「哀愁のバンコック」
さて、今回。前回のソウルの疑惑となった、「バンコク旅行」
暇つぶしに読んで下さい。
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そのとき僕は、バンコクにいた。
トイレでゴキブリとのたうち回っていた。
バンコク・・。
2年前、ちょうど猿岩石がベトナムにいた頃、
僕は、バンコクにいた。
ただ暑かったことしか記憶にない。
あのころから僕は成長しただろうか。
それから2年、この旅がたぶん大学生活の締めくくりとなる。(ならんかったけど)
4年間バカばっかりやっていた悪友達と「タイの若大将」に成るべく、
マリンスポーツの本片手に、バンコクに乗り込んだ。
バンコク・ドンムアン空港。
日本でコタツに入っていた僕のからだは、蒸しかえる暑さに、いささか参っていた。
体重も今とは比べモノにならないほどやせ細り、明らかに、
「何かあったな。」という体型であった。
暑さ参っていたのはそのせいだけではなかった。
年末に、彼女と別れて以来、僕は全く元気がなかった。
そんな僕を思ってくれてか、
卒業旅行は、「マリンツアー イン・バンコク」となったのだった。
しかし、そんなに簡単に、
「はぁー、わたしのぉ こいはぁー みなみのぉかぜにのってはしるわぁー。」( BY松田聖子)
と、波打ち際で、チャプチャプする気にはなれなかった。
むしろ「わかれてもぉ、(わかれてもぉ) 好きなひと(好きなひとぉ)」チックであった。
「まぁ、元気出せよ、人生いろいろあるさ」
「ああ、分かってる」
「バンコクで気分一新、また日本で頑張らな。」
「おう」(なんていい奴や・・)
僕は友達の珍しく優しい言葉に、ほろりとしながら、
安宿街のある、「カオサン・ストリート」へとやってきた。
今回の旅は4人(一人、直前にスペインへ逃亡した)だ。
先に来ていた2人は、既にひげ面で現地人化していた。
「おう、久しぶり」
「おまえこそ、元気か?」
「まだ、あれをひきずってんのか?いい加減元気出せ!」
「うん」
「今回は、おまえのためだぜ。おまえを元気にさせて帰る、これが目的や。」
「ああ」(わしゃー、幸せもんじゃ。「大学の友は一生の友」とは、よう言ったもんじゃ)
バンコク・・・ナイロビ・バハマに並ぶ「世界三大歓楽地」のひとつ。
その中でも「パッボン」通りといえば、歓楽地として右に出るところはない。
夜。
僕は、幾分涼しくなった夜風に、疲れた体を休めながら部屋でビールを飲んでいた。
買ったばかりのMDウォークマンには
「ユーミン」から「中島みゆき」まで、(くらい曲ばっかりじゃねーか)
浸るには十分だった。
「どーして、どーして、僕たちは別れてしまったのだろう。」(BY 松任谷由美)などと
ますますドツボにはまりそうな曲を聴いていると友人達がやってきた。
「またー。暗くなって。そんなの聞かんと、ちょっと、外出かけるか」
「どこへいくの?」
「そうやな、ディスコはどうや。SPEED流行っとるかもしれんで。」
「そうかな」(今考えると、そんなわけがない)
まあ、行ってみるか。部屋に居っても、暗くなるだけやし。
タクシーに乗り込むと、友人達は「リボビタンD タイ産」を
ゴキュ、ゴキュ、
飲み始めた。
「何でドリンク?」その理由はすぐ分かった。
やはりついたのは、右に出る場所なし!!の「パッポン通り」であった。
おい!!!パッポンきとるやんけ!!!
ここは、一言で言うと「レオタード姿のおねーちゃんが踊りまくる地区」であり、
また、「おっさんが、それらのおねえちゃんに狂う場所」でもある。
やっぱりここか・・・・。ドリンクのところで気がつくべきだった。
連れ達は、もはや手のつけようがない。「東ティモール」いや、「西麻布の猿」である。
「フジタ、見てみ、あんなかわいい子が踊ってるんやで」
「おい。これ、ディスコか?」
「どっからみても、ディスコやがな。どの店入る?」
路地は、客引きのおばさん、おっさん、
ポン引きの兄ちゃん、姉ちゃんであふれかえっている。
「オニサン、ほんこんじん?にほんじん?」
(日本語でしゃべってきている時点で、日本人相手じゃねぇーか)
「のお、あいあむ こりあん。キムチ、キムチ!!」
「ドオ?ナカヤマミホ イルヨ」
(いるわけないじゃん!!)
