がっていた。
北京駅。
言わずもが知れた中国の首都駅。
南は、ベトナム
西は、モスクワ
北は北朝鮮まで。
まさに、「ユーラシアの始終着駅」である。
そう言えばかっこいいが、
ただの「出稼ぎ中心地」といってしまった方がしっくりくる。
この出稼ぎ者がいっぱいいる。
やたらいる。
まるで正月のバーゲンのようだ。
「おら、東京さ行くだぁ」(BY 吉幾三)を地でいくような人の群をかき分け
やっと、「西安」(昔の長安)への切符を手にした我々は、
早朝の「西安行」(朝5時過ぎ出発)に乗り込むため、宿代をケチって、
駅の待合室で寝ていた。
初の移動にみんなドキドキであった。
既に、体臭は彼らと同じスメル(酸っぱい臭い)がしていた。
10日前から始まった「旅行」もいささか、疲れが出てはめていた。
・・・・・・・・・・・。
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7月初め。
大学最初の夏休みをどう過ごそうか考えていた僕は、友人に
「何か、夏だし、わくわくすることしたいよな」
「そうだなぁ」
「日本一周とか」
「世界一周とか?」
ふと、
「チャイ語(中国語)習っているんだし、中国でも行ってみるか」
「いいかもしれんなぁ」
冗談にそんなことを言っていると、
次の日
奴が僕の机の上に、封筒を置いた。
中には、「燕京号・旅客切符」と書かれていた。
「ふっ、船の切符のように見えるんですけど・・・」
「昨日行くって言ったじゃんか!」
「そりゃ、言ったけども・・・」
こうして、僕ら中国語受講者4人組(後の悪友達)は、
大震災の復興ままならぬ神戸の港から出発することとなったのだった。
・・・・・・・・・・・・。
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北京駅 夜中1時。
僕たちは突然警官によって、「外国人待合室」から、追い出されてしまった。
「何で追い出すアルカ?」
「治安維持のためアルネ」
「中にいた方が治安いいアルネ」
「外は、ひったくりに遭うアル!!」
そう反論する僕たちに、人民解放軍の警官さんは、
「規則でそうきまってるアル!!!」
と冷たく我々を追い出すと、待合室の鍵をかけてしまった。
中の治外法権の空間とは違い外は、まさにスラム街。
その暗闇が、戦争映画の収容所チックのようである。
今更、ホテルへ移動する気力はない。あと4時間ガマンすればいいだけだ。
仕方なく、待合室の入口で、座っていた。
外は、中とは違って、暑い。一気に体が汗ばんで、眠気がおそってくる。
「寝てはだめだ、置き引きに遭うかもしれん。」
「犯されるかもしれん」
「香港に売り飛ばされるかもしれん」
「ラーメンマンにされるかもしれん」
様々な不安を抱きながら、まるでジャングルでの野営のような雰囲気で、
僕らは荷物を抱えていた。
「あっ暑い・・・」息苦しいどころの騒ぎではない。ちょっとしたサウナ状態である。
「くさいよう。・・」明らかに、中国人民(我々を含む)大衆の酸っぱい臭いである。
「なんか怖い・・・」僕らと同じようにねっころがっているのは、ゆうに3ケタである。
だが、それ以上に
眠い・・・・。
言うならば、昼飯を食い終わった夏の日の「公民」の授業のようだ。
はたまた大学の「経済講義」のボケ教授の講義のようでもある。
一瞬、意識がとびはじめる。
友人達も、同じように一瞬ビクっとしている。
会話も、徐々に無くなってくる。
一瞬から、数秒意識がとぶ。
そして、数分
・
・
・。
ふと、目を開けた時、腕時計は4時50分を指していた。
「ちょうど5時になる、起きろ。」
「ほんまや」
助かった。犯されてないようだ。
急に腹が減った。
「さあ、腹ごしらえしようぜ」
僕は、ザックの中から、中華マンを取り出すとみんなに手渡した。
その瞬間、Hの顔が般若のようになった。
「ない!!」
「なにが?」残りの三人は、中華マンをほおばっていた。
「かばんが!」
「あるじゃん。目のまえにさぁ」
「違うんよ。セパレートタイプのポシェットがないの!!!」
「ザックの下とかに敷いているんじゃないの?」
「ない・・・・」
「なにが入っていたの?」
「大したモノは、入ってないんだろ?」
「パスポートもあるんだろ?」
我々三人は、ようやく饅頭を食って、気にせずお茶を「ゴブリ ゴブリ」と飲んでいた。
「あっ、有り金全部・・・」(約10万)
「はっ?」
「それとトラベラーズチェック(旅行小切手)の控え」(紛失時に再発行の際に必要)
「えっ、?」
「カメラも」
「なに!!」
かろうじてパスポートだけ持っていたようだ。
もはや「西安に行こう」どころの話ではない。
「初移動」は、「初盗難」に変わってしまった。
目の前を西安行きの列車が無情に出発していく・・・・・・。
「肉まん、おいち!」などと言ってられん。
まず、警察へ。
警察
「あのう、わたちの友達、お金取られたアルよ」
「幾少銭?(いくら?)」
「10万円ぐらい・・・」
「パスポートはどうなのね?」
「取られてないアル。」
「なら、問題ないアル、大使館へ行け。」
はっ?