「いや、のうさんきゅー」
「ナンデヨ、カワイイコイルヨ」
「そんな気分じゃねーの」
「アナタ スキソナコ イルネ、ミンナ ビジンヨ」
「入らないっていってるでしょ、なあ・・・」
振り返ると既に友人3人はいない。
まさに店に吸い込まれているではないか。
「おーい!!おい!おい!ちょっと、まってやー」
これ以上、ポン引きにつきまとわれるのはいやなので、
仕方なく、僕も中に入った。
客の中には、外国人に混じって、
「パッポンってー、日本人の女の子危険だから行かないほーがいいよー」などど
帰国後、絶対自慢していそうな、日本の勘違いブサイク女子大生の姿も見かけた。
ステージは、宴たけなわであった。
セリーヌ・ディオンの「My Heart will go on」(theme from TAITANIC)にのせ、
ネオンがきらきらしていた。
「そういえば、タイタニック見に行ったよなぁ」
よかったよなぁ、これ。しみじみしながら、ちょっぴりおセンチになりかけて
となりの連れ達を見ると、両手に女の子を従え、
「シャチョサン、スケベネ」状態の3人であった。
「おいおい・・・」
おまえら、「買春ツアーのオヤジか」。
僕は、次々に「カッコイイオニイサン、こーらノンデモイイ?」
とコーラをせびりにくるウェートレスの子達を蹴散らしながら、
ただボーっと、ステージのダンスを見ていた。
そうしていると、ステージから伊達公子似の子が、降りてきて
横に座って話しかけてきた。
「オニイサン、タノシクナイ?」
「のお、たのしいよ。」
「ジャ、イッショニ、こーらノンデモイイカ?」
「ええよ」(としかいえん。)
・・・・・・・・会話ができん。
うぶで英語も大して話せない私には、ただダンスを見ているよりほか無かった。
突然彼女が耳元でささやく。
「イッショニだんすシタイ。 オドリニイコ。」
「えっ。」
「てーくあうと、おっけー アナタニキイッタ」
「はっ?」
連れ達は、いつの間にか女の子達と消えていた。
「ワタシ、アナタトオドル」
「アナタ、ワタシキライ?」
「きらいもなにも、・・・・」
完全に、彼女のペースである。
「イコ」
「いやー。」
「アナタオトコカ?」「ワタシオドリタイダケ」
踊るだけならまあいいか。
「おーけー」
僕らは外に出るとパッポン通りを歩き出した。
だが、
僕には、ダンスすらも何かやましいことをしているような気がしてならなかった。
「ごめん、やっぱり帰るわ」
そう言うと、彼女に1000バーツのチップを渡し、
屋台の人混みの中を大通りへと走った。
「俺、なにやっているんだろう」
僕は、自然と頬をつたう涙を拭いながら、宿へひたすら走り続けた。
宿の近くまでくるとなんだか無性に腹が減ってきた。
飯でも食うか。
食堂のようなところで、「タイ風シーフードカレー」をむさぼるように食っていると、
ポン引きのおっさんが寄ってきた。
「ニイサン オンナ ヤスイ 」
「いらない」
「オンナ キモチイイ」
「しっとる」
「タイノ オンナハイイ」
「いまはいらん」
さっきの事が頭をよぎる。なんだか悲しくなって、部屋に戻った。
とにかく、一人で落ち着ける場所に行きたかった。
だが、部屋で待っていたのは静寂でも、哀愁でも、寂しさでも、蚊でも、ヤモリでもなかった。
ついさっき、平らげた「シーフード」が上と、下から、ダブルでおそってきたのだった。
それは、三回生の折りベトナムで味わった「肝炎とちゃうか?疑惑」以来の激しいモノであった。
結局、タイではマリンスポーツなどすることなく、
はたまた、チャオプラヤー川のほとりで、別れた彼女に手紙書いて、
「いま僕は、バンコクにいます・・・・」などと、沢木耕太郎ごっこする体力もないまま、
薄暗い、汚い部屋で一週間、ゴキブリとともに、「トイレの住人」と化したのだった。
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またまた、激励のご挨拶、お待ちしています。
では。