落第気味の点数を叩き出す我々にとって、
通じる会話はとうていできずリタイヤせざるを得なくなった。
(ここまでの所要時間2時間)
日本大使館
「君、パスポートはあるのかい?」
「はい。」
「なら、日本に帰られるね。」
「いえ、飛行機代が、・・・」
途端、大使館員は、僕らにガンとばした。
「金、君ら有るよな?」
「あっ、あります。」
「即刻、帰します」
(ここまでの所要時間3分)
結局彼は、日本への帰国を余儀なくされた。
その日の晩。
僕らは、盛大に中華料理をおごってやることにした。
「さあ、心おきなく、食うがよい」
「ああ」
(そりゃ、元気ないわなぁ)
「吐くまで、飲むがよい!!」
「あたりまえや」
(そりゃ、あれるわなぁ)
こうして、彼は、「中国人、だいっ嫌い」のセリフを吐いて、
日本へ帰っていった。

(Hと私)。
その次の日。
ルートを西安から、上海へと変更した我々残り3人は、
事件の傷跡の深い北京駅へと再びやってきた。
「この中のひとーりが、犯人なんや。」
「見つけたら、ぶっころしてやる。」
と言いつつ、内心、バックは「肌身離さず」のへたれぶりであった。
こういうときに限って、僕には、「あれ」がくるのだ。
そう、「あれ」。
「あれ」は、場所とか、シチュエーションとか、ムードは一切お構いなしだ。
これは、疲れからくる「あれ」、だろうか、それとも、昨日の北京ダックのせいか?
そんなことを考えていられるうちはまだいい。
突然、
「あれ」は、僕をある場所へと誘う。
そう、トイレ・・・・人生で一番行く場所。
中国のトイレ。ここのはトイレであって、トイレではない。
「あれ」とともに、羞恥心をも捨てさらなければ、
決して入ってはいけないミステリーゾーンなのである。
荷物を友人に託した僕は、「外国人用」のトイレへとダッシュした。
いっぱいだ・・・・・。
僕は、待てるほどの余裕が無くなっていた。
しからば、「人民用」・・・・。
まさに、地獄絵図。
便器はあるのに、扉がないのだ。
しかも、正面には、こっちを向いて中国人が「あれ」している。
便器を向かい合わせにつくんなー。などと怒る間もなく、
僕はちょうど人が出た、便器に向かった。
くっ、くさい。近年稀にみる臭さだ。幼少の頃のボットンの方がまだ、かぐわしい。
と思ってみてみると、
水洗なのに、流してないではないか!!
「こ、ころす!!!」
僕は、さっき出ていったオヤジを追いかけて、しばこうかとおもったが、
その途中で、ちびりたくなかったので、
レバーをひねった。
ガシャン。
こわれとるやんけ!!!
仕方なく、そばにあった、手洗い用の水で、永久に流し去ると、便座に座った。
僕の正面には同じ格好をした柄の悪いあんちゃんが、こっちを見ていた。
「にー、ニーハオ!」一応声かけとこう。
反応無し。(まあ、話しかけられても困るが・・・)
僕は、どうにか一段落すると、安堵のため息をしながら横を見た。
紙がない・・・。
まさかと思ったが、やはり。
ガイドブックで拭くか・・・
などといっとる場合ではない!
こんな時こそ、正面の人を。
「に、にーはお」
「$%&’#$&」(なんだおまえ)
「紙がないアル、ちょっとくれアル」
「*`l@%#!!!!」 (なにいってるかわかんねえんだよ!!)
「おい、まってぇー」
彼は無情にも、僕を見殺しにすると、痰を吐いて出ていった。
「もしかすると、僕は一生ここから出られないのでは?」
などと悩んでいると、友人が心配してやってきた。
まさに、「砂漠のオアシス」。「困ったときのカミ」である。
「あれ」よ、さようなら!!
僕は無事、地獄からの生還を果たすことができた。
だが、それは思い間違いだった。
以後、15日間、 8時間の一定した周期を保ちながら、「あれ」は訪れるのだった